p88 – 98
5.帝、絵を好み、後宮、絵の蒐集を競う
〈p282 帝は、何にもまして。絵に興味をお持ちでした。〉
①ここで絵が物語を進める重要な道具として登場する。
冷泉帝=絵が好き →源氏譲りか
斎宮の女御=絵が得意 →御息所の教養深さを継いでいる
②なまめかしう添ひ臥して
13才の帝に22才の斎宮の女御が寄り添って絵を画く。楽しそう。
③弘徽殿女御は絵ができない。負けてはならじと頭中が登場。絵のプロを動員して豪華絵を画かせる。
④源氏は余裕を持って二条院に秘蔵の古画を取り出す。
→久しぶりに紫の上が登場する
→この時代も新しいものよりクラッシックの方がいい=尚古趣味の表れ
⑤須磨・明石での源氏の絵日記が出てくる
紫の上ともども流浪の時のつらさを思いやる
⑥斎宮の女御 梅壺に住いする→梅壺の御方と呼ばれる
6.藤壷の御前で物語絵の優劣を争う
〈p287 藤壷の尼宮もたまたま参内していらっしゃる頃のことで、〉
①藤壷が参内しておりその前で絵合が行われる。
左 梅壺
右 弘徽殿女御
この叙述は有名な天徳内裏歌合=天暦の御時の歌合に準拠している。
No.40忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(平兼盛)
No.41恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこを思ひそめしか(壬生忠見)
②左 「竹取物語」→物語の出で来はじめの親 絵は巨勢相覧、書は紀貫之 実名で登場
右 「宇津保物語俊蔭巻」 絵は飛鳥部常則、書は小野道風 これも実名
③伊勢物語・在原業平も実名で登場する。
藤壷 見るめこそうらふりぬらめ年へにし伊勢をの海人の名をや沈めむ代表歌
この辺り作者ものびのびと筆をふるっている感じです。お蔭で競技としての物合せの有様がよく分かるのではないでしょうか。
いよいよメインである「絵」の登場ですね。
絵によってこの物語がいっそう華やぎを帯びてきます。
そして絵を通じてお二人が心を寄り添わせられる、いい場面ですね。
双方の絵の蒐集がエスカレートしていく様が面白いと同時にすごいのは実名で登場する作品群です。
改めて百人一首、田辺本と白州本の解説を読んでみました。
宮中の厳かで華やか、典雅の様子が伝わって来ます。
古来日本人とは何と風流で粋な国民性なのでしょうか。
私としては単純に言葉の流れから40番が好みです。
この絵画版が「絵合」ということなのですね。
紫式部の力量に感嘆です。
ありがとうございます。
1.絵のことがこれだけ取り上げられるのは紫式部も絵が好きだったのでしょうか。私は絵が苦手であまり興味もないのですが、好きな人には必読の個所でしょうね。
絵は常則、手は道風、、、すごくリアルな描写で皆乗り出して朗読に聞き入ったのでしょう。
2.天徳の歌合せの話は何度読んでも面白いですね。村上天皇時代の盛世が思われます。紫式部の世代にあっても憧れの的だったのでしょう。
私も「忍ぶれど、、、」の方が好きです。田辺聖子は「恋すてふ、、、」のようですが。
いつも思うのですが、歌合で左、右に分かれて競い合って、左が勝つパターンばかりのようですね。ここの絵合の場合も左勝ちですよね。 たくさんの歌合を調べたわけではないので、異なる結果が出ているのがあったら教えてください。
絵合とは紫式部も面白いことを考えましたね。 この巻を通してわれわれが知っているような人物が実名で出てきて、物語にも現実味が増したような気がします。
ありがとうございます。
そうですか、左方が勝つパターンばかりですか。天徳の歌合せも40番・41番では40番の右が勝ってますがトータルすれば左方が勝ったようですね。
左・右と言えば左の方が序列が高かった訳で強い方が左を占めたということでしょうかね(ホームチームが一塁側に座るように)。
源氏物語では絵合の二番(藤壷御前と冷泉帝御前)とも源氏が左、頭中が右で左の勝ちです。絵合以外でも漢字ゲームとかこの二人は競い合いますがことごとく源氏が勝つ、勿論源氏が左側に座っていたのだと思います。
おっしゃるように絵合の巻で物語は現実に近づき読者は架空の人物と実在の人物が混同して物語を進めて行く感じを抱いたのではないでしょうか。
絵合の巻、朗読を通して聞かせてもらいました。41分47秒でした。いいペースだと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
皆さんへ
絵合 6 を、特に左・右のやり取りを面白く読みました。どんな絵だったのか、何か残っているのですか。天才 紫式部といえでも、絵に書かれた物語は語れても,絵を想像させることまでは難しかったようですね。
所で、天徳の歌合わせは、ここで初めて知りました。ウイキペディアで調べましたが、解読力も無いので、他は飛ばしここで話題の20番目の勝負歌のみ読みました。小倉百人一首との関係も知りたかったので、これもウィキペディアで調べ、40番 41番と皆さんが書かれている意味がようやく分かりました。皆さんと計りしれぬ古典に対する知識の差があるので、少々考え込みましたが、いろいろ勉強になりますので、とりあえず、横に置くこととします。
伊勢物語にせよ、百人一首にしろ、時間と心の余裕がでてくれば、そのうち読んでみたいところです。いやいや想像以上に奥が深い。
ハッチーさん、すごいスピードで来られましたね。
ご一緒に並行して楽しんでいきましょう。
それぞれ古典に対する奥行きは違っていても好きでさえあればなんとかなるものだな~というのが私の実感です。
清々爺さんの明快なリーダーシップ、式部さんのプロ並みの朗読、本当に良い環境を与えられたことに感謝しています。
単独ではできないことも皆さんとご一緒であれば心強いです。
ゴール目指して古典の旅を道草しながらでも大いに楽しみましょうよ。
追いついて早速のコメントありがとうございます。
1.本巻に出てくる絵(竹取物語、絵=巨勢相覧、手=紀貫之・宇津保物語、絵=常則、手=道風)そのものは残ってないでしょう。でもおそらく実際にあって紫式部は道長あたりから秘蔵のものを見せてもらってたのじゃないでしょうか。むしろ道長が絵を見せて物語に書き込めとそそのかしたのかもしれません(飽くまで想像です)。
何れにせよ当時文字で書かれた物語を読むのは大変なので絵が沢山描かれ一般クラス(特に女・子ども)は絵を見て物語を楽しんだのだと思います。
蓬生4.p21で末摘花が物語絵を出して来て無聊をなぐさめる場面がありましたね。
2.古典は奥深いです。それだけに面白い。最初は分からなくてもかまいませんよ。興味を持って色々調べていると段々と繋がってきます。私の好みですが百人一首リストは是非手元においておかれるといいと思います(その内右覧の更新の際私の百人一首リストもアップするつもりです)。
清々爺へ
1.道長が絵を見せて、紫式部にこの物語を書くよう勧めた,そそのかしたとの説は、ありそうで、面白いです。
2.当時庶民は書いたものでなく、絵物語で楽しんでいた、なるほど然りです。でも、自分では、気づきませんでした。コメントのやり取りが面白くなってきました。
私がこのブログで一番やりたいのはこのコメント欄でこのように愉快なおしゃべりをすることです。私が道長のことを考えついたのは貴君のコメントがあったからで、それまでは紫式部が実際の絵を見て物語を書いたのかどうかなんて考えもしなかったですもん。これからもドンドンぶつけてください。