橋姫(15・16) 薫、匂宮に宇治の姫たちのことをご注進

p216-228
15.薫帰京の後 宇治と文通 匂宮に告げ語る
 〈p121 京に帰ってからも、〉

 ①舞台は京に移る。帰京した薫。宇治では思わぬことに遭遇した。
  思いかけず姫たち(大君・中の君)を垣間見、大君と歌を贈答した。
  日ごろ悩んでいた出生の疑念につき弁から衝撃的な話が語りだされた。

 ②早速薫、大君に文を書き、八の宮邸・阿闍梨の寺に品々を贈呈する。
  →薫の実直なところ。夕霧にそっくりだと思うがいかが。

 ③宿直人を戯画化しているところ
  宿直人、かの御脱ぎ棄ての艶にいみじき狩の御衣ども、えならぬ白き綾の御衣のなよなよといひ知らず匂へるをうつし着て、身を、はたえかへぬものなれば、、、、、、、、いとむくつけきまで人のおどろく匀ひを失ひてばやと思へど、ところせき人の御移り香にて、えも濯ぎ棄てぬぞ、あまりなるや。
  →源氏物語中でも屈指の滑稽場面だと思います。薫の衣服をもらって着たはいいが衣服は洗っても洗っても薫の匂が消えない。普段上質なスーツなど着たことのない男が香水プンプンのすごいスーツを着てて人々からからかわれるみたいなもんでしょうか。

 ④薫、匂宮に宇治での出来事(姫たちのこと)をご注進する。
  例の、さまざまなる御物語聞こえかはしたまふついでに、宇治の宮のこと語り出でて、見し暁のありさまなどくはしく聞こえたまふに、宮いと切にをかしと思いたり。
  →薫と匂宮、話したい薫、興味を示す匂宮。

 ⑤匂宮「さて、そのありけん返り事は、などか見せたまはざりし。まろならましかば
  薫「さかし。いとさまざま御覧ずべかめる端をだに見せさせたまはぬ
  →「見せてよ。私なら見せるぜ」「何をおっしゃる。あなたこそ見せてくれないじゃないですか」
  →雨夜の品定めで源氏と頭中が同じような会話を交わしていた(帚木p71)

 ⑥薫→匂宮
  さる方に見どころありぬべき女の、もの思はしき、うち忍びたる住み処ども、山里めいたる隈などに、おのづからはべるべかめり。
  →若者の女性談義 雨夜の品定めとそっくりではなかろうか。
  →「宮、あなたのご身分では無理でしょうが、宇治の山中にかような姫たちがおりまして」
   煽る薫、焦る匂宮
  
  でも薫の心は姫たちより弁の話の方が気になっている。

16.薫、八の宮に対面 姫君の後見を託される
 〈p126 十月になって、五、六日の頃、〉

 ①K22年10月5、6日 薫宇治へ(前回は9月末、さほど経っていない)
  今度は網代車でひっそりと。

 ②八の宮が待ち受けてて阿闍梨も呼んで仏書読書会をやり次いで遊び(楽宴)に。
  姫たちに琴を所望する薫、姫たちは恥ずかしくて奥に逃げ込んでしまい応じない。
  →奥床しいところがまた薫の恋情を煽ったのかも。

 ③八の宮 「さすがに、行く末遠き人は、落ちあぶれてさすらへんこと、これのみこそ、げに世を離れん際の絆なりけれ
  薫「、、、しばしもながらはべらん命のほどは、一言も、かくうち出できこえさせてむさまを違へはべるまじくなん」
  →姫君の後見を頼む八の宮、それを応諾した薫
  →でもこれでは抽象的で結婚のことまで入っているのか不明
  →過去にも後見を頼む場面があった。
   朱雀院が女三の宮の後見を源氏に頼む場面
   一条御息所が女二の宮の後見を夕霧に頼む(打診する)場面
  →ぼやかした言い方の話なので後でモメそうな予感がします。

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橋姫(13・14) 薫、大君と歌を贈答

p210-216
13.薫、弁の昔語りに不審をいだき再会を約す
 〈p116 薫の君は、何とも不思議で、〉

 ①巫女(かんなぎ)神に仕え、神楽を奏して神慮をなだめ、また、神意を伺い、神おろしを行いなどする人。男を「おかんなぎ」、女を「めかんなぎ」という。
  →薫には弁は神のお告げをする人と思われたことだろう。

 ②かのおはします寺の鐘の声かすかに聞こえて、霧いと深くたちわたれり。
  →弁の昔語りを聞きさして暇を告げようとするに川霧が立ち込め、八の宮が勤行に行っている寺から鐘が聞こえてくる。

14.薫と大君、心ごころをこめて歌を贈答する
 〈p116 八の宮のお籠りの山の峰々は、〉

 ①帰りたくない薫、大君に歌を詠みかける。
  薫 あさぼらけ家路も見えずたづねこし槙の尾山は霧こめてけり
  大君 雲のゐる峰のかけ路を秋霧のいとど隔つるころにもあるかな
  →脚注3&7 訴える薫、はぐらかす大君 でもチャンと返事をしている。

 ②あやしき舟どもに柴刈り積み、おのおの何となき世の営みどもに行きかふさまどもの、はかなき水の上に浮かびたる、誰も思へば同じごとなる世の常なさなり。我は浮かばず、玉の台に静けき身と思ふべき世かはと思ひつづけらる。
  →宇治の庶民の貧しい生活ぶり、都にいては分からない。無常観にとらわれる薫。
  →源氏が五条の夕顔邸(下町の風情)で感じた「玉の台も同じことなり」に通じる。

 ③さらに薫と大君の唱和
  薫 橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる 代表歌
  大君 さしかへる宇治の川長朝夕のしづくや袖をくたしはつらん

  橋姫 橋を守る女神、特に宇治橋にいう。
  宇治の橋姫 ①嵯峨天皇の代、嫉妬のために宇治川に身を沈めて鬼になり、京中の男女を食い殺したという女②橋を守るという女神。宇治橋の橋姫神社の女神、男神との恋愛説話がある。
  →この場合は②であろう。でも①のような怖い話も当時は有名だったのだろうか。

  橋姫の歌
   さ筵に衣片敷きこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫(古今・読人不詳)
  →この有名な歌がベースにあったのだろう。大君を橋姫として慕情を訴えた。

 ④京から取り寄せた牛車が来て薫は帰京する。
  田舎者・素朴な宿直人の描写が面白い。
  宿直人に持たせたまへり。いと寒げに、いらぎたる顔して持てまゐる。
  濡れたる御衣どもは、みなこの人に脱ぎかけたまひて、取りに遣わしつる御直衣に奉りかへつ。
  →こういう滑稽味のあるくだりを読むとほっとする。
 

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橋姫(11・12) 薫、大君と対面 弁、昔を語り始める。

p200-210
11.薫、大君と対面、交誼を請うも大君応ぜず
 〈p110 姫君たちは、まさかそんなふうに見られてしまっていたとは〉

 ①薫に姿まで見られたとは思わない姫たち。でも演奏を聞かれたのを恥ずかしく思う。
  あやしく、かうばしく匂ふ風の吹きつるを、思ひがけぬほどなれば、おどろかざりける心おそさよと、心もまどひて恥ぢおはさうず。
  →深窓で育ち世間から隔絶されてきた姉妹。男の気配(薫のことは知っていたろう)にドギマギしたことだろう。

 ②薫の言上
  「うちつけに浅き心ばかりにては、かくも尋ね参るまじき山のかけ路に思うたまふるを、さま異にてこそ。かく露けき旅を重ねては、さりとも、御覧じ知るらんとなん頼もしうはべる」
  →道心一途だった薫も姫たちの姿を見て心騒いだのだろうか。
  →それにしても初っ端からおしつけがましい言い方である。

 ③大君の精一杯の一言を受けて薫の長口説
  「かつ知りながら、うきを知らず顔なるも世のさがと思うたまへ知るを、、、、
   、、さしもおどろかせたまふばかり聞こえ馴れはべらば、いかに思ふさまにはべらむ」

  →くどくどと長すぎる。いきなりこう畳み掛けられては大君も答えようがなかろう。
  →夕霧物語の夕霧を彷彿させる。真面目男の典型か。

12.老女房の弁、薫に応対し、昔語りをする
 〈p112 老女は言いようもないほどさし出がましく、〉

 ①老女房弁、登場。
  →この無遠慮なキャラクターがすごい。今後物語を引き回す重要人物です。

 ②弁が薫の出生につき昔話を始める。物語の聞かせどころ。
  かの故権大納言の御乳母にはべりしは、弁が母になんはべりし 

  弁の母は柏木の乳母(弁と柏木は乳母兄妹)
  この母の姉妹が女三の宮の乳母であった。その娘が小侍従。
  従って弁と小侍従は従姉妹にあたる。
  従って女三の宮と柏木の密通もこの二人(小侍従と弁)はよく知っていた。
   →この二人が仲立ち・手引きした。

  小侍従は柏木死後ほどなく亡くなっており弁は伝手を頼って5、6年前から八の宮邸に仕えている。
  →詳細は後出。何れにせよ薫の生い立ちを知る老女が現れたということです。

 ②弁 今は限りになりたまひにし御病の末つ方に召し寄せて、いささかのたまひおくことなんはべりしを、聞こしめすべきゆゑなん一事はべれど、、、
  →ここまで言って止めるのはないかと思うがこれが物語。
  →薫も不意をつかれ余りのことに度を失ったのではなかろうか。

[さて、この辺りから大君・中の君・(そして後の浮舟)が登場します。薫・匂宮の言い寄りに対する女心の読み解き・解説は是非青玉さん・式部さんに中心になってやっていただきたいと思います。私には男からみた読み解きしかできません。女心はきっとそんな単純なものではないと思いますので。。]

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橋姫(9・10) 薫、宇治山荘へ。姫たちを垣間見。

p192-200
9.晩秋、薫、八の宮不在の山荘を訪れる
 〈p103 秋も終わりの頃になりました。〉

 ①K22年9月下旬
  八の宮は阿闍梨の寺へ7日間の勤行念仏に出かけて宇治には不在
  そうと知らず薫が久しぶりに宇治に八の宮に逢いに来る。

 ②川のこなたなれば、舟などもわづらはで、御馬にてなりけり
  京都から宇治までざっと約15KM
  ルートは京都市中-東福寺・伏見稲荷・深草に沿って南下―木幡山を越えて六地蔵-宇治
  木幡山のところが大変。馬なら半日だろうが牛車では一日かかったのではなかろうか。
  何れにせよ貴族が京都から通うのは大変(小野の山荘に通うのとは格段に違う)。

 ③薫の道中
  隠れなき御匂ひぞ、風に従ひて、主知らぬ香とおどろく寝覚めの家々ありける。
  →匂兵部卿にも出てきたがチト大袈裟

 ④薫が近づくと弦楽の音が聞こえてくる。
  琵琶と筝の琴

 ⑤脇役として宿直人が登場、これが面白い。
  八の宮不在と知って薫は宿直人に姫たちの演奏を隠れて聞ける所に案内せよと言いつける。
  「年ごろ、人づてにのみ聞きて、ゆかしく思ふ御琴の音どもを、うれしきをりかな、しばし、すこしたち隠れて聞くべき物の隈ありや」

 ⑥躊躇する宿直人に薫は熱心にピシャリと命令する。
  宿直人「あなかしこ。心なくやうに後の聞こえやはべらむ」とて、あなたの御前は竹の透垣しこめて、みな隔てことなるを、教へ寄せたてまつれり。
  →宿直人の覗き見立ち聞きの場所への案内を不忠とみるか。もののあはれとみるか。
  →そりゃあ、宣長先生のおっしゃる通りでしょう。宿直人は愛敬あって微笑ましい。

10.薫、月下に姫君たちの姿をかいま見る
 〈p107 姫君のお部屋に通じているらしい透垣の戸を、〉

 ①あなたに通ふべかめる透垣の戸を、すこし押し開けて見たまへば、月をかしきほどに霧りわたれるをながめて、簾を短く捲き上げて人々ゐたり。

  国宝源氏物語絵巻(橋姫)(徳川美術館) 名場面

  琵琶、中の君 撥で月を招いている。
     (さしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひやかなるべし)
  筝の琴、大君 琴に添い臥して微笑んでいる。
     (うち笑ひたるけはひ、いますこし重りかによしづきたり)

  →どちらの姫君がどちらの楽器か、論争があるらしい。
   脚注にある通り容貌・性格の叙述から上記でいいと思う。

 ②中の君「扇ならで、これしても月はまねきつべかりけり」
  大君「入る日をかへす撥こそありけれ、さま異にも思ひおよびたまふ御心かな」
  中の君「およばずとも、これも月に離るるものかは」

  →引用されている故事のことはよく分からないが、風流で教養に富んだ仲のいい姉妹の様子が窺われる。

 ③やをら立ち出でて、京に、御車率て参るべく、人走らせつ。
  →往きは馬で来た。帰りは牛車で。これから取りに行かせて牛車が到着するまで何時間かかるのだろう?
  →薫はじっくり姫たちと対面しようと腹を決めたということか。  

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橋姫(7・8) 薫、八の宮を法の友として宇治に通う

p184-192
7.阿闍梨、院の使者を案内し八の宮に面会す
 〈p97 冷泉院は、「心うたれるような結構なお暮らしぶりを、〉

 ①冷泉院が阿闍梨をして八の宮に文を届けさせる。
  冷泉院 世をいとふ心は山にかよへども八重たつ雲を君やへだつる
  八の宮 あとたえて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ
  →冷泉院と八の宮は異母兄弟(表向き)、冷泉院は兄でないこと分かっている。
   それで姫君たちの後見をしてもいいよと考えたのだろうか。冷泉院の好色性か。

 ②阿闍梨は薫の道心の深さについて八の宮に熱く語る。
  八の宮は若くして仏道を志す薫を不思議に思いつつ殊勝にも思う。
  →八の宮にとって薫は政敵源氏(異腹兄)の息子である。
  
  八の宮 「年若く、世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじとおぼゆる身のほどに、さ、はた、後の世をさへたどり知りたまふらんがありがたさ」

  二人は「法の友」となる。

8.薫、八の宮を訪問、二人の親交始まる
 〈p100 いかにも宇治のお邸は、〉

 ①薫、宇治を訪問、八の宮に対面
  いと荒ましき水の音、波の響きに、もの忘れうちし、夜など心とけて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹きはらひたり。
  →宇治の荒涼たる様子。薫もすごい所だなあと思ったであろう。

 ②仏の御隔てに、障子ばかりを隔ててぞおはすべかめる。、、、、されどさる方を思ひ離るる願ひに山深く尋ねきこえたる本意なく、すきずきしきなほざり言をうち出であざればまんも事に違ひてや、など思ひ返して、、、
  八の宮山荘内には姫たちがいる。しかし薫は八の宮との仏道談義が目的で姫たちに心をうごかされることはない。
  →この時点では薫の本心であろう。とにかく仏道心に憑りつかれていたというべきか。

 ③聖だつ人材ある法師などは世に多かれど、、、、、、
  聖職者、学問ある法師は多いけど話が通じるような僧はいない。
  →語り手の一般論だが紫式部が僧職者をよく思ってないことが窺える。

 ④薫は八の宮を法の友として頻繁に宇治を訪れる。
  冷泉院よりも八の宮に消息が続けられる。
  こういう四人(冷泉院、阿闍梨、薫、八の宮)の関係が続き3年が経過する。
  →3年の月日は長い。薫の心に姫たちのことは一切浮かばなかったのだろうか。
 

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橋姫(5・6) 八の宮宇治へ移る。阿闍梨登場

p177-184
5.宮邸炎上し宇治に移住 阿闍梨に師事する
 〈p92 そうこうするうちに、〉

 ①かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり
  →八の宮邸が京のどこにあったかは不詳

 ②宇治に持っていた別荘に移り住む。
  宇治=憂路 失意の男が住むに相応しい所として設定したか。
  百人一首No.8 喜撰法師
   わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人はいふなり

 ③網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、
  宇治川の描写。川霧と網代木。
  百人一首No.64 藤原定頼
   朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえにあらはれ渡る瀬々の網代木

 ④脚注2 参照 宇治川の地理的位置をしっかり覚えておきましょう。
  琵琶湖の水は全て瀬田大橋の所から瀬田川に流れる。瀬田川は直角に曲がり宇治川と名を変え、宇治を通って西に流れ、山崎で木津川・桂川と合流し淀川となって大阪湾に注ぐ。
  →琵琶湖の水のアウトレットは瀬田川・宇治川のみ(日本海へなど流れていませんぞ)

 ⑤八の宮の宇治山荘は宇治川の東岸(京都側)現在の宇治神社のあたり。
  夕霧の宇治山荘(後出、匂宮が使用)は対岸 現在の平等院
  →この二つの山荘の位置&距離を頭に入れておきましょう(グーグル地図で直線300M)

 ⑥八の宮 見し人も宿も煙になりにしをなにとてわが身消え残りけん
  →焼け出され宇治の田舎に移る八の宮、哀れであります。

 ⑦この宇治山に、聖だちたる阿闍梨住みけり、
  →上述の喜撰法師がモデルだろうか。場所といい、聖職者を出してくるところ見事です。

 ⑧さびしき御さまに、尊きわざをせさせたまひつつ、法文を読みならひたまへば、尊がりきこえて常に参る
  →八の宮と阿闍梨はたちまちのうちに法の友(阿闍梨は八の宮の法の師)となった。
     
6.阿闍梨、八の宮の生活を院・薫らに報ず
 〈p94 この阿闍梨は、冷泉院にも親しく伺候して〉

 ①この阿闍梨は、冷泉院にも親しくさぶらひて、御経など教へきこゆる人なりけり。
  →うまくつなげて行くものです。

 ②阿闍梨から冷泉院に八の宮のことが告げられ、伺候していた薫も知る所となる。
  冷泉院「いまだかたちは変へたまはずや。俗聖とか、この若き人々のつけたなる、あはれなることなり
  →「俗聖」在俗の仏徒、こんなのもあるのですね。 

 ③阿闍梨が冷泉院に八の宮の姫たちのことを喋る。薫も聞いている。
  冷泉院「、、もししばしも後れんほどは、譲りやはしたまはぬ」
  →父源氏が朱雀院から女三の宮を譲りうけたように自分も面倒みてもいいよ、、、
   冷泉院 49才、女三の宮が源氏に降嫁したのは源氏40才の時

 ④中将の君、なかなか親王の思ひすましたまへらん御心ばへを対面して見たてまつらばやと思ふ心ぞ深くなりぬる。
  →薫は俗聖八の宮に共感を覚え阿闍梨に仲立ちを頼む。薫の道心の深さ。

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橋姫(3・4) 八の宮の来歴

p172-177
3.春の日、宮と姫君たち、水鳥によせて唱和
 〈p88 春のうららかな日ざしに、〉

 ①春の日姫君たちに琴を教え、池の水鳥によせて歌を唱和する。
  八の宮 うち棄ててつがひさりにし水鳥のかりのこの世にたちおくれけん
  大君  いかでかく巣立ちけるぞと思ふにもうき水鳥のちぎりをぞ知る
  中の君 泣く泣くもはねうち着する君なくはわれぞ巣守りになるべかりける
  →姫たちも男手一つで育ててくれた父親に感謝の気持ちで一杯だったのだろう。
  →姫たち何才の頃か不詳だが、幼い筆跡と歌がいじらしく感じられる。

 ②経を片手に持たまうて、かつ読みつつ唱歌もしたまふ。姫君に琵琶、若君に筝の御琴を。
  →片時も経典を離さない。仏道修行と姫君養育を両立生活
  →大君の琵琶、中の君の筝の琴。宇治の姫君の風流芸。
 
4.八の宮の、政争に操られた悲運の半生
 〈p90 八の宮は、父帝にも母女御にも早く先だたれておしまいになり、〉

 ①八の宮の生い立ち
  父桐壷帝、母女御は幼少の頃亡くなり、後見人もいなかった。
  多かった財産もほどなく尽きて落ちぶれていく。

 ②はかなき遊びに心を入れて生ひ出でたまへれば、その方はいとをかしうすぐれたまへり。
  →風流事(歌舞音曲など)は得意(異腹兄、蛍兵部卿宮に似てるか)

 ③源氏の大殿の御弟、八の宮とぞ聞こえしを、冷泉院の春宮におはしましし時、朱雀院の大后の横さまに思しかまへて、この宮を世の中に立ち継ぎたまふべく、わが御時、もてかしづきたてまつりたまひける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御仲らひにはさし放たれたまひにければ、、、
  →読者は弘徽殿大后が廃太子を画策したことはおぼろげに分かっていたが、そうか、そうだったのかと弘徽殿大后の顔を思い出す(皆それぞれ顔のイメージは持っていたでしょう)。

  桐壷院が亡くなった後源氏が須磨行きを決意するG25年頃のことだろうか。
  朱雀帝が天皇で東宮には藤壷腹の皇子(後の冷泉帝=当時7才)が立っている。この東宮を廃して八の宮(当時9才)を東宮にしようという計画。冷泉帝の世になれば藤壷・源氏が権力を持つ、そうはさせないとする。弘徽殿大后の陰謀であった。
  →どうして計画が挫折したのか不明。行動が遅れ源氏が明石から帰ることになってしまったのかもしれない。 

 冒頭で「古宮」として述べられた八の宮の系譜・経歴をしっかり把握しておきましょう。

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橋姫(1・2) 宇治十帖の冒頭 ‐ 古宮おはしけり。

橋姫 しめやかにこころの濡れぬ川霧の立ちまふ家はあはれなるかな(与謝野晶子)

さて、宇治十帖です。「ここから新しい話が始まる」と考えるのがいいと思います。前篇からの時の流れと主要登場人物についてしっかり頭に入れておくことが大切です。

[時代] 幻の巻がG52年、源氏は翌年出家して嵯峨御堂で過し2年後(G54年)に亡くなっている(想定)。橋姫は源氏の死後15年、即ちG67年から始まります。
薫の年にすればK20年ということになります。今後この年号で進めていきます。
   換算: G=K+47 です。

[主要人物] (復習も兼て)
 薫 表向き 源氏と女三の宮の息子、夕霧は異腹兄、明石の中宮は異腹姉
       源氏の遺言で冷泉院が後見人となっている(冷泉院は薫を弟と思っている)
       匂宮からみれば叔父
       身分としては天皇家に仕える臣下(源氏と同じ)即ち匂宮は主人筋

   実際  父は柏木(臣下が主筋の妻たる皇女に不倫してできた不義の子)
       これが暴露されると官位・財産みな危うくなる
       このことを知っているのは読者と弁の君(後出)のみ

 匂宮    明石の中宮の第三皇子、源氏の孫、紫の上の秘蔵っ子
 (K+1才) 皇位継承候補者 明石物語の本流 源氏似の好き者
        薫は臣下だがライバル・友だち(源氏と頭中との関係)

 八の宮   桐壷帝の第八皇子(冷泉帝が第十皇子) 源氏の異母弟
 (K+31才) 母は大臣家出身の女御(それなりの身分)

 八の宮の北の方 父は大臣 八の宮の愛妻だったが娘二人を産んで早逝

 大君(K+2才) 
 中の君 (K才)

 他に前篇に続いて登場する人物、年令だけ記しておくと、
 冷泉院 K+29
 夕霧  K+26
 明石の中宮 K+19
 女三の宮 K+21            
  
p164-171
1.不遇の八の宮、北の方とともに世を過す
 〈寂聴訳巻八 p82 その頃、世間からはすっかり無視されてしまい〉

 ①冒頭 そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮おはしけり。
  →新たな物語の始まり。「おっ、この古宮って誰だろう?」と読者は身を乗り出す。

 ②八の宮の紹介
  母女御は大臣家でそれなりの身分であり、皇位継承も噂されていたがうまく行かず鳴かず飛ばずで今は世に背を向けている(詳細後出)

 ③八の宮の北の方 父は大臣で八の宮との仲は睦まじかった。
  深き御契りの二つなきばかりをうき世の慰めにて、かたみにまたなく頼みかはしたまへり。
  →失意の皇子と仲のいい北の方。読者の興味は深まる。

2.北の方逝去 八の宮、姫君二人を養育する
 〈p83 年月がたちましてもお子がお生まれになりませんので、〉

 ①八の宮夫婦に二人の女君が相次いで生まれる。
  →齢とってからの子ども。推定では大君は29才、中の君は31才の時の娘

 ②北の方は中の君を産んで産後の肥立ちの悪さから死亡
  →母なし子の設定。父と二人の娘たちが残される。
  →女三の宮のケースに似ていると思うがどうか。
   母藤壷女御は尚侍朧月夜に気圧されて早死に。父朱雀帝は女三の宮を不憫に思う。

 ③北の方の今際の言葉「ただ、この君をば形見に見たまひて、あはれと思せ」
  →中の君は北の方の忘れ形見。宮は愛おしく思わざるを得ない。

 ④二人の姫君の描写(対比)
  中の君 容貌なむまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。
  大君  心ばせ静かによしある方にて、見る目もてなしも、気高く心にくきさまぞしたまへる。
  →中の君、可愛らしく美しい。大君、気立てがしとやかで気品高く奥床しい。

 ⑤幼きほどを見棄てたてまつりにければ、ただ宮ぞはぐくみたまふ。
  →乳母たちも見棄てて去っていく。2才とゼロ才の姫を抱えて宮は途方に暮れたことであろう。

 ⑥心ばかりは聖になりはてたまひて、故君の亡せたまひしこなたは、例の人のさまなる心ばへなど戯れにても思し出でたまはざりけり。
  →出家はしてないが心は聖(俗聖)。八の宮を象徴する言葉。
  →でも、この頃浮舟が生まれていたのだと思うと割り切れないが(後の話です)  

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竹河 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

竹河のまとめです。

和歌

87.竹河のはしうち出でしひとふしに深き心のそこは知りきや
     (薫)    大君を慕いて、、

88.流れてのたのめむなしき竹河に世はうきものと思ひ知りにき
     (薫)    大君よ、、世は無情、、、

名場面

87.碁打ちたまふとて、さし向かひたまへる髪ざし、御髪のかかりたるさまども
     (p104  大君・中の君 碁を打つ(国宝源氏物語絵巻))

[竹河を終えてのブログ作成者の感想]

竹河を終えました。匂兵部卿・紅梅に比べると結構長い。コメントはつけて来ましたが私の頭の中でもうまく整理できてなかったので、この感想を書くにあたりもう一度ざっと通読してみました。以下感じたところです。

1.巻頭の前口上で「これは、源氏の御族にも離れたまへりし後大殿わたりにありける悪御達の落ちとまり残れるが問はず語りしおきたるは、」と述べられており、これが何とも怪しく感じました。「源氏物語本編とは切り離した外伝として読んで下さい」とのメッセージだと思います。第一部第二部に登場した人物の中で読者が一番その後を知りたいと思った人物が玉鬘だったからでしょう。竹河の主役は大君・中の君でも蔵人少将・薫でもなく玉鬘(&冷泉院)だったと思います。それだけにもう少し玉鬘に花を持たせるようなお話にして欲しかったですね。玉鬘の嘆き節ばかりで玉鬘フアンとしてはがっかりしたのが正直なところです。

2.冷泉院のご発展ぶりにはびっくりしました。源氏と藤壷は草葉の蔭で困惑してたのじゃないでしょうか。「貴方の血でしょうに、、、、」「いや、私もあれほどまでは、、、」

3.名場面に挙げた竹河9.姫たちが囲碁を打ち合う場面及び竹河7.催馬楽が縦横に引用された玉鬘邸での小宴の場面は素晴らしいと思いました。催馬楽については式部さんから詳しい解説もいただき知識を深めることができました。

ということでいよいよ来月から宇治十帖。7ヶ月の長丁場です。気負わずゆっくり行きたいと思います。コメント欄で気分転換でもしていかないと持たないと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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竹河(18・19・20・21・22) 玉鬘の嘆き

p146-159
18.大君、男御子を産む 人々に憎まれる
 〈p70 数年たって、御息所はまた、〉

 ①5年経過とあるのでK23年だろうか。
  御息所(大君)は男子を出産!
  →源氏 - 冷泉院 - 若宮
   源氏直系の男子である。

 ②後から来て女君・男君を産み冷泉院の寵愛を受ける御息所に妬みが集中する。
  息子たちからも糾弾され 大上(玉鬘)は嘆きたまふ
  →玉鬘、後ろ楯がいないのが可哀そうである。

19.薫の成人ぶり 蔵人少将なお大君を慕う
 〈p71 昔、大君に言い寄った人たちが、〉

①更に年が経って、薫は宰相中将になっている。
  「匂ふや薫や」と聞きにくくめで騒がるなる
  →匂宮と薫 二人が抜きんでて世人の憧れのスターとなっている。

 ②蔵人少将(夕霧の息子)も三位中将に昇進、世人の評判が高い
  左大臣(系図不詳)の娘と結婚したが未だ大君を想っている。
  →女二の宮と結婚したが未だ女三の宮を想っている柏木に類似か。

 ③大君は冷泉院では居心地悪く里がちに、今上帝に尚侍として嫁いだ中の君は気楽にやれている。
  →予想のついたこともあれば予想のつかないこともある。それぞれ人生ままならない。

20.夕霧ら昇進 薫、玉鬘邸へ挨拶に訪れ、対面
 〈p73 左大臣がお亡くなりになって、〉

 ①K23年秋の除目でそれぞれ昇進
  夕霧: 右大臣 → 左大臣
  紅梅大臣(頭中の息子): 按察大納言 → 右大臣兼左大将
  薫: 中将 → 中納言
  蔵人少将: 三位中将 → 宰相

 ②薫が昇進の挨拶に玉鬘邸を訪れる。
  薫が見た玉鬘の様子  「古りがたくもおはするかな、かかれば、院の上は、恨みたまふ御心絶えぬぞかし、いまつひに、事ひき出でたまひてん」
  →玉鬘53才だが未だに色香匂っている。冷泉院がご執心なのも無理はない。

 ③御息所(大君)は冷泉院後宮の張り合いに疲れ切っている。玉鬘は薫に冷泉院へのとりなしを依頼する。
  薫 、、、ただなだらかにもてなして、御覧じ過ぐすべきことにはべるなり。男の方にて奏すべきことにもはべらぬことになん。
  →薫はきっぱり断る。この辺は薫も優柔不断じゃない。しっかりしている。

 ④薫 「宇治の姫君の心とまりておぼゆるも、かうざまなるけはひのをかしきぞかし」
  →年代的にも(K23年)、宇治十帖(椎本)とダブっている。
 
21.紅梅邸大饗 大臣、匂宮・薫を婿にと志す
 〈p76 新大臣のお邸は、この玉鬘邸の東隣なのでした。〉

 ①玉鬘邸と紅梅大臣邸は隣合わせ。
  紅梅大臣邸で昇進大宴会を開くが匂宮は顔を出さない。
  →匂宮は紅梅大臣の姫君には興味がない。あるのは真木柱の連れ子宮の御方

 ②紅梅大臣邸の繁栄ぶりをみて玉鬘の嘆きは続く。
  紅梅大臣・真木柱夫婦はうまくいってるがそれに引き換えウチは大君が院参して子どももできているが後宮で妬まれて里に戻って来ている、、男女の仲は難しい、、、。
  →他人から見たら玉鬘こそ幸せ人に映るだろうに。

22.玉鬘宰相中将を見、わが子の不如意を嘆く
 〈p77 夕霧の左大臣のご子息の、〉

 ①蔵人少将がまた玉鬘邸に現れ御息所(大君)への想いを語る。
  →何故それほどまでに、、、よく分からないが未練に過ぎるのではないか。

 ②玉鬘はわが子たちの昇進の遅さを嘆く。
  →父親(髭黒)が亡くなったのが大きい。世襲身分社会ではどうすることもできないのであろう。

これが「竹河」です。これまでの本編と比べ何とも薄っぺらい感じじゃないでしょうか。新たな登場人物は多いのですが正直頭に入りません。心に迫ってくるものがないせいでしょう。

これで匂宮三帖が終りいよいよ来月から宇治十帖に入ります。これは匂宮三帖とはまるで違い物語がしっかりしてて面白いですよ。ご期待ください。

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