出光美術館・五島美術館に行ってきました

出光美術館と五島美術館をはしごして来ました。平日なのでゆっくり見れてよかったです。

1.出光美術館 源氏絵と伊勢絵-描かれた恋物語
  式部さんハッチーさんのコメント通り興味深かったです。伊勢絵と源氏絵は影響し合っていることまた伊勢絵も源氏絵も時代とともに描き方(特に人の表情)が段々具体的になってきていることを強く感じました。

源氏物語図屏風の各場面は次の通りです(横の〇は本ブログ名場面と同じ)(絵合まで)
(冊子を見て調べたものです)
    桐壷  源氏元服
    桐壷  高麗人の観相(〇)
    帚木  雨夜の品定め(〇)
    空蝉  碁打ち覗き見(〇)
    夕顔  夕顔の歌もらう(〇)
    若紫  北山で若紫発見(〇)
    末摘花 末摘花邸で頭中と出くわす
    紅葉賀 青海波を舞う(〇)
    花宴  朧月夜に似るものぞなき(〇)
    葵   車争い(〇)
    賢木  野宮の別れ(〇)
    花散里 中川の女を訪問
    須磨  須磨の秋(〇)
    明石  岡辺の宿をおとなう(〇)
    澪標  花散里を訪ねる
    蓬生  荒れた末摘花邸へ(〇)
    関屋  逢坂の関で遭遇(〇)
    絵合  藤壷中宮御前での絵合

「花散里」の中川の女訪問場面、「澪標」の花散里訪問場面は意外に感じました。後は異議ありません。  
  
2.五島美術館 国宝源氏物語絵巻 鈴虫一、鈴虫二、夕霧、御法 四点
  土佐光吉の源氏絵を見た後だけに如何にも古いなあと思いました。巻物なので大きさも横はともかく縦はわずか21.5センチ(ほぼA4の横幅)と小さいのにびっくりしました(3月に江戸博物館で模写は見ましたが本物を見て改めて思いました)。

  この日はギャラリートークがあり学芸員のお兄さんが源氏物語絵巻の総論と所蔵四点の各論を1時間半かけて詳しくやってくれました。お蔭でこの小さな四点(詞書を含め)が如何に重要で謎に満ちているのかがよく分かりました。現存する絵が20点しかなく(仮に全部で100点あったとしたら五分の一)もう少しあったら大分世界も開けただろうにと思いました。

  四点の詞書部分の朗読(京言葉のイントネーションで)も聞きました。詞書まだチェックできてませんが大方は我がテキストと違っていません。詞書も人が書き写したもので写し間違いもあるはずだし、うっかりして抜かしたところもあるでしょうって解説は面白かったです。また紫の上が亡くなる部分(御法)の詞書はわざと字を乱れさせ一行毎に濃・淡・濃・淡と書かれている由。すごいと思いました。

10年毎に記念行事として徳川美術館から所蔵品を借り出して現存全作品を展示する予定で前回は2010年、順調なら次は2020年でしょうと言ってました。

(五島美術館、初めてでした。東急コンツェルンの壮大さに感嘆しました) 

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松風(3・4) 明石の入道との永久の別れ

p126 – 134
3.京より迎えの使者下る 明石一家の哀歓
 〈p309 一方、腹心の家来たちを、〉
 
 ①源氏は使者を何人も遣わし意を尽して上京を促す
   →源氏の心配りの立派なところ

 ②移ることは決心して大堰の山荘を造営したものの、いざとなると明石一家はそれぞれに逡巡する。

4.出発の朝の贈答 入道の別離の言葉
 〈p311 いよいよ今日出発という暁方に、〉

 ①明石の入道との別れ 三人の歌が実に切ない
  入道 行くさきをはるかに祈るわかれ路にたえぬは老の涙なりけり
  尼君 もろともに都は出できこのたびやひとり野中の道にまどはん
  明石の君 いきてまたあひ見むことをいつとてかかぎりもしらぬ世をばたのまむ

 ②明石の入道の長い長い口上(いつもながら)
  →明石物語の成り立ちを改めて説明してくれている
  
  →一家の長として誠に理に適った情の深い言葉で説得力があります。私も一家の長としてかくありたいと思います。

 ③三人が三人ともこの朝別れたら二度と入道と会えることはなかろうと思っている。尼君には偏奇な運命を共にしてきた愛する夫との別れ、明石の君には厳しくも愛情を注ぎ続けてくれた父との別れ、そして入道には家族全てを失う別れ、、、考えるだに切なくなります。

 ④G27年3月 源氏、明石に来る
      8月 源氏、明石の君と結ばれる
  G28年 夏  明石の君懐妊
      8月 源氏帰京
  G29年3月 明石の姫君誕生  
      秋  源氏と明石の君、それぞれに住吉に参詣
  G31年秋  明石の君、大堰に移る(本段)

  明石の入道が孫(明石の姫君)を抱いて暮らしたのは2年半、「じいじ、、」と懐いたころであったろうに。  
 

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松風(1・2) 源氏、明石の君の上京を督促 

「松風」あぢきなき松の風かな泣けばなき小琴をとればおなじ音を弾く(与謝野晶子)

松風に入ります。絵合の後宮争いから離れてこの巻は完全に明石物語です。明石一族の様々な想いとそれに対応する源氏・紫の上が語られます。

p120 – 126
1.二条の東院成り、花散里などを住まわせる
 〈寂聴訳巻三 p304 源氏の君は二条の東の院を美しく御造営なさり、〉

 ①G31年春 絵合の巻末から続いている。

 ②二条東院完成 - 二条院の東の一区画
   西の対に花散里
   東の対に明石の君(御方)-予定
   北の対(広い)に末摘花・空蝉
   寝殿は源氏が訪れた時用に空けておく
    →関わりある女性を集めて住ませる。後の六条院構想につながる

2.明石の入道、娘のために大堰の邸を修築
 〈p304 明石へは、絶えずお便りをなさいます。〉

 ①源氏の催促に明石一家は迷い続ける。入道・尼君・明石の君、それぞれの想い。

 ②尼君の祖父の領地であった大堰川べりの土地に移る算段
  →入道と宿守(土地管理者)のやりとりが傑作
   宿守:私がこの荒れた土地を守って来たのですよ、、ブツブツ、、
   入道:まあ、悪いようにはしないから、、とにかく急ぐんだ!

 (土地を取り上げられてはたまらないという宿守の言葉・態度には共感する)
  
  →券(不動産所有を証する券)のことなど当時の経済生活がよく分かる

 ③二条東院は嫌だが大堰川に移りますと聞いて源氏は明石一族を改めて見直す。
  →さすがによく気がきくことだ、、、源氏も満足

 ④この嵐山・嵯峨野地区の位置を整理しておきたい。
  明石の君大堰川べりの邸 - 今の嵐山 渡月橋の少し北か
  源氏の嵯峨野の御堂 - 今の清凉寺(源融の別荘跡)
   大覚寺の南に当たりて、滝殿の心映えなど劣らずおもしろき寺なり
  
   →百人一首No.55 藤原公任
   滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ  

   →女ひとり(永六輔) 
    京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女が一人
    塩沢がすりに 名古屋帯 耳を澄ませば 滝の音
    
  桂の院 - 今の桂離宮あたりか

  野宮神社も近いし定家ゆかりの寺社も多いし、嵯峨野はいいですね。   
   

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絵合 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

絵合のまとめです。

和歌

33.わかれ路に添へし小櫛をかごとにてはるけき仲と神やいさめし
   (朱雀院) 前斎宮入内、朱雀院の嘆き

34.見るめこそうらふりむらめ年へにし伊勢をの海人の名をや沈めむ
   (藤壷中宮) 藤壷御前での絵合 これが藤壷の最後の歌になります

名場面

33.須磨の巻出で来たるに、中納言の御心騒ぎにけり
   (p106 冷泉帝御前での絵合)

[「絵合」を終えてのブログ作成者の感想]

絵合は平安時代の物合せの一つと辞書にはあるが公式行事としては記録がないし、和歌にも詠まれていません。源氏物語以外には出て来ません。絵を互いに出し合ってこちらがいい、この方が上だと論評し合うような遊びはあったのでしょうが歌合せのように公式に行われたものはありません。これを物語上で創作し後宮争いの道具に使った紫式部、凄いとしか言いようがありません。豪華絢爛な絵合の記述は数ある源氏物語中の宮中行事の中でも出色のものだと思います。

弘徽殿女御と斎宮女御との後宮争い、この図式は一条帝を巡る定子と彰子の争いと通じるものがあるのではと思いました。いかがでしょうか。

源氏物語(年令は絵合の時点=斎宮女御入内の時点)
  冷泉天皇(13才)
    弘徽殿女御(14才) 後見 権大納言(頭中)
    斎宮女御(22才) 後見 光源氏
     →絵の好きな冷泉天皇に絵を道具にして斎宮女御方が勝利を収める

史実(年令は彰子入内の時点)
  一条天皇(20才)
    定子(23才) 後見 藤原道隆 - 清少納言
    彰子(12才) 後見 藤原道長 - 紫式部
     →定子後宮は文化サロンとして著名で帝はネンネの彰子より定子の方を大事にしていた。それに対抗し道長は紫式部に源氏物語を書かせ帝を彰子の方に引き寄せた(政治的抗争もあり結局は彰子が勝ち国母として隆盛を極めることになる)。  

さて本巻でハッチーさんが追いついてくれ仲間が増えました。楽しく愉快にコメントを応酬し合い長い道のりをご一緒したいと思っています。よろしくお願いいたします。

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絵合(9・10) 才芸・絵画について 冷泉聖代の現出

p108 – 114
9.源氏と帥宮、才芸・絵画を議論 後の遊宴
 〈p297 夜明け近くなった頃、〉

 ①絵合の後の謂わば感想戦 夜明けになって酒を飲みながら
  源氏の言 =物語中第一の自讃の詞(脚注4)

 ②学問(漢学)と才芸(学問以外の芸能)について
  学問は専門家に任せておけばいい、皇族貴族は才芸こそ大事という考え

 ③帥宮の源氏讃辞 皇族にとっての才芸についてよく説明されている。

 ④筆とる道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて描き打つたぐひも出で来れど、

  →書画と碁は天分による。なるほどなあと私は納得ですが如何でしょう。

 ⑤G31年3月20日
  絵合ノーサイドとなって管弦の宴となる。→優雅ですねぇ。
   和琴=頭中 筝の琴=帥宮 琴=源氏 琵琶=少将命婦 

10.源氏、わが栄華の極みを恐れ、後生を思う
 〈p300 その当座は、人々はこの絵合の評定で持ち切りでした。〉

 ①絵合の決め手となった須磨の絵は藤壷に差し上げる。今や冷泉帝後見の同志である。

 ②頭中は焦るが冷泉帝は弘徽殿女御を見限りはすまいと希望的観測をしている。

 ③巻末源氏の心境 これ以上の栄達は畏れ多い、出家したい
  →そうは行かない。誰でも心の片隅にある単なる出家願望であろう。

この巻は澪標の巻から続くものの明石物語からは離れ斎宮の女御の入内を通じ学芸・文化・教養を礼讃することにより桐壷聖代につづく冷泉聖代を華やかに語る巻なのでしょう。紫の上も明石の君も出てきませんでした。次巻から明石物語に戻ります。 

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絵合(7・8) 冷泉帝御前での絵合

p99 – 107
7.朱雀院、秘蔵の絵巻を斎宮の女御に贈る
 〈p291 源氏の君も参内なさって、〉

 ①源氏の提案で冷泉帝の前で絵合をしようということになる。
  源氏方(梅壺女御) 対 権中納言方(弘徽殿女御)
  正式な晴れの儀 ここで後宮争いが白黒つく→お互い負けられない

 ②朱雀院は梅壺が忘れられない→秘蔵の絵を梅壺に贈る
  同時に自分の帝時代のことを絵に描かせる(御櫛の儀の時の絵も)

  朱雀院の絵 → 直接梅壺女御へ
        → 弘徽殿大后 → 四の君 → 権中納言 → 弘徽殿女御

  両方に流れるのが面白い。それだけ血縁が入り組んでいるということ。

8.帝の御前の絵合 源氏の絵日記、他を圧倒
 〈p294 いよいよ絵合の日取りが決まりました。〉

 ①御前での絵合 天徳内裏歌合に倣う
  左は紫壇の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、、、、
  この描写興味ある人には堪らないのではないか。私には無用の長物ですが、、、。

 ②帥宮(源氏の弟・蛍兵部卿宮)が判定者として登場する。
   →源氏の弟だし公平な判定者としてはいかがなものか。頭中には気の毒。
   →この人風流を解する人としてしばしば登場する。ただそれだけの人であるが、、、。

 ③優劣つかない競い合いの末、夜になって源氏の須磨の絵日記が登場して勝負ありとなる。
  須磨の苦労を画いた絵が決め手になる。話の進め方がうまい。

 ④朱雀院・源氏・帥宮 三兄弟の想いはそれぞれどんなものだったろう。

この絵合の記述は絵のこと、歌合のこと、調度品、衣装など詳しく書かれており研究者・愛好者には貴重な資料でしょう。紫式部も力を入れて書いていると思います。

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絵合(5・6) 藤壷御前での絵合

p88 – 98
5.帝、絵を好み、後宮、絵の蒐集を競う
 〈p282 帝は、何にもまして。絵に興味をお持ちでした。〉

 ①ここで絵が物語を進める重要な道具として登場する。
  冷泉帝=絵が好き →源氏譲りか
  斎宮の女御=絵が得意 →御息所の教養深さを継いでいる

 ②なまめかしう添ひ臥して 
  13才の帝に22才の斎宮の女御が寄り添って絵を画く。楽しそう。

 ③弘徽殿女御は絵ができない。負けてはならじと頭中が登場。絵のプロを動員して豪華絵を画かせる。
   
 ④源氏は余裕を持って二条院に秘蔵の古画を取り出す。
   →久しぶりに紫の上が登場する
   →この時代も新しいものよりクラッシックの方がいい=尚古趣味の表れ

 ⑤須磨・明石での源氏の絵日記が出てくる
   紫の上ともども流浪の時のつらさを思いやる

 ⑥斎宮の女御 梅壺に住いする→梅壺の御方と呼ばれる

6.藤壷の御前で物語絵の優劣を争う
 〈p287 藤壷の尼宮もたまたま参内していらっしゃる頃のことで、〉

 ①藤壷が参内しておりその前で絵合が行われる。
   左 梅壺
   右 弘徽殿女御
 
 この叙述は有名な天徳内裏歌合=天暦の御時の歌合に準拠している。
 No.40忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(平兼盛)
 No.41恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこを思ひそめしか(壬生忠見)

 ②左 「竹取物語」→物語の出で来はじめの親 絵は巨勢相覧、書は紀貫之 実名で登場
  右 「宇津保物語俊蔭巻」 絵は飛鳥部常則、書は小野道風 これも実名

 ③伊勢物語・在原業平も実名で登場する。
  藤壷 見るめこそうらふりぬらめ年へにし伊勢をの海人の名をや沈めむ代表歌

 この辺り作者ものびのびと筆をふるっている感じです。お蔭で競技としての物合せの有様がよく分かるのではないでしょうか。
    

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絵合(3・4) 斎宮の女御 vs 弘徽殿女御

p85 – 88
3.冷泉帝、斎宮の女御・弘徽殿女御と睦ぶ
 〈p279 藤壷の尼宮もその夜は参内なさいました。〉

 ①冷泉帝13才(父は桐壷帝 母藤壷・・・実は源氏との子)
  弘徽殿女御12才が既に入内している(父は頭中、母は右大臣の四の君)=藤原方
  ここに前斎宮22才が入内(父は故東宮、母は六条御息所)=皇族方

  この二人による後宮争いが展開される
   →ここに至って源氏の政治的相手は朱雀帝から権中納言(頭中)に切り替わった

 ②冷泉帝は夜は弘徽殿女御&斎宮女御 半々で訪れる
   →律儀なものです。

4.朱雀院、源氏と語る 帝の後宮二所相競う
 〈p281 朱雀院は、あの櫛の箱のお返事を〉

 ①源氏と朱雀院の会話 前斎宮のことは互いに胸に秘めながら大人の会話を装う。

 ②朱雀院は公式行事(御櫛の儀)の場で斎宮の女御をしっかり見ている。源氏はまともには見ていない。それ故に想像が妄想を産む。
   →親代わり的にこれだけ面倒を見ていても顔は見れていない。この辺にも御息所の遺言が効いているのではなかろうか。

 ③兵部卿宮(藤壷の兄)も娘の入内を狙っているが源氏が立ちはだかっているのであろう。
 

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絵合(1・2) 前斎宮、冷泉帝に入内

「絵合」あひがたきいつきのみことおもひてきさらに遥かになりゆくものを(与謝野晶子)

さて絵合の巻、澪標から続くメインストーリー、明石物語の展開です。歌合や貝合はあるが絵合は歴史書にも載っておらず源氏物語・紫式部の創作ではないかと言われています。そうだとしたらそれもすごいことです。

p78 – 84
1.前斎宮入内する 朱雀院の豪勢な贈物
 〈寂聴語訳巻三 p274 前斎宮の御入内のことを、〉

 ①澪標の巻末で源氏と藤壷が前斎宮を冷泉帝に入内させようと謀をめぐらしたのがG29年末。それから1年余経過している。この間は前斎宮は母(六条御息所)の喪に服しており動きがとれなかった。朱雀院に遠慮して二条院にも引きとれず前斎宮は六条邸に居て源氏が何かと面倒をみていたのであろう。

 ②G31年春 入内
  朱雀院は前々から(G23年秋伊勢下向の時の御櫛の儀)前斎宮が好きだった。源氏がそれを無視して冷泉帝に入れることになり朱雀院は未練がましく豪華な贈物をする。
   
 ③香壺の箱、くさぐさの御薫物ども、薫衣香、百歩の外を多く過ぎ匂ふまで
   →香が貴婦人の嗜みであったことが分かる。

 ④朱雀院→前斎宮  
  わかれ路に添へし小櫛をかごとにてはるけき仲と神やいさめし  代表歌
   
   →朱雀院が帝になったとき自分のために神に仕える斎宮として伊勢まで行ってくれた。6年間も苦労をかけたなあ、母御息所も失くして可哀そうに、何とか自分が力になれればよかったのに、、、という気持ちだったのでしょう。

 ⑤源氏は朱雀院の心を解しつつ無視して冷泉帝への入内をすすめる。
  
2.源氏参内、故六条御息所を回想する 
 〈p278 朱雀院の御容姿は女にして拝見したいぐらいお美しいのですが、〉

 ①この段における年令を整理しておきましょう。
  朱雀院34才、 源氏31才、 前斎宮22才、 冷泉帝13才、 弘徽殿女御14才

 ②p84 憎きことをさへ思しやりて、
  脚注1 で『玉の小櫛』は斎宮の色情の方までを、おぼしやるをいへり」と注する。
   →この意味がよく分かりません。どういうことでしょうね。
    ひょっとして「年令は離れているし二人はアチラの方はうまくやれてるのだろうか、、、」ということですか?考えすぎ?
 
 ③前斎宮のことにつけて御息所を懐旧する。
   →つくづく情趣深い人であった。。。

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関屋 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

関屋のまとめです。

和歌

31.わくらばに行きあふみちを頼みしもおなほかひなしやしほならぬうみ
   (源氏) 逢坂の関でのめぐり逢い

32.逢坂の関やいかなる関なれば繁きなげきの中をわくらん
   (空蝉) 源氏への返歌

名場面

32.「今日の御関迎へは、え思ひ棄てたまはじ」
   (p66 源氏・空蝉 逢坂の関にて)

[関屋を終えてのブログ作成者の感想]

空蝉の後日談ですが蓬生と違ってさしたるエピソードもなく、常陸から都に帰る空蝉と石山寺に参詣する源氏が逢坂の関で逢いました、その後空蝉は出家しました、、、ってだけです。ここは「ああ、そうなの」で通り過ぎればいいんでしょうね。空蝉も個性的な女性なので河内守を悪役にして少し物語を展開してもらえば面白かったかと思うのですが、、、。

さて次は絵合、メインストーリーに戻ります。

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