p90 – 100
20.春めぐりくる須磨を宰相中将が訪問する
〈p80 須磨では、年も改まり、〉
久しぶり頭中の登場。読者も少しほっとした気分になる。
①年明けてG27年2月20日。
桜を見るにつけ南殿での花の宴が思い出される(花宴はG20年2月20日)
②頭中、今は宰相。妻が右大臣の四の君なので中央でも重用されている。
③頭中の目を通しての源氏須磨寓居の様子。頭中には珍しい光景であったろう。
→碁、双六、弾棊 色々なゲームがあったものである
→そこはかとなくさへづるも
「さえづる」地方の人が聞きとりにくい言葉でしゃべる(広辞苑④)
④源氏と頭中、例によって詩歌を作り合い管弦(源氏は琴・頭中は横笛)で遊ぶ。
源氏の心はどんなにか慰められたことであろう。
物語中随一の友情の場面とされる。
→さすが頭中はエライ!と読者の頭中への評価は高まったことだろう
(私は源氏復活の将来を見据え保険をかけに来た頭中のしたたかさとも思いますが)
→頭中との絡みこれからも続くがこの場面が引合いに出されることが多い
源氏と頭中が交した贈答歌四首、これはいいなあと素直に思います。
21.三月上巳の祓の日、暴風雨に襲われる
〈p87 三月の一日にめぐってきた巳の日に、〉
①源氏が須磨から明石に移る様子が語られる。何故どうして移ることになったのか、そこで春の嵐を持ってきた。誠に見事なお膳立てでもうアッパレ!という他ありません。
②G27年3月上巳の日 穏やかだった海上にはかに風吹き出でて空もかきくれぬ
最初読んだ時こんな芝居じみた事が起こるはずがなかろうと白けた気持ちだったのですが、昨年ウソではなかったことを思い知らされ驚嘆しました。
「春の嵐 超大型台風並み」「爆弾低気圧が北上」(12年4月4日付朝刊見出し)
昨年4月3日(旧暦だと何と3月13日)に日本列島を春の嵐が襲い首都圏も近畿圏も大混乱でした。この嵐が源氏を明石に連れて行ったのです。
この時の私の驚きを敬愛する友人であり本ブログの技術監修者であるhodakaさんのページにコメントとして投稿してますのでご覧いただければと思います。
「一日一句 奈良暮らしから 駆け足で」 で 検索してください。
かくて須磨の巻は閉じられ明石に移ります。
あらあら、大変。
今日で須磨の巻終了、あっという間の「須磨」で慌てふためいております。
久しぶりに都の風を携えて頭中の須磨訪問、さすが親友と感心しました。
単純に感心しましたがもしも先を見越しての頭中の行動だとすればそれはすごい洞察力ですね。
源氏、都への思いが募ったことでしょうね。
そうでした昨年の春、須磨の嵐を思わせるような春の嵐がありました。
改めてhodakaさんの一日一句 「駆け足で」を見ました。
コメントが賑わいましたね。
あの当時はまだピンときませんでしたが言われてみればすごいですね。
気候と時期がぴったり!!これは偶然にしては凄すぎる。
何かの計らいとしか思えません。
嘆きわび憂き世逃れし須磨の浦
いつの日帰らん花の都ぞ
ありがとうございます。
そうですね、結構なスピードで進んでいます。ちょっと手を抜くと溜まってしまうので時間がある時はドンドン先に進んでおいていただくのがいいでしょう。
この所雨こそ降りませんが強風が吹き荒れています。春は風が強いんだと改めて思いました。
須磨の歌、「嘆きわび」、いいですね。「嘆きわび」と聞くと葵の上に憑りついた物の怪の歌(源氏百首のN017の歌です)を思い出します。源氏物語らしくってとてもいいと思います。
そうなんですよ、須磨は「嘆きわび」に限ると思いました
18.須磨の源氏、流竄の思いに「嘆きわびる」とありますしね。
私だけかな、と思ったら、清々爺はじめ、誰もが頭中将の須磨来訪を
好いなぁ、と。
「たづかなき雲居にひとり音をぞ鳴く 翼並べし友を恋いつつ」
この中将の歌は、ライバルが故に、泣かせますね。
所で、この少し前に、九州の長官の「大弐」の娘、
「五節の君」と言うのが突然出てきますが、この女性は?
注釈を見るに“花散里で初出”とありましたが、まったく印象は無く・・・。
この後も出てきそうですが・・・。
おや、お久しぶりですね。どこかに消えてしまったのではと心配してましたよ。さすが不死身の進乃君、、、コメントありがとうございます。
1.頭中の須磨来訪、感動しますよね。小さい時から分かりあって育ってきた友だちならではと思います。雨夜の品定めのことやら末摘花・源典侍を張り合ったことなど俺・お前感覚で愉快に話し合ったことでしょうね。
2.「五節の君」(「筑紫の五節」と呼びます)、印象にないのも当然です(花散里での初出はp222たった一行のみ)。この人昔源氏とチョッとあった女君なのでしょうがどんな女で何があったかなど全く書かれていません。今後もチョコチョコ出てくるのですが実際に会うようなことはなく何かの折りに源氏が懐かしく思い出すというだけです。思うに源氏は一旦契った女性は忘れないということの象徴として描かれている、ただそれだけだと思います。