p118 – 128
さて源氏物語中屈指の官能場面です。私は源氏・藤壷のもののまぎれ(@若紫)に照応していると考えています。
26.柏木、小侍従の手引で女三の宮に近づく
〈p237 どうなったか、どうしたかと、〉
①G47年4月10余日、賀茂祭御禊の前夜
(紫の上が病を得て二条院に移ったのが3月初、六条院は人少なになっている)
②チャンス到来 女房たちは御禊への準備で忙しく女三の宮の周りには誰もいない。
近くさぶらふ按察の君も、時々通ふ源中将せめて呼び出させければ、下りたる間に、
→描写が細かい。ジャジャーーン!という感じである。
③女三の宮の寝所を襲う柏木
床の下に抱きおろしたてまつるに、物におそはるるかとせめて見開けたまへれば、あらぬ人なりけり。
わななきたまふさま、水のやうに汗も流れて、ものもおぼえたまはぬ気色、いとあはれにらうたげなり。
→驚く女三の宮、その様子が柏木には「いとあはれにらうたげ」に見える!
④必死に恋情を訴える柏木
年月にそへて、口惜しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに深く思うたまへまさるにせきかねて、
そして柏木は(腕に抱いた)女三の宮の様子に我を忘れて一線を越える。
いとさばかり気高う恥づかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、あてにいみじく思ゆることぞ、人に似させたまはざりける。さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちも率て隠したてまつりて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えてやみなばやとまで思ひ乱れぬ
→強烈な場面です。7年間の妄執は計りしれない。源氏・藤壷も狂気だったが、、。
→業平と二条の后の恋・伊勢物語六段が引かれている。
⑤ただいささかまどろむともなき夢は、この手馴らしし猫のいとらうたげにうちなきて来たるを、
→情交場面。情交時に猫(獣)の夢を見るのは懐妊を暗示
⑥夜が明けて暗い寝殿から外へ連れ出し「あはれとだにのたまはせよ」と、おどしきこゆる
→そんな大胆に振る舞っても見つからないのだろうか。開きなおっているのだろうか。
⑦柏木 起きてゆく空も知られぬあけぐれにいづくの露のかかる袖なり 代表歌
女三の宮 あけぐれの空にうき身は消えななむ夢なりけりと見てもやむべく 代表歌
→ここは両者の歌を代表歌としたいと思います。
⑧脚注 柏木の破滅をも恐れぬ願望
百人一首No.45 藤原伊尹
あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
この26段はいつ読んでもすごい、汗が出てきます。
自制心を失った柏木、六年間の思いが今まさに爆発した感じですね。
あの手この手で情に訴え時に脅しとも思える言葉。
いかにも柏木の切羽詰まったほとばしる激情は哀れを誘います。
身の破滅、死を覚悟してまで成就する価値のある恋なのでしょうか。
少し冷静になればわかることなのに恋の亡者そのものです。
後先見失い盲目的になるのが真実の恋ならば柏木の恋は価値観で計るものではなく純粋なのでしょうか?
ここまで情熱的になれるのは幸せなのでしょうか?
ちょっと理解に苦しみます。
清々爺さん、このような男の恋、いかが思われます?
柏木と女三の宮の歌、重苦しい雰囲気ですね。
ありがとうございます。
いやぁ、すごい場面ですねぇ。
まだまだ柏木物語は続きますので柏木の恋について断じるのは早いかもしれませんが、やはり行き過ぎで理解できないというのが正直なところです。理解できないポイント挙げろと言われればナンボでも挙げられそうです。
でも自分にはできないという所と男としてやってはいけないという所は違うでしょうから、もう少し考えたいと思います。何れにせよ私にはとてもとてもできないしやりたいとも思いません。