胡蝶(2・3) 秋の町での法会・玉鬘物語の始まり

p54 – 60
2.中宮の季の御読経 紫の上春秋競べに勝つ
 〈p279 今日は、秋好む中宮の春の御読経の初日でした。〉

 ①夜を徹して行われた春の町での大遊宴の翌朝、即ち皆寝ていない朝!

 ②皆春の町から中宮の秋の町に移り法会に臨む昼の装束に着替える。

 ③女童 4人づつ 極楽の鳥(桜) & 胡蝶(山吹)
  船で春の町から秋の町へ移動する。
  →何とも凝ったことである。
  →舞楽と法会はいっしょに行うものだろうか。

 ④少女の巻で中宮が吹っかけた春秋論争の続き
  少女 中宮 心から春まつ苑はわがやどの紅葉を風のつてにだに見よ
    紫の上 風に散る紅葉はかろし春のいろを岩ねの松にかけてこそ見め

  本巻 紫の上 花ぞののこてふをさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ代表歌
     中宮 こてふにもさそはれなまし心ありて八重山吹をへだてざりせば

  少女の時に議論しましたがこれは争いというよりそれぞれの季節のいい所のアピール合戦ということだろう。
   →今は春なのでそりゃあ春の方が勝つでしょう。少女の時は秋が優勢でした。

 ⑤かの紅葉の御返りなりけりとほほ笑みて御覧ず
   →中宮の穏やかな性格が出てると思うのですがいかがでしょう。
   →母御息所とはちょっと違う気がします。

 ⑥春の町(紫の上)を讃えた大遊宴の翌日には秋の町で大法会を行って中宮を立てる。正に六条院のバランスを象徴する二日間の描写じゃないでしょうか。

3.玉鬘の姿と源氏の胸中 柏木、夕霧の態度
 〈p282 西の対の玉鬘の姫君は、〉

 ①玉鬘は正月の男踏歌の時春の町を訪れて紫の上&明石の姫君と面識になり、その後春の町にも出入りしている。

 ②玉鬘の人柄の描写
  気色いと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の心隔つべくもものしたまはぬ人のさまなれば、いづ方にもみな心寄せきこえたまへり

  →お高くすましてるわけでもなく親しみがあっていい女性に描かれている
  →葵の上・六条御息所・明石の方 はお高くとまってるタイプ
  →気性的には(紫の上+花散里)÷2くらいだろうか
  →男好きのする点は母夕顔譲りだが玉鬘の方が才気がある(理知的)
  →美人度は紫の上に次ぐ二番手ではなかろうか(私の個人的想像です)

 ③この辺りから玉鬘をめぐる恋愛ストーリーが展開されます。
  夕霧は弟だと思ってるので気軽に接している、一方柏木など頭中の息子たちは弟だとは思っていないので目の色変えて機会を窺っている。
  
  →六条院がいくら素晴らしく源氏の妻たちが彩りを競い合っていても玉鬘が居なければ恋愛沙汰の舞台となることはできない。それでは面白くない。それで玉鬘を六条院に登場させたという図式でしょうか(以前書いたと思いますが)。
 

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4 Responses to 胡蝶(2・3) 秋の町での法会・玉鬘物語の始まり

  1. 青玉 のコメント:

    「春秋争い」と言うと何だか聞こえが悪いですがこれはお互い春秋の良さを競い合うと言うことなんですね。
    それにしても夜を徹しての遊宴から法衣への衣装替えをしての行事、豪華なものです。
    「明け暮れにつけてもかやうのはかなき御遊びしげく」とあり遊ぶ呆けているように感じました。
    本巻での紫の上、中宮の春秋争いの歌題、脚注に詠としてはつまらないとあり読者の苦情を見越しての語り手の評言とあります。
    紫式部自身、わざとつまらなく詠ったのでしょうか?
    素人には良い歌に思えるのですが・・・

    中宮と紫の上お互いに気遣いなされ良い関係にあるようですね。
    ひとえに中宮の穏やかなるご気性のためと思われます。
    ここが母、御息所と大いに異なる所ですね。父君似でしょうか?

    玉鬘の性格も容貌こそ母上似ですがもっと親しみと才気があるようで、それは源氏ならずとも男心をそそるものがあるでしょうね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      .「明け暮れにつけてもかやうのはかなき御遊びしげく」
       おっしゃる通り遊び呆けていますよね。平安王朝の貴族たちは仕事(政務)は殆どなく時間を持て余していた。その退屈を紛らわすため歌舞・管弦・詩歌作り・飲み食い等々の遊びが公的にも私的にも頻繁に行われていたということでしょうか。

       源氏物語の中で「この頃政務が色々と忙しく、、、、」なんて所がよく出てきますがそれだって所詮は行幸の準備とか年中行事の準備とか結局は遊びのためのものですからね。王朝の雅とは煎じ詰めればそんなものかも知れません。

      .「すぐれたる御労どもに、かやうのことはたへぬにやありけむ、思ふやうにこそ見えぬ御口つきどもなめれ」

       この辺が面白いところですね。源氏物語の作中詠歌は全て紫式部の創作で色々と詠み分けているわけですがこの物語中No.1の大遊宴で春秋を歌いあった紫の上と中宮の歌は最高級のものでなければならない。紫式部としては自分にできるベストとして詠んだのだと思います。でも自分は大歌人でもないし読者(取り分け歌人たち)から「何だこれは」との声が出てくるかもしれない。そこで作者の言い訳として歌題が難しいせいでこの程度のものでした、、、ってことにしたのじゃないでしょうか。決してわざとつまらなく詠ったのではないと思います。

      • 青玉 のコメント:

        そうですよね、この場面でわざとつまらなく詠むわけないですよね。
        もう一度原文、脚注、現代語訳を読んでみました。
        清々爺さんのコメントで納得できました。
        紫式部としては自信をもって詠んだけど優れた読者に対しての言い訳として思えばすべてなるほどと納得できました。
        紫式部もプライドの高い女性ですね。

        • 清々爺 のコメント:

          そうですねぇ。紫式部のプライドの高さ。実生活上は相当にプライドの高い自意識過剰な女性だったのではないでしょうか。でも源氏物語作者としては結構へりくだった書き方もしていると思います(本段のように)。勿論行間にはプライドと優越感が見え見えですけどね。

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