p220 – 237
9.源氏、花散里を訪問 五節、尚侍を思う
〈p189 こうして、紫の上の御機嫌をおとりになるのにまぎれて、〉
①五月雨の候となると花散里が登場する。須磨の時のやりとりの後日談。
花散里 水鶏だにおどろかさずはいかにしてあれたる宿に月を入れまし
注15 女からの贈歌である。「この歌、最も優也、、、(弄花抄=三条西実隆)
②花散里の君、花散里の巻ではほとんどしゃべらなかったけど、言葉も上手で源氏には居心地がよかったのであろう。
③五節の君にも少し触れられる。互いに忘れずにはいるものの、、どうともならない。
④二条東院の造営
よしある受領などを選りて、あてあてにもよほしたまふ
→受領に造営させる。徳川将軍家が江戸城の修復を各大名にやらせたみたいなものか。
⑤朧月夜のこともちらっと出てくる。その後余り深入りできていない。
10.治世の交代に伴い人々の動静も変化する
〈p194 兄君の朱雀院はすっかりのどやかな御心境になられて、〉
①朱雀帝は譲位して上皇御所へ移動(朱雀院か)。朧月夜も同道。
春宮の母女御(承香殿女御)は宮中(梨壺)で春宮と住む。
②藤壷は息子冷泉帝が即位して天皇の母となったが出家してるので皇太后にはなれない。
→息子が天皇になった。藤壷の心境はどんなものだったろう。
③源氏vs弘徽殿大后
勝者と敗者。敗者への心寄せは却って敗者を惨めにさせる。
④兵部卿宮(紫の上の父・藤壷の兄)への冷酷な態度(報復)
→源氏の冷酷なところが出ている
⑤頭中の娘(弘徽殿女御)冷泉帝に入内。絵合の巻での後宮争いへと続く。
11.源氏、明石の君、それぞれ住吉に参詣する
〈p196 その年の秋、源氏の君は住吉神社にお礼詣りにいらっしゃいました。〉
①源氏大々的に住吉神社にお礼詣でに出かける。明石の君一行も偶然同時期に住吉詣で。明石の君は身分の違いを痛感する。
②松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる袍衣の濃き薄きかず知らず。、、、、
→この段落の人々の様子・出で立ちの叙述平家物語のように感じるのですがどうでしょう。
③夕霧が同道している。同じ源氏の子どもなのにわが娘はあんなに華やかになれるのだろうかと明石の君は不安に思う。
④住吉・難波・澪標 ここは百人一首No.18-20 を思い出しておきましょう。
No.18 住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ(藤原敏行)
No.19 難波潟短き葦のふしのまもあはでこの世をすぐしてよとや(伊勢)
No.20 侘びぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ(元良親王)
⑤源氏 みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな 代表歌
⑥遊女が出てくる。コンパニオンみたいなものだろうか。
⑦引歌 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ
→柿本人麻呂の歌とも言われている
源氏にとって花散里はやはり癒しの存在のようです。
朧月夜の出番が少なくなったのはちょっとさみしいですね。
唯一、積極的で行動的だったのが影をひそめてしまった、よほど懲りたのでしょうか?
出家したとはいえ天皇の母になったということは国母と言えるのでしょうか?
源氏との固い秘密の繋がりで大願成就ということでしょうか。
松原の深緑なるに・・・おっしゃるようにここは本当に平家の栄華の場面を彷彿とさせます。
住吉の参詣、明石の君の不安な揺れる心境が波間の揺れと共に伝わってくるようです。
結びの歌は明石の君の不安を謳ってみたいとここの場面で思いました。
百人一首も少し入れると良いかな?
余談ですが花散里の贈歌「 この歌、最も優也、、、(弄花抄=三条西実隆)」
「優也」どきっとしました。長男の名前が優也(まさや)なのです。
ただ優しくとの思いでしたがこのような場面でみられるとは感動です。
「ゆうなり」と呼んでやろうかしら?
名前と本人は雲泥の差ですが・・・
ありがとうございます。
1.この住吉詣ででの源氏と明石の君の擦れ違い、実にうまく作ってあると思います。
「内大臣殿の御願はたしに詣でたまふを知らぬ人もありけり」とて、はかなきほどの下衆だに心地よげにうち笑ふ。
→明石の君の悔しさ・不安がひしひしと思いやられます。
是非歌に詠んでやってください。
2.百人一首No18-20 住吉・難波・澪標の歌が並べられてます。藤原定家は源氏物語のこの段に基づきこの三首を並べたのだと確信しています。
3.最も優也、、、そうでしたか。源氏物語の読み解きは日本文化そのものでこの詞がいいとかこの歌が一番とか色々言われています。そこがいいところだと思います。私たちも思ったこと感じたことをぶつけ合いましょう。