玉鬘 代表歌・名場面 ブログ作成者の総括

玉鬘のまとめです。

和歌

43.初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身さへながれぬ
     (玉鬘)  長谷寺観音のご利益

44.恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ
     (源氏)  よくぞ育った玉鬘

名場面

43.「なほさしのぞけ。我をば見知りたりや」とて、顔をさし出でたり
     (p198 長谷寺 椿市での遭遇)

44.紅梅のいと紋浮きたる葡萄染めの御小袿、今様色のいとすぐれたるとは、、
     (p240 衣配り - 正月衣装の選択・贈呈)

[玉鬘を終えてのブログ作成者の感想]

第22帖玉鬘を終えました。桐壷から9ヶ月、テキストも16冊中6冊まで読み進んできました。予定通り順調に来れていると思っています。

本帖は何と言っても右近が椿市で玉鬘に遭遇するところがハイライトです。その前の九州での苦労話もよくできていると思います。田舎育ちながら周りの人々の献身的な世話に支えられ美しく成長した玉鬘。その「玉」が源氏の下でどのように磨かれてどこまで昇りつめるのか。養父源氏・実父頭中との関係はどうなっていくのか。次帖以下六条院を舞台に玉鬘十帖が繰り広げられます。

長谷寺のところでは沢山コメントいただきありがとうございました。石清水八幡宮-長谷寺のルートは是非訪れてみたいと思っています。

どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

[7月の予定]
初音 3回(7/1-3)& 総括(7/4)
胡蝶 4回(7/5-10) & 総括(7/11)
蛍 6回(7/12-22) & 総括(7/23)
常夏 5回(7/24-30) & 総括(7/31)

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玉鬘(17・18) 女君への衣配り

p237 – 246
17.源氏、正月の衣装をととのえて方々に贈る
 〈p235 年の暮には、玉鬘の姫君のお部屋の、〉

 有名な「衣配り」の場面です。
 ①G35年末 新年を迎えるにあたり玉鬘に然るべき衣装を誂えねばならない。そこで職人どもに号令をかけると色取り取りのものを持ってくる。そこで源氏と紫の上は相談して倉にある衣装も出して来て六条院・二条東院に住まわせている女君たちに正月の衣装を贈ることを思いつく。

  →玉鬘のことがきっかけ。六条院完成記念で誠に華々しい行事を思いついたものだ。

 ②紫の上 「いづれも、劣りまさるけぢめも見えぬ物どもなめるを、着たまはん人の御容貌に思ひよそへつつ奉れたまへかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」

  →p242総括脚注にある通り服装は着用する人にあったものでなくてはならないと言う考え。おしゃれであるべきとは時代を先取りした考えではなかろうか。

 ③源氏と紫の上でそれぞれの衣装を決めていく。
  →着物のことは知識も興味もなくコメント不可です。ただただすごいなあと思うのみです。

 ②衣配り女君の順番が
  1.紫の上 2.明石の姫君 3.花散里 4.玉鬘 5.末摘花 6.明石の君 7.空蝉
 となっている。。紫式部のこと故順番には必ず意味がある筈で何故明石の君が6番目なんだろうと疑問に思い考えました。

  →私の説はこれは源氏が紫の上の心を推し量って刺激にならないように配慮した結果ではないでしょうか。「そうだ、明石の君にもやっておこうかな」なんて言う感じで6番目に衣装を決めた。でも決めた衣装が気高いものだったので紫の上は「やっぱりね」とおもしろからぬ気持ちになった、、、というものですが如何でしょう。

[参考] 式部さんから紹介ありましたが風俗博物館のHPに各女君の衣裳が載せられています。

    風俗博物館 歳暮の衣配り「源氏物語 玉鬘」 で検索してください。
  
18.末摘花の返歌を見て、源氏和歌を論ずる
 〈p239 どなたからもお礼の御挨拶は一通りではなく、〉

 ①この最後の段は笑いをとるための段でしょうか。末摘花を登場させれば滑稽話になりますから。

 ②末摘花の返歌を見て源氏と紫の上が和歌論議を繰り広げる。
  →作歌法やら歌論書やら色々難しいのがあったのであろう。
  →源氏は(紫式部は)あくまで古式より自由な詠み振りを良しとする。

 ③源氏の女性観
  「すべて女は、たてて好めること設けてしみぬるは、さまよからぬことなり。何ごともいとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける」

  →分かったようなよく分からぬような議論であります。では男はどうなんでしょうね。
  →歌学書など姫君の学問に何の役にも立たないと喝破しているところは賛成ですが。

これで「玉鬘」を終わりG36年、歳時記風の玉鬘物語が展開されます。

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玉鬘(14・15・16) 玉鬘 六条院へ

p226 – 237
14.玉鬘六条院に移り、花散里 後見を受け持つ
 〈p227 こういう話は、九月のことでした。〉

 ①玉鬘六条院へ。それにはお付きの人・調度など揃える準備がいる。
  
 ②p228脚注1 九州へ下った一行が右近の消息を知らなかったのは分かるが右近が何故乳母・玉鬘がどこへ行ったのか分からなかったのか確かにおかしい。乳母は太宰大弐の妻だったわけで源氏に言って調べさせればすぐ分かっただろうに。
  
  →九州での16年間は考えると不審なこと多いが詰らぬ詮索は止めにしましょう。

 ③夏の御方、花散里に玉鬘を後見させる。これもグッドアイデア、花散里に打ってつけの役どころである。
  →突然実の娘が出てくれば不審に思うのが普通だが花散里はおっとりしてて(おっとりしてるふりをして)疑問を挟まない。源氏にとってありがたい女君である。

15.源氏、玉鬘を訪れ、そのめやすさを喜ぶ
 〈p229 その夜は早速、源氏の君は、〉

 ①源氏初めて玉鬘を見る。
  →右近が甲斐甲斐しく世話をする。

 ②源氏と玉鬘の会話 源氏は余裕しゃくしゃく、玉鬘は緊張の極み
  →当然であろう。

 ③源氏は歌の贈答で玉鬘の教養のほどは合格点としたが何せ田舎で16年も過ごした女性、容姿・物腰などは大丈夫かなと不安に思ってたことだろう。

  →会話は古歌を引きつつ教養に富んでいる。灯りを近づけ見た容姿もきれい。声も夕顔に似て若やか。源氏はしてやったりと嬉しかっただろう。

 ④いつものように紫の上に報告する。
  →源氏は玉鬘のことが余程嬉しかったのだろう。はしゃいだ調子で紫の上に語りかける。
  →紫の上にしては面白くもない(あなたって相変わらず無邪気なものね)

 ⑤源氏→紫の上 「まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし」
  →嬉しい気持ちは分かるが悪い冗談である。

 ⑥源氏 恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ 代表歌
  →これはそのままの歌。巻名もここから。玉鬘の呼称もこの歌から。 

16.夕霧、玉鬘に挨拶 豊後介、家司となる
 〈p234 夕霧の中将にも、源氏の君は、〉

 ①夕霧(14才 中将になっている)に玉鬘のことを告げ姉として親しくするよう言いつける。

 ②玉鬘が源氏の実子でないこと(内大臣の子であること)を知っている人は、
   玉鬘・乳母・豊後介・兵部の君 & 右近 & 源氏・紫の上
  その他の人(花散里や夕霧)は皆源氏の実子だと思っている。

  →よくぞこんな設定を思いつくものだと感心です。

 ③玉鬘が玉の腰に乗った。これまで玉鬘を必死に支えてきた人々が報われる。
  豊後介は玉鬘方の家司となって六条院に出入りする。
  →やった、よかったね、豊後介! よくぞこれまで玉鬘を支えてくれました。
  →乳母の事が書かれてないのがちょっと不満

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玉鬘(12・13) 源氏、玉鬘に消息

p219 -226
12.源氏、玉鬘に消息をおくる 玉鬘、歌を返す
 〈p221 この話をお聞きになって後は、〉

 ①右近は紫の上の女房なので常々は紫の上といっしょにいる。それでは拙いので別の所へ呼び出す。

 ②源氏の方針
  内大臣には知らせない・実子として六条院に迎える・男どもが集まって来よう

 ③源氏 かくて集へたる方々の中に、かのをりの心ざしばかり思ひとどむる人なかりしを
  →かつて夕顔ほど情熱を燃やした人はいない。
  →今朝のほど昼間の隔てもおぼつかなくなど思ひわづらはれたまへば、
   夜を待てないほど、、、強烈な表現があった(夕顔 p216)
 ④源氏、玉鬘に歌を贈り反応をテストする。
  →歌の内容、筆跡、紙・墨などで教養の程度が分かる

  源氏 知らずとも尋ねてしらむ三島江に生ふる三稜のすぢは絶えじを
  玉鬘 数ならぬみくりやなにのすぢなればうきにしもかく根をとどめけむ

  →見事な返歌。テスト合格。源氏もほっとしたことだろう。

 ⑤玉鬘は源氏など知らない。実父の内大臣のところへ行くならまだしも実父のライバルで母を愛人とした源氏の下へなど行きたくなかったであろうに。
  →右近始め周りの人々が懸命に説得する。

13.玉鬘の居所を定め、紫の上に昔の事を語る
 〈p225 この姫君のお住みになるお部屋を、〉

 ①玉鬘をどこに住ませるか。結局夏の町、花散里の所で面倒を見させることにする。
  →誠にGood Decision 六条院構想の時から思い描いていたのであろう。

 ②紫の上に打ち明ける いつもの言い方で説得する。
  「わりなしや、世にある人の上とてや、問はず語りは聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、人にはことに思ひきこゆれ」

 ③紫の上はピンときて明石の君を引き合いにどの程度の女性かを量ろうとする。
  →源氏も夕顔は明石の君と同列以上だと説明する。右近の評価を受けた感じ。

 ④紫の上が明石の君を意識していることが述べられる。
  →当然であろう。そしてまた新たな女君(娘扱いとは言え)登場。紫の上には堪らない。
  

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玉鬘(10・11) 右近、源氏に玉鬘のこと報告

p210 – 218
10.右近と玉鬘、歌を詠み交し、帰京する
 〈p213 そこは参詣に集まる人々の姿を眼下に見下ろせる場所で、〉

 ①右近 ふたもとの杉のたちどをたづねずはふる川のべに君をみましや
  →長谷観音に感謝した右近の歌。謡曲「玉鬘」で有名。
  →長谷寺にゆかりの杉があり、立札が立っている由
   hodakaさんのブログにコメントを載せてますので参照ください。
   「雨の長谷寺 一日一句奈良暮らしから 2012.4.6」で検索してみてください。
 
  玉鬘 初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身さへながれぬ 代表歌 
  →脚注25の通りよくできた歌で、玉鬘が教養高い女性であることを強調している。

 ②右近 容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎びこちごちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし、いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ
  →4才から20才まで筑紫・肥前で育ったにもかかわらず田舎びていない。奇跡ですねぇ。
  →明石の君の時もそうだがよほど教育に情熱とお金が使われてのだろう。

 ③母夕顔と娘玉鬘の比較
  夕顔 母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞたをやぎたまへりし
  玉鬘 これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり 

  →読者には夕顔のイメージがあるのでこれに重ね合せ玉鬘の素晴らしさを思い描いたことだろう。
  →父が今を時めく内大臣(頭中)であることが強調されている。

11.右近、源氏に玉鬘との邂逅を報告する
 〈p216 右近は六条の院に早速三条しました。〉

 ①右近が六条院に戻り紫の上に召され源氏のところに行く。
  →源氏と右近の冗談の言い合いが面白い。長年馴れ親しんだ主従関係からこそであろう。

 ②右近を御脚まゐりに召す
  →紫の上も居てさすがに実事につながることはなかろうが打ち解けた場面である。

 ③右近 はかなく消えたまひにし夕顔の露の御ゆかりをなむ見たまへつえたりし
  →脚をさすりながらも何とも雅な言い方ですね。

 ④源氏 容貌などは、かの昔の夕顔と劣らじや 
  →さすが源氏、「どんな女になったのか」。ストレートな質問ですね。

 ⑤紫の上の居るところでの源氏・右近の会話。紫の上は夕顔のことは知らされていたとは言え昔の愛人とその遺児の話など聞きたくもなかったであろう。
  →これも源氏の甘えであろうか。

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玉鬘(8・9) 右近・乳母 玉鬘の将来を相談

p202 – 210
8.右近、三条、御堂で玉鬘の将来を祈願
 〈p206 少し足馴れた右近は、〉

 ①長谷寺御堂で玉鬘の将来を祈願
  →ここで豊後介は初めて事情を知る。驚いたことだろう。

 ②右近が源氏との関係を告げる。これで一気に展望が開ける。

 ③下女三条の言葉
  「大悲者には、他事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方ならずは、当国の受領の北の方になしたてまつらむ。三条らも、随分にさかえて返申しは仕うまつらむ」
  →これこそ一行の本音であろう。玉鬘に玉の腰に乗ってもらって自分たちもそのお裾分けに与りたい。当然でしょう。

 ④「藤原の瑠璃君」 玉鬘のこと。

9.翌日、右近と乳母、玉鬘の将来を相談する
 〈p210 夜が明けたので、〉

 ①右近と乳母が語り合う。
  右近は自分の現況、源氏を取り巻く女君のことを語る。
  故藤壷の宮・明石の姫君(後に中宮になるのを見越しての言い方)・紫の上。玉鬘はこれらの女君に引けを取らないとして美しさを礼讃する。

   かうやつれたまへるさまの、劣りたまふまじく見えたまふ

  →きちんと身なりを整えれば御方々よりも美しいかも、、、の気持ちが入っている

 ②乳母の言葉
  「16年間の生活を捨てて子どもたちとも別れ姫君を京にお連れしてきたのですよ。右近さん、どうか即刻父内大臣にとりなして下さい」
   →誠に切実な訴えだと思います。

 ③右近は源氏と夕顔の関わりを語り源氏に話を持ち込むことを示唆する。 

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玉鬘(6・7) 右近、長谷寺で玉鬘を見つける

p189 – 201
さて右近が玉鬘を見つけるエキサイティングな場面です。
6.玉鬘ら窮迫し、石清水八幡宮に参詣する
 〈p197 京の九条に、昔の知人で生き残っていた人を

 ①一行は昔ゆかりの人の九条宅に宿る(京都駅の南西・東寺の東)。場末である。

 ②豊後介(16年振りの京で浦島太郎状態)
  豊後介→母おとど(玉鬘の乳母) なぐさめの言葉、これはすごい。律儀の典型。

 ③八幡神社(石清水八幡宮)に参詣する。
  →「やわたのはちまんさん」この神社にも行ってみたい。

7.玉鬘ら長谷寺に参詣し、右近に再会する
 〈p199 豊後の介は、「この次には、〉

 ①この段10ページほどあるが一気に読ませてくれる。正に劇的名場面です。

 ②長谷寺参詣、当時第一の観音霊場
  京-宇治-木津-奈良-椿市-長谷寺 約72KM
  
 ③玉鬘一行は信心深さを示すため徒歩で行く。4日かかって椿市へ。
  ここに右近も徒歩で来て椿市で同宿となる。
  →同宿になった経緯が面白く下世話に書かれている。
 
 ④右近が先ず豊後介を見て 「この男の顔見し心地す
  次いで下女三条を呼んで 「なほさしのぞけ。我をば見知りたりや
  →この辺り手に汗握る最高潮場面です。うまく書けていると思います。

 ⑤皆驚きと喜び(悲しみ)に包まれる訳だが老人(乳母)の言葉が重要。
  →右近は玉鬘探しに来ていて見つけられて最高に嬉しい。
  →玉鬘一行(乳母・豊後介)は夕顔の行方を探していた訳で(ある程度は予想はしていたかもしれないが)既に死亡していると聞き悲しみに打ちひしがれた。
  →我々読者は元より夕顔の死を知ってる訳だからよかった、よかったと思う。
  それぞれ受けとめ方が違うのだろうと思います。

 ⑥乳母・豊後介が玉鬘を擁して京へ戻ってきた意図は何だったのだろう。
  →母夕顔を探すと言っても手掛かりもないし、通常なら父内大臣(頭中)の所に伝手でも頼って飛び込むのが一番だったのではないか。
  →右近が源氏に引き取られていて源氏との関わりが出てくるなんぞ乳母・豊後介は想像もできなかったでしょうに。 

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玉鬘(4・5) 玉鬘、大夫監から逃れ都へ帰る

p175 – 188
4.肥後の土豪大夫監、玉鬘に求婚する
 〈p185 乳母の娘たちも息子たちも、〉

 ①前段より10年経過G34年、玉鬘20才になっている(いきなり)。
  この間、住居は筑紫(大宰府)から肥前に移っている。

 ②肥後の土豪、大夫監登場。
  三十ばかりなる男の丈高くものしくふとりて、きたなげなけれど、思ひなし疎ましく、荒らかなるふるまひなど見るもゆゆしくおぼゆ

  →P184 総括の脚注にもあるがこの武骨な男の描写は面白い。一途な田舎者で憎めない。
  →肥後から国を越えて言い寄ってくるところが面白い。

 ③大夫監の脅しとなだめすかし(アメとムチ)。二郎・三郎は懐柔されるが長男豊後介は父少弐の遺言を守って抵抗する。なかなか好ましい人物である。
  →普通に考えれば二郎・三郎の行動を非難できないのではないか。

 ④大夫監の情熱
  天下に目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国の中の仏神は、おのれになむなびきたまへる

  →すごい自信。男はこうでなくっちゃ。でも神も仏もオレに従うとは何とも傲慢な。

 ⑤監 君にもし心たがはば松浦なる鏡の神をかけて誓はむ
  乳母 年を経ていのる心のたがひなば鏡の神をつらしとや見む

  →歌のやりとり面白い。脚注6で「和歌」という言い方は田舎人の言葉だと宣長先生が言っている。
  →大夫監のような武骨者も恋を仕掛けるには歌を詠まねばならない、、、大変ですね。

 ⑥豊後介は玉鬘を連れて都に逃げ帰ることを決心する。
  →玉鬘はどう思っていたのだろう。後述の玉鬘からするとしっかりして意見もテキパキと言えたのではとも思うが、、、やはり無理かな。

5.玉鬘の一行、筑紫を脱出して都に帰る
 〈p193 姉娘のほうは、家族が多くなっているので、〉

 ①肥前からの脱出行。
  メンバーは玉鬘・乳母・長男豊後介・娘兵部の君&下男・下女
  豊後介は妻子を残し、兵部の君は夫と別れ都に帰る。二郎・三郎・姉娘は現地で家族を持ってたから現地に残る。
  →そりゃあ16年も経ってるのだから当然であろう。でもお互い悲しいことです。

 ②玉鬘 行くさきも見えぬ波路に舟出して風にまかする身こそ浮きたれ
  →玉鬘最初の歌。脚注2で細流抄(三条西実隆の注釈書)も誉めている

 ③逃げる玉鬘、追う大夫監ということになれば面白かったのにそこまでは戯画化していない。
  海賊の舟にやあらん、小さき舟の飛ぶやうにて来る

  →一行はさぞ怖かったことであろう。

 ④川尻=淀川河口、ここから淀川を上り京都に入る。伏見あたりまで舟だろうか。

 ⑤乳母一家(乳母はともかく豊後介・兵部の君が何故にここまで献身的に「一ところの御ためにより」 尽くしたのだろうか。今をときめく内大臣の実子を預かってるのだから、、、という打算があったとは考えたくないのですが。。。
  

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玉鬘(1・2・3) 玉鬘、筑紫で成長する

「玉鬘」火のくににおひいでたれば言ふことの皆恥づかしく頬の染まるかな(与謝野晶子)

さて、本巻より「真木柱」まで「玉鬘十帖」と呼ばれる物語が展開されます。「夕顔」の巻で妖物に憑りつかれて突然死した夕顔の遺児(玉鬘)を巡るお話です。これまでの「紫のゆかり」のメインストーリーと「空蝉・夕顔・末摘花」のサブストーリーが一つに組み込まれていきます。十帖と数は多いですがテーマは軽いのでドンドン読み進めて行きたいと思います。

十帖の最初が「玉鬘」でこれは通俗小説そのものです。私は大好きです。

p166 – 175
1.源氏と右近、亡き夕顔を追慕する
 〈寂聴訳巻四 p178 あれから長い年月がはるかに過ぎ去ってしまったけれど、〉

 ①夕顔が死亡したのはG17年8月。それから17年経って今はG34年。

 ②右近の改めての紹介。某院での夕顔突然死事件では惟光とともに大活躍した。
  源氏も大事にして今は紫の上に仕える女房となっている。右近は夕顔が生きておれば明石の君と同じ扱いを受けた(六条院に屋敷をもらう)だろうにと思っている。
  →身分的にも夕顔は明石の君と同程度だった。

2.玉鬘、乳母に伴われて筑紫へ下向する
 〈p179 あの西の京に残された幼い姫君さえ、〉

 ①夕顔の遺児(玉鬘)=夕顔と頭中の娘 夕顔死亡時3才
  遺された乳母一家が玉鬘の面倒をみる。
  乳母・夫(太宰少弐に)・長男豊後介・二郎・三郎・娘おもと・兵部の君
  
 ②夕顔死亡の翌年(G18年)一家は大宰府へ
  幼き心地に母君を忘れず、をりをりに、「母の御もとへ行くか」と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、 
  →4才の玉鬘、乳母一家といっしょとは言え哀れである

 ③何故乳母一家は玉鬘を実父内大臣(頭中)に渡さず筑紫にまで連れて行ったのか。
  →脚注参照。色々なことが考えられると思います。

3.玉鬘、美しく成人し、人々懸想する
 〈p183 乳母の夫の少弐は筑紫での任期が終り、〉

 ①G18年 筑紫へ (玉鬘 4才)
  G24年 太宰少弐の任果てる (玉鬘 10才) (4才~10才 6年間空白)
       少弐 にはかに亡せぬれば(突然死んでしまう)

 ②玉鬘の様子 
  この君ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。
  →玉鬘が如何に美しく育ったか。夕顔より上、それは父があの頭中だから。読者も納得。

 ③田舎人から隠すため不具者扱いをする
  乳母「容貌などはさてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たむ」

 ④この少弐、6年も受領階級にありながら清廉潔白で財をつくれなかった。
  →この辺が明石の入道と違うところ。こういう真面目な男もいた、結構なことです。
  →P172-173 少弐の遺言はよくぞここまで姫(玉鬘)を思いやれるのかと感心してしまいます。

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少女 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

少女のまとめです。

和歌
41.くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりとや言ひしをるべき
      (夕霧) 六位にして雲居雁を想う

42.をとめごも神さびぬらし天つ袖ふるき世の友よはひ経ぬれば 
      (源氏) 五節の少女を懐旧

名場面
41.「雲居の雁もわがごとや」と独りごちたまふけはひ若うらうたげなり
      (p108 夕霧・雲居雁 筒井筒の恋)

42.八月にぞ、六条院造りはてて渡りたまふ
      (p153 六条院完成 四季の町の風情)

[少女を終えてのブログ作成者の感想] 

第21帖少女が終わりました。結構長く段落も34に分かれていてゴチャゴチャした感じでした。冒頭の朝顔の君との結末、真ん中の五節の舞姫のことを除くと左大臣三条邸で大宮が育てていた二人の孫(娘葵の上の忘れ形見夕霧と息子頭中の妾腹の娘雲居雁)を巡るホームドラマじゃなかったでしょうか。

幼ない時は祖母大宮にまかせっきりだったのに二人が青春期思春期にさしかかると口出ししてくる親たち。夕霧を大学に入れて六位から始めさせた源氏のやりかたの是非、雲居雁と夕霧の仲を知ってそれを許さず雲居雁を自邸に引き取った内大臣(頭中)のやりかたの是非。何れも子育て論・教育論と言えるのではないでしょうか。色々コメントしていただき面白かったです。ありがとうございました。

私には夕霧も雲居雁もまともでしっかりしておりここまで二人を育てた大宮に拍手を送りたいし、二人が障害を乗り越えて恋を成就させればいいなあと思いました。

ストーリーとは別に大学のこと学者のこと、朱雀院での放島の試みなど当時の学問と教育のことが書かれており興味深かったです。

そして源氏物語のランドマーク六条院の完成と四季の町の描写(第33段)。この描写誠に簡潔にして完璧(必要にして十分)、声に出して読むにリズムも素晴らしくもう少し若かったら暗誦したかったところです。

そして次は第4帖夕顔で妖物に憑りつかれて亡くなった夕顔の遺児(玉鬘)が登場してくる新たなストーリーが始まります。引き続きよろしくお願いいたします。

【補遺】「おとめ」について調べてみました。
 「おとめ」は五節の舞姫を表す歌語、「少女」とも「乙女」とも書く。
  テキストの表記は「をとめ」。本来の原文はこの平仮名表記だったのだろう。
 《「おと」は、動詞「お(復)つ」と同語源で、若々しいの意。本来は「おとこ」に対する語。「乙」は後世の当て字 》(goo辞書)
  →「おとこ」も「おとめ」も若々しくなくっちゃいけませんね。  
 
  

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