明石(13) 源氏、明石の君と契る

さて、明石の巻最大の名場面です。
p154 – 160
13.八月十二、三日の夜、源氏、入道の娘を訪う
 〈p133 入道は内々吉日を占わせて、〉

 ①G27年8月12、13日 仲秋の名月のちょっと前
  月明かりが重要な役目を果たす。15日でも月が出てなくては洒落にもならない。

 ②恋のかけひきが続いていたが入道がお膳立てをして源氏を娘の所へ誘う。源氏も待ってても娘はやって来ないし、必ずしも乗り気でないが行ってみるかと忍びのいでたちで馬で出かける。

 ③行く途中でも紫の上のことが心にかかる(昔は藤壷だったが、今は紫の上が心のベースである)
   秋の夜のつきげの駒よわが恋ふる雲居をかけれ時のまも見ん 代表歌
   1年半前紫の上と別れて須磨に来て以来源氏は浮気をしていない。2年目の浮気、、ゴメンだけど大目に見てよ、、、という気持ちだったのだろうか。→そう思うだけでもエライのでは。

 ④造れるさま木深く、いたき所まさりて見どころある住まひなり。~~
   月入れたる真木の戸口けしきことにおし開けたり。

    →この部分「源氏第一の詞」と藤原定家が絶賛している。

 ⑤さて屋敷に入って言葉を交わすがすぐにはベッドインにならない。
  娘の気持ちは依然頑なで応じてこない。
  源氏 さしもあるまじき際の人だに、かばかり言ひ寄りぬれば、心強うしもあらずならひたりしを、
     →例によって自分なら許される筈とゴーマンに思っている

 ⑥源氏 むつごとを語りあはせむ人もがなうき世の夢もなかばさむやと
  明石の君 明けぬ夜にやがてまどへる心にはいづれを夢とわきて語らむ  

   →歌の贈答が二人を近づける。正に歌の効用。琴が大きな役割を果たしている。

 ⑦ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり。  
   →明石の君の人物像を決定づける表現。誇り高く教養深い。褒め言葉でしょう。

  人ざまいとあてにそびえて、心恥づかしきけはひぞしたる 
   →背が高い。気品がある。

 ⑧かくて明石の君と契りを交した。源氏の心内を推測すると、
   「入道の言うとおり鄙には稀な女であった。人格的には相手として不足はないが受領階級の娘に過ぎずおおっぴらにしていくのはまずい。暫くは秘密裡に忍んでいくことにしよう」

  そして かくて後は、忍びつつ時々おはす
    →おそらく連夜のように通ったのではなかろうか。

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明石(10・11・12) 源氏 vs 明石 恋のかけひき

p144 – 154
10.源氏、入道の娘に文を遣わす 娘の思案
 〈p123 入道は願いがどうにか叶えられたという気がして、〉
 
 ①源氏が明石の君に粋を尽くした和歌を贈る。(どんな返歌が来るか期待いっぱい)
  明石の君は畏れ多くて返事できず入道が代筆(そりゃあないだろう)
  再び贈る。返歌くる。
   思ふらん心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きかなやまむ(明石の君)
   →明石の君からの最初の歌。機智に富んだ返歌に源氏はいたく感じる

 ②源氏と入道(明石の君)とのかけひき(心くらべ)
  源氏は娘に来させたい(召人的に扱える)
  娘は源氏に通わせたい(召人などでは困る。キチンと奥様の一人にしてもらわねば)

 ③この段に明石の君を形容する詞として「思ひあがりたる」が二度出てくる。
  広辞苑を引いてみると「(平安時代にはきりっとした態度で高貴性を保持しようとつとめることを意味した)①心に誇りをもつ。自負する。②うぬぼれる。つけあがる」と書かれている。

  →賢木冒頭の与謝野晶子の歌 
   五十鈴川神のさかひへのがれきぬおもひあがりしひとの身のはて
    与謝野晶子の言う「おもひあがりしひと」もそういうことでしょう。
    浅学にして理解が届かなかったようで晶子さんにはお詫びしたいと思います。

11.朱雀帝、桐壷院の幻を見て目を病む
 〈p129 その年、朝廷では、〉
 
 ①明石から舞台は京に転じ何が起こっているかが語られる。
  ・3月13日桐壷院、朱雀帝の夢枕に立つ。睨まれて目を患う。
  ・右大臣(太政大臣)亡くなる(唐突ではあるが)
  ・弘徽殿大后(大宮)病気、弱っている

 ②朱雀帝は気弱に源氏を許したい旨弘徽殿大后に打診するが、大后は突っぱねる。
  罪に怖ぢて都を去りし人を、三年をだに過ぐさず赦されむことは、世の人もいかが言ひ伝へはべらん
    →誠に道理であります。政治的強さを持った人だなあと感心しきりです。

12.入道の娘や親たち思案にくれる
 〈p130 明石では、いつものように、〉

 ①10.で明石の君と歌を贈答しあってから大分経ったのであろうか。秋(七八月)になっている。源氏と明石の君との恋のかけひきが続いている。来させたい源氏 vs 来てもらいたい明石の君

 ②明石の君の心内が語られる。
   →誠にまともで正直な考えで納得させられる。

 ③明石の入道・尼君も同様思い悩んでいる。かくて次の展開への機が熟しつつあるのです。

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明石(8・9) 源氏、入道との語らい

p130 – 144
8.初夏の月夜、源氏琴を弾き、入道と語る
 〈p113 四月になりました。〉

 ①G27年3月 災いの3月 → 新生の4月へ 衣更えの季節 

 ②あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月
  淡路島が出てくる(明石から5KMの対岸)
   →No78 淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいくよ目覚めぬ須磨の関守(源兼昌)

 ③源氏と入道とで音楽論が語られる
  琴(きん) 中国伝来の七弦琴 琴柱なく演奏複雑 源氏が京より持参
  琵琶    明石の入道→明石の君と奏法が伝えられる
  筝の琴   十三弦 一般的 明石の入道が伝習しており名手

  音楽について故事・楽器・奏法が述べられる。
  明石という田舎ながら優れて教養度の高い会話が交わされる。
    →明石の君の優れた生い立ち・教養の高さが暗示される。

9.入道、娘への期待を源氏に打ち明ける
 〈p119 夜がすっかり更けてゆくにつれて、〉

 ①音楽論を交し教養の高さを見せた後入道は娘を源氏に差し上げたいことを語る。
  入道は住吉神社に願をかけたことを話す。源氏も嵐の鎮圧を住吉神社に願い、それに呼応して入道が現れ明石に落ち着いたことを思えば明石の君との宿命的な糸で結ばれてるなと自覚したのではなかろうか。
  この段の入道の語りは長い。この人の口上はこれからも長い、でも弁論家である。
  
 ②心細きひとり寝の慰めにも(源氏)→いささか露骨な言い方
  ひとり寝は君も知りぬやつれづれと思ひあかしのうらさびしさを(明石の入道)
    →代表歌(明石が詠み込まれているので) 

 ③須磨に落ちてきたのも明石に移り明石の君が待っているからであった。。。読者も新しい物語の始まりに期待が高まったことであろう。

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明石(5・6・7) 明石到着 入道のこと

p122 – 130
5.入道の住いの風情、都に劣らず
 〈p107 明石の浜の景色は、〉
 
 ①明石の様子。須磨より人が多い。
  岡辺の宿(高台)に明石の君、浜の館(浜辺)に入道と源氏

 ②入道邸の豪華な様子。受領となった者の裕福さ。
  木立、立石、前栽、入江の水 → 都の貴族邸に劣らず

 ③山の女(北山でみつけた)紫の上 vs 海の女 明石の君 
  紫のゆかり vs 明石物語 この二人の対比が続いていく

 ④入道はここで初めて源氏を見る。念願かなってさぞ嬉しかったことであろう。

6.紫の上へ消息を送る 源氏の心なごむ
 〈p109 少しお気持ちが落ち着かれてから、〉

 ①二条院から来てた賎の男(使い)に明石へ移った経緯を文にして持ち帰らせる。
  紫の上、藤壷他都で心配していた人々もホッとしたことだろう。

 ②はるかにも思ひやるかな知らざりし浦よりをちに浦づたひして(源氏)
  知らざりし浦=須磨 「浦づたひ」=明石の異名 (思えば遠くへ来たもんだ)
   
7.明石の入道の人柄とその人の思惑
 〈p111 この邸の主人である入道は、〉

 ①明石の入道の人柄・容貌
  60才ばかり。痩せている。頑固偏屈だが仏道に勤しみ旧事に通じ教養もある。
   →太って成金趣味で無教養な田舎者とは違う入道のあらまほしき姿

 ②入道は折に触れ源氏と色々話し、娘のことを暗に匂わす。源氏はピンときて興味はそそられるが紫の上への遠慮もある(この辺やけに純情だなあと思うのですが)。

 ③明石の君は「やれやれ、私なんぞとんでもないわ、、」と思っている。
  →ごく自然であろう。 

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明石(3・4) 桐壷院夢枕へ → 入道の迎えで明石へ

p112 – 122
3.風雨静まる、父桐壷院源氏の夢に見える
 〈p100 ようやく風がおさまり、〉

 ①ようやく嵐が過ぎる。皆ホッと胸をなでおろす。海人たちも寄ってきてさへづりあへる。よくぞ鎮めてくださった、神さまのお蔭であります、、、。
  →今後物語の進展に大きく絡む住吉神社の登場。海の神。

 ②桐壷院が夢枕に立つ。名場面・重要場面です。
 などかくあやしき所にはものするぞ 
 住吉の神の導きたまふままに、はや舟出してこの浦を去りね
  →死後どんな風にしてたのか桐壷院の口から語られる。興味深い。
  →源氏は父の口から藤壷との密通のことが出て来なくてホッとしたことだろう。

 ③もうダメかと思った大災厄から逃れ父が夢枕にたって元気づけてくれた。これで落ち込んでた源氏の心は一転明るくなり、明日への希望を見つけた思いだったのではないか。
   
4.入道に迎えられ、明石の浦に移る
 〈p117 渚に小さな船を漕ぎ寄せて、〉

 ①良清=源少納言良清 物語で本名が出てくる数少ない人。
  G18年 若紫の巻の時点では父が現役の播磨守であった(今は代っているだろうけど)。明石に居たことがあるので明石の入道とは旧知。

 ②良清、明石の君をもらいたいと申し込んだが入道に拒絶され今はやや気まずい関係になっている。
  良清にしてみれば自分も受領の子、受領の娘の明石の君とは釣り合いと思ったのだろう。ごく自然であるが大それた大志をいだく入道に受け入れられる筈はない。

 ③源氏は入道の誘いを受けて行くか行くまいか迷うが自分が見た夢のことと合わせて自分を納得させ入道の舟に乗ることを決意する。
  →夢が大きな役割を果たしている

 ④須磨から明石まではわずか8KM、順風に乗って瞬く間に明石に到着する。
  →この場面は映画なら軽快な行進曲調の音楽をバックに源氏と入道が明日に向い明るい笑顔を交しあう感動的場面ではなかろうか。

 ⑤脚注にもあるが須磨を出るところで源氏の青春篇が終わり、明石から壮年編が始まる。NHK100分de名著のテキストにある放物線の底点でここから上昇に転ずる分かれ目であります。
   
 

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明石(1・2) 春の嵐続く

「明石」わりなくもわかれがたしとしら玉の涙をながす琴のいとかな(与謝野晶子)

さて明石の巻、「明石物語」の始まりです。不思議な運命の物語です。須磨に落ちてきて丁度一年、舞台が明石に移り暗かったストーリーがぐっと明るくなる。暗から明へ、だから「あかし」なんだとも言われています。明石一族にはフアンが多いですね。式部さんは「明石の入道」大好きだし、青玉さんは「明石の君」だとおっしゃってましたね。私はいつも冷静で幸せをつかむ「明石の尼君」にあやかりたいと思っています。では、早速まいりましょう。

p106 – 112
1.風雨やまず、京より紫の上の使者来る
 〈寂聴訳巻三 p94 相変わらず雨風は止みません。〉

 ①G27年3月 春の嵐、須磨の巻末から続いている。

 ②二条院の紫の上からの使い(見舞い)。紫の上の心配いかばかりだったろうか。嵐の中を使いがたどりつく。源氏も嬉しかったことだろう。

 ③使い(賎の男)を傍に寄せて生の声を聞く源氏。源氏なき京で朝廷人もあわてふためいている様が語られる。生の声だけに迫力あったことだろう。

 ④雷が鳴り「ひ」(氷=雹)が降っている。珍しい現象をよくとらえている。(雹が出てくるのはこの場面だけ)

2.暴風雨つのり、高潮襲来、廊屋に落雷
 〈p97 こうした天候のつづくうちに、〉

 ①春の嵐が続く。家来たちも源氏もそれぞれに神仏に必死に無事を祈る。
  明石物語を導くキィとなる住吉神社が登場する。
  
 ②供人の祈りが括弧書きで載せられているが、妻子を京に残し源氏に付いてきた供人たち、いつか京に帰れることを夢見て尽くしているのに嵐で危うい状況に陥る。「ちょっと待ってくれ~」と叫びたくなるのも当然でしょう。

 ③「帝王の深き宮に養はれたまひて、いろいろの楽しみに驕りたまひしかど、」
  供人の言葉が面白い。「源氏の君は色々享楽にうつつをぬかしゴーマンなところもおありになりますが、、、、」神の前では正直に告白する他ない。

 ④落雷して火事になる。リアルな描写ですね。源氏物語中一番のスペクタクル場面で映画なら盛り上がるところでしょうね。

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須磨 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

須磨のまとめです。

和歌
23.別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし
   (紫の上) 二条院での別れ

24.恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん
   (源氏)  須磨の秋、源氏の憂愁

名場面
24.惜しからぬ命にかへて目の前の別れとしばしとどめてしがな
   (p50 残される紫の上 心細さはいかばかりだったろう)

25.須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど
   (p70須磨の秋、源氏の郷愁・憂愁)

[「須磨」を終えてのブログ作成者の感想]

「須磨」の巻、ここは源氏の雌伏1年間が語られる巻です。正に配所の月。ヤクザ映画で健さんが大暴れする嵐の前の忍耐期間ということでしょうか。

京の女君たち・伊勢の御息所との和歌でのやりとりが須磨の歳時記的描写を背景に繰り広げられます。その極めつけが「須磨には、いと心づくしの秋風に、、、」の名文だと思います。

ところで芭蕉は奥の細道に出向く前年に(元禄元年1688年)「笈の小文」の旅で須磨を訪れています。季節はあいにく夏(卯月)ほととぎすの頃で秋ではなかった。詠まれている句は下記で源氏物語・平家物語が踏まえられています(けっこう数多いですね)。

  月はあれど留守のやう也須磨の夏
  月見ても物たらはずや須磨の夏
  海士の顔 先見らるゝやけしの花
  須磨の あまの矢先に鳴か郭公
  ほととぎす消え行く方や 嶋一ツ
  須磨寺や ふかぬ笛きく木下やみ

そして

  かたつぶり角ふりわけよ須磨明石

明石へと舞台は移ります。

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須磨(20・21) 頭中の訪問 & 春の嵐来る

p90 – 100
20.春めぐりくる須磨を宰相中将が訪問する
 〈p80 須磨では、年も改まり、〉

 久しぶり頭中の登場。読者も少しほっとした気分になる。
 ①年明けてG27年2月20日。
  桜を見るにつけ南殿での花の宴が思い出される(花宴はG20年2月20日)

 ②頭中、今は宰相。妻が右大臣の四の君なので中央でも重用されている。

 ③頭中の目を通しての源氏須磨寓居の様子。頭中には珍しい光景であったろう。
  →碁、双六、弾棊 色々なゲームがあったものである
  →そこはかとなくさへづるも
   「さえづる」地方の人が聞きとりにくい言葉でしゃべる(広辞苑④)

 ④源氏と頭中、例によって詩歌を作り合い管弦(源氏は琴・頭中は横笛)で遊ぶ。
  源氏の心はどんなにか慰められたことであろう。
  物語中随一の友情の場面とされる。
  →さすが頭中はエライ!と読者の頭中への評価は高まったことだろう
  (私は源氏復活の将来を見据え保険をかけに来た頭中のしたたかさとも思いますが)
  →頭中との絡みこれからも続くがこの場面が引合いに出されることが多い

  源氏と頭中が交した贈答歌四首、これはいいなあと素直に思います。

21.三月上巳の祓の日、暴風雨に襲われる
 〈p87 三月の一日にめぐってきた巳の日に、〉

 ①源氏が須磨から明石に移る様子が語られる。何故どうして移ることになったのか、そこで春の嵐を持ってきた。誠に見事なお膳立てでもうアッパレ!という他ありません。

 ②G27年3月上巳の日 穏やかだった海上にはかに風吹き出でて空もかきくれぬ 

  最初読んだ時こんな芝居じみた事が起こるはずがなかろうと白けた気持ちだったのですが、昨年ウソではなかったことを思い知らされ驚嘆しました。
  「春の嵐 超大型台風並み」「爆弾低気圧が北上」(12年4月4日付朝刊見出し)

  昨年4月3日(旧暦だと何と3月13日)に日本列島を春の嵐が襲い首都圏も近畿圏も大混乱でした。この嵐が源氏を明石に連れて行ったのです。

  この時の私の驚きを敬愛する友人であり本ブログの技術監修者であるhodakaさんのページにコメントとして投稿してますのでご覧いただければと思います。

   「一日一句 奈良暮らしから 駆け足で」 で 検索してください。

かくて須磨の巻は閉じられ明石に移ります。

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須磨(18・19) 須磨の冬 & 明石の入道の思い

p82 – 90
18.須磨の源氏、流竄の思いに嘆きわびる
〈p74 須磨のほうでは、〉

 ①須磨での暮らし全てが初体験で珍しく興味深かったものの日が経つにつれ、下人たちの態度にもさすがにストレスがたまってくる。

 ②冬になりて雪降り荒れたるころ、、、
  須磨での様子は春夏秋冬と歳時記風に語られている。
   春 須磨に到着 p52
   夏 長雨のころ p54
   秋 名文須磨の秋 p70
   冬 本段 p84
   春 二度目の春 p90

 ③漢籍・和漢朗詠集・菅家後集を引用して意に反して遠くへやられた人(王昭君・菅原道真)のことが語られる。
   「霜の後の夢」 「ただ是れ西に行くなり」
   →これらが頭に入っていた教養人はじーんと来て源氏の想いを共有できたのでしょうか。そうでない普通の読者は紫式部はすごいなあ、源氏もすごいなあと感心するしかありませんね。

 ④源氏 友千鳥もろ声に鳴くあかつきはひとり寝ざめの床もたのもし
  この歌を本歌としたであろう次の歌を定家は百人一首に選んでいる。
  大した歌人でもない源兼昌の歌を選んだのは定家の源氏物語重視からであろう。
  No.78 淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいくよ寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)

 ⑤源氏の日々の仏道精進のことが語られる。須磨での1年が源氏の内面を強くしたことは間違いなかろう。人生どこかで挫折を味わった方がいい、、、源氏物語が教育書である一面でしょうか。

19.明石の入道、娘を源氏に奉ることを思う
 〈p77 明石の浦は、〉

 「明石物語」と呼ばれるストーリーがここから開始される。 
 ①須磨(摂津)と明石(播磨)距離はわずか8KMだが須磨は畿内、明石は畿外で感覚的に相当な隔たりがあった。源氏も畿内に留まらず畿外まで行ってしまうのか、、、。

 ②良清が登場する。良清は現播磨守の息子、元播磨守の明石の入道一族のことをよく知っており、娘(明石の君)はレベル的にも自分の妻に相応しいと思っている。→道理であろう。
  ところが明石の入道の思惑は全く違う。

 ③明石の入道の系図をしっかりおさえておきたい。
  明石の入道 父は某大臣、この某大臣と桐壷更衣の父(按察大納言)が兄弟
        即ち明石の入道と桐壷更衣はいとこ同士
        入道は明石に留まっているが娘を貴人に娶せようと固く決心している
        按察大納言が桐壷更衣を入内させたことに習おうとしている
        そこに源氏が現れた。これ以上のチャンスはない
        
 ④入道と尼君の会話が面白い。この尼君は極めて現実的でリーズナブルな考えの持ち主である。明石物語のどの場面でも入道や明石の君を時には諌め、時には励ます。人徳の人だと思います。
  →そして何と晩年には孫が中宮に、ひ孫が東宮になる。「明石の尼君」は幸い人の代名詞と言われるのです。 
 
 ⑤明石の君の登場。
  このむすめすぐれたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、心ばせあるさまなどぞ、げにやむごとなき人に劣るまじかりける

  →顔立ちはよくはない(はっきり言われている) 
   身分的にも元播磨守の娘で桐壷更衣よりも低い。普通で言えば良清こそが釣り合いのレベル。とてもじゃないが源氏の妻(の一人)になれる身分ではない 
  →このことをしっかり捉えておくことが大事だと思います。
        

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須磨(16・17) 大宰大弐の見舞い & 都の様子

【お知らせ】
 朗読欄が長くなったので明石まで各巻一つにまとめました。再生形式も従来のものに統一されました。どうぞご活用ください。→万葉さん、ありがとうございました。

p77 – 82
16.大宰大弐、上京の途次、源氏を見舞う
 〈p69 その頃、大宰の大弐が任期を終えて〉

 ①大宰大弐が突然登場する。この人のことよく分からないが恐らく源氏のバックアップで今の地位に上り詰めた男で源氏に恩義を感じていたのであろう。

 ②その娘が「筑紫の五節」と言われる女性で花散里の巻にチラッと登場する。五節の舞姫に選ばれた時に源氏が見初め逢瀬のひと時があったのであろう(何も書かれていません)。以来お互い交信はしている。

 ③この一行が大宰府での勤めを終えて都に帰る。その途上源氏が須磨にいることを聞きつけ消息を交す。源氏が如何に色んな人の面倒をみてきたのかを示すエピソードとして挿入されているのであろうか。

 ④流人として小野篁・菅原道真が引合いに出される。取分け道真は有名であり作者も一番意識したのであろう。

17.弘徽殿の意向を憚る人々と二条院の状況
 〈p72 都では月日が経つにつれて、〉

 ①春宮は8才、源氏を恋偲んでいる。

 ②源氏の兄弟姉妹や家来たちも源氏に見舞状を出したり消息を交しあい励まし慰めている。
  →これが弘徽殿大后には気に入らない。

 ③弘徽殿大后の言葉
  朝廷の堪事なる人は、心にまかせてこの世のあぢはひをだに知ること難うこそあなれ、おもしろき家居して、世の中を謗りもどきてかの鹿を馬と言ひけむ人のひがめるやうに追従する
   →誠にごもっともな道理ではなかろうか。
    史記が引かれている。弘徽殿大后は源氏物語の中で一番漢籍を知っていた女性と言われている。(理詰めなところなども紫式部に通じているのではなかろうか)

 ④二条院西の対 紫の上の様子。
  源氏の召人であった中務・中将なども今や西の対に移り紫の上に伺候している。この召人たちも紫の上の人柄に感化され一心に尽くしている。
   →紫の上が如何に心やさしく気配りのきいた女性であったかを強調している。 

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