p130 – 144
8.初夏の月夜、源氏琴を弾き、入道と語る
〈p113 四月になりました。〉
①G27年3月 災いの3月 → 新生の4月へ 衣更えの季節
②あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月
淡路島が出てくる(明石から5KMの対岸)
→No78 淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいくよ目覚めぬ須磨の関守(源兼昌)
③源氏と入道とで音楽論が語られる
琴(きん) 中国伝来の七弦琴 琴柱なく演奏複雑 源氏が京より持参
琵琶 明石の入道→明石の君と奏法が伝えられる
筝の琴 十三弦 一般的 明石の入道が伝習しており名手
音楽について故事・楽器・奏法が述べられる。
明石という田舎ながら優れて教養度の高い会話が交わされる。
→明石の君の優れた生い立ち・教養の高さが暗示される。
9.入道、娘への期待を源氏に打ち明ける
〈p119 夜がすっかり更けてゆくにつれて、〉
①音楽論を交し教養の高さを見せた後入道は娘を源氏に差し上げたいことを語る。
入道は住吉神社に願をかけたことを話す。源氏も嵐の鎮圧を住吉神社に願い、それに呼応して入道が現れ明石に落ち着いたことを思えば明石の君との宿命的な糸で結ばれてるなと自覚したのではなかろうか。
この段の入道の語りは長い。この人の口上はこれからも長い、でも弁論家である。
②心細きひとり寝の慰めにも(源氏)→いささか露骨な言い方
ひとり寝は君も知りぬやつれづれと思ひあかしのうらさびしさを(明石の入道)
→代表歌(明石が詠み込まれているので)
③須磨に落ちてきたのも明石に移り明石の君が待っているからであった。。。読者も新しい物語の始まりに期待が高まったことであろう。
音楽(管弦)のところでは、誰がどの楽器なのかをしっかりおさえておいた方がいいと思います。 きんの琴は一番身分の高い人が管弦の遊びで担当する、とか、これから色々な巻で出てくるので、すっきりさせたほうがいいです。
笛も横笛が上、笙が中、篳篥は下というようにこの時代は決まっていたようです。何にでも身分がかかわってきて大変ですが、紫式部はきちんと書き分けているようなので、そこからも、様々な人間関係が読み取れると思います。
さらっと読んでも面白いですが、細部で興味を持ったところを深く読むのも面白いです。
ありがとうございます。よくぞ言っていただきました。
私も管弦の遊びと言いながら自ずと秩序はあったのだろうと思っていましたが、突っ込み不足でした。担当も身分によってということなんですね。きっちり抑えて行きたいと思います。これからも女踏歌とか女楽とか正式な管弦のことが出てきますもんね。
他にも衣装(衣配り)も香道(梅枝)も絵画(絵合)も万事紫式部は式部さんおっしゃるように「きちんと書き分けている」のだと思います。ほんとエライ!。それだから読者も作者の期待に応えて細部まで読み込まねばいけませんね。
どうぞ色々指摘してください。
物語の新しい局面がうまく衣替えを利用して変化するのが新鮮です。
琴も筝の琴も楽器の区別がつかなかったのですが寂聴本のイラストを見て理解できました。
現在の琴が筝の琴に最も近いということも。
式部さんのコメントも参考になりました。
楽器も身分によって上下があるとは知りませんでした。
琵琶法師は平家物語の時代と思っていましたが一条天皇のころからいたということ。
更に琵琶を弾く法師のことで固有名詞ではないということもこの場面で知りました
いつの世も父親の娘を思う心情は形こそ違えど変わりませんね。
入道しかり、左大臣の姿ともダブります。
今日は御園座での歌舞伎最終公演を見てきました。
猿之助、中車の襲名披露。
とりわけ感動したのは中車の頑張りです。
映画、テレビの映像の世界からの転身、想像もできない苦労だったと思います。
「小栗栖の長兵衛」はまり役に感じました。
ありがとうございます。
明石の入道、本当に味がありますね。源氏に自分の娘を娶らせるという難しい計画をじわじわと時間をかけて着実に進めていく。その重要な手立てとして和歌とともに管弦の遊びが使われているのですね。明石の入道の琵琶・筝の琴を聴いて源氏は痛く感じ入ったのだと思います。
御園座の猿之助・中車ですか。いいもの見られましたね。中車の頑張りには期待したいですね。我が源氏物語のキャステイングとして中車に明石の入道を、猿之助に左大臣をやってもらうというのはどうでしょうね。
式部さんから以前に催馬楽・伊勢海についてのコメントをいただいたことを思い出しちょっと調べてみました。
①3月4日付け須磨3・4・5の式部さんのコメント参照ください。
②伊勢海
「伊勢の海の 清き渚に 潮間に なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや」
明石の巻のこの段で入道と源氏がこの歌を歌い交したことについて大塚ひかりが次のように言っています。なるほどなと思います。
【この一節で、当時の人は「源氏と明石の君はこれから結ばれるんだな」と察し、事実、そのあとの話の流れはそうなる、ということが「伊勢の海」について調べると、分かる。
「伊勢の海」とは、当時、宴会の席などでよく歌われていた「催馬楽」と呼ばれる流行歌の一つで、多く性的な裏の意味をもっていた。「伊勢の海」の歌詞は“伊勢の海の、清き渚に、潮がひに、なのりそや摘まむ、貝や拾はむや、玉や拾はむや”で、 木村紀子の『催馬楽』によると、貝は女性、玉は男性を暗示する。伊勢の海に集まって、名を名乗る人も名乗らない人も、貝を拾おうよ、玉を拾おうよ、皆で遊びましょう、というわけだ。何百年の歴史をもつ田楽祭などを見ても、夫婦和合のしぐさをとりいれることで、五穀や海山の“幸”の豊穣を祈り、人の“幸”を祈るというパターンが貫かれているが、めでたい席で歌われる催馬楽も同じこと。この催馬楽が、『源氏物語』にはほかにもたくさん取り入れられていて「梅枝」「総角」「東屋」などの巻名も、同じ題名の催馬楽がもとになっている。】
詳しくは 『源氏物語』の面白さが分かる/大塚ひかり で検索してください。