p189 – 201
さて右近が玉鬘を見つけるエキサイティングな場面です。
6.玉鬘ら窮迫し、石清水八幡宮に参詣する
〈p197 京の九条に、昔の知人で生き残っていた人を〉
①一行は昔ゆかりの人の九条宅に宿る(京都駅の南西・東寺の東)。場末である。
②豊後介(16年振りの京で浦島太郎状態)
豊後介→母おとど(玉鬘の乳母) なぐさめの言葉、これはすごい。律儀の典型。
③八幡神社(石清水八幡宮)に参詣する。
→「やわたのはちまんさん」この神社にも行ってみたい。
7.玉鬘ら長谷寺に参詣し、右近に再会する
〈p199 豊後の介は、「この次には、〉
①この段10ページほどあるが一気に読ませてくれる。正に劇的名場面です。
②長谷寺参詣、当時第一の観音霊場
京-宇治-木津-奈良-椿市-長谷寺 約72KM
③玉鬘一行は信心深さを示すため徒歩で行く。4日かかって椿市へ。
ここに右近も徒歩で来て椿市で同宿となる。
→同宿になった経緯が面白く下世話に書かれている。
④右近が先ず豊後介を見て 「この男の顔見し心地す」
次いで下女三条を呼んで 「なほさしのぞけ。我をば見知りたりや」
→この辺り手に汗握る最高潮場面です。うまく書けていると思います。
⑤皆驚きと喜び(悲しみ)に包まれる訳だが老人(乳母)の言葉が重要。
→右近は玉鬘探しに来ていて見つけられて最高に嬉しい。
→玉鬘一行(乳母・豊後介)は夕顔の行方を探していた訳で(ある程度は予想はしていたかもしれないが)既に死亡していると聞き悲しみに打ちひしがれた。
→我々読者は元より夕顔の死を知ってる訳だからよかった、よかったと思う。
それぞれ受けとめ方が違うのだろうと思います。
⑥乳母・豊後介が玉鬘を擁して京へ戻ってきた意図は何だったのだろう。
→母夕顔を探すと言っても手掛かりもないし、通常なら父内大臣(頭中)の所に伝手でも頼って飛び込むのが一番だったのではないか。
→右近が源氏に引き取られていて源氏との関わりが出てくるなんぞ乳母・豊後介は想像もできなかったでしょうに。
京から長谷寺72キロを4日間で徒歩、すごいですね。
ウオークングシューズはないしもちろん草鞋姿。
この場面清々爺さんおっしゃる通りまことに劇的です。
読者もハラハラ、ドキドキ。読み応えあります。
あがおもとにこそおはしましけれ。あなうれしともうれし
右近と三条対面の場面は感動的です。
式部さんの朗読も感情たっぷりでした。
ありがとうございます。
そうですね。式部さんの朗読、段落7は10分30秒。たっぷりと感動に浸りました。
この場面講読会で完読した後の印象的場面ランキングで私は第5位にあげています。何回読んでも心が躍り嬉しくなります。
当時から霊験あらたかと有名だった長谷寺観音、舞台もいいと思います。山の辺の道~桜井~長谷寺まで一度歩いてみたいものです。
石清水八幡宮というのは、小学1年生に初めての遠足で行ったところで懐かしいです。あのときの卵焼きは忘れられないなあ。実は小学校1年から3年夏までは大阪にいたのです。
源氏と関係ないはなしでごめん。
コメントありがとうございます。源氏と関係ない話でかまいません。こじつけでも何でも話題を提供いただけばありがたいです。
石清水八幡宮、あの付近に住んでおられたのですか。小学校1年生の遠足・卵焼きですか、よく憶えてますねぇ。当時は極上のご馳走、お母さんが一生懸命作ってくれたのでしょう。
石清水八幡宮といえば、必ず徒然草52段を思い出しますねえ。
「仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ心うく覚えて~」
みなさんもおぼえていらっしゃるでしょう? 仁和寺の法師をからかっているようなあの段です。 「先達はあらまほしきことなり」 と結んでいますよね。
万葉さんを先達として、清々爺さん、青玉さん、みなさん、そのうち石清水八幡宮にでかけましょうよ。
ありがとうございます。
そうか、高校の古文の教科書や受験参考書にあるあの話ですか。思い出して徒然草引っ張り出して読んでみました。
石清水八幡宮のHP見てみました。なるほど143Mの男山山頂に本殿があるのですね。これ歩いて登ると大変でしょうね。まあケーブルがあるようだからいいですかね。でも「徒歩より」登らないと霊験が薄れるのかも。。。それと法師が神社に願かけに行くというのも面白いと思いました。行ってみたいですね。
全くの余談: 今晩「なでしこ」でも石清水を見れるかもね。
先達はおこがましいので「雀の学校」スタイルで登りましょ。