匂兵部卿(1・2・3・4・5) 源氏亡き後、匂宮と薫

匂兵部卿 春の日の光の名残花ぞのに匂ひ薫ると思ほゆるかな(与謝野晶子)

さて第三部に入ります。その内匂宮三帖と呼ばれる匂兵部卿・紅梅・竹河(「竹河三帖」と呼ぶのかと思ってましたが「匂宮三帖」が普通のようなので改めます)は古来紫式部の作ではないのではと言われています。確かに素人が読んでも第二部までと感じが違うなあと思います。それにストーリー的にも面白くないしさっと通り過ぎようと思います。
 →(大野)読んでいたらいやになる。研究してみるといろいろ怪しい。
  (丸谷)読者はこの三巻を飛ばすほうがいいとおすすめしたい。

先ず匂兵部卿。源氏死後の人々の動静が語られ宇治十帖への橋渡し予備知識としての役割りの帖として読んでいきましょう。特に薫が自身の出生に疑問を感じる所は重要です。

年立は薫の年令で示します。先ずK14年でこれはG61年にあたります。即ち幻から8年間のブランクを経ていることになります。源氏は幻の翌年出家、その後嵯峨御堂で亡くなったということになっています。

p12-24
1.源氏の死後、匂宮と薫並んで世評高し
 〈寂聴訳巻七 p332 光源氏がお亡くなりになった後には、〉

 ①光隠れたまひにし後、
  →光源氏の死後、シンボリックな冒頭。

 ②当代の三の宮(匂宮)、宮の若君(薫)が当代きっての若君たち。でも源氏に比べると劣る。
  匂宮 15才 紫の上の二条院を里邸にしている 元服して匂兵部卿と呼ばれる
  
2.今上の皇子たちと、夕霧の子女のこと
 〈p333 御姉君の女一の宮は、〉

 ①女一の宮 紫の上の秘蔵っ子 六条院春の町に
  二の宮  これも六条院春の町が里邸。次の東宮候補。夕霧の中の君と結婚している。
  春宮 21才 夕霧の大姫が参内している。
  夕霧の六の君(藤典侍腹)が際立っており世評に高いが匂宮は興味を示さない。

3.源氏の御方々のその後と夕霧の配慮
 〈p334 二条の院や六条の院にたくさん住んでいらっしゃった〉

 ①花散里 六条院夏の町から二条東院へ移っている。
  入道の宮(女三の宮)は六条院春の町から三条宮(朱雀院から譲られた)へ移住
  
 ②花散里の居た六条院夏の町に夕霧は女二の宮を住まわせ雲居雁の三条邸と15日づつ通っている。
  →相変わらず律儀な夕霧。でも藤典侍はどうしたのだろう?

 ③明石の君は六条院の自分の町(冬の町)で健在。
  結局六条院は明石一族の町になったといわれる所以

4.薫、冷泉院と中宮の寵を得て栄進する
 〈p337 女三の尼宮の若君は、〉

 ①薫 源氏の遺言で冷泉院が面倒をみている。
  冷泉院と実母女三の宮の三条宮を行き来している。
  14才 右近中将になる  (K14年です)

 ②冷泉院は源氏の養女である秋好中宮を寵愛している。その延長線にある(源氏の息子の)薫も可愛くて仕方がない。

 ③故致仕の大殿の女御ときこえし御腹に、女宮ただ一ところおはしける
  →あっと驚く記述。その後冷泉院は弘徽殿女御に娘が一人生まれている!

5.薫、わが出生の秘密を感知して苦悩する
 〈p338 中将の君の母君の尼宮は、〉

 ①薫の母、女三の宮は三条宮で勤行三昧。薫の来るのを頼りにしている。
 薫は冷泉院にも宮中(今上帝・東宮など)にもひっぱりだこで母の所へはなかなか行けない。

 ②薫「いかなりけることにかは。何の契りにて、かう安からぬ思ひそひたる身にしもなり出でけん。善巧太子のわが身に問ひけん悟りをも得てしがな」

  おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ 代表歌
  →自分の出生に疑問を抱く薫。宇治十帖の薫物語はここから始まるといえよう。

 ③薫は六条院で明石の中宮、匂宮たちともいっしょに遊んで育った仲。
  長兄にあたる夕霧も源氏晩年の子どもとして目をかけている。
  →薫の位置づけをしっかり把握しておきましょう。

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雲隠 本文なき帖

題名だけがあり本文のない「雲隠」、誰がそうしたのか、何故そうしたのか色々と取沙汰され謎とされているところです。

説としては、
 1.元々巻名だけで本文はなかった。紫式部が意図的にそうした。
 2.紫式部作の本文があったが散逸した。
 3.本文なく巻名だけの「雲隠」が後世になって置かれた。

学問的なことはよく分かりませんが面白さを求める素人読者の読み方としてはやはり1.の紫式部が意図的にそうした、、、でいいのじゃないでしょうか。

空白は色々なことを物語ります。「スーパーヒーロー源氏の死の場面は読者の皆さんの想像にお任せします。だって、源氏への想いは皆さんそれぞれにおありでしょうから、、、」ってことじゃないでしょうか。それにしても心憎い作法だと思います。

補足
 1.紫式部が源氏の死を書かなかった(書けなかった)ことに対する本居宣長の考察
   「玉の小櫛」より
   さて又この物語は、すべて「もののあはれ」を旨と書きたるに、旨とある源氏ノ君の隠れ給へる悲しさのあはれを書かざるは如何にといふに、長き別れの悲しき筋の「もののあはれ」は、幻巻に書き尽くしたり。そは、紫ノ上の隠れ給へるを、源氏ノ君の悲しみ給へるにて、「もののあはれ」のかぎりを尽くせり。同じ悲しきことも、その人の心の深さ浅さにしたがひて、あはれの深さも浅さもこよなきを、よろづすぐれて「もののあはれ」を知り給へる源氏ノ君の悲しみ給へるにてこそ、深きことはかぎりもなきを、もし源氏ノ君の隠れ給へる悲しさを書かむとせば、誰が上の悲しみにか書くべき。源氏ノ君ならぬ人の心の悲しみにては、深きあはれは尽くしがたかるべし。これ、はた、源氏ノ君の隠れ給へること書かざる故の一つなり。

  →人間の死は「もののあはれ」の最たるもので作者は紫の上の死の悲しみを源氏の目を通して幻の巻で書き尽くしている。源氏より「もののあはれ」を解する人などいる筈がなく従って源氏の死は誰にも(誰の目を通しても)書き得ない。。。。ということ。
  →さすが宣長先生、いいことおっしゃるじゃありませんか。

 2.室町時代に源氏物語を補うためとして「雲隠六帖」が作られている。
   このうちの第一帖「雲隠」があるべき本文として書かれたもの
   「巣守」「桜人」「法の師」「雲雀子」「八橋」は宇治十帖のその後を描いたもの
   →ここまでは手が回りません。こんなのあるんだなぁでいいでしょう。

 3.源氏物語五十四帖というと「雲隠」は入らない。現在では「雲隠」は入れずに五十四帖だというのが普通のようです。
   →現代語訳でも巻名だけは載せているのが多いのでは(リンボウ訳には入っていないが)
   →与謝野晶子の源氏物語礼讃にないのはチト不思議

 4.「雲隠」と言えば、
  ①大津皇子の辞世(万葉集)
   ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠れなむ
   →人間の死を表す「雲隠れ」はこの有名な歌で誰もが知っていたのだろう。
   →「一日一句」奈良暮らしより 姉と弟(13.5.31) 参照
 
  ②百人一首 No.57 紫式部
   めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな

   この歌は新古今集に入っており紫式部集の冒頭歌でもあり紫式部の代表歌かもしれないが定家がこの歌を百人一首に選んだのは当然源氏物語第五十五帖「雲隠」を意識したものだったと確信しています。
   →単なる思い込みですが。 

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幻 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

幻のまとめです。

和歌
82.大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬ魂の行く方たづねよ
    (源氏)    紫の上を痛惜

83.もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年もわが世も今日や尽きぬる
    (源氏)    52才、源氏退場(桐壷巻の第2首に呼応)

名場面
83.落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども、「破れば惜し」と思されけるにや
    (p318   源氏思い出の文殻を焼く)

84.もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年もわが世も今日や尽きぬる
    (p324   光源氏、、退場、、、)

[幻を終えてのブログ作成者の感想]

幻を終えました。良きも悪しきも読者を魅了した大ヒーロー光源氏の退場です。源氏物語を「光源氏の物語」と考えればこの幻でThe Endとなってもおかしくはありません。いやむしろその方が自然かもしれません。諸本も幻・雲隠まで、即ち光源氏の一生を扱ったものが多いのです。
(匂兵部卿三帖+宇治十帖は源氏物語の第三部或いは続編とされますが「別のお話」として仕切り直した方がいいかと思います。その方が宇治十帖に深く入れるのではないでしょか)

本帖に登場する人(源氏が対面した人、女房・導師を除く)をピックアップしてみました。
 ・蛍兵部卿宮
 ・明石の中宮&匂宮
 ・女三の宮&薫
 ・明石の君
 ・花散里
 ・夕霧
 ・夕霧の子どもたち
 ・頭中の息子たち
 ・(そして最後は)匂宮

となっています。朱雀院・冷泉院・秋好中宮は居場所が違うせいか出て来ません。フルキャストの回想シーンという意味ではどこかに出して欲しかったと思います。冷泉院が源氏を見舞うなんて場面があればよかったのじゃないでしょうか。

源氏の最晩年(紫の上亡き後)、源氏が一番心が安まったのは明石の君でも花散里でもましてや女三の宮でもなく女房(召人)の中将の君だったというところに源氏の孤独、悲哀を感じます。

(明日は本文のない帖「雲隠」について考えたいと思います)

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幻(17・18・19) 源氏、退場

[お知らせ]
 ①右欄の源氏百首・名場面集・青玉和歌集、「御法」まで更新しました。
  万葉さん、ありがとうございました。

 ②4月~9月、最後の半年の予定を上欄「進捗予定表」に書き込みました。宇治十帖の月割りです。予習の参考にしてください。

p318-324
17.一年を終え涙ながらに紫の上の文殻を焼く
 〈p321 今年一年をこうしてこらえ通して来たのだから、〉

 ①12月 いよいよ出家への最後の準備
  須磨流謫の折り紫の上から来た大事な手紙(絵手紙の交換などしていたのだろうか)、全て焼き捨てさせる。
  →須磨・明石時代はG26-28年、今から24-26年前である。

 ②源氏 死出の山越えにし人をしたふとて跡を見つつもなほまどふかな
  源氏 書きつめて見るもかひなし藻塩草おなじ雲居の煙とをなれ
  →紫の上の書も歌も全て源氏が精魂込めて教えたもの。立ちのぼる煙を見て源氏は再度最愛の人を失ったことを実感したのではなかろうか。

18.仏名の日、はじめて人前に姿を現す
 〈p324 十二月十九日から三日間の御仏名会も、〉

 ①12月 - 雪
  19日から三日間 仏名会 一年間人前に姿を見せなかった源氏が現れる。
  →スーパースター光源氏の最後のお披露目である。

19.歳暮、年もわが世も果てることを思う
 〈p326 もう今年も暮れたとお思いになるにつけても〉

 ①歳暮 - 儺やらい(追儺)
  若宮(匂宮)が登場
  →源氏の後継者たることを宣言しているのだろうか。

 ②源氏 もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年もわが世も今日や尽きぬる 代表歌
  →第二部最後の歌、源氏最後の歌、絶唱である(源氏の歌は795首中221首)

  脚注7  藤原敦忠の歌の上の句がそのまま取られている。
   もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に今年は今日にはてぬとかきく
  →最後の重要な歌、オリジナルの方がよさそうな気がするのだが。
  →当時敦忠のこの歌はさほど有名ではなかったのか。有名だからあえて引用したのか。

  →藤原敦忠 百人一首No.43
   逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり

これで第二部そして光源氏の物語が終了します。幻の巻は走馬灯のような回想場面、これはこれで感慨深いものがありました。本文のない「雲隠」を経て第三部に移ります。

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幻(10・11・12・13・14・15・16) 夏が来て秋も過ぎ冬になる

p308-318
10.五月雨のころ、故人をしのび夕霧と語る
 〈p310 五月雨の頃は、それまでにもまして気がめいって、〉

 ①5月 - 五月雨、花橘、ほととぎす

 ②夕霧が久しぶりに伺候、故人を偲びあう。
  ほのかに見し御面影だに忘れがたし、
  →夕霧にとってはあの野分の朝垣間見た紫の上が忘れられない。

 ③紫の上が生前作っておいた極楽曼荼羅
  →悟りの世界の図であろうか。

 ④源氏 なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす
  夕霧 ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと
  →冥土を往来するほととぎす、昔の人を思い出させる花橘、設定が絶妙である。

11.夏、蜩・蛍につけ尽きぬ悲しみを歌に詠む
 〈p314 暑さのたいそう絶えがたい六月の頃、〉

 ①6月 - 蓮、蜩、撫子、かごとがましき虫(きりぎりす)、蛍
  →花や虫、何につけても思い出づるは紫の上

12.七夕の深夜、独り逢瀬の後の別れの涙を歌う
 〈p316 七月七日の七夕の夜も、〉
 
 ①7月 - 七夕
  →牽牛と織姫の年に一度の逢瀬、すぐ別れがくる。七夕は哀しい

13.八月正日、斎して曼荼羅の供養をする
 〈p317 風の音さえただならず心に沁みいるようになって、〉

 ①8月 - 本来中秋の名月なのだがそれどころではない
  紫の上の一周忌法要、極楽曼荼羅を供養する。

  中将の君 君恋ふる涙は際もなきものを今日をば何の果てといふらん
  →紫の上にずっと付き添い分身のようであった中将の君。絶唱である。

14.九月九日、延命長寿を祈る被綿に涙する
 〈p318 九月になって、九日の重陽の節句に、〉

 ①9月 - 九月九日重陽の節句、真綿で覆われた菊

15.秋、雁によせて亡き魂の行方を思う
 〈p319 十月はたださえ時雨がちになる頃です。〉

 ①10月 - 時雨、雁  
  →心細く哀しい季節である。

 ②源氏 大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬ魂の行く方たづねよ 代表歌
  →冒頭で桐壷更衣の死を悼んで詠んだ桐壷帝の歌に呼応する。
   究極のシンメトリーである。

  桐壷帝 たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく
    (桐壷9. p38)

 ③桐壷の巻の長恨歌が甦る。幻術士・比翼連理
  楊貴妃を悼む玄宗皇帝 → 更衣を悼む桐壷帝 → 紫の上を悼む光源氏

16.五節にはなやぐ人に、なんの感興も覚えず
 〈p319 十一月は、五節などといって、〉

 ①11月 ― 新嘗祭、五節の舞
  五節と言えば源氏には筑紫の五節、そして夕霧には藤典侍(@少女)
  夕霧と息子たちが参上する。源氏は筑紫の五節のことを思いだす。

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幻(7・8・9) 明石の君と語る

p298-307
7.明石の君と語るも心慰まず、さびしく帰る
 〈p301 夕暮の霞がほの暗くぼんやりとたちこめて、〉

 ①女三の宮に興ざめしてそのまま冬の町明石の君の所へ回る。
  久しうさしものぞきたまはぬに、おぼえなきをりなればうち驚かるれど、さまようけはひ心にくくもてつけて、なほこそ人にはまさりたれと見たまふ
  →不意の来訪に驚くがスマートに応対する明石の君、いつもながらできた人である。

 ②またかうざまにあらでこそ、ゆゑよしをももてなしたまへりしかと思しくらべらるるに、面影に恋しう、悲しさのみまされば、、
  →明石の君はよかったが紫の上は特別だった、、、この評価もついに変わらない。

 ③出家もできずに自分が情けないと自嘲気味に語る源氏に明石の君はピシャっと言葉を返す。
  、、なほしばし思しのどめさせたまひて、宮たちなどもおとなびさせたまひ、まことに動きなかるべき御ありさまに、見たてまつりなさせたまはむまでは、乱れなくはべらんこそ、心やすくもうれしくもはべるべけれ」
  →若宮は源氏の孫であると同時に明石の君の孫。「あなた、私の孫を放って出家するなんて許さないわよ」って気持ちだったのではなかろうか。

 ④源氏 「故后の宮の崩れたまへりし春なむ、花の色を見ても、まことに『心あらば』とおぼえし。、、、」
  →藤壷とのことを述懐する。チト危険だが、藤壷に触れずに回想場面は終われない。

 ⑤明石の君と紫の上の関係
  、、うしろやすき方にはうち頼むべく、思ひかはしたまひながら、またさりとてひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりし心おきてを、人はさしも見知らざりきかし
  →二人の絶妙な関係も回想しておかねばならない。
  →増長せず分に徹して実を取る明石の君、嫉妬をおさえ源氏の第一の君を貫いた紫の上。
  
 ⑥紫の上と明石の君が歌を交したのは紫の上死の直前一回のみ (御法2.p242)
  紫の上 惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪尽きなんことの悲しさ
  明石の君 薪こる思ひは今日をはじめにてこの世にねがふ法ぞはるけき

 ⑦明石の君の所へはもはや泊らない。
  →もう性愛方面は枯れてしまったのであろうか。

8.花散里よりの夏衣を見、世をはかなむ
 〈p306 四月になると、花散里の君から、〉

 ①四月一日 衣更の日
  源氏の衣更は花散里の役目。登場はしないが装束が届き歌を交す。
  →花散里、最後の登場場面、短いながらチャンと書かれています。

9.祭の日、中将の君にほのかな愛情を覚える
 〈p307 賀茂の祭の日には、源氏の院はほんとうに所在なくて、〉

 ①4月 賀茂神社の葵祭
  葵祭は源氏物語には欠かせないイベント、四月の叙述には必ずと言っていいほど葵祭のことが述べられる。
  →葵の巻の車争いが最重要、そして柏木が女三の宮を襲ったのが葵祭の前日

 ②中将の君と昔を回想する。
  紫の上の女房、葵の巻で足をさすらせる場面がある(葵26.p92)
  (御方に渡りたまひて、中将の君といふに、御足などまゐりすさびて大殿籠りぬ)

 ③ここでは添い寝、共寝したのであろうか。 

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幻(4・5・6) 春、女三の宮を訪れる

p289-297
4.源氏、涙もろさを恥じて、人と対面せず
 〈p294 源氏の院は、よほど親しい人でないと、〉

 ①源氏は見苦しいところを見せたくないとして人には会わない。
  息子の夕霧にさえ御簾ごしにしか対面しない。

 ②御方々にまれにもうちほのめきたまふにつけては
  →女君(女三の宮・明石の君・花散里)のところへもめったに行かない。

5.遺愛の桜をいたわる匂宮を見て悲しむ
 〈p295 明石の中宮は、宮中にお帰りになられて、〉

 ①二月 この舞台は二条院か 紅梅に鶯
  明石の中宮は宮中に帰参、匂宮が二条院に残っている(源氏を慰めるため)
  源氏 植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らず顔にて来ゐる鶯

 ②春深くなりゆくままに、御前の「ありさまいにしへに変らぬを、
  三月 山吹、一重桜、八重桜、樺桜、藤、、、春を愛した紫の上遺愛の花々

  静心なく 百人一首No.33 紀友則
  ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ
 
 ③源氏と匂宮との会話が涙を誘う。
  匂宮 「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、帷子を上げずは、風もえ吹き寄らじ」
  →御法5p250で紫の上が匂宮に語りかけた遺愛の桜。紫の上死後翌年も花をつける。

  源氏 「君に馴れ聞こえんことも残りすくなしや。命といふもの、いましばしかかづらふべくとも、対面はえあらじかし」
  →もう二条院を訪れるのはこれが最後ということだろうか。 

6.女三の宮を訪れ、かえって紫の上を思う
 〈p299 まことに所在なさのあまり、〉

 ①六条院春の町 女三の宮(入道の宮)を訪れる。
  若君(匂宮)も同道。匂宮、この時二条院から六条院に来ているということか。
  女三の宮の所には薫がいる。いっしょに走り回ってあそぶ。匂宮6才、薫5才。

 ②女三の宮の様子
  宮は、仏の御前にて経をぞ読みたまひける。何ばかり深う思しとれる御道心にもあらざりしかど、この世に恨めしく御心乱るることもおはせず、のどやかなるままに紛れなく行ひたまひて、、
  →さほど道心があるでもなくただのんびりとお経を読んで暮らしている。
  →これぞ皇女女三の宮のあどけない姿

 ③女三の宮 「谷には春も」
  →花に託して故人(紫の上)を偲ぶ源氏に「私は出家の身、春も花も関係ありませんわ」ということだろうか。
  →女三の宮は淡々と述べたのだろうが今や傷つきやすい源氏、被害妄想でもある。

 ④万事に気遣いの人であった紫の上と能天気な女三の宮
  まづ、かやうのはかなきことにつけては、そのことのさらでもありなむかしと思ふに違ふふしなくてもやみにしかなと、、
  →何度も繰り返し語られてきた比較。ついに変わることはなかった。

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幻(1・2・3) 紫の上のいない正月

幻 大空の日の光さへつくる世のやうやく近きここちこそすれ(与謝野晶子)

源氏物語第二部の最終帖、光源氏が登場する最後の帖となります。
前帖「御法」で紫の上が逝去したのがG51年8月。その翌年G52年の一年間の源氏の様子が歳時記風に書かれています。この帖は丸ごと紫の上追悼の帖と言えるでしょう。それと今まで出て来た人物が回想場面的に登場します。夕霧や明石の中宮は第三部宇治十帖でも出て来ますが源氏世代の人たちはこれが最後となります。

1.年改まり、源氏、蛍兵部卿宮と唱和する
 〈寂聴訳巻七 p286 新春の光を御覧になるにつけても、〉 

 ①脚注に舞台は六条院か二条院か説が分れるとあるが、素直に六条院でいいと思います。

 ②G52年正月 紅梅
  源氏は人前には出てこない。蛍兵部卿宮が訪れた時だけ御簾の内で対面する。
  →風流事の催しには必ず登場した仲のよかった弟、最後の登場場面です。

2.春寒のころ 紫の上を嘆かせた過往を想う
 〈p288 女房たちの中でも古参の者は、〉

 ①絶えて御方々にもわたりたまはず、
  源氏は女君(女三の宮・明石の君・花散里)の所にも行かない。  
  →呆然としていて女君と会話するのも億劫なのであろう。まして共寝をや。

 ②夜の御宿直などにも、これかれとあまたを、御座のあたりひき避けつつ、さぶらはせたまふ
  →色恋抜きで昔を語り合う相手として長年仕えてくれた女房たちが一番心地よい。

 ③つれづれなるままに、いにしへの物語などしたまふをりをりもあり。
  →紫の上を心配(嫉妬)させたのは先ず朧月夜、次が明石の君、そして朝顔の君、最後が女三の宮。ストレスが昂じるのも無理はない。

 ④雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、
  →女三の宮方から帰った時戸を開けてもらえなかった。苦い思い出。(若菜上p92)
   
3.寒夜、中将の君を相手に、わが生涯を思う
 〈p291 いつものように、悲しみを紛らわすために、〉

 ①数ある女房たちの中でも一番親しんできたのが(召人としても)中納言の君と中将の君
  →中納言の君は葵の上の女房、後源氏の侍女。
  →中将の君は源氏の侍女から紫の上の女房になりずっと紫の上を支えてきた。紫の上亡き後紫の上を偲ぶよすがだったのだろう。

 ②中将の君とてさぶらふは、まだ小さくより見たまひ馴れにしを、
  →召人の位置づけがよく分からないがやはり主従の関係がメインだったのだろう。
  →夫婦は勿論、愛人・情人・妾でも男女の関係としては対等だと思うが召人というと違う感じがする(よく分かりませんが、、、)

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御法 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

御法のまとめです。

和歌

80.絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
     (紫の上)  紫の上、花散里に名残を惜しむ

81.おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露
     (紫の上)  紫の上、最後の絶唱

名場面

81.この対の前なる紅梅と桜とは、花のをりをりに心とどめてもて遊びたまへ
     (p250  紫の上、匂宮に遺言)

82.まことに消えゆく露の心地して、、、明けはつるほどに消えはてたまひぬ
     (p256  紫の上死去)

[御法を終えてのブログ作成者の感想]

御法を終えました。源氏物語最大のヒロイン紫の上がついに亡くなる、誠に悲しい帖でした。

昨日青玉さんにコメント頂いた通り紫の上は「永遠の少女」(常処女)だと思います。10才で源氏に連れ去られ、以来源氏の意のままに教育され、何事も素直に受け入れ決して反抗することなく自分を抑え他人(源氏・明石の君・明石の中宮・女三の宮)によかれと生きてきた人生。そしてついには心労が昂じて死んでしまう。
 →こんな人生でよかったのか。紫の上はどう生きるべきであったのか議論は色々あると思います。

記憶に新しい所ですが夕霧21.p179-180で紫の上自身が女性論を述べています。自分の人生を振り返り一切自己を主張することのなかった自分の生き方に疑問を呈しています。これを聞いて私は紫の上に強烈な人間性を感じました。
 →紫の上の生き方に対して明石の君の生き方・女三の宮の生き方も考えてみたい所です。

紫の上は物語中で23の歌を詠んでいます。その殆どが哀しいもので心からの喜びを詠ったものは皆無だと思います。いくつか挙げておきますと、

 かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ(初出@若紫)
 惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしがな(須磨への別れ@須磨)
 こほりとぢ石間の水はゆきなやみ空すむ月のかげぞながるる(朝顔出現冷えゆく心@朝顔)
 目に近くうつれば変はる世の中を行く末遠く頼みけるかな(女三の宮降嫁@若菜上)
 おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露(死に臨んでの絶唱@御法)

もう一つ本帖では「出家」についてのコメントで盛り上がりました。ありがとうございます。実際のところ今ひとつよく分からないのですが、「源氏物語は出家の文学である」とも言われているし、引き続き宇治十帖でも主要テーマとなっています。更に考えていきたいと思います。

2月の予定は下記通りです。寒さはまだ続きますが頑張って読み進めましょう。
[2月の予定]
  幻 5回(2/3-7) & 総括(2/10)
  雲隠 1回(2/11)
  匂兵部卿 2回(2/12-13) & 総括(2/14)
  紅梅   2回(2/17-18) & 総括(2/19)
  竹河   6回(2/20-27) & 総括(2/28) 
 

カテゴリー: 御法 | 8件のコメント

御法(12・13・14・15・16) 紫の上死後 弔問&追慕

p267 – 274
12.帝以下の弔問 源氏一途に出家を志す
 〈p277 あちらこちらの方々からの御弔問は、〉

 ①弔問の使いひっきりなし。

 ②源氏は妻に死なれて女々しく出家したと世間に言われることを恐れて出家できない。
  →Why not? 世間体の問題でもなかろうに。

13.致仕の大臣、葵の上をしのび源氏を弔問する
 〈p278 前大臣は、御弔問にも時機をお外しにならない、〉

 ①致仕の大臣(頭中)の弔問(息子蔵人少将が使い)
  頭中 いにしへの秋さへ今の心地してぬれにし袖に露ぞおきそふ
  源氏 露けさはむかし今とも思ほえずおほかた秋の夜こそつらけれ

  →頭中との回顧談になると必ず葵の上逝去の悲しみが述べられる。
  →葵の上逝去は丁度30年前の8月20余日
  →葵の上の四十九日が終わるか終らぬかに紫の上と新枕を交している(葵27.p92)
  →ライバルであり親友であり義兄弟であった頭中。これが最後の出番となります。
  
14.世の人ことごとく紫の上を追慕する
 〈p280 昔、葵の上の御逝去の時、「限りあれば薄衣」と〉

 ①紫の上絶賛の一文
  あやしきまですずろなる人にもうけられ、はかなくし出でたまふことも、何ごとにつけても世にほめられ、心にくく、をりふしにつけつつらうらうじく、ありがたかりし人の御心ばへなりかし。
  →この一文を読むとやはり紫の上が一番だなあと思ってしまいます。いかがでしょう。

15.秋好中宮の弔問に、源氏の心はじめて動く
 〈p281 冷泉院のお后の秋好む中宮からも、〉

 ①秋好中宮は紫の上の1才下。共に子どもができなかったのが共通点
  思い出は六条院春・秋の町での春秋論争

 ②秋好中宮 枯れはつる野辺をうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけん
  源氏 のぼりにし雲居ながらもかへり見よわれあきはてぬ常ならぬ世に
  →「のぼりにし」はかぐや姫の昇天

 ③言ふかひありをかしからむ方の慰めには、この宮ばかりこそおはしけれと、いささかのもの紛るるやうに思しつづくるにも涙のこぼるるを、
  →もう風情を交し合う人はこの人しかいない。色恋抜きの正直な感想であろう。
  →秋好中宮は登場するが冷泉院はついに登場しない。ちょっと不思議です。

16.源氏出家を思いつつ仏道修行に専念する
 〈p282 しっかりしたお心もなくなり、〉

 ①ことのほかにほれぼれしく思し知らるること多かる紛らはしに、女方にぞおはします。
  →脚注9「源じの心、すきたる方にはあらず」だろうが、仏道修行→出家を志す男としてはちょっと情けない。
  →よほどがっくりきてて思考力も判断力もなかったということか。

 ②後の世をと、ひたみちに思し立つことたゆみなし。されど人聞きを憚りたまふなん、あぢきなかりける。
  →出家に踏み切れない源氏への作者の揶揄。
  →ここですぱっと出家して次帖「幻」に移ってもいいのではと思うのですが。。

そして光源氏の物語の最終帖「幻」に移ります。

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