p308-318
10.五月雨のころ、故人をしのび夕霧と語る
〈p310 五月雨の頃は、それまでにもまして気がめいって、〉
①5月 - 五月雨、花橘、ほととぎす
②夕霧が久しぶりに伺候、故人を偲びあう。
ほのかに見し御面影だに忘れがたし、
→夕霧にとってはあの野分の朝垣間見た紫の上が忘れられない。
③紫の上が生前作っておいた極楽曼荼羅
→悟りの世界の図であろうか。
④源氏 なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす
夕霧 ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと
→冥土を往来するほととぎす、昔の人を思い出させる花橘、設定が絶妙である。
11.夏、蜩・蛍につけ尽きぬ悲しみを歌に詠む
〈p314 暑さのたいそう絶えがたい六月の頃、〉
①6月 - 蓮、蜩、撫子、かごとがましき虫(きりぎりす)、蛍
→花や虫、何につけても思い出づるは紫の上
12.七夕の深夜、独り逢瀬の後の別れの涙を歌う
〈p316 七月七日の七夕の夜も、〉
①7月 - 七夕
→牽牛と織姫の年に一度の逢瀬、すぐ別れがくる。七夕は哀しい
13.八月正日、斎して曼荼羅の供養をする
〈p317 風の音さえただならず心に沁みいるようになって、〉
①8月 - 本来中秋の名月なのだがそれどころではない
紫の上の一周忌法要、極楽曼荼羅を供養する。
中将の君 君恋ふる涙は際もなきものを今日をば何の果てといふらん
→紫の上にずっと付き添い分身のようであった中将の君。絶唱である。
14.九月九日、延命長寿を祈る被綿に涙する
〈p318 九月になって、九日の重陽の節句に、〉
①9月 - 九月九日重陽の節句、真綿で覆われた菊
15.秋、雁によせて亡き魂の行方を思う
〈p319 十月はたださえ時雨がちになる頃です。〉
①10月 - 時雨、雁
→心細く哀しい季節である。
②源氏 大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬ魂の行く方たづねよ 代表歌
→冒頭で桐壷更衣の死を悼んで詠んだ桐壷帝の歌に呼応する。
究極のシンメトリーである。
桐壷帝 たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく
(桐壷9. p38)
③桐壷の巻の長恨歌が甦る。幻術士・比翼連理
楊貴妃を悼む玄宗皇帝 → 更衣を悼む桐壷帝 → 紫の上を悼む光源氏
16.五節にはなやぐ人に、なんの感興も覚えず
〈p319 十一月は、五節などといって、〉
①11月 ― 新嘗祭、五節の舞
五節と言えば源氏には筑紫の五節、そして夕霧には藤典侍(@少女)
夕霧と息子たちが参上する。源氏は筑紫の五節のことを思いだす。
寝ても覚めても明け暮れに源氏の憂愁は深まるばかり、と共に季節の折々の風情が見事に描写されています。
何につけても故人の面影に繋がりそれでも時は春から夏へと無常に流れやがて一周忌そして秋から冬へと・・・
この場面はやはり初めの桐壺の巻を読者にも思い出させますね。
更衣の死も夏の頃でしたね。
更衣を失った桐壺帝の異常なほどの嘆き悲しみが源氏と重なり今更のように甦えってきます。
あれから一年余り、思えば我々も遠くまで源氏の旅を続けてきたものだと感慨深いです。
ありがとうございます。
この歳時記風叙述、私は大好きです。日本の四季、いいですねぇ。季節は必ず廻り来て去っていく。それぞれの季節には思い出すべき自然や行事が決まっている。
正月 うららかな初春
二月 紅梅にうぐいす
三月 桜(一重・八重・樺桜)、藤、山吹
四月 更衣、葵祭り
五月 五月雨、花橘、ほととぎす
六月 蓮、撫子、蜩、蛍、きりぎりす
七月 七夕
八月 (中秋の名月)
九月 重陽の節句、菊
十月 時雨、雁
十一月 新嘗祭、五節舞
十二月 雪、仏名会、追儺
源氏が紫の上を偲ぶそして読者が源氏を偲ぶ鎮魂歌の一帖だと思います。