p108 – 114
9.源氏と帥宮、才芸・絵画を議論 後の遊宴
〈p297 夜明け近くなった頃、〉
①絵合の後の謂わば感想戦 夜明けになって酒を飲みながら
源氏の言 =物語中第一の自讃の詞(脚注4)
②学問(漢学)と才芸(学問以外の芸能)について
学問は専門家に任せておけばいい、皇族貴族は才芸こそ大事という考え
③帥宮の源氏讃辞 皇族にとっての才芸についてよく説明されている。
④筆とる道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて描き打つたぐひも出で来れど、
→書画と碁は天分による。なるほどなあと私は納得ですが如何でしょう。
⑤G31年3月20日
絵合ノーサイドとなって管弦の宴となる。→優雅ですねぇ。
和琴=頭中 筝の琴=帥宮 琴=源氏 琵琶=少将命婦
10.源氏、わが栄華の極みを恐れ、後生を思う
〈p300 その当座は、人々はこの絵合の評定で持ち切りでした。〉
①絵合の決め手となった須磨の絵は藤壷に差し上げる。今や冷泉帝後見の同志である。
②頭中は焦るが冷泉帝は弘徽殿女御を見限りはすまいと希望的観測をしている。
③巻末源氏の心境 これ以上の栄達は畏れ多い、出家したい
→そうは行かない。誰でも心の片隅にある単なる出家願望であろう。
この巻は澪標の巻から続くものの明石物語からは離れ斎宮の女御の入内を通じ学芸・文化・教養を礼讃することにより桐壷聖代につづく冷泉聖代を華やかに語る巻なのでしょう。紫の上も明石の君も出てきませんでした。次巻から明石物語に戻ります。
筆とる道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて描き打つたぐひも出で来れど、
上記、まこと実感の思いで納得です。
これは今もって通じることのように思います。
どんな芸能(お稽古)や学問もある程度修練を積めばそこそこの成果は得られるものですが書画、殊に絵に至ってはもうこれは天性の何者でもないに違いありません。
おそらく碁や棋もそうだと思います。
遊宴後の
明けはつるままに~めでたき朝ぼらけなり。
この締め、いいですね~
左右方いずれ優なり絵の語る
殿上人よ栄華の極み
10.源氏、わが栄華の極みを恐れ、後生を思う から
「栄華の極み」いただきました。
ありがとうございます。おかげさまで17巻まで来ました。
1.この段の学問と才芸に対する考え方非常に面白いと思います。学問は一種の技術なのでできるヤツに任せておけばいい、世の上に立つ皇族には学問などより才芸の方が大事だという考え、それも一つなんでしょう。後で源氏が夕霧を教育するところで源氏の学問論が出てきますのでまたそこで議論しましょう。
2.絵は天分による、、、ホントいいこと言ってくれます。最近私の絵の下手さが話題になると私は「絵は生まれつき。親が悪い、努力してもしようがない!」って嘯いています。「何で?」と聞かれると「源氏物語に書いてあるのさ」と答えまた顰蹙をかっているのですが、、。
3.絵合の歌、うまくまとめていただきました。栄華の極みを入れていただいたことも納得です。右欄の和歌集今週末に絵合分まで更新します。