「玉鬘」火のくににおひいでたれば言ふことの皆恥づかしく頬の染まるかな(与謝野晶子)
さて、本巻より「真木柱」まで「玉鬘十帖」と呼ばれる物語が展開されます。「夕顔」の巻で妖物に憑りつかれて突然死した夕顔の遺児(玉鬘)を巡るお話です。これまでの「紫のゆかり」のメインストーリーと「空蝉・夕顔・末摘花」のサブストーリーが一つに組み込まれていきます。十帖と数は多いですがテーマは軽いのでドンドン読み進めて行きたいと思います。
十帖の最初が「玉鬘」でこれは通俗小説そのものです。私は大好きです。
p166 – 175
1.源氏と右近、亡き夕顔を追慕する
〈寂聴訳巻四 p178 あれから長い年月がはるかに過ぎ去ってしまったけれど、〉
①夕顔が死亡したのはG17年8月。それから17年経って今はG34年。
②右近の改めての紹介。某院での夕顔突然死事件では惟光とともに大活躍した。
源氏も大事にして今は紫の上に仕える女房となっている。右近は夕顔が生きておれば明石の君と同じ扱いを受けた(六条院に屋敷をもらう)だろうにと思っている。
→身分的にも夕顔は明石の君と同程度だった。
2.玉鬘、乳母に伴われて筑紫へ下向する
〈p179 あの西の京に残された幼い姫君さえ、〉
①夕顔の遺児(玉鬘)=夕顔と頭中の娘 夕顔死亡時3才
遺された乳母一家が玉鬘の面倒をみる。
乳母・夫(太宰少弐に)・長男豊後介・二郎・三郎・娘おもと・兵部の君
②夕顔死亡の翌年(G18年)一家は大宰府へ
幼き心地に母君を忘れず、をりをりに、「母の御もとへ行くか」と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、
→4才の玉鬘、乳母一家といっしょとは言え哀れである
③何故乳母一家は玉鬘を実父内大臣(頭中)に渡さず筑紫にまで連れて行ったのか。
→脚注参照。色々なことが考えられると思います。
3.玉鬘、美しく成人し、人々懸想する
〈p183 乳母の夫の少弐は筑紫での任期が終り、〉
①G18年 筑紫へ (玉鬘 4才)
G24年 太宰少弐の任果てる (玉鬘 10才) (4才~10才 6年間空白)
少弐 にはかに亡せぬれば(突然死んでしまう)
②玉鬘の様子
この君ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。
→玉鬘が如何に美しく育ったか。夕顔より上、それは父があの頭中だから。読者も納得。
③田舎人から隠すため不具者扱いをする
乳母「容貌などはさてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たむ」
④この少弐、6年も受領階級にありながら清廉潔白で財をつくれなかった。
→この辺が明石の入道と違うところ。こういう真面目な男もいた、結構なことです。
→P172-173 少弐の遺言はよくぞここまで姫(玉鬘)を思いやれるのかと感心してしまいます。
玉鬘の乳母の家族、それぞれに人間性が異なってきて、興味深く読めますね。
心を一つにして、玉鬘に仕えることがはたしてできるのでしょうか?
少弐は先が読めなかったのでしょうか? 清廉潔白は好ましい人柄ですが、玉鬘や家族の将来をどうしようと考えていたのでしょうかね。
もちろん物語なので、より面白く、わくわくどきどきした方がいいですけれど・・・
この時代にも、受領階級と一言でくくれない、種々の人間がいたのでしょうね。
今も昔も変わらない人間模様です。
興味深いコメントありがとうございます。
おっしゃる通り、所詮物語なので何とでも書けるのでしょうが貴人(頭中)の落し胤(玉鬘)を抱えた乳母一家のそれぞれの想いは人間模様として興味が尽きません。年が過ぎ場所が変わり生活が変わると最初の純な想いも変わるだろうし、思惑も出て来ようし、、、この辺正に人生を映す小説だと思います。いつもながらよくぞこんな話を1000年前に書いてくれたものだと感心します。
「玉鬘」 まず巻名が気に入りました。どんな女性なのか興味津々。
廃院で突然死したかの夕顔の忘れ形見とあればなおさら興味深いですね。
玉鬘、乳母と共に筑紫へ。これが運命の分かれ道。
母を失くした幼な児にとって選択肢はないですよね。
まして4歳、判断のできる年齢ではないですし頼れるのは乳母のみ。
乳母、姫君の将来を考えるよりはひたすら姫君を可愛く手放せなかったのではないでしょうか。
母性本能のなせるわざだと思いたいです。
少弐、謹厳実直ですが融通の利かない人柄のようですね。
玉鬘の運命、何やら波乱に満ちた将来が示唆されているようです。
ありがとうございます。
1.玉鬘の意味は「多くの玉を緒に通し、頭にかけた装具。髪やかもじの美称」とのことですが、玉葛・玉蔓(つる草の美称)とも繋がっており、母夕顔(夕顔はつる性植物)にゆかりのつる性植物の中で一番高貴なもの(玉)ということで玉鬘ということにしたのではないでしょうか(私の想像です)。鬘の漢字は後世読者がつけたもので写本は「玉かづら」だったのでしょうか(これも憶測ですが)。
2.乳母の母性本能、私もそれが一番だと思います。乳母は少弐(従五位下相当というからまずまずの貴族)の妻ですが結構出自も高く少弐に対する発言力もあったように思います。そしてその少弐も妻想いであったのでしょう、妻の意向を全面的に支持して亡き夕顔の遺児に我が子以上の思いをかける、、、凄いなあと思います。