絵合 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

絵合のまとめです。

和歌

33.わかれ路に添へし小櫛をかごとにてはるけき仲と神やいさめし
   (朱雀院) 前斎宮入内、朱雀院の嘆き

34.見るめこそうらふりむらめ年へにし伊勢をの海人の名をや沈めむ
   (藤壷中宮) 藤壷御前での絵合 これが藤壷の最後の歌になります

名場面

33.須磨の巻出で来たるに、中納言の御心騒ぎにけり
   (p106 冷泉帝御前での絵合)

[「絵合」を終えてのブログ作成者の感想]

絵合は平安時代の物合せの一つと辞書にはあるが公式行事としては記録がないし、和歌にも詠まれていません。源氏物語以外には出て来ません。絵を互いに出し合ってこちらがいい、この方が上だと論評し合うような遊びはあったのでしょうが歌合せのように公式に行われたものはありません。これを物語上で創作し後宮争いの道具に使った紫式部、凄いとしか言いようがありません。豪華絢爛な絵合の記述は数ある源氏物語中の宮中行事の中でも出色のものだと思います。

弘徽殿女御と斎宮女御との後宮争い、この図式は一条帝を巡る定子と彰子の争いと通じるものがあるのではと思いました。いかがでしょうか。

源氏物語(年令は絵合の時点=斎宮女御入内の時点)
  冷泉天皇(13才)
    弘徽殿女御(14才) 後見 権大納言(頭中)
    斎宮女御(22才) 後見 光源氏
     →絵の好きな冷泉天皇に絵を道具にして斎宮女御方が勝利を収める

史実(年令は彰子入内の時点)
  一条天皇(20才)
    定子(23才) 後見 藤原道隆 - 清少納言
    彰子(12才) 後見 藤原道長 - 紫式部
     →定子後宮は文化サロンとして著名で帝はネンネの彰子より定子の方を大事にしていた。それに対抗し道長は紫式部に源氏物語を書かせ帝を彰子の方に引き寄せた(政治的抗争もあり結局は彰子が勝ち国母として隆盛を極めることになる)。  

さて本巻でハッチーさんが追いついてくれ仲間が増えました。楽しく愉快にコメントを応酬し合い長い道のりをご一緒したいと思っています。よろしくお願いいたします。

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9 Responses to 絵合 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

  1. 式部 のコメント:

    「後見」がどれほど大切だったか、史実からも源氏物語からも見て取れます。
     定子中宮は父道隆が亡くなってからは衰退の一途をたどります。帝の愛だけでは、どうにもならない宮廷世界ですね。
     定子、彰子、それぞれの文化サロンのことは、対抗意識とともに作者の脳裏に常にあったことでしょう。女房生活のなかで色々見聞きしたことを参考にして、この巻も書いていると思います。
     評判の良いサロンにするには、よき女房を集め、それぞれの才能を自由に十分に発揮させる必要がありました。
     やり手だった道長のおかげで、私たちは今、源氏物語の世界を楽しんでいられるのです。
     道長殿に感謝です。

    • 清々爺 のコメント:

      適確なる解説ありがとうございます。

      おっしゃる通りだと思います。一条帝と定子との純愛、知的レベルの高い文化サロンで後宮を争った定子と彰子。そこに君臨してきた道長。紫式部の天才的文才は勿論ですが源氏物語を生み出す土壌がこの時代にあったことを改めて痛感します。

      (繰り返しになりますがよくできた参考文献として「源氏物語の時代」一条天皇と后たちのものがたり(山本淳子・朝日選書)を挙げておきます)

  2. 青玉 のコメント:

    「絵合」宮中における豪華絢爛な絵巻物を見るような華やかさ、読者も共に楽しませていただける場面でした。

    言われてみればなるほど、おっしゃるとおり一条天皇の時代と重なるものがありますね。
    千年も前の歴史的事実、天皇、道長、またそれらを取り囲む宮廷の後宮争いから生まれた王朝文学をいながらにして楽しめる。
    当時の人々の一体誰が想像したでしょうね。
    不思議な縁というか文学の普遍性というか様々なことが巡ります。

    この三連休、本ブログもお休み中気づいたことは如何に一日のスケジュールで源氏が大きなウエイトを占めているかということでした。
    それは時間的なことではなく心の部分でということです。
    お休みの日は何か忘れ物をしたような感覚でした。
    それだけ私の中での源氏が軌道に乗ってきて生活の一部になったということでしょうか?
    いずれにしても忙しい中でのメリハリとなっていることは確かです。
    さて、明日からは気持ち新たに「松風」へ。
    よろしくお願いします。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      おっしゃる通り源氏物語執筆当時誰しも、紫式部でさえ、千年後の私たちがこんなに知的興奮をもって物語を楽しんでいるとは思わなかったことでしょう。それも千年に亘り源氏物語が読み継がれ語り継がれてきたお蔭であり感謝したいと思っています。

      源氏物語を生活の一部と感じられてる由、嬉しく思います。本ブログは「道しるべ」なので規則性が大事だと思い投稿は暦通り平日のみとしています。また4連休がありますが時には気分転換を図ってください。あるいは直接関係ないテーマで書き込んでいただくのも大歓迎です。

      「松風」以降結構テンポよく進みます。引き続きよろしくお願いいたします。

  3. ハッチー のコメント:

    清々爺へ

    青玉さんと同じく、3連休中、源氏のブログが更新されないと、何だか気が抜けてしまった感じでしたが、4連休もお休みとのこと、了解です。清々爺が一番大変ですもの、休んでください。小生は百人一首の本を改め買い読み始めましたので、連休中に読んでしまいます。

    源氏物語が書かれた時代は、政治・経済的にはどんな時代でしたっけ。歴史背景をチャントは思い出せません。天皇を中心に藤原執権の時代で、内輪の権力争いは絶えなかったが、世の中的には平和で暮しもそこそこ豊かだったのですね? 絵・歌・仮名の物語・楽器演奏・舞、優雅な服装、それに仏教も広まり宿縁・来世も語られ出家をする人も多く、華やかなる王朝時代で、文化も隆盛したと、源氏物語を読む限りは感じました。正しいですか?逆に
    こんな時代でなければ、源氏も生まれなかったと思う次第です。

    歌では、清々爺と同じく

    わかれ路に添へし小櫛をかごとにてはるけき仲と神やいさめし

    と,返歌も

    別るとてはるかに言ひしひとこともかへりてものは今ぞかなしき

    が小生には良かったです。

    見るめこそうらふりむらめ年へにし伊勢をの海人の名をや沈めむ

    の歌の、”をの”はどういう意味ですか、解れば教えてください。

    では、松風楽しみにしています。

    • 清々爺 のコメント:

      (大分酔っぱらってます)

      ありがとうございます。

      1.百人一首、是非精読してください。これは大したもので万葉時代~鎌倉時代600年の歴史と文化が詰まっています。歌の意味もさることながら歌人のこと時代背景のこと考えながら読むのがいいと思います。そして順番が命なので1番から100番まで背番号をつけて頭に叩き込むことをお勧めします。ボケ防止にもなりますよ。

      本は無数に出ています。最初はどれでもいいと思います。一通り分かったら私のお勧めは、(何れもアマゾン中古でいいでしょう)
        ①「田辺聖子の小倉百人一首」 田辺聖子・角川文庫
        ②「私の百人一首」 白洲正子・新潮文庫
        ③「絢爛たる暗号」 織田正吉・集英社 
      この三冊で百人一首は大丈夫と思います。

      2.平安時代、400年も続いているのですね。江戸が260年ですから何と長いことか。そのちょうど中間点が紀元1000年、源氏物語の時代です。歴史の見方は色々あると思います。飢饉やら天災やらで庶民の生活は困窮を極めごく一部の貴族階級が庶民の犠牲の上に謳歌したのが王朝文化だという見方もあるでしょう。でもそれはそれ、私は源氏物語が残されたことをもってこの時代を肯定したいと思っています。
       →平安時代の解説書色々あるでしょうが「日本の歴史 平安時代-揺れ動く貴族社会」(小学館)、図書館にあるでしょう。パラパラと読むことお勧めします。

      3.前斎宮→朱雀院 「別るとてはるかに言ひし、、、」 この返歌私もいいと思います。天皇から声をかけられ感激して伊勢に下り6年間必死に勤めを果たした前斎宮、帰ったら朱雀院の下で暮らせたらいいなあと思ってたのかもしれませんね。

      「伊勢をの」 「を」は語調を整える接尾語で単に「伊勢の」ということでいいかと思います。→須磨p62脚注9参照

      じゃあね、、、明日 出光&五島と行ってきます。

  4. ハッチー のコメント:

    清々爺へ

    コメントありがとう。色々博学ですね、感心しています。
    紹介ある本は、おいおい読んで行きたいと思います。

    ”をの”は解りました。須磨P62とすぐに参照できるのも、あっぱれという他なし。

    今日は天気もよいし、出光&五島楽しんでください。
    小生は、あす五島に行きます。源氏物語絵巻への爺のコメントも待っています。

    では、

  5. 進乃君 のコメント:

    「絵合」の帖の竹取vs宇津保、伊勢物語vs正三位の論戦は
    面白かったですね。左方の『なよ竹の世々に古りにけること、
    をかしきふしもなけれど、かくや姫のこの世の濁りにも穢れず、
    はるかに思ひのぼれる契り高く、神代のことなめれば、
    あさはかなる女、目及ばぬならむかし』と言う評の厳しいこと。
    でも、竹取物語を かくもボロっかすに言い切った所に
    式部の自負みたいなものを感じます。
    源氏が それなりの大人になって、話の展開が聊か“事勿れ”に
    なってきたところに 作者・式部の意志が結構強く出てきたのは
    読む者にとって新しい楽しみです。清々爺の作者・源氏に対する
    コメントがどうなっていくかも見落とせません。

    • 清々爺 のコメント:

      久しぶりの登場、お待ちしてました。

      1.脚注17にもある通り、この辺の叙述が古来の物語をどう位置付けるかの基準にもなってるようです。特に竹取物語は出した左方の主張と右方の反論とで物語を詳しく評論しているわけで紫式部は相当に力を入れて書いていると思います。おっしゃる通り紫式部の声が聞こえてきそうです。。。。「竹取物語って物語の最古のものなんて崇められているけれどこんな調子の作り話よ、それに比べると私の源氏物語はリアル度が違うでしょう、これが本当の物語よ」

       →この段物語論が展開されているが、本来は絵合なのでどちらの絵が優れているのかの勝負の筈ですけどね、ちょっと疑問です。

      2.話の展開が事勿れですか、なるほどそうかも知れません。源氏が大人になったのと紫式部が荒唐無稽のお話から切実なお話に切り替えつつある途中ですからね(第二部からトーンががらりと変わります)。どちらも面白いですよ。お楽しみに。

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