p83-90
11.中宮の御八講 薫、女一の宮をかいま見る
〈p189 蓮の花の盛りの頃に、〉
①蓮の花の盛りに、御八講せらる。
→夏、暑い盛り。中宮主催の大供養。
(既出の御八講)
・藤壷中宮が桐壷帝の一周忌後に主催(賢木p180)
・源氏が桐壷院の追善八講をして政界に復帰(澪標p192)
・女三の宮は年に二回御八講を行っている(匂宮p20)
②みな入り立ちてつくろふほど、西の渡殿に姫宮おはしましけり。
→御八講が終り片づけてる所、女一の宮がいる渡殿に薫が近づいてくる。
③なかなか、几帳どもの立ちちがへたるあはひより見通されて、あらはなり。
→普段は厳重に目隠しがされて見えないようになっている。こういう時がチャンス。
④氷(ひ)を物の蓋に置きて割るとて、もて騒ぐ人々、大人三人ばかり、童とゐたり。
→氷は貴重品。
源氏、釣殿での納涼(常夏p134)
大御酒まゐり、氷水召して、水飯などとりどりにさうどきつつ食ふ。
⑤白き薄物の御衣着たまへる人の、手に氷を持ちながら、かくあらそふをすこし笑みたまへる御顔、言はむ方なくうつくしげなり。
→薫にとって女一の宮は雲の上の人、偶像視されている。
⑥「いな、持たらじ。雫むつかし」とのたまふ、御声いとほのかに聞くも、限りなくうれし。
→いかにも皇女らしい言い草。
→この垣間見の場面、柏木が女三の宮を垣間見た唐猫のシーンを思い出させる。
⑦女一の宮をほのかに見た薫
やうやう聖になりし心を、ひとふし違へそめて、さまざまなるもの思ふ人ともなるかな、その昔世を背きなましかば、今は深き山に住みはてて、かく心乱らましや。
などて、年ごろ、見たてまつらばやと思ひつらん、なかなか苦しうかひなかるべきわざにこそ、と思ふ。
→全く薫は得体の知れない男である。逆に言えば定見など持たずあれもこれもと右往左往するのが人間であるとすれば薫こそ人間なのかも知れない。