匂兵部卿 春の日の光の名残花ぞのに匂ひ薫ると思ほゆるかな(与謝野晶子)
さて第三部に入ります。その内匂宮三帖と呼ばれる匂兵部卿・紅梅・竹河(「竹河三帖」と呼ぶのかと思ってましたが「匂宮三帖」が普通のようなので改めます)は古来紫式部の作ではないのではと言われています。確かに素人が読んでも第二部までと感じが違うなあと思います。それにストーリー的にも面白くないしさっと通り過ぎようと思います。
→(大野)読んでいたらいやになる。研究してみるといろいろ怪しい。
(丸谷)読者はこの三巻を飛ばすほうがいいとおすすめしたい。
先ず匂兵部卿。源氏死後の人々の動静が語られ宇治十帖への橋渡し予備知識としての役割りの帖として読んでいきましょう。特に薫が自身の出生に疑問を感じる所は重要です。
年立は薫の年令で示します。先ずK14年でこれはG61年にあたります。即ち幻から8年間のブランクを経ていることになります。源氏は幻の翌年出家、その後嵯峨御堂で亡くなったということになっています。
p12-24
1.源氏の死後、匂宮と薫並んで世評高し
〈寂聴訳巻七 p332 光源氏がお亡くなりになった後には、〉
①光隠れたまひにし後、
→光源氏の死後、シンボリックな冒頭。
②当代の三の宮(匂宮)、宮の若君(薫)が当代きっての若君たち。でも源氏に比べると劣る。
匂宮 15才 紫の上の二条院を里邸にしている 元服して匂兵部卿と呼ばれる
2.今上の皇子たちと、夕霧の子女のこと
〈p333 御姉君の女一の宮は、〉
①女一の宮 紫の上の秘蔵っ子 六条院春の町に
二の宮 これも六条院春の町が里邸。次の東宮候補。夕霧の中の君と結婚している。
春宮 21才 夕霧の大姫が参内している。
夕霧の六の君(藤典侍腹)が際立っており世評に高いが匂宮は興味を示さない。
3.源氏の御方々のその後と夕霧の配慮
〈p334 二条の院や六条の院にたくさん住んでいらっしゃった〉
①花散里 六条院夏の町から二条東院へ移っている。
入道の宮(女三の宮)は六条院春の町から三条宮(朱雀院から譲られた)へ移住
②花散里の居た六条院夏の町に夕霧は女二の宮を住まわせ雲居雁の三条邸と15日づつ通っている。
→相変わらず律儀な夕霧。でも藤典侍はどうしたのだろう?
③明石の君は六条院の自分の町(冬の町)で健在。
結局六条院は明石一族の町になったといわれる所以
4.薫、冷泉院と中宮の寵を得て栄進する
〈p337 女三の尼宮の若君は、〉
①薫 源氏の遺言で冷泉院が面倒をみている。
冷泉院と実母女三の宮の三条宮を行き来している。
14才 右近中将になる (K14年です)
②冷泉院は源氏の養女である秋好中宮を寵愛している。その延長線にある(源氏の息子の)薫も可愛くて仕方がない。
③故致仕の大殿の女御ときこえし御腹に、女宮ただ一ところおはしける
→あっと驚く記述。その後冷泉院は弘徽殿女御に娘が一人生まれている!
5.薫、わが出生の秘密を感知して苦悩する
〈p338 中将の君の母君の尼宮は、〉
①薫の母、女三の宮は三条宮で勤行三昧。薫の来るのを頼りにしている。
薫は冷泉院にも宮中(今上帝・東宮など)にもひっぱりだこで母の所へはなかなか行けない。
②薫「いかなりけることにかは。何の契りにて、かう安からぬ思ひそひたる身にしもなり出でけん。善巧太子のわが身に問ひけん悟りをも得てしがな」
おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ 代表歌
→自分の出生に疑問を抱く薫。宇治十帖の薫物語はここから始まるといえよう。
③薫は六条院で明石の中宮、匂宮たちともいっしょに遊んで育った仲。
長兄にあたる夕霧も源氏晩年の子どもとして目をかけている。
→薫の位置づけをしっかり把握しておきましょう。