明石のまとめです。
和歌
25.ひとり寝は君も知りぬやつれづれと思ひあかしのうらさびしさを
(明石の入道) 入道の源氏への想い
26.秋の夜のつきげの駒よわが恋ふる雲居をかけれ時のまも見ん
(源氏) 明石の君のところへ向かいつつ紫の上を想う
名場面
26.「住吉の神の導きたまふままに、はや舟出してこの浦を去りね」
(p114 桐壷院夢に立つ、明石へ)
27.月入れたる真木の戸口けしきことにおし開けたり
(p156 源氏、入道の娘を訪う。定家絶賛の場面)
[「明石」を終えてのブログ作成者の感想]
須磨から明石に移った源氏、待ち受けていたのは明石一家。明石の君と結ばれるに至る恋のかけひき。さぐり合いから始まり和歌の贈答を経て段々と盛り上がっていき仲秋の月明かりの晩、源氏は岡辺の宿に赴く。みなさん言われる通り明石一家、それぞれに個性があって面白かったです。
「明石」の巻が終わりました。ブログを始めて9ヶ月、講読に入ってから半年です。2年で完読の予定なのでちょうど四分の一(第一クオーター)経過です。
「桐壷」から「幻」までの「光源氏のものがたり」を考えれば三分の一、序破急の序を、宇治十帖を含む第二部までを考えれば四分の一、起承転結の起を終えたところでしょうか。何れにしても大きな節目だと思います。
女君もあらかた登場しストーリー的にも色んな伏線が張られてきました。これらが重なり合って以後新たな展開をとげていきます。勿論「紫のゆかり」と「明石物語」が主流です。今28才壮年期の源氏がどんな人生を歩んでいくのか、みなさんとじっくりと見届けていきたいと思います。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
(今日から姫路です。予定投稿してますがコメントへの返信は遅れがちになるかと思います。ご容赦ください)
明石一族の登場でさらに物語の行く先が広がり面白くなってきましたね。
紫の上、明石の君、お二方とも幸せになってほしいな~と思います。
9か月ですか、早いものですね。
なんとか曲がりなりにも挫折せずついて行くことができうれしいです。
まだまだ先の長い旅路です。お互い健康に留意して頑張りたいですね。
3月と言えばやはり日常的にも大きな節目。
新年度に向けて新たなスタートでもあります。
一年間のラジオ、平家物語も明日52回の最終回を迎えます。
半年間のカルチャー、百人一首の講座も終えました。
講座最終日、じゃんけんゲームで京都嵐山の小倉百人一首殿堂「時雨殿」の入場券をゲットしました。
機会があればハッチーさんご案内の五島美術館の源氏絵巻にも行ってみたいし、まだまだやりたいことがいっぱいです。
追伸
姫路、楽しんできて下さいね。
須磨、明石源氏ゆかりの地から姫路へとお孫さんとの時間も含めて何かと心浮き立つ春休みですね。
姫路城はまだ修理中でしたよね。
さぞやお城の桜がきれいなことでしょう。
私の独善そのものの源氏読みにお付き合いいただいていること本当にありがたいです。源氏物語は一人では読めません。読んでも面白くありません。複数人で意見を述べ合いお互いが読み不足を補いながら進めることで初めて面白く読破も可能になるものと確信しています。この思いはブログを進めるに従いますます強いものになっています。
予定をたて予定に沿って読み進めるのがいいと思っています。その意味で節目は大事です。頭を整理し気分転換して澪標にかかりたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
須磨/明石の巻になり、俄然、面白くなってきました。
何が面白いか、それは舞台が京を離れたことで、人物が
生身になったからです。それに離れてからの源氏と紫の上との
思惑がとても好いです。単身赴任歴15年の私には、
二人の情の持って行き方と言うか、やり場が、よく分かります。
こうした微妙な味わいを何とか分かるのも清々爺のコメントのおかげ。
実は、原文/現代語訳を読んでいても、主語が無かったり、誰か
はっきりせず、往々に「??」と唸ってしまいます。これを
清々爺のコメントで、あぁそうか、となるのです。
引き続き、名調子のコメント楽しみにしています。
PS 姫路は母の実家(但し、北郊の林田町と言う田舎です)があり、
中学生ぐらいまでは、春/夏休みに毎年訪れたものです。
お城が有名過ぎて目立ちませんが、書写山にも是非脚を運んでください。
長くてややこしい話をキチンとフォローし面白く楽しんでおられるようでブログ作成者もしてやったりと嬉しくなります。
1.単身赴任15年でしたか如何に職務とはいえご苦労さまでした。離れて暮らすとお互い生身が見えないのでどうしても気持ちにズレが出てくるものだと思います。私も2年半単身で限度だなあと思いました(源氏も2年半でした)。貴君は複数回に亘るとはいえ通算15年、それでうまくやれてることご夫婦ともどもアッパレだと思います。ブランクを取り戻すべく色々楽しんでください。
2.でも逆に離れて暮らした時の苦労を糧に却って地固まることもあるわけで、源氏と紫の上にもそのような気持ちはあったのだと思います。
苦労かけたなぁ → あなたこそお疲れさまでした、、、
なんてね。
3.姫路をエンジョイしています。折しも二十年に一度のお祭り(三ツ山大祭)で賑わっています。姫路城も桜満開です。書写山は先年新緑の時に行きました。子どもにもちょうどいいハイキングコースで大いに楽しめました。桜も紅葉もいいようですね。この地、海と山が近くていいところだと気に入っています。
清々爺へ
本帳は、話がスピード感ある中いろいろ展開して行くので、面白く一気に読み終えました。
源氏の君が2年4カ月にわたり、京の都を離れ、須磨・明石で侘しい生活をする話ですが、紫の上はじめ女性陣と離れて暮らす寂しさはしかと伝わってくる一方、その日々の生活が厳しく辛いものだとはあまり感じられませんでした。怖い嵐の話が出て来ますが、日々の暮らしそのものはそう悪くはなかったのではと、感じました。、やはり、人間関係を中心に書かれた物語だからでしょうか。
あと、平安時代に流罪に準ずる処罰を受けて本官に復権することは無かったという解説がP166 解説一六にあります。そんなことは初めて知りましたが、更に三年経たずの異例の短さで源氏の君が本官に戻りそのまま権大納言に昇進するあたり、全て異例づくしで、源氏物語が当時面白がられた要因だったのかと、感じました。
異次元の金融緩和みたいですかね?(比較が良くないですが)
歌では、
都出でし春のなげきにおとらめや年ふる浦をわかれぬる秋
が、別れの歌として良いと思いました。
おっ、早くも明石を読み終えましたか、素晴らしい。拍手!拍手!
1.おっしゃるように生活面では凡そ流人の様ではないですよね。明石の入道の豪華邸宅に移った明石編はともかく須磨でもチャンと都風に設えさせたり優雅なものです。弘徽殿大后が怒るのも尤もでしょう。
2.流罪あるいはそれに準ずる処罰を受けた者は本官に復した例がない、、、なるほどそうなんですね。でも源氏の場合微妙なんですが須磨へ行ったのは流罪に処せられたからでなく自ら身を引いたということになってるんです。そして着せられようとしていた罪は謀反の罪だがこれは源氏は一切考えておらず潔白。朱雀帝の寵姫朧月夜と通じたのは知られているが寵姫といっても尚侍(女官)に過ぎず后を犯したというわけではない、これも源氏ほどの男を流罪にするには値しない、、、ということで元々流罪には当たらない男なんだ、だから都に戻って復官するのは当たり前だ、、、という風に紫式部は筆を進め当時の読者もそうだ!そうだ!となったのでしょうか。。。。肝心の源氏の犯した最大の罪(藤壷との密通)は紫式部と読者しか知らない秘密なんですから。実にうまい設定だと思います。
3.源氏→入道 別れの歌 いいですねぇ、春秋のシンメトリーを巧みに使ったこういう詠み方、私も大好きです。
さて、背中は見えています。待っていますよ。。