少女 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

少女のまとめです。

和歌
41.くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりとや言ひしをるべき
      (夕霧) 六位にして雲居雁を想う

42.をとめごも神さびぬらし天つ袖ふるき世の友よはひ経ぬれば 
      (源氏) 五節の少女を懐旧

名場面
41.「雲居の雁もわがごとや」と独りごちたまふけはひ若うらうたげなり
      (p108 夕霧・雲居雁 筒井筒の恋)

42.八月にぞ、六条院造りはてて渡りたまふ
      (p153 六条院完成 四季の町の風情)

[少女を終えてのブログ作成者の感想] 

第21帖少女が終わりました。結構長く段落も34に分かれていてゴチャゴチャした感じでした。冒頭の朝顔の君との結末、真ん中の五節の舞姫のことを除くと左大臣三条邸で大宮が育てていた二人の孫(娘葵の上の忘れ形見夕霧と息子頭中の妾腹の娘雲居雁)を巡るホームドラマじゃなかったでしょうか。

幼ない時は祖母大宮にまかせっきりだったのに二人が青春期思春期にさしかかると口出ししてくる親たち。夕霧を大学に入れて六位から始めさせた源氏のやりかたの是非、雲居雁と夕霧の仲を知ってそれを許さず雲居雁を自邸に引き取った内大臣(頭中)のやりかたの是非。何れも子育て論・教育論と言えるのではないでしょうか。色々コメントしていただき面白かったです。ありがとうございました。

私には夕霧も雲居雁もまともでしっかりしておりここまで二人を育てた大宮に拍手を送りたいし、二人が障害を乗り越えて恋を成就させればいいなあと思いました。

ストーリーとは別に大学のこと学者のこと、朱雀院での放島の試みなど当時の学問と教育のことが書かれており興味深かったです。

そして源氏物語のランドマーク六条院の完成と四季の町の描写(第33段)。この描写誠に簡潔にして完璧(必要にして十分)、声に出して読むにリズムも素晴らしくもう少し若かったら暗誦したかったところです。

そして次は第4帖夕顔で妖物に憑りつかれて亡くなった夕顔の遺児(玉鬘)が登場してくる新たなストーリーが始まります。引き続きよろしくお願いいたします。

【補遺】「おとめ」について調べてみました。
 「おとめ」は五節の舞姫を表す歌語、「少女」とも「乙女」とも書く。
  テキストの表記は「をとめ」。本来の原文はこの平仮名表記だったのだろう。
 《「おと」は、動詞「お(復)つ」と同語源で、若々しいの意。本来は「おとこ」に対する語。「乙」は後世の当て字 》(goo辞書)
  →「おとこ」も「おとめ」も若々しくなくっちゃいけませんね。  
 
  

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6 Responses to 少女 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

  1. 青玉 のコメント:

    「少女」いろんな場面が散りばめられておりました。
    でも何と言っても私は雲居雁が一番印象的、そして「をとめご」にふさわしいと思いました。
    若い二人(夕霧と雲居雁)の恋を応援したくなります。

    補遺 参考になりました。
    テキストの表記 「をとめ」が一番しっくりきます。
    「をとめ」に「をとこ」とくれば若さが象徴なのですね。
    ああ!!若さが羨ましい・・・

    • 清々爺 のコメント:

      お忙しい中毎度コメントいただきありがたく思っています。どうぞ負担になりませんように。

      そうですね、「少女」(をとめ)=五節の舞姫と決めてかかるから巻名と名前に違和感が出てくるのでしょう。「少女」(をとめ)=年若い娘=雲居雁と思えばいいのです。スッキリしました。

  2. ハッチー のコメント:

    小生も巻名が五節に贈った歌からとの解説にしっくりこなかったので、青玉さん、清々爺の言われる通り、「少女」(をとめ)=年若い娘=雲居雁ですっきり納得です。

    歌では、爺が書いてくれている

    くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりとや言ひしをるべき

    が、若者の気持ちを言いしをるべきと歌い、子を思う親の気持ち(辛抱第一)とのコントラストが面白いと思いました。

    あとは、

    九重をかすみ隔つるすみかにも春とつげくる鶯の声

    という、弱気の院を慰める

    いにしへを吹き伝えたる笛竹にさへづる鳥の音さえ変わらぬ

    とは対照的に

    心から春まつ苑はわがやどの紅葉を風のつてにだに見よ

    の強気発言にやり返す

    風に散る紅葉はかろし春のいろ岩ねの松にかけてこそ見め

    が面白く思いました。

    ところで、明石・須磨に行って来たので、清々爺の明石・須磨訪問記の所に雑感を載せさせていただきます。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      和歌のポイントをさぐりながら読み進めておられるようで結構だと思います。

      1.「くれなゐの」は夕霧の無念さを雲居雁に訴えかける歌ですね。それと「何くそ、今にみておれ」って強い気持ちも入っていると思います。

      2.「九重を」(朱雀院)、「いにしへを」(兵部卿宮)は兄弟の唱和で確かに御所を離れて寂しく思っている院を弟が慰めている感じですね。

      3.「心から」(秋好中宮)と「風に散る」(紫の上)は例の春秋論争のところですね。強気発言にやり返す、成程そうですね。一般的に和歌の贈答ではかなり挑戦的なものが多く返歌も何らかのポイントをついてやり返すのが多いように思います。きちっと機智に富んだ歌でやり返すことこそ礼儀に適ったものだったのではないでしょうか。

      (明石・須磨でいただいたコメントへの回答は後でさせてもらいます)

  3. 進乃君 のコメント:

    この「少女」の帖はだらだら長くて、それでいて、あの“弘徽殿の大后”を
    どういう意図かちょこっと出したり、と思えば、幼いのか、いじけているのか
    よく分からない夕霧の口を借りて、作品中最も心優しい花散里を
    ぼろっかすにけなしたり(アレは 酷かった。→”向ひて見るかひなからむも
    いとほしげなり。”)、maybe 話の展開は六条院造営や夕霧/雲居雁の仲など
    結構要点を含んでいるので この帖は式部の手抜き、と見ました。
     しかし このunbalanceが源氏が長く読み継がれてきた基かも
    しれませんね。近いところでは『薄雲』の帖のように、密度の濃い展開が
    続けば こちらがばててしまいます。長編には手抜き/飛ばしが
    必要かも。次帖から新しいストーリー、と。
    この帖で疲れたから、新しさに 楽しみです。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.そうですね、夕霧の口を借りての花散里評はひどいですね。幼くていじけてると言うより夕霧が真面目な優等生故に余計辛辣だと思います。

       おっしゃる通り、「向かひてみるかひなからんもいとほしげなり」 はないでしょうね。でも作者はここで花散里の容貌の拙さ加減を思い切り読者に伝えたかったのだと思います。

      2.手抜きとは手厳しいですね。でも言われる通り次帖からの新しい展開に向けた布石の帖と位置付けることはできると思います。(夕霧と雲居雁の話の帖と思っておけばいいでしょう)

      次帖をお楽しみに。

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