玉鬘のまとめです。
和歌
43.初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身さへながれぬ
(玉鬘) 長谷寺観音のご利益
44.恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ
(源氏) よくぞ育った玉鬘
名場面
43.「なほさしのぞけ。我をば見知りたりや」とて、顔をさし出でたり
(p198 長谷寺 椿市での遭遇)
44.紅梅のいと紋浮きたる葡萄染めの御小袿、今様色のいとすぐれたるとは、、
(p240 衣配り - 正月衣装の選択・贈呈)
[玉鬘を終えてのブログ作成者の感想]
第22帖玉鬘を終えました。桐壷から9ヶ月、テキストも16冊中6冊まで読み進んできました。予定通り順調に来れていると思っています。
本帖は何と言っても右近が椿市で玉鬘に遭遇するところがハイライトです。その前の九州での苦労話もよくできていると思います。田舎育ちながら周りの人々の献身的な世話に支えられ美しく成長した玉鬘。その「玉」が源氏の下でどのように磨かれてどこまで昇りつめるのか。養父源氏・実父頭中との関係はどうなっていくのか。次帖以下六条院を舞台に玉鬘十帖が繰り広げられます。
長谷寺のところでは沢山コメントいただきありがとうございました。石清水八幡宮-長谷寺のルートは是非訪れてみたいと思っています。
どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
[7月の予定]
初音 3回(7/1-3)& 総括(7/4)
胡蝶 4回(7/5-10) & 総括(7/11)
蛍 6回(7/12-22) & 総括(7/23)
常夏 5回(7/24-30) & 総括(7/31)
ドラマチックな展開、この場面だけでも「玉鬘」として映像になりそうですね。
玉鬘、良く出来た巻名です。
玉の輿、掌中の珠、、玉に込められた意味を知る内に我がネーム(青玉)の何と恐れ多いことか・・・それこそ身の程知らずでした。
新春から夏に向けて更に物語の行く末を楽しみにしています。
ありがとうございます。
そうか、青玉さんも「玉」ですね。それはいい、玉鬘を応援してあげてください。
来月は初音~常夏、正月から盛夏六月までの話になります。ワイワイと言いたいことを言い合って暑さを吹き飛ばしましょう。よろしくお願いします。
22暢まで読んだこと、清々爺の解説も回を重ねるに合わせ、面白く読ませていただいています。それに、皆さまのコメントも。
一人では行きつけない境地に近づけている感じです。感謝です。
歌では、
初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身さへながれぬ
が衆目一致、
あと、
行くさきも見えぬ波路に舟でして風にまかする身こそ浮きたれ
不安に満ちた旅立ちの歌として
それに青玉さんの歌
母かづらおもかげ残すめぐり逢ひ
初瀬の宿の奇しき縁しぞ
も良かったです。やはり、玉にふさわしいです。
1点教えてください。
P223源氏が玉鬘を歌で試す場面ですが
返歌を書いたのは本人でないと理解しました(書かせたてまつる)。
これに対し、手は はかなだちて、-----、あてはかにて口惜しからねば、御心おちゐにけり。と評価しています。
当時は、侍女たちが代わりに書いたのが多く、玉鬘チームで評価したと言うことですね。
では、次暢からも頑張ります。
ありがとうございます。
私の解説部分は物語の読み解きの助けになればということで列記しているもので(道しるべとして)、面白く読んでいただいていること嬉しい限りです。感想部分は多分に独断的に書いてますので適当に読み飛ばしてもらえばと思います。
1.玉鬘の初めての歌「行く先も見えぬ旅路に、、、」私も好きです。おっしゃる通り玉鬘の心細さが伝わってきます。
(先取りでスミマセン、無視しておいてください)
ちょうど1年後の宇治十帖浮舟の巻で浮舟が詠む歌と似通ってます。紫式部はこういうのが好きなんでしょうか。
橘の小島の色は変はらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ
2.青玉さんの歌、いいですよね。各巻が三十一文字に凝縮されている、素晴らしいと思います。
3.玉鬘の返歌「数ならぬみくりやなにの、、、、」は侍女(お付きの女房)に書かせた(書いてもらった)ものではありません。自ら書いたものです。代筆(宣旨書き)もありましたがこの場合は玉鬘本人が内容を考え自らの手で書いたものです。
「せめて書かせたてまつる」 主語は乳母。「せめて」は無理やりに、「たてまつる」は謙譲語で「申し上げる」。
→乳母が無理やりに玉鬘に返歌をお書かせ申しあげるということです。
因みに「唐の紙のいとかうばしきを取り出でて」も主語は乳母なので、紙を選んだのは玉鬘ではないということです。
「手は、はかなだちて、よろぼはしけれど、、、」これは玉鬘自身の筆跡のことで、これにより物語中の女君の中で「玉鬘は字は上手くない」という評価になるのです。
以上で間違いないと思います。もう一度読んでみてください。
では来月からの玉鬘物語も楽しく読んでいきましょう。
お二人様には身に余るお褒めの言葉をいただきありがとうございます。
楽しく詠ませていただいております。
ただ言葉の使い方(文法)には時々?です。
清々爺へ
「書かせたてまつる」のこと、解りました。やはりそうですよね、スッキリです。
「せめて書かせたてまつる」は、乳母がと、脚注にもあり、解ったのですが、「唐の紙のいとかうばしきを取り出でて書かせたてまつる」は、玉鬘が、と読んだのが間違いでした。
いつも主語がなかなか解らず読むのに苦労し、御手数をかけ済みません。
スッキリしてよかったです。やはりここは玉鬘が自らの手で書かないと源氏のテストを蔑ろにするわけで筋書きとしてもおかしなことになりますもんね。
主語は取り違えると解釈が逆になるから大事です。でもなかなか解らない。おかしいなと思ったら現代語訳を読んで物語の筋書きから判断していく方がいいかと思います。