p86 – 96
21.女楽終り、夕霧ら禄を賜り帰途につく
〈p215 またあの笛吹きのお子たちが、〉
①試楽終り若君たち(髭黒の三男&夕霧の長男)をねぎらう。
夕霧には女三の宮から礼品が贈られる。
源氏「あやしや、物の師をこそまづはものめかしたまはめ。愁はしきことなり」
→こういうジョークを聞くとホッとする。
②源氏が高麗笛を吹き夕霧が横笛を吹く。源氏一族みな笛の名手である。
→源氏、得意の絶頂である。
③夕霧は自邸(三条左大臣邸)に戻る途中、紫の上の筝の琴を思い出し、自妻雲居雁が育児家事に追われていることに思いを馳せる。
→後で出てくる夕霧の家庭問題への伏線
22.源氏、紫の上と語り、わが半生を述懐する
〈p217 源氏の院はその夜、東の対へお越しになりました。〉
①翌朝、源氏と紫の上は昨夜の女楽(女三の宮の上達ぶり)について話を交す。
気合いを入れて猛特訓した源氏、紫の上も「いかでかは、かく他事なく教へきこえたまはむには」と答えざるを得ない。
②紫の上とのことを述懐
最初は琴もけっこう教えたがその後忙しくなって途絶えがちであった。それなのにけっこうな腕前に上達している。孫宮たちの面倒もみて何事にも至らぬところがない。
、、、、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は世に久しからぬ例もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ
→紫の上に対する源氏の思いは偽りのないところであろう。
③紫の上の年令。
G18年二条院に連れて来られた時が10才なのでG47年の今では39才の筈。
37才というのは作者の意識的過誤(脚注6)
→37才重厄の年でなければならない。
→「意識的過誤」いいですねぇ。普通こういうの「故意」って言うのじゃないかしら。
④源氏の半生の述懐
・大事な人を失くしてきた。
→母・祖母・夕顔・葵の上・父・六条御息所・藤壷・大宮
・須磨・明石への流謫
・藤壷への想い、冷泉帝皇統の途絶え
⑤源氏の紫の上に対する想い
「貴女には須磨の時を除きずっと私がついていた。外で苦労することもなく私の屋敷内でずっと貴女を一番大事にしてきた。女三の宮のことは面白くないかもしれないが、私の想いは変わらない。賢明な貴女なら分かってくれますね」
紫の上 心にたへぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける
→脚注も難解と言っている。「私の苦悩が貴方に分かるものですか」ということだろうか。
⑥紫の上の出家願望。源氏は全く受け付けない。
→これだけ訴えるのは心からのSOSということだろうに、、。
試楽も華やかな内に幕を閉じ源氏は思い通り満足感に浸ったことでしょう。
源氏、余裕綽々ですね。
夕霧、帰りの道すがら紫の上に思いを馳せ我が妻と比較する。
子育て真っ最中の日常に明け暮れる母親と比較するのは酷というものです。
女楽の後の源氏と紫の上の会話。
女三宮の上達ぶりを褒めあげるのは解らないでもありませんがその都度紫の上の心は痛みを覚えたはず、調子に乗り過ぎではないでしょうか?
これだけ紫の上を大事に思われるならばそこは深い思いやりが欲しいものです。
どんなに良く出来た女性にも限界というものがあるのですよ・・・
もう少し紫の上の孤独と心の悲鳴に気付いて欲しいですね。
この段、源氏の身勝手さばかりが気になります。
紫の上の出家願望、さもありなん・・・
ありがとうございます。
1.夕霧の家庭(雲居雁との間に四男三女)に触れてるところは後の夕霧物語(夕霧・女二の宮・雲居雁の三角関係)への伏線で、確かに子どもが多いと大変でしょうが乳母や女房たちも沢山いた筈で「何で雲居雁だけそんなに所帯じみてるの?」ってかねがね疑問に感じてるところです。この辺りまた後程議論したいと思います。
2.源氏が紫の上に語り伝える自分の気持ち(貴女が一番で貴女を一番愛していますよ)には偽りなく正直なところだと思うのですが、結局それでは紫の上の気持ちを満足させることはできない。多分何を言ってもどう振る舞ってもダメでしょう。結局は女三の宮が存在する限り紫の上の心は晴れないという図式なんですね。一夫多妻妾制の限界と謂わざるを得ないでしょう。
出かける前に少し気がかりで調べてみました。
意識的過誤、初めて聞く言葉ですもの。
ずばりの言葉は見当たりませんでしたがわざと間違えたと思えばいいでしょうか?
故意とはニュアンスが少し違うかしら?
面白い言葉ですね。
未必の故意 認識ある過失 責任故意 事実的故意とかいろいろありました。
意識的過誤、わざと間違えたということだと思います。
(39才が本当だがそれだと重厄にならず面白くないので37才としておこう。気付く読者もいるだろうけど構わない。間違ったことのマイナス評価より重厄の37才としたほうのプラス評価の方が大きいに違いないわ)
法律用語では故意と過失は区別されるのでしょうが一般用語としてはここは「故意に(わざと)間違った」ということだと思います。