御法(12・13・14・15・16) 紫の上死後 弔問&追慕

p267 – 274
12.帝以下の弔問 源氏一途に出家を志す
 〈p277 あちらこちらの方々からの御弔問は、〉

 ①弔問の使いひっきりなし。

 ②源氏は妻に死なれて女々しく出家したと世間に言われることを恐れて出家できない。
  →Why not? 世間体の問題でもなかろうに。

13.致仕の大臣、葵の上をしのび源氏を弔問する
 〈p278 前大臣は、御弔問にも時機をお外しにならない、〉

 ①致仕の大臣(頭中)の弔問(息子蔵人少将が使い)
  頭中 いにしへの秋さへ今の心地してぬれにし袖に露ぞおきそふ
  源氏 露けさはむかし今とも思ほえずおほかた秋の夜こそつらけれ

  →頭中との回顧談になると必ず葵の上逝去の悲しみが述べられる。
  →葵の上逝去は丁度30年前の8月20余日
  →葵の上の四十九日が終わるか終らぬかに紫の上と新枕を交している(葵27.p92)
  →ライバルであり親友であり義兄弟であった頭中。これが最後の出番となります。
  
14.世の人ことごとく紫の上を追慕する
 〈p280 昔、葵の上の御逝去の時、「限りあれば薄衣」と〉

 ①紫の上絶賛の一文
  あやしきまですずろなる人にもうけられ、はかなくし出でたまふことも、何ごとにつけても世にほめられ、心にくく、をりふしにつけつつらうらうじく、ありがたかりし人の御心ばへなりかし。
  →この一文を読むとやはり紫の上が一番だなあと思ってしまいます。いかがでしょう。

15.秋好中宮の弔問に、源氏の心はじめて動く
 〈p281 冷泉院のお后の秋好む中宮からも、〉

 ①秋好中宮は紫の上の1才下。共に子どもができなかったのが共通点
  思い出は六条院春・秋の町での春秋論争

 ②秋好中宮 枯れはつる野辺をうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけん
  源氏 のぼりにし雲居ながらもかへり見よわれあきはてぬ常ならぬ世に
  →「のぼりにし」はかぐや姫の昇天

 ③言ふかひありをかしからむ方の慰めには、この宮ばかりこそおはしけれと、いささかのもの紛るるやうに思しつづくるにも涙のこぼるるを、
  →もう風情を交し合う人はこの人しかいない。色恋抜きの正直な感想であろう。
  →秋好中宮は登場するが冷泉院はついに登場しない。ちょっと不思議です。

16.源氏出家を思いつつ仏道修行に専念する
 〈p282 しっかりしたお心もなくなり、〉

 ①ことのほかにほれぼれしく思し知らるること多かる紛らはしに、女方にぞおはします。
  →脚注9「源じの心、すきたる方にはあらず」だろうが、仏道修行→出家を志す男としてはちょっと情けない。
  →よほどがっくりきてて思考力も判断力もなかったということか。

 ②後の世をと、ひたみちに思し立つことたゆみなし。されど人聞きを憚りたまふなん、あぢきなかりける。
  →出家に踏み切れない源氏への作者の揶揄。
  →ここですぱっと出家して次帖「幻」に移ってもいいのではと思うのですが。。

そして光源氏の物語の最終帖「幻」に移ります。

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4 Responses to 御法(12・13・14・15・16) 紫の上死後 弔問&追慕

  1. 青玉 のコメント:

    物語とは言えまた人の世の常と言え、登場人物が次々に亡くなり親しんだ人物が舞台から去っていくのは読者としても言いようのない寂しさが募ります。
    そこへ源氏物語屈指のヒロインともいうべき紫の上の逝去は源氏でなくてさえ追慕の念にたえません。
    さしもの栄華を誇った源氏の悲嘆や出家への迷いも人間的弱さだと思います。
    そして紫の上への絶賛。希有な女性だと思います。
    清々爺さんが一番だと思われる気持ち解ります。
    永遠の女性 紫の上を偲びつつ

          常処女あはれ無常の華と散る
               儚き露の消ゆるがごとく

    (和歌 裏話)
    とこおとめあはれむじょうのはなとちるはかなきつゆのきゆるがごとく

    「若紫」 北山で出あった10歳の少女から御法に至るまでまさに源氏物語のヒロインともいえる紫の上が舞台から去っていく・・・
    その「うらなし」ともいえる素直な性格は誰からも愛され読者にも惜しまれながら露のようにはかなく消えていくのは物語とは言え哀切の情を禁じ得ません。
    今までにも数首、紫の上を詠っていますがその紫の上を今回私としては最大限に称えたかったのですがいかんせん力及ばず未熟の出来は否めません。

    歌を詠むに当たりどうしても挿入したい言葉が二つありました
    一つ目は常処女(とこおとめ)で永遠の少女を意味します。
    二つ目は散華でした。
    何度も推敲し何首も詠んだのですが永遠の乙女子を表現するの至難の技・・・
    初句の「常処女」は万葉集から、4、5句の「儚き露の消ゆるがごとく」はテキスト11の帯の文字を参考にしました。

     河の上のゆつ磐群に草生さず常にもがもな常処女にて(万葉集巻1-22)

    この和歌の背景はわが故郷を詠んだもので十市皇女参宮の折、波瀬川の磐のように皇女がいつまでもお美しくあられますようにとの祈りを込めた歌です。
    この美しい古語「常処女」を何とか私なりに詠みたい思いが強くありました。

    ちなみにわが故郷は「とことめの里」と呼ばれています。
    なおhodakaさんの一日一句 新薬師寺(2012年1月9日)でこの和歌の碑が掲載されています。
    これも最近清々爺さんから過去のブログをキーワードを打ち込んで検索する方法を教えていただいたおかげで再発見することができました

    • 式部 のコメント:

        青玉さん、和歌裏話、いいですねえ。苦心されながらの作歌の様子が伝わってきます。毎回、ありがとうございます。
       故郷が「とことめの里」なんて素晴らしい。そこの清水を飲めば永遠の乙女でいられるなんてね・・・
       紫の上は性格もよし、能力も優れ、姿かたちも申し分なしの人ですが、私は、若紫時代のあの伸びやかさが大好きです。知識、教養を身につけ、世間を常に気にするようになって、彼女から失われた美点も多かったように感じます。
       難しいものですね。平安貴族女性の生き方とは・・

      • 清々爺 のコメント:

        紫の上、若紫時代の伸びやかさ、私も大好きです。源氏の純粋培養で世間の波風にもさらされず(源氏須磨流謫の時は苦労したでしょうが)素直な性格の女性に成長していったまではよかったのでしょうが、人間年をとるとそれだけではすまなくなる。世間(源氏を含め自分以外の世界)に対処するために知恵や力をつけて強くなっていく、、、。人間としてはそうあらねばならない所、紫の上は対抗することを拒みひたすら自分の中に押し殺した。そんな感じがします。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。紫の上礼讃の歌、絶品ですよ。

      1.「常処女」、いい言葉教えていただきました。紫の上そのものですね。読者はずうっと「北山で髪を扇のように広げて飛び出して来た赤いほっぺのあどけない子」のイメージで紫の上を見て来た筈で正に「永遠の少女」がピッタリだと思います。

       「うらなし」ともいえる素直な性格、これもその通りでいつまでも変わらぬその性格の故年月とともに悩みが昂じついには帰らぬ人となる、、、哀れです。

      2.「万葉の旅」の該当部分読み返してみました。故郷を大切にし誇りに思っている青玉さんの心が伝わってきます。「とこおとめ」、、この言葉を紫の上に使おうと以前から決めていたのですね。素晴らしいと思います。

       この歌碑が新薬師寺にあるというのも面白いですね。ローカルな歌でなく重みのある歌であることが分かります。「永遠の少女」、、男性は心の内に皆それぞれにイメージを持ってるのではないでしょうか(勿論私もです)。

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