幻(1・2・3) 紫の上のいない正月

幻 大空の日の光さへつくる世のやうやく近きここちこそすれ(与謝野晶子)

源氏物語第二部の最終帖、光源氏が登場する最後の帖となります。
前帖「御法」で紫の上が逝去したのがG51年8月。その翌年G52年の一年間の源氏の様子が歳時記風に書かれています。この帖は丸ごと紫の上追悼の帖と言えるでしょう。それと今まで出て来た人物が回想場面的に登場します。夕霧や明石の中宮は第三部宇治十帖でも出て来ますが源氏世代の人たちはこれが最後となります。

1.年改まり、源氏、蛍兵部卿宮と唱和する
 〈寂聴訳巻七 p286 新春の光を御覧になるにつけても、〉 

 ①脚注に舞台は六条院か二条院か説が分れるとあるが、素直に六条院でいいと思います。

 ②G52年正月 紅梅
  源氏は人前には出てこない。蛍兵部卿宮が訪れた時だけ御簾の内で対面する。
  →風流事の催しには必ず登場した仲のよかった弟、最後の登場場面です。

2.春寒のころ 紫の上を嘆かせた過往を想う
 〈p288 女房たちの中でも古参の者は、〉

 ①絶えて御方々にもわたりたまはず、
  源氏は女君(女三の宮・明石の君・花散里)の所にも行かない。  
  →呆然としていて女君と会話するのも億劫なのであろう。まして共寝をや。

 ②夜の御宿直などにも、これかれとあまたを、御座のあたりひき避けつつ、さぶらはせたまふ
  →色恋抜きで昔を語り合う相手として長年仕えてくれた女房たちが一番心地よい。

 ③つれづれなるままに、いにしへの物語などしたまふをりをりもあり。
  →紫の上を心配(嫉妬)させたのは先ず朧月夜、次が明石の君、そして朝顔の君、最後が女三の宮。ストレスが昂じるのも無理はない。

 ④雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、
  →女三の宮方から帰った時戸を開けてもらえなかった。苦い思い出。(若菜上p92)
   
3.寒夜、中将の君を相手に、わが生涯を思う
 〈p291 いつものように、悲しみを紛らわすために、〉

 ①数ある女房たちの中でも一番親しんできたのが(召人としても)中納言の君と中将の君
  →中納言の君は葵の上の女房、後源氏の侍女。
  →中将の君は源氏の侍女から紫の上の女房になりずっと紫の上を支えてきた。紫の上亡き後紫の上を偲ぶよすがだったのだろう。

 ②中将の君とてさぶらふは、まだ小さくより見たまひ馴れにしを、
  →召人の位置づけがよく分からないがやはり主従の関係がメインだったのだろう。
  →夫婦は勿論、愛人・情人・妾でも男女の関係としては対等だと思うが召人というと違う感じがする(よく分かりませんが、、、)

カテゴリー: パーマリンク

7 Responses to 幻(1・2・3) 紫の上のいない正月

  1. 青玉 のコメント:

    紫の上の逝去が八月、年が明けても源氏の憂愁は増すばかり・・・

    親しい人とも心から楽しめない、そして思い出すのは紫の上のことばかり。
    人は失って初めてその存在が如何にかけがえのないものだったかを思い知らされる。
    今の源氏はそんな心境でしょうか。
    紫の上を嘆かせたことを後悔する、今更遅いですよ・・・
    何故生前中にもっと思いやれなかったのでしょう。
    そうなんです、人間の哀しい性ですね。
    失ってその大切さに気付く。よくあることです。

    ひところの上昇源氏は見る影もなく引きこもりの状態ですね。
    喪失感にさいなまれる源氏の姿に読者は言葉も見つかりません・・・

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.源氏にとって紫の上はどんな存在だったのでしょう。仲のいい夫婦とはお互い空気のような存在、気を遣ったり遠慮したりしない。それでストレスも発生しない、、、そんなものではないでしょうか。源氏はそう思い紫の上には何事も包み隠さずしゃべりまくった。「紫の上なら自分のことを理解してくれる筈だ」との甘えでしょうがいささか度を越していたと思います。

       他の女君とのことなど紫の上は聞きたくもないでしょうに、源氏は馬鹿正直に(独りよがりに)全てを告白してしまう。
        明石の君とのいきさつ
        朝顔の姫君のところへ行く口実に末摘花を持ち出したり(バレバレ)
        朧月夜とは若き日の過ちはともかく晩年の再逢瀬まであからさまに

       さすがに藤壷とのことには触れてないが六条御息所の素晴らしさ、女三の宮への憐みの情なども繰り返ししゃべってしまう。読者としてはやり過ぎだろうと紫の上が気の毒になりました。

      2.紫の上にとって源氏とは先ず父であり教育者(先生)であり後見者だったのだと思います。それが夫になる。この夫は世をときめく栄達の男だが女君を多数抱えてまめまめしく振る舞う。その尻拭いしわ寄せが自分の所に全て来る。その心の苦しみを夫源氏はなかなか解ってくれない。実家に逃げ帰りたいところだが自分には実家もない。相談する人は誰もいない。源氏との関係を絶つべく出家したく思うが源氏が許してくれない。。。
        
       →紫の上にとって源氏はオールマイテイだっただけに源氏への信頼感を持てなくなってからは孤独で絶望の人生だったのではないでしょうか。

  2. 式部 のコメント:

      召人が貴族の間でどういう扱いだったかは「和泉式部日記」を読むのがわかりやすいと思います。
     一般的にいって身分差からあまり大事にはされないし、側近く仕えさせ寵愛されても、一人の女性としての扱いではなかったようです。
     帥の宮が高貴な身分柄、和泉式部の邸に度々行くのが不可能なため、帥の宮の邸に住まわせるようになった時、和泉式部は「なにのたのもしきことならねど~」(正式な結婚でも、正式の職でもないので、頼りにすることも楽しいこともない~)と、召人として宮仕えすることにこだわりを感じています。
     帥の宮も「人つかはんからに~」(私が和泉式部を召し使うことを~」といってまわりの了解をとろうとしています。
     それでも帥の宮の北の方は実家に帰ってしまうのですがね・・
     身分は召人でも寵愛の深さ、心の結びつきの深さに北の方が耐えられなかったのでしょうね。世間の目も気になるでしょうしね。
     源氏物語ではこの実話のようなことはなく、きちんと身分序列があって、召人は召人としてしかとりあげられません。
     紫式部が和泉式部の奔放さ(もてすぎ)を快く思っていなかった一つの表れでしょうか?

    • 清々爺 のコメント:

      召人についての興味深いコメントありがとうございます。

      1.そうですね、和泉式部が格好のサンプルになりますね。受領階級の娘として生まれ、受領の夫と結婚した和泉式部がその後夫を離れ親王の宮廷に迎え入れられていく。でもその身分はあくまで召人(主人と肉体関係のある女房)、妻にはなれない。。。ということですね。でも和泉式部は和歌でならした才媛で有名スター、世間は大いに囃し立てたことでしょう。

      2.源氏物語では明石の君が受領階級の娘、本来であれば源氏(皇族を離れたとはいえ天皇の息子)の妻になどなり得ない身分、普通であれば源氏の元に上がり召人になるのが関の山です。それを明石の入道がうまく計らい源氏を娘の所へ通わせることに成功し、しかも娘が生まれる。ここで紫の上を語らい娘を養女に迎え明石の君も身分差はあるものの御方様として遇することで世間を承知させていく。
       →この扱い誠にうまいと思います。

      (宇治十帖の浮舟は召人の娘ということになるのでしょうか。詳しく読んでいきたいと思います)

  3. 青玉 のコメント:

    いまいち女性の序列が曖昧なので再度確認させてください。
    天皇の后のトップが中宮。そして女御、更衣。
    女君に仕える女房の中に召人がいるのかそれとも別の一段格下の位置にあるのでしょうか?

    多くの女房の中にも当然序列があるのでしょうね。
    又、内侍典はどの立場にあたるのでしょうか?

    和泉式部が召人だったとは知りませんでしたが、では紫式部はどの立場にいたのでしょうか?中宮彰子の女房集団のトップだったのかしら?

    身分の高い人が才女だとは限りませんし(女三宮)
    身分は低くても教養の高い人(明石の君)がいてそこが人間の面白い所ですね。
    天分もあるでしょうがどんな環境でどのように教育を受け、育ったということでしょうか?
    出自で差別される時代では努力とか才能だけでは成す術もなかったのでしょうかね。

    召人の話題が出たので気がかりになり初心者としてとても素朴な疑問が湧き出てきました。
    今更何を?とお笑いにならないでくださいね

    • 清々爺 のコメント:

      質問ありがとうございます。

      私なりに整理しますと、
      1.天皇の妃(后)は女御(皇族・大臣家の娘)と更衣(大納言家以下の娘)に分けられ女御の内一番のお気に入り(父方からの圧力も含め)が中宮になる。

       天皇以外(親王&上流貴族)の奥さん(正式に結婚した)は正妻が通称北の方、それ以外は「御方様」(〇〇の方)。

       召人とは皇族・貴族男性の正式に結婚してないが事実上・暗黙裡に性的関係にある女性のこと。女房として仕えながら夜のお伽もした。子どもは認知されない(和泉式部が生んだ敦道親王の子は幼くして法師になった由)。

      2.女房の序列、これは別に第一位第二位と決まってたわけではなく年功・仕事の出来具合・ご主人さまのお気に入り度などから事実上序列があったということではないでしょうか。源氏物語の女君・男君に仕えた女房たちいつか時間みて整理してみたいと思っています。

      3.内侍司は後宮で天皇に近侍して公務を果たす女性の組織でそのトップが「尚侍」(ないしのかみ)。公務といいながら時々は天皇の寵愛を受けるというお役柄。源氏物語では朧月夜(朱雀帝代)と玉鬘(冷泉帝代、ただし寵愛を受ける前に髭黒が自宅に連れ戻した)。
        「尚侍」の下の次官が「典侍」(ないしのすけ)。源氏物語では老熟女源典侍と夕霧の愛人藤典侍が有名。
        →これらは公務といっても自宅勤務も可能だったらしい。

      4.和泉式部は冷泉天皇の皇子為尊親王・敦道親王と恋愛関係にあったが受領の娘和泉式部は妻にはなれない、即ち召人という位置づけであったわけです。
        紫式部も彰子に仕えていた時道長と恋愛沙汰があったようで「道長妾」との記述もあるようです。関係としては召人でしょうがそんなに続いた訳ではなさそうです。

      以上私の整理も込めて長々と書いてしまいました。
      (明石の君については別稿で)

      • 青玉 のコメント:

        例を引きながら詳しく説明していただきありがとうございました。
        私の中ではこれらの女性たちがおぼろげにしか理解できていなくてごちゃごちゃになっていたようです。
        おかげでさまで大体の整理がつきました。

コメントを残す