胡蝶 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

胡蝶のまとめです。

和歌
47.花ぞののこてふをさへや下草に秋なつむしはうととく見るらむ
       (紫の上) 秋好中宮への応答

48.橘のかをりし袖によそふればかはれる身ともおもほえぬかな 
       (源氏)  夕顔の面影、困った父親

名場面
46.春の日のうららにさして行く舟は棹のしづくも花ぞ散りける
       (p46 物語中 最豪華絢爛たる遊宴@六条院春の町)

47.御衣どものけはひは、いとよう紛らはしすべしたまひて、近やかに臥したまへば
      (p78 玉鬘へのけしからぬ恋情)

[「胡蝶」を終えてのブログ作成者の総括]

胡蝶を終えました。前半が六条院での春の大遊宴の様子、その後4月に移り玉鬘を巡る若公達たちの獲得競争の様子、そして源氏その人の玉鬘への煩悩の様子が描かれていました。

物語的にはどうということなくむしろ中休み的な感じです。平安王朝の雅な様子を「へえ~っ、すごいな、平和でけっこうなこと、でもさぞ遊び疲れるだろうな、、、」と同情半分、羨ましさ半分で思っておけばいいのでしょうか。

源氏の玉鬘への慕情告白については何ともよく分かりません。源氏の恋の遍歴について言えば4年前に斎宮の女御(秋好中宮)に恋情を訴え(@薄雲19)、続いて朝顔の君に迫ったがきっぱり拒否されています。その後しばらく治まってた源氏の恋愛偏執症もあの夕顔の忘れ形見がきれいに成長して登場したとなればまた発症せざるを得なかったということでしょうか。

さてその玉鬘を巡る話、五月雨と蛍の五月に続いていきます。

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胡蝶(6・7) 源氏、玉鬘に添い臥し

p74 – 84
6.源氏、玉鬘に慕情を告白 玉鬘、苦悩する
 〈p295 玉鬘の姫君のことがお心にかかるままに、〉

  ①初夏4月、新緑瑞々しい庭先の描写 - 若楓 柏木
  白氏文集が引かれている - 和して且清し

 ②姫君の御さまのにほひやかげさを思し出でられて、
  →何ともにおいたつような魅力あふれる様子ということか

 ③源氏→玉鬘 母夕顔を引き合いに出して昔を懐かしむところから話を切り出す
  源氏 橘のかをりし袖によそふればかはれる身ともおぼほえぬかな 代表歌
  →季節の橘を詠み込む。橘は昔の人を思い出すよすが

  御手をとらへたまへれば、女かやうにもならひたまはざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさましてものしたまふ 
  →脚注10 秋好中宮の時は手も握れなかったが今度はもっと本気ということか。

 ④手つきのつぶつぶと肥えたまへる、身なり肌つきのこまやかにうつくしげなるに、
  →つぶつぶと肥えて 空蝉の巻 碁打ち覗き見の場面、軒端荻のグラマラスな描写
  →裸を見たのかと一瞬ドキッとしたが夏の薄絹が透けて見えたということらしい(注16)

 ⑤源氏→玉鬘 親であったり親でなかったり。理屈を尽して訴える。
  →いとさかしらなる御親心なりかし  全くその通りでしょう。

 ⑥なつかしいほどなる御衣どものけはひは、いとよう紛らはしすべしたまひて、近やかに臥したまへば、
  →ついに行動に出ようとする源氏。要約してしまうとトンデモナイ話になってしまうがじっくり原文を読んでいると「なるほどこういう気持ちになってしまうものかなあ」と思えても来ます。原文の深さでしょうか。

 ⑦この時玉鬘22才。処女であり女房たちからもその方面の知識は入っていない。
  →聡明な玉鬘のこと故男女のこと想像はついてただろうがどんな風に進むのか分からない。この辺の叙述は成程なあと思います。
  →もう一人処女でコトが分かってない姫君がいました。末摘花。でも描き方は違いましたね。

 ⑧「ゆめ景色なくてを」とて出でたまひぬ。
  →他言は無用ですよ、、、この辺は抜かりない。

 ⑨玉鬘の乳母や女房たち(右近・兵部)は源氏のことをどう思ってたのだろうか。実父ではないこと、夕顔を愛していたことを知っているこの人たちはむしろ「源氏が手をつけてくれたらいいのに」と思っていたのではないでしょうか。→考え過ぎか。
  
7.玉鬘、源氏の愛に困惑 他の求婚者たち
 〈p302 いったんお心のうちを打ち明けておしまいになってからは、〉

 ①色に出でたまひて後は
  →百人一首No.40 平兼盛(例の天暦の歌合せで勝った歌)
   忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
  
 ②玉鬘獲得競争
  兵部卿宮、髭黒大将、柏木(岩漏る中将) そして養父源氏、、、いやはや。  

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胡蝶(4・5) 玉鬘に恋文殺到する

p60 – 74
4.源氏、人々の懸想文を見て玉鬘に語る
 〈p284 四月一日の衣更えで、〉

 ①時は移って4月 夏に入る

 ②玉鬘の所へ恋文が押し寄せる。それを源氏がずかすかと入ってきて当然のこととして読む。
  →全くプライバシーもあったものではない(今と比較する方がナンセンスか)。

 ③兵部卿宮=源氏の異腹の弟 絵合で判者として登場した。
  この人何才だろうか? 北の方は右大臣の三の宮で花宴(G20年)には既に結婚している。頭中(源氏+5くらい)の北の方が右大臣の四の君なので頭中より年上が普通だと思うのだが源氏の弟ということなのでそうではない。この人ずっとあとで真木柱という女性と結婚するのだが真木柱は源氏-25才。何とも訳の分からないことになります。まあ源氏より1~2才下ということで考えておきましょうか。
  →今後読んで行く時気がついたことあれば教えてください。

 ④右大将=髭黒 初登場 31-2才 (源氏マイナス4-5才)
  僅か2行のみ。武骨なマッチョな武人タイプのイメージ

 ⑤柏木 思ふとも君は知らじなわきかへり岩漏る水に色し見えねば
  →柏木の最初の歌。この歌から「岩漏る中将」とも呼ばれる
  →夕霧ともども今後物語上重要な役割を果たす。この人の一挙一動が物語の伏線となっていく。

 ⑥源氏と右近が玉鬘の前で話を交す。
  →p64のところ難しい文章でよく分かりません。

 ⑦柏木が執念で届けつけた恋文(上記⑤の歌)が源氏の目にとまる
  →源氏も夕霧の朋友になっていくだろうと思っているのでそれなりの評価はしている。
  →見どころある文書きかな 柏木の筆跡を源氏の知るところとなった(伏線)

 ⑧源氏の兵部卿宮&髭黒に対する人物評価
  →男の勝手な言い草ではなかろうか。

 ⑨源氏と玉鬘の歌の贈答
  →源氏は親なのか親ではないのか。ある時は親、ある時はそうでない、心が動く。
  →本段総括脚注 「養父の恋」、、、珍しすぎる主題ではなかろうか。

5.紫の上、玉鬘に対する源氏の心を察する
 〈p293 源氏の君は、玉鬘の姫君を〉

 ①また例によって紫の上に女君(玉鬘)のことをアレコレ報告する。
  →言わずもがなのことかと思うが源氏のこの性格は変わらないのであろう。

 ②紫の上 「いでや。我にても、また忍びがたう、もの思はしきをりをりありし御心ざまの、思ひ出でらるる節ぶしなくやは」
  →紫の上にとって源氏は4年間養父であった。それが突然夫になった。
  →玉鬘のこともそうなるだろうと確信していたのではないか。

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胡蝶(2・3) 秋の町での法会・玉鬘物語の始まり

p54 – 60
2.中宮の季の御読経 紫の上春秋競べに勝つ
 〈p279 今日は、秋好む中宮の春の御読経の初日でした。〉

 ①夜を徹して行われた春の町での大遊宴の翌朝、即ち皆寝ていない朝!

 ②皆春の町から中宮の秋の町に移り法会に臨む昼の装束に着替える。

 ③女童 4人づつ 極楽の鳥(桜) & 胡蝶(山吹)
  船で春の町から秋の町へ移動する。
  →何とも凝ったことである。
  →舞楽と法会はいっしょに行うものだろうか。

 ④少女の巻で中宮が吹っかけた春秋論争の続き
  少女 中宮 心から春まつ苑はわがやどの紅葉を風のつてにだに見よ
    紫の上 風に散る紅葉はかろし春のいろを岩ねの松にかけてこそ見め

  本巻 紫の上 花ぞののこてふをさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ代表歌
     中宮 こてふにもさそはれなまし心ありて八重山吹をへだてざりせば

  少女の時に議論しましたがこれは争いというよりそれぞれの季節のいい所のアピール合戦ということだろう。
   →今は春なのでそりゃあ春の方が勝つでしょう。少女の時は秋が優勢でした。

 ⑤かの紅葉の御返りなりけりとほほ笑みて御覧ず
   →中宮の穏やかな性格が出てると思うのですがいかがでしょう。
   →母御息所とはちょっと違う気がします。

 ⑥春の町(紫の上)を讃えた大遊宴の翌日には秋の町で大法会を行って中宮を立てる。正に六条院のバランスを象徴する二日間の描写じゃないでしょうか。

3.玉鬘の姿と源氏の胸中 柏木、夕霧の態度
 〈p282 西の対の玉鬘の姫君は、〉

 ①玉鬘は正月の男踏歌の時春の町を訪れて紫の上&明石の姫君と面識になり、その後春の町にも出入りしている。

 ②玉鬘の人柄の描写
  気色いと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の心隔つべくもものしたまはぬ人のさまなれば、いづ方にもみな心寄せきこえたまへり

  →お高くすましてるわけでもなく親しみがあっていい女性に描かれている
  →葵の上・六条御息所・明石の方 はお高くとまってるタイプ
  →気性的には(紫の上+花散里)÷2くらいだろうか
  →男好きのする点は母夕顔譲りだが玉鬘の方が才気がある(理知的)
  →美人度は紫の上に次ぐ二番手ではなかろうか(私の個人的想像です)

 ③この辺りから玉鬘をめぐる恋愛ストーリーが展開されます。
  夕霧は弟だと思ってるので気軽に接している、一方柏木など頭中の息子たちは弟だとは思っていないので目の色変えて機会を窺っている。
  
  →六条院がいくら素晴らしく源氏の妻たちが彩りを競い合っていても玉鬘が居なければ恋愛沙汰の舞台となることはできない。それでは面白くない。それで玉鬘を六条院に登場させたという図式でしょうか(以前書いたと思いますが)。
 

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胡蝶(1) 春の町での遊宴(物語中NO.1)

「胡蝶」盛りなる御代の后に金の蝶しろがねの鳥花たてまつる(与謝野晶子)

p44 – 53
1.春の町の船楽 人々、玉鬘に心を寄せる
 〈寂聴訳巻四 p270 三月の二十日あまりの頃、〉

 ①初音(G36年正月)から2ヶ月後 3月下旬 晩春の頃

 ②中宮が里下りで秋の町に滞在している。さすがに中宮は呼べないので中宮の女房達を船に乗せて春の町に移動させ船楽の大遊宴を催す。

 ③竜頭鷁首の船 唐めいたる舟造らせたまひける
  →六条院内部で造船したのだろうか。パーツを造ってきて艤装したのであろうか。

 ④春の町 柳、桜、藤、山吹 & 水鳥 豪華絢爛
  →新暦では5月上旬 普通の桜は散っていたろうに、遅いのもあったということか。
  →とにかく春の町の風情が強調されている。

 ⑤女房たちの春の町を愛でる歌が列記されている。
  春の日のうららにさして行く舟は棹のしづくも花ぞちりける
  →武島羽衣はここからヒントを得て「花」を作詞したと言われている
   「花」 作曲 滝廉太郎
    春のうららの 隅田川  のぼりくだりの 船人が
    櫂(かひ)のしづくも 花と散る ながめを何に たとふべき

 ⑥船楽の雅な様子 
  昼から始めて夜になれば篝火を灯して夜を徹しての大遊宴
  →源氏物語に遊宴は数々あるがこれがNo.1と謂われている。六条院が最高ということ。
  →催馬楽(安名尊・青柳)、舞楽(皇じょう・喜春楽)等々

 ⑦夜が明けて鳥の声が聞こえる。
  中宮 春の町へ行けず残念がっている。

 ⑧六条院には源氏の女君は沢山おられるが若い年ごろの未婚の娘はいなかった。そこへ突如玉鬘が現れた。男どもが色めき立つのは当然である。
  →もし玉鬘がいなければ六条院もこれだけ盛り上がりはしなかったろう。これも作者の卓見だと思います。

 ⑨兵部卿の宮(源氏の弟) & 内大臣の中将(柏木) が来ている。

 ⑩兵部卿の宮の北の方 = 右大臣の三女 最近亡くなった
  右大臣の長女が弘徽殿大后、四女が頭中の北の方、六女が朧月夜

 以上昼に夜を継いでの大遊宴の様子です。それにしてもよく体力持つなあと思いませんか。 
  

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初音 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

「初音」のまとめです。

和歌
45.うす氷とけぬる池の鏡には世にたぐいなきかげぞならべる
   (源氏)  六条院の新春、源氏最盛期
 
46.年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ
   (明石の君) 4年も逢ってない隣屋敷の姫君に

名場面
45.年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけさには、
   (p12 新春の六条院のめでたき様子

[「初音」を終えてのブログ作成者の感想]

第23帖初音を終えました。G36年正月六条院の新春の目出度い様子が描かれている短い帖です。ストーリーとしてはほとんどなく源氏の女君への巡回が語られているのみです。

ポイントとしては先ず正月行事の列挙でしょうか。舞台が六条院(プラス二条東院)なので宮中での儀式は描かれていませんが初音に登場するものとしては、

 ①歯固め(元日-3日) 長寿を祝って食事をすること(屠蘇とともに)
 ②餅鏡(元日-3日) 長寿を願って鏡餅(丸い餅)を飾ること
 ③参座(元日-3日) 内裏や摂関家などに臣下が参上して年始の挨拶をすること
 ④臨時客(2日-4日) 摂関大臣家で親王公家を饗応する儀 引出物・禄・物のしらべ
 ⑤男踏歌(14日) 地を踏んで舞を舞って豊年・繁栄を祈願する儀

女君への巡回では元日ついに明石の君のところで夜を過ごしてしまい朝帰りして新年早々から紫の上が不機嫌になるところでしょうか。折角元日の朝は上機嫌でラブコールの歌を交したのに第一日目から帰って来ないとは、、、紫の上には辛かったことでしょう(紫の上も相手が明石の君であることは当然分かっていたでしょう。自分が養女として慈しみ育てている姫君の産みの親のところ、、、何とも複雑な心境だったことでしょう)。

(紫の上のことはさて措いて)明石の君と姫君の歌の贈答には泣かされます。母も姫君も普段はあきらめているものの年改まった目出度い元日にこそ逢いたいなあと思ったことでしょう。青玉さんには母娘の情を見事に詠んでいただきました。再録して敬意を表したいと思います。
    
   鶯の初音聞かまし母子草
          生み賜ひしを忘れやはする

では春2月を描く胡蝶に移ります。

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初音(5・6) 二条東院にて末摘花と空蝉

p26 – 39
5.源氏、二条東院に末摘花と空蝉を訪れる
 〈p258 こうした年賀の客の賑やかな厩や車の音も、〉
 六条院に続いて二条東院の女君の所へ(末摘花と空蝉)

 ①末摘花=仮名のよろづの草子の学問心に入れたまはん人
  →学問に没頭しているのは感心

  末摘花の描写は相変わらずで辛辣。作者のしつこさが感じられる。
  →柳、黒き掻練、寒げに心苦し、御鼻の色ばかり霞に紛るまじくはなやかなるに、

  阿闍梨の兄も相変わらずで描写される
  →この兄にしてこの妹あり。作者の論理的考えが窺える

  源氏独り言 ふるさとの春の梢にたづね来て世のつねならぬはなを見るかな
  →末摘花は春のイメージではない。冬の雪と赤い鼻。
  →「どう、うまいもんでしょう!」 作者の声が聞こえるようです。

 ②次に空蝉、空蝉の登場は関屋以来(そしてこれが最後です)
  空蝉=行ひの方の人 出家して仏道修行に専念

  源氏と空蝉の問答、これも相変わらず源氏はしつこく未練がましく空蝉も煮え切らない。
  源氏 常に、をりをり重ねて心まどはしたまひし世の報いなどを、仏にかしこまりきこゆるこそ苦しけれ。思し知るや。
  →昔私につれなくした報いを今仏に詫びているんだなんて何とも傲慢

  改めて源氏は何故空蝉をこうも大事にしたのか、紫式部が空蝉に託した女の生き様は何だったのか、考えてみたいところです。

 ③他にも複数同じように面倒をみていた女性があった。
  (これからは六条院の女性だけに焦点が絞られていきます)
   
6.源氏、男踏歌をもてなし、御方々を見物する
 〈p265 今年は男踏歌があります。〉

 ①男踏歌 983年が最後 紫式部は実際には見ていない(推測)

 ②ルート 内裏→朱雀院(弘徽殿大后)→六条院 3.3KM (結構長い)

 ③雪が降った明け方に六条院に到着 歓迎の催しが華やかに行われる

 ④春の町(源氏・紫の上・明石の姫君)のところへ玉鬘もやってくる
  →玉鬘、ここで紫の上&明石の姫君と対面

 ④源氏が夕霧の歌声を評価する。
  弁少将(柏木)も源氏のセリフに登場する。
   →玉鬘物語&第二部への布石

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初音(3・4) 元日は明石の君方で泊る

p16 – 26
3.源氏、玉鬘を訪れ、明石の御方に泊る
 〈p249 明石の姫君のほうへお越しになりますと〉

 ①紫の上との年賀を終え源氏は方々の巡回へ、先ずは明石の姫君の所へ
  実母明石の君からの歌が来ている
   年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ 代表歌

   →大堰で別れて4年経っている。同じ六条院だが春の町と冬の町に別れており会うことができない。
   →徳川美術館所蔵の国宝初音の調度(初音蒔絵貝桶)

  明石の姫君の実母への返歌
   ひきわかれ年は経れども鶯の巣だちし松の根をわすれめや
   →幼い詠み振りでいいじゃないでしょうか。

 ②次に夏の町花散里の所へ
   今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり
   →いつもながら二人は同衾の関係ではないと強調される

  源氏の心内
   我ならざらん人は見ざめしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意あれ
   →この私だから面倒見てあげているのだ、、、、何とも自分本位の考えで私は嫌いです。

 ③次に夏の町の西の対、玉鬘の所へ
   玉鬘は山吹のイメージ。六条院に来て間もないのに如何にも洗練されて抜群の器量であることが強調される。
   →花散里の描写との対比が強烈
   →六条院の新しき若きシンボルを強調している

  語り手の予測の言葉 えしも見過ぐしたまふまじくや
   →源氏の恋心はどのように発展するのだろう、、、読者の興味は盛り上がる。

  玉鬘 「のたまはせんままにこそは」
   →いかにも素直な玉鬘、好感度抜群です。

 ④そして冬の町明石の君の所へ
   あくまで気高い明石の君の様子が語られる

  明石の方独詠 めづらしや花のねぐらに木づたひて谷のふる巣をとへる鶯
   →源氏が来てくれたのは嬉しいが、姫君に会えないのは切ない

  新しき年の御騒がれもやとつつましけれど、こなたにとまりたまひぬ
   →えっ、それはないでしょうよ源氏の君!
   →源氏は最初からそのつもりだったのか、明石の君に会って心が変わったのか。

  まだ曙のほどに渡りたまひぬ
   →どうも中途半端、これでは明石の君にも不満が残る。
   →いくら多妻の世の中とはいえこれでは不自然だと思います。

4.臨時客の盛宴 管弦のうちに春日暮れる
 〈p257 今日正月二日は、臨時招宴の日で、〉

 ①明けて2日、年賀の客が大勢来て華やかな宴会
  →皆新築の六条院に源氏を訪ねる(そこには新しきヒロイン玉鬘もいる)ことを楽しみにしている。
  →源氏も自身の栄華をしみじみと噛みしめたことであろう。

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初音(1・2) G36年元旦の六条院

[お知らせ]
右欄の源氏百首、名場面集、青玉和歌集を「玉鬘」まで更新しました。
(万葉さん、ありがとうございました)

「初音」若やかにうぐいすぞ啼く初春の衣くばられし一人のやうに(与謝野晶子)

G35年秋に六条院が完成し女君たちはそれぞれの町に入り、右近が見つけ出してきた玉鬘も六条院に養女として迎え入れられました。年末の衣配りを終えG36年元旦、これが初音の巻です。

そして初音から胡蝶、蛍、常夏、篝火、野分、行幸までの七巻はG36年一年の六条院での出来事(玉鬘中心)が華やかに歳時記風に語られます。物語的には大した話ではないのですがここは六条院での源氏最盛期の栄華の様子を王朝絵巻的に楽しむことでいいのかと思います。

p12 – 16
1.新春の六条院に、平和の瑞気満ちわたる
 〈寂聴訳巻四 p246 新しい年を迎えた元旦の空は、〉

 ①G36元旦。
  年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけさには、数ならぬ垣根の内だに、雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。

  →この冒頭素晴らしい思います。中世の公家も江戸の将軍家も元旦には初音の巻を朗読するのが恒例となっていた由、納得です。是非式部さんの朗読を聞き自身でも声に出して読んでみましょう。
  →和歌も目出度い歌が引かれています。
   あらたまの年たちかへる朝より待たるるものは鶯の声(素性法師)
   霞たち木の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける(紀貫之)
  →脚注6 天・地・人の三才の描写とみる説ある由、賛成です。

2.生ける仏の御国、紫の上の御殿 源氏年賀
 〈p246 紫の上の春の御殿のお庭はとりわけすばらしく、〉

 ①先ず何と言っても六条院の中心、春の町の描写から。明石の姫君は明けて8才。源氏・紫の上・明石の姫君、親子3人の目出度い様子。
  →源氏はさぞ嬉しかったことだろう。正にわが世の春を実感してたのではなかろうか。

 ②源氏 うす氷とけぬる池の鏡には世にたぐひなきかげぞならべる 代表歌
  紫の上 くもりなき池の鏡によろづ世をすむべきかげぞしるく見えける

  →紫の上の歌もこの歌ばかりは翳りがないように思います。

 ③召人中将の君のすねた一言はあらずもがなと思いますがいかがでしょう。

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ブログを始めて1年経ちました

源氏読みに関係ない思いっきり身辺雑記です。

このブログを始めてちょうど1年経ちました。早いようで結構長いようで、、、。
もうすっかりフリーな生活に慣れました。人に会って「何をしてるの?」と聞かれ「何もしてないよ」と答えると「えっ、何もしてないの?」と批難がましく追及されるのにも慣れました(この場合の「何」は仕事とかボランテイアとかの意味合いです)。

そんな中でブログは私の生活のベースになっています。1ヶ月先行を目途に予定稿を書いているのですがビハインド気味になってくると焦ったり、雑になったり、前後関係が混乱したり。本当は毎日3時間くらいは机に座っていたいのですが自分のことや家族のことで色々と所用がありなかなか思ったようにはいきません。いつも応援いただいている皆さんには本当に感謝感謝です。来年の今頃には宇治川で浮舟に遭えるよう頑張るつもりです。どうぞ引き続きお付き合いいただきますようお願いいたします。

5月下旬6人目の孫が生まれました。「葵生」と名付けました(両親がです。爺ではありません)。里帰り出産でもうしばらく家にいます。生後1ヶ月余経ちましたが乳児の成長がかくも著しいものか驚くばかりです。源氏物語の好きな女の子になってくれればいいなあと思っています。

都内に住む小学2年と幼稚園年長の男子2人はサッカーに夢中です。我家に遊びに来る時はザリガニ釣りや蝶々捕りにつれていくのですが一通り興奮が冷めてしまうとすぐサッカーです。やはり香川が憧れでマンチェスターUの26番と全日本の10番のユニフォームを交互に着て走り回っています。昨日は小2の試合を見に行ってきました。親たちの声援がすごい。爺も思わず「ゴール前!シュート!」と叫んでしまいました。ブラジルvsスペインもいいけど小2の試合も手に汗握るものだと分かりました。

爺は益々ゴルフに熱が入ってきています。プロのレッスンを断続的に受けているのがいい刺激でいかに今まで間違ったことをしてきたのか思い知らされています。今さら技術の向上は望むべくもありませんが一皮剥けたゴルフが出来ればと思っています。最近近所のゴルフ同好会に入れてもらい月例会に出ています。私なんぞ超若手で皆さんの平均年齢は75才くらい。87才の方もいます。さすがに飛距離は往年ほどではないのでしょうが皆さんプレー振りはかくしゃくたるもので感嘆しています。私もかくありたいと思っています。

TVでのスポーツ観戦も楽しんでいます。通勤してた頃は見れなかった夜中や早朝の試合を見れるのが堪りません(録画も多用してますが)。ゴルフ、バスケット、サッカー、テニス、野球、、、切りがなく選ぶのも一苦労です。昨晩はなでしこのドイツ戦、明朝は藍ちゃんのUS女子オープンとコンフェデ杯ブラジルvsスペインです。

さて来月は中旬に津で甥っこの結婚式に出てきます。折角なので名古屋・松阪・伊勢・鳥羽と回って来ようと思っています。(松阪球場に母校の応援に行ったことはありますが)松阪の街は行ったことないので楽しみです。徳川美術館と斎宮歴史博物館にも寄ってきたいと思っています(名古屋ドームは試合予定がないようで残念ですが)。

ではお元気で。。。

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