絵合(1・2) 前斎宮、冷泉帝に入内

「絵合」あひがたきいつきのみことおもひてきさらに遥かになりゆくものを(与謝野晶子)

さて絵合の巻、澪標から続くメインストーリー、明石物語の展開です。歌合や貝合はあるが絵合は歴史書にも載っておらず源氏物語・紫式部の創作ではないかと言われています。そうだとしたらそれもすごいことです。

p78 – 84
1.前斎宮入内する 朱雀院の豪勢な贈物
 〈寂聴語訳巻三 p274 前斎宮の御入内のことを、〉

 ①澪標の巻末で源氏と藤壷が前斎宮を冷泉帝に入内させようと謀をめぐらしたのがG29年末。それから1年余経過している。この間は前斎宮は母(六条御息所)の喪に服しており動きがとれなかった。朱雀院に遠慮して二条院にも引きとれず前斎宮は六条邸に居て源氏が何かと面倒をみていたのであろう。

 ②G31年春 入内
  朱雀院は前々から(G23年秋伊勢下向の時の御櫛の儀)前斎宮が好きだった。源氏がそれを無視して冷泉帝に入れることになり朱雀院は未練がましく豪華な贈物をする。
   
 ③香壺の箱、くさぐさの御薫物ども、薫衣香、百歩の外を多く過ぎ匂ふまで
   →香が貴婦人の嗜みであったことが分かる。

 ④朱雀院→前斎宮  
  わかれ路に添へし小櫛をかごとにてはるけき仲と神やいさめし  代表歌
   
   →朱雀院が帝になったとき自分のために神に仕える斎宮として伊勢まで行ってくれた。6年間も苦労をかけたなあ、母御息所も失くして可哀そうに、何とか自分が力になれればよかったのに、、、という気持ちだったのでしょう。

 ⑤源氏は朱雀院の心を解しつつ無視して冷泉帝への入内をすすめる。
  
2.源氏参内、故六条御息所を回想する 
 〈p278 朱雀院の御容姿は女にして拝見したいぐらいお美しいのですが、〉

 ①この段における年令を整理しておきましょう。
  朱雀院34才、 源氏31才、 前斎宮22才、 冷泉帝13才、 弘徽殿女御14才

 ②p84 憎きことをさへ思しやりて、
  脚注1 で『玉の小櫛』は斎宮の色情の方までを、おぼしやるをいへり」と注する。
   →この意味がよく分かりません。どういうことでしょうね。
    ひょっとして「年令は離れているし二人はアチラの方はうまくやれてるのだろうか、、、」ということですか?考えすぎ?
 
 ③前斎宮のことにつけて御息所を懐旧する。
   →つくづく情趣深い人であった。。。

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2 Responses to 絵合(1・2) 前斎宮、冷泉帝に入内

  1. 青玉 のコメント:

    3日ほど留守をしている間に本ブログが賑わっておりました。
    清々爺さん、ハッチーさん、進乃君さんのコメントを楽しく拝見させていただきました。

    「絵合」 冒頭の晶子の和歌いいですね。
    これは朱雀院の前斎宮へのせつない思いを詠んだ歌ですね。

    政略的な謀はもちろんのこと、また御息所の遺言もあったでしょう。
    でもそれとは別に源氏は朱雀院に前斎宮を渡したくない、嫉妬と恨み(須磨流謫の)も内心あったのではないかと・・・
    年齢的には冷泉帝より院や源氏の方がお似合いですよね。

    憎きことをさへ思しやりての脚注の意味が私も何度読んでも理解不能でした。
    寂聴さんやリンボー訳を読んでも理解できません。
    源氏がお二人の閨を想像してのことでしょうか?おかしいかな~?

    • 清々爺 のコメント:

      お忙しいところフォローいただき誠にありがたいです。

      1.ご指摘いただき与謝野晶子の巻頭の歌改めて読んでみました。朱雀院の想い、涙が出ます。「わかれ路に、、、」の歌は私もすごくいいと思いましたが、晶子は絵合の巻を象徴するものとして朱雀院の前斎宮への想いを詠んだのですね。情熱歌人らしい選択でしょうか。

      2.前斎宮を朱雀院に渡さなかったのには源氏の嫉妬と恨みがあったのでは、、、、
      なるほど面白い見方ですね。年令的にも成り行きとしても朱雀院に添わせるのが自然ですもんね。前斎宮が参内するまで1年以上も時間があった訳で朱雀院も先回りして源氏に「私が面倒みるよ」って頼めばよかったのに(それが出来ないのが朱雀院なのでしょうが)。

      3.「人知れずものしとや思すらむ」とは冷泉帝に入内することを前斎宮は「内心では面白くないと思うのではないか」。即ち「私はもう22才で成熟した女、13才の帝がお相手ではつまらない、朱雀帝の方がいいのに」と思うのではないかと憎きことをさへ思しやった、、、、という意味なんですかね。まあ宿題にしておきましょう。

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