「胡蝶」盛りなる御代の后に金の蝶しろがねの鳥花たてまつる(与謝野晶子)
p44 – 53
1.春の町の船楽 人々、玉鬘に心を寄せる
〈寂聴訳巻四 p270 三月の二十日あまりの頃、〉
①初音(G36年正月)から2ヶ月後 3月下旬 晩春の頃
②中宮が里下りで秋の町に滞在している。さすがに中宮は呼べないので中宮の女房達を船に乗せて春の町に移動させ船楽の大遊宴を催す。
③竜頭鷁首の船 唐めいたる舟造らせたまひける
→六条院内部で造船したのだろうか。パーツを造ってきて艤装したのであろうか。
④春の町 柳、桜、藤、山吹 & 水鳥 豪華絢爛
→新暦では5月上旬 普通の桜は散っていたろうに、遅いのもあったということか。
→とにかく春の町の風情が強調されている。
⑤女房たちの春の町を愛でる歌が列記されている。
春の日のうららにさして行く舟は棹のしづくも花ぞちりける
→武島羽衣はここからヒントを得て「花」を作詞したと言われている
「花」 作曲 滝廉太郎
春のうららの 隅田川 のぼりくだりの 船人が
櫂(かひ)のしづくも 花と散る ながめを何に たとふべき
⑥船楽の雅な様子
昼から始めて夜になれば篝火を灯して夜を徹しての大遊宴
→源氏物語に遊宴は数々あるがこれがNo.1と謂われている。六条院が最高ということ。
→催馬楽(安名尊・青柳)、舞楽(皇じょう・喜春楽)等々
⑦夜が明けて鳥の声が聞こえる。
中宮 春の町へ行けず残念がっている。
⑧六条院には源氏の女君は沢山おられるが若い年ごろの未婚の娘はいなかった。そこへ突如玉鬘が現れた。男どもが色めき立つのは当然である。
→もし玉鬘がいなければ六条院もこれだけ盛り上がりはしなかったろう。これも作者の卓見だと思います。
⑨兵部卿の宮(源氏の弟) & 内大臣の中将(柏木) が来ている。
⑩兵部卿の宮の北の方 = 右大臣の三女 最近亡くなった
右大臣の長女が弘徽殿大后、四女が頭中の北の方、六女が朧月夜
以上昼に夜を継いでの大遊宴の様子です。それにしてもよく体力持つなあと思いませんか。
源氏物語において豪華絢爛の場面は数限りなくありますがこの春の描写は思わずうっとり、この世のものとは思えないほどですね。
先頃の衣配りがベスト5に入ると思いましたが次々これでもかと思うほどの場面にベスト5どころか10以上の豪華絢爛の場面になりそうです。
若い女房たちの歌にも華やかさに酔いしれている様がうかがえます。
「花」の歌詞、なるほど、武島羽衣も源氏を読んでいらしたのですね。
中宮は物隔ててねたう聞こしめしけれ
脚注に春秋の競いに勝ちを譲ったとありましたがここは妬ましいより清々爺さんおっしゃるように春の町に行けずに残念に思っているの方がすっきりしますね。
玉鬘の出現で六条院は男たちの訪れも多くなり一層華やかさを増したようです。
さて玉鬘を巡る物語、どのように進行するのでしょうね。
ありがとうございます。
おっしゃる通り豪華絢爛場面が次々に出て来てまぶしいばかりです。源氏物語が平安王朝の雅な世界を描き出しているとして人々に持て囃される所以であります。「花」の歌詞もそうですが源氏物語の諸場面から紡ぎだされているものは数知れないと思います。
確かに本帖の春の遊宴は豪華ではありますが逆に言えばただそれだけで物語的には面白くもなんともありません。女房の歌が4首列記されていますが誰が誰か分からないし、、、作者が「などやうのはかなごとどもを、心々に言ひかはしつつ、」と言い訳がましく言っているのが印象的でした。
でもそれはそれ、庭の様子、竜頭鷁首の船、夜を徹しての大遊宴、語調もリズミカルに見事に書かれていて読んでいると華やかな気分になることは間違いありません。