須磨・明石に行ってきました

春休みで娘一家のいる姫路に来ています。ゆっくりゆったりと春を満喫しています。以下行状メモです。

1.須磨離宮公園に家族で行楽
  子どもの森 フィールドアスレッチック & 児童遊園 長いすべり台
  爽やかな一日で遊具もちょうど小学校低学年下に合ってて皆大喜びでした。

2.甲子園へ 準々決勝2日目 穏やかな野球観戦日和
  ①高知 2-0 仙台育英
   高知の酒井・坂本を仙台育英が打てなかった。終盤波乱あるかと思ったのだが。

  ②済美 6-3 岐阜商
   大阪桐蔭を破り番狂わせを演じた岐阜商、応援したのだけど藤田が疲労困憊で6回までしか登板できず継投を試みるもリリーフ陣が8回に炎上した。惜しかった。安楽は151キロ出してさすがだった。

  久しぶりの甲子園、じっくり2試合見れて堪能した。一つ感じたのは死球が多すぎるということ。インコースを攻めるのが推奨されてるせいかと思うがコントロールに未熟な高校生投手が打者の胸元ギリギリをつくというのはやり過ぎではないか。これも勝利至上主義のなせるところだろうか。

3.お目当ての須磨・明石 姫路→須磨はJRで1時間足らず

  ①須磨 駅を出るとすぐ浜辺、このあたりで主従が歌を唱和したのかと感じ入った。
   ・現光寺(光源氏住居跡)駅のすぐ北、浜辺もごく近い。きれいにされていた。芭蕉他文人達の碑も多く源氏物語が古来愛されてきたことを思い知る。

   ・須磨関所跡(関守稲荷神社) 現光寺の西、小高くなっている。ここが関所だったとなると海からすぐ山になっていたことがよく分る。淡路島も近くに見えNo78源兼昌の歌を思い出した。 

   ・須磨寺 10分程登ったところ、立派な佇まいです。
    平安初期開基ということだけど源氏物語には出てこない。紫式部が知らなかったのか無視したのか、、、。須磨の巻の描写に須磨寺からの鐘の音やら、須磨寺の阿闍梨の話やらあったら面白かったろうに。
    寺は専ら平家物語。敦盛の青葉の笛、弁慶の鐘、、直実と敦盛の場面
    
   源氏物語と平家物語が併存する須磨、いいところでした。

  ②明石 正しく須磨から浦伝い、淡路島が目の前、海辺の街の感じ
   源氏物語ゆかりの地を訪ねたが何れもお呼びでない感じ。住宅地の中でもあり浜の近さ、山辺への道どりなど感じることはできなかった。

   ・善楽寺 浜の館と寓せられているところ。明石入道の碑がある。江戸時代の明石城主が無理やりここに源氏物語の世界を設定した。でもこの城主、エライですね、多分必死に源氏物語を読んだのでしょう。

   ・無量光寺 善楽寺のすぐ隣。光源氏住まいの跡という。それにしては、ちょっと寂しい。

   ・ここから岡辺の宿へ6KMの道が始まっている。でも6KMは遠すぎでしょう。1KMでも十分浜から遠ざかる筈、この辺の設定については「物語が分かってるのかいな」と疑問を感じました。

 須磨・明石、総じて鄙びた浜辺で直ぐに山が迫っている狭隘な場所との実感です。淡路島が目の前。海は外に開く入口でもあり、外への道を閉ざす壁でもあることをつくづくと思いました。

 物語的には京より離れ2年半を過ごした源氏、須磨・明石をどれほど遠く感じたのかを慮るのは難しいですが、京とは全く違う目の前に海、直ぐ後ろに山の姿にはショックを受けたのではないでしょうか。
 
4.姫路城前 三ツ山大祭
 図らずも20年に一度の祭りに遭遇した。三つの置き山、面白いもんです。
 20年に一度となると3回前は1953年。私が小学校に入学した時、当時の映像もあって懐かしく楽しめました。

 姫路城の桜も満開。現存する天守閣が日本に12ある由でその50分の1模型が展示されてましたが姫路城が断トツ圧倒的であった。本当かしらとやや疑問を感じた程(@県立博物館)

明日、流山に帰ります。。。。    @姫路

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澪標(12・13) 六条御息所 必死の遺言・死去

六条御息所との関わりで重要場面です。
p238 – 251
12.源氏、帰京した六条御息所の病を見舞う
 〈p205 そういえば、あの伊勢の斎宮も〉

 ①伊勢に居た六条御息所&斎宮、朱雀帝の譲位に伴い帰京している。
  伊勢へ行ったのがG23年9月(野宮の別れ)、今がG29年。6年経っている。
  六条御息所は36才、斎宮は20才(女盛り)になっている。

 ②源氏も御息所を愛人とする気持ちは消えている。でもそれなりの付き合いはしようと思っている。それよりも「娘前斎宮はいい女になったろうな、、、」なんて思っている。

 ③御息所重病に、そして出家(源氏に何も相談もせずに)。 
  伊勢で斎宮として神に仕えるということは仏からは遠ざかることになる(罪深いこと)。
   
 ④源氏が見舞いに行っての御息所との会話→重要
  御息所がこれだけ多くを語るのは物語中ここだけか。母一人、娘一人御息所には娘のことが余程心配であったのだろう。頼めるのは源氏だけ、でも愛人とされてはたまらない。そこで必死の遺言となります(この遺言が物語の筋を作っていくことになる)。

  うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思しよるな。うき身をつみはべるにも、女は思ひの外にてもの思ひを添ふるものになめはべりければ、いかでさる方をもて離れて見たてまつらむと思うたまふる

 ⑤これに対し源氏は御息所を哀れとは思うものの気持ちは娘前斎宮の方に傾いていたのではなかろうか。御息所はそれが分かるからこそ上記の遺言となったのでしょう。

  →この御息所の遺言は娘に対する嫉妬心も含まれているとの説もあるがいかがなものでしょう。

13.六条御息所死去 源氏、前斎宮を慰める
 〈p211 御息所はそれから七、八日後にお亡くなりになりました。〉

 ①御息所あっけなく亡くなる(享年36才)。でも死霊は今後も登場する。

 ②源氏と娘前斎宮との歌の贈答
  源氏 降りみだれひまなき空に亡きひとの天かけるらむ宿ぞかなしき 代表歌
  
  前斎宮もなかなかの貴夫人
   わりなくもの恥ぢをしたまふ奥まりたる人ざまにて、

  源氏は前斎宮を冷泉帝に入内させようと方針をたてる。
    →すごい切り札になっていきます。

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澪標(9・10・11) 源氏・明石の君 住吉詣で

p220 – 237
9.源氏、花散里を訪問 五節、尚侍を思う
 〈p189 こうして、紫の上の御機嫌をおとりになるのにまぎれて、〉

 ①五月雨の候となると花散里が登場する。須磨の時のやりとりの後日談。
  花散里 水鶏だにおどろかさずはいかにしてあれたる宿に月を入れまし
   注15 女からの贈歌である。「この歌、最も優也、、、(弄花抄=三条西実隆)

 ②花散里の君、花散里の巻ではほとんどしゃべらなかったけど、言葉も上手で源氏には居心地がよかったのであろう。

 ③五節の君にも少し触れられる。互いに忘れずにはいるものの、、どうともならない。

 ④二条東院の造営
  よしある受領などを選りて、あてあてにもよほしたまふ
    →受領に造営させる。徳川将軍家が江戸城の修復を各大名にやらせたみたいなものか。

 ⑤朧月夜のこともちらっと出てくる。その後余り深入りできていない。
 
10.治世の交代に伴い人々の動静も変化する
 〈p194 兄君の朱雀院はすっかりのどやかな御心境になられて、〉

 ①朱雀帝は譲位して上皇御所へ移動(朱雀院か)。朧月夜も同道。
  春宮の母女御(承香殿女御)は宮中(梨壺)で春宮と住む。

 ②藤壷は息子冷泉帝が即位して天皇の母となったが出家してるので皇太后にはなれない。
  →息子が天皇になった。藤壷の心境はどんなものだったろう。

 ③源氏vs弘徽殿大后 
  勝者と敗者。敗者への心寄せは却って敗者を惨めにさせる。

 ④兵部卿宮(紫の上の父・藤壷の兄)への冷酷な態度(報復)
  →源氏の冷酷なところが出ている

 ⑤頭中の娘(弘徽殿女御)冷泉帝に入内。絵合の巻での後宮争いへと続く。

11.源氏、明石の君、それぞれ住吉に参詣する
 〈p196 その年の秋、源氏の君は住吉神社にお礼詣りにいらっしゃいました。〉

 ①源氏大々的に住吉神社にお礼詣でに出かける。明石の君一行も偶然同時期に住吉詣で。明石の君は身分の違いを痛感する。

 ②松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる袍衣の濃き薄きかず知らず。、、、、
   →この段落の人々の様子・出で立ちの叙述平家物語のように感じるのですがどうでしょう。

 ③夕霧が同道している。同じ源氏の子どもなのにわが娘はあんなに華やかになれるのだろうかと明石の君は不安に思う。

 ④住吉・難波・澪標 ここは百人一首No.18-20 を思い出しておきましょう。
  No.18 住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ(藤原敏行)
  No.19 難波潟短き葦のふしのまもあはでこの世をすぐしてよとや(伊勢)
  No.20 侘びぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ(元良親王)
 
 ⑤源氏 みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな 代表歌

 ⑥遊女が出てくる。コンパニオンみたいなものだろうか。

 ⑦引歌 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ
   →柿本人麻呂の歌とも言われている    

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澪標(7・8) 紫の上の心境 五十日の祝い

p210 – 219
7.源氏、明石の君のことを紫の上に語る
 〈p181 紫の上には、これまで明石の君のことをほとんど〉)

 ①さて紫の上に事態をどう説明するのかしないのか。どう対処するのか。

 ②源氏は基本的に紫の上に隠し事はしない。明石の君と契ったときにも言わずもがなの打ち明け話を書き送っている(明石14)

 ③女にてあなれば、いとこそものしけれ。尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ棄つまじきわざなりけり。呼びにやりて見せたてまつらむ。憎みたまふなよ
  →女の子なんてつまらない、、、なんて源氏の言葉を賢明な紫の上が信ずるわけもなかろうが。

 ④源氏が紫の上を一番大事に愛しく思う気持ちに変りはないが、明石の君に女の子が生まれてしまった。言葉を尽して訴えても二人の心にズレが生じ始める。→大事な場面です。

8.源氏、姫君の五十日の祝いの使者を出す
 〈p185 五月五日は、ちょうど姫君の生後五十日めで、〉

 ①五月五日、五十日の祝い(→この祝いは重要だったようだ。薫の五十日の祝いは有名)

 ②明石側(特に入道)の喜び。
  げにかく思し出づばかりのなごりとどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。
   →明石の君も自分の幸運、宿世を段々と自覚してきている。

 ③一方宣旨の娘は自分の境涯を嘆く。
   →この宣旨の娘を表現する詞として「思ひあがれり」が使われている。

 ④明石の君→源氏 この歌も切々を訴えている。
  数ならぬみ島がくれに鳴く鶴を今日もいかにととふ人ぞなき

 ⑤明石の君との文のやりとりが紫の上の目に入る。そりゃあ、堪らないでしょう。
  →この辺の源氏の心持が理解できません。こっそりやればいいのに。

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澪標(4・5・6) 明石の姫君誕生

明石物語が展開されます。
p201 – 210 
4.予言どおり、明石の君に女子誕生
 〈p173 そういえば、あの明石で悪阻に悩まされ、〉

 ①使いがもたらした次の言葉が物語の方向を決定づける。
  「十六日になむ。女にてやひらかにものしたまふ」
   →女であったことが全て。男では話にならないし、明石の君も捨てられたままだったかもしれない。物語とは言え残酷な話ですね。

 ②宿曜(インド由来の星占い)
  「御子三人、帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは太政大臣にて位を極むべし」
   →この予言はここで初めて叙述される。これで話の流れが決定される。
    源氏には子どもが三人、
     冷泉帝(藤壷との密通の子) 今11才 既に帝になった
     夕霧(葵の上の忘れ形見) 今8才 童殿上へ
     明石の姫君 今生まれたばかり。この姫が后になるということ。
 
 ③源氏は明石の姫君誕生のことを聞き、宿曜の勘申と合わせ明石の君を京へ呼び寄せることを決意する。
  
5.源氏、明石の姫君のために乳母を選ぶ
 〈p174 あんな片田舎では、まともな乳母も見つけにくい〉

 ①源氏の想い。
  明石に姫が生まれた。やった!宿曜の予言どおりに事を運びたい。受領クラスの娘の子では后など無理だ。そこは何とか策をめぐらせねばならない。でも何より先ずは姫を田舎育ちなどにせず極上の貴婦人に教育せねばならない。それには然るべき者を乳母として送り込み、母も娘もしっかり教育することが必要だ。
   →誠に理に適った考えです。教育が大事です。

 ②そこでスカウト網をめぐらし宣旨の娘を捜し出してくる。
  →宣旨の娘と源氏とのやりとりが面白い。

  源氏はわざわざ宣旨の娘の家を訪れ、直に言葉を交し大事を依頼する。
  →ここではさすがに実事はなかったのであろう。ただ親しく色めかしい冗談を交して女心を蕩けさせたのでしょうね。手を握り、お尻くらいは触ったのでしょう。
   「ねぇ、本当は乳母になんぞやりたくないんだけど、、君しかいないんだ、、頼んだよ、、」 
  
  →そりゃあ女性は悪い気持ちはしない。源氏の君に褒めてもらえるならと勇んで明石に行く気になったのでしょう。うまいもんです。

6.乳母、明石に到着 明石の人々よろこぶ
 〈p178 乳母の一行は、車で京の町を去って行きました。〉)

 ①万全の準備を整え宣旨の娘を乳母として明石に遣わす。

 ②明石の入道の嬉しさはいかばかりだったろうか。
  明石の君もほっとしたことだろう。
   ひとりしてなづるは袖のほどなきに覆ふばかりのかげをしぞまつ
    →さすが明石の君。しっかりと源氏に娘のこと自分のことを訴えかけている。
   

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澪標(1・2・3) 朱雀帝→冷泉帝 源氏復権

「澪標」みをつくし逢はんと祈るみてぐらもわれのみ神にたてつるらん(与謝野晶子) 

さて澪標の巻、明石の巻からの続きで京に戻った源氏が復権し昇りつめていく基盤が固められる様が描かれます。ポイントも多く興味深い巻だと思います。
ポイントは
 ①朱雀帝→冷泉帝 (政変、世の中の変換)
 ②明石姫君誕生 明石物語の始まり。宿曜の勘進。
 ③住吉詣で
 ④六条御息所の死
でしょうか。これらを頭に入れながら進みましょう。

p192 – 200
1.故院追善の御八講と源氏の政界復帰
 〈寂聴訳巻三 p166 ありありと夢に桐壷院のお姿を〉

 ①G28年10月 (明石からの帰還は8月)
  源氏復権の様子が語られる。桐壷院の追善御八講を源氏が行う(朱雀帝でも藤壷でもない。源氏の復権が印象づけられる)。

 ②弘徽殿大后も病が重く昔日の勢いがない。体制は変わろうとしている。読者も期待通りの展開にほっとしている。

2.朱雀帝の尚侍への執着と尚侍の悔恨
 〈p167 近々、御退位なさろうと御決心なさるにつけても、〉

 ①朱雀帝→朧月夜 痛烈な怨言。
  どこかで読んだなあと思って調べると須磨14のところと同じ調子。でもその時は源氏は流謫の身。朱雀帝よもっとしっかりしろと思ったのだが今は復帰して勢いが違う。怨み節もただただ哀れを催す。

 ②イフですが、朧月夜に皇子が生まれていたらどうなってたのでしょう。因みに後に出てくる承香殿女御腹の皇子はG27年に生まれておりこの時2才。その前に生まれていたら面白かったでしょうね。

3.冷泉帝即位し、源氏内大臣となる
 〈p169 翌年の二月に、東宮の御元服の儀式がありました。〉

 ①G29年2月
  朱雀帝 譲位 → 冷泉帝へ(藤壷との密通の子)この時11才 物語の核心
  東宮には上記承香殿女御腹の皇子が立った(3才)(朧月夜に子どもがおれば一悶着あったろう)

  →この辺の体制変革は誰が決めたのだろう。朱雀院自らの意志であろうか?

 ②源氏内大臣に(内大臣とは令外の官) 
  源氏の岳父(元左大臣)は辞職していたが復活し太政大臣に。63才(はっきりと年令が記されている)。この時源氏は29才、葵の上が生きていれば33才。すると葵の上は左大臣30才の時の子だったということになる。まあそんなところか。

  頭中は宰相中将から権中納言に昇進。12才になる姫がおり東宮へ入内させる心づもり。
   →行末は藤原摂関家の頭領として摂政になることを目論んでいる

 ③葵の上の忘れ形見夕霧は8才。左大臣邸で大宮に育てられている。源氏は左大臣邸を訪れ大宮を始めとするゆかりの人たちと交歓する。

 ③二条院は源氏の帰りを待ちわびてた女房たちの喜びで沸き返っている。二条東院も改築される。
  中将、中務やうの人々にはほどほどにつけつつ情を見えたまふに、御暇なくて外歩きもしたまはず。
   →須磨・明石での2年半を取り戻すべく公私ともに誠に忙しい。

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明石 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

明石のまとめです。

和歌
25.ひとり寝は君も知りぬやつれづれと思ひあかしのうらさびしさを
   (明石の入道) 入道の源氏への想い

26.秋の夜のつきげの駒よわが恋ふる雲居をかけれ時のまも見ん
   (源氏) 明石の君のところへ向かいつつ紫の上を想う

名場面
26.「住吉の神の導きたまふままに、はや舟出してこの浦を去りね」
   (p114 桐壷院夢に立つ、明石へ)

27.月入れたる真木の戸口けしきことにおし開けたり 
   (p156 源氏、入道の娘を訪う。定家絶賛の場面)

[「明石」を終えてのブログ作成者の感想] 

須磨から明石に移った源氏、待ち受けていたのは明石一家。明石の君と結ばれるに至る恋のかけひき。さぐり合いから始まり和歌の贈答を経て段々と盛り上がっていき仲秋の月明かりの晩、源氏は岡辺の宿に赴く。みなさん言われる通り明石一家、それぞれに個性があって面白かったです。

「明石」の巻が終わりました。ブログを始めて9ヶ月、講読に入ってから半年です。2年で完読の予定なのでちょうど四分の一(第一クオーター)経過です。

「桐壷」から「幻」までの「光源氏のものがたり」を考えれば三分の一、序破急の序を、宇治十帖を含む第二部までを考えれば四分の一、起承転結の起を終えたところでしょうか。何れにしても大きな節目だと思います。

女君もあらかた登場しストーリー的にも色んな伏線が張られてきました。これらが重なり合って以後新たな展開をとげていきます。勿論「紫のゆかり」と「明石物語」が主流です。今28才壮年期の源氏がどんな人生を歩んでいくのか、みなさんとじっくりと見届けていきたいと思います。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

(今日から姫路です。予定投稿してますがコメントへの返信は遅れがちになるかと思います。ご容赦ください)

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明石(19・20・21) 源氏、二年半ぶりに帰京

pp180 – 186
19.源氏帰京して、権大納言に昇進する
 〈p156 源氏の君は、難波のほうに〉

 ①難波でお祓いをし住吉神社に報告の使いを出して京へ直行する。

 ②二条院へ到着。紫の上と2年半ぶりの再開(紫の上=20才)
  源氏も紫の上もどんなに嬉しかったことだろう。
  →映画なら互いに駆け寄りひしと抱き合い見つめ合う感動的場面であろう。

 ③その人のことどもなど聞こえ出でたまへり
  また正直に明石の君のことを話してしまう。案の定紫の上は穏やかならぬ気持ちになる。→よせばいいのに。(脚注にもあるが二人の心の乖離の始まりであろうか)

 ④「身をば思はず」
  No.38 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな(右近)

  かつ見るだに
   →陸奥の安積の沼の花がつみかつ見る人に恋ひやわたらむ(古今集)
   →かつみ刈る此もやや近うなれば「いづれの草を花かつみとは云ふぞ」と、人々に尋ね侍れども、更に知る人なし。(奥の細道 安積山)

 ⑤源氏は権大納言に、関係者も復権→枯れたりし木の春にあへる心地して
  

20.源氏参内、しめやかに帝と物語をする
 〈p158 帝からお召しがあり、〉

 ①8月15日仲秋の日 朱雀帝と対面。2年前の8月15日は須磨で寂しく過ごしていた。1年前の8月は明石の君との初契りであったが、、。

 ②源氏 わたつ海にしなえうらぶれ蛭の子の脚立たざりし年はへにけり
   →いやあ、おかげで大変でしたよ

  朱雀帝 宮柱めぐりあひける時しあれば別れし春のうらみのこすな 
   →まあそう言わないで許しておくれよ

 ③東宮は10才、順調に成長している。
  藤壷との対面のことは詳しく書かれていない。→どうして省いたのだろう?

21.源氏、明石へ文を送る 五節と歌の贈答
 〈p161 そういえば、あの明石には、〉

 ①源氏→明石の君 嘆きつつあかしのうらに朝霧のたつやと人を思ひやるかな
   ←ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ(柿本人麻呂)

 ②五節との歌の贈答 (物語に関係ない)
  花散里のこともチラッと出てくる(忙しくて訪ねられない。手紙のみ)

ということで明石の巻は閉じられ京で源氏が昇りつめていく第一部後半に移ります。

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明石(17・18) 源氏、明石を発つ

p168 – 180
17.源氏、明石の君と琴を弾き別れを惜しむ
 〈p145 御出発はいよいよ明後日という日になって、〉

 ①別れを前に明石の君としみじみ語らう。
  さやかにもまだ見たまはぬ容貌など
  →契りを交してもう一年になるのにまだ明石の君の姿をはっきりとは見ていない。
   これまでは忍んで深夜に来て明るくなる前に帰っていたのであろう。

 ②いとよしよししう気高きさまして、めざましうもありけるかなと見棄てがたく口惜しう思さる
   →明石の君の高貴さ美質がわかってくる。都に連れ戻すことを決心する。
   →明石の君が懐妊していたことも大きな要素であろう。

 ③源氏が京より持参した琴の琴を形見に(質草に)置いていく。
  琴をネタにして歌を詠み合う。明石の君の素晴らしさを実感する。

18.源氏明石の浦を去る 明石一族の悲しみ
 〈p149 御出立の明け方は、〉

 ①夜明け早々(或いは夜明け前)に出立する。

 ②良清の心中が述べられる。→明石の君の身分の程度が繰り返し強調される。

 ③入道の思い。
  娘は源氏と契りを交し子どもを宿した。源氏は晴れて中央に復権する。
  万事願った通りである。誠にめでたい、嬉しい。  
  でも源氏とはこれが最後、もう二度と会えまい。

  入道は心を尽くし財を尽くして源氏帰京の準備をする。そして別れの朝、、もう取り乱して訳も分からない。→誇張された表現が面白い。

  かひをつくる =べそをかく(口をへの字に曲げる=蛤の形)

 ④明石一族は入道も尼君も明石の君もそれぞれに源氏にこのまま見捨てられてしまうことの不安を抱き、悲しいながら源氏を見送ったのであろう。

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明石(14・15・16) 明石の君、懐妊 源氏帰京の宣旨下る

p160 – 168
14.都の紫の上に明石の君のことをほのめかす
 〈p138 二条の院の紫の上が、〉
  
 ①紫の上に明石での出来事をほのめかす(告白する)
  →黙ってりゃいいものをと思うのだがそれでは源氏の良心が許さない。
   でもストレートには言わず「ほんの浮気なんだから」と言い訳がましく。
   紫の上には隠し事はできない。許してくれるはずと甘えているのか。

 ②紫の上からの返歌も屈託がなく好ましい。
  うらなくも思ひけるかな契りしを松より波は越えじものぞと
   →名高い末の松山
    No.42契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは(清原元輔)

 ③源氏もさすがに岡辺の宿通いを自粛する。

15.源氏、紫の上を思う 明石の君の嘆き
 〈p140 明石の女は、前々から〉

 ①明石の君の嘆き・不安は計り知れないものであったろう。源氏に許したものの身分は違うし都の正妻を慮ってか通ってくるのも途切れがちになる。このまま捨てられてしまうのではないか、、、。

 ②源氏と紫の上。交換絵日記みたいな調子で心を通わせ合う。
   →この時の絵が後の絵合せで威力を発揮する。

16.赦免の宣旨下る 明石の君懐妊する
 〈p142 年が改まりました。〉

 ①G28年になった。
  朱雀帝と承景殿女御との間に皇子誕生し2才になっている(後の今上帝)。朱雀帝は眼病芳しくない。早く皇位を東宮(10才=藤壷腹皇子)に譲って2才の皇子を次の東宮に立てたい。それには新帝の後見として源氏を返さねばならない。眼病が治らないのも父の遺言に背いたからであろう。。。と朱雀帝は考える。

 ②そして朱雀帝は弘徽殿大后の反対を押し切って源氏を京に戻すことを決定する。
   →やっと男らしい決断である。

 ③明石の君 懐妊 →大ニュース。これが物語展開の決め手となる。 

 ④源氏は帰る。残された明石一族はそれぞれに思い悩む。入道としては大願を叶えるには源氏には京に戻って復権してもらわねばならないが、このままご無沙汰になってしまえばそれでお終い。不安と期待が交差したことであろう。

 ⑤供人たちの述懐が興味深い。
  →明石の君のことを詳しく知らない供人にしてみれば、旅先での現地妻的な女に帰る間際に未練たらしく連日おおっぴらに通う源氏の行動は理解できなかったのだろう。やはりここにも明石の君と源氏とでは身分が釣り合ってないとの意識が根底にあるのでしょう。

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