p184-192
7.阿闍梨、院の使者を案内し八の宮に面会す
〈p97 冷泉院は、「心うたれるような結構なお暮らしぶりを、〉
①冷泉院が阿闍梨をして八の宮に文を届けさせる。
冷泉院 世をいとふ心は山にかよへども八重たつ雲を君やへだつる
八の宮 あとたえて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ
→冷泉院と八の宮は異母兄弟(表向き)、冷泉院は兄でないこと分かっている。
それで姫君たちの後見をしてもいいよと考えたのだろうか。冷泉院の好色性か。
②阿闍梨は薫の道心の深さについて八の宮に熱く語る。
八の宮は若くして仏道を志す薫を不思議に思いつつ殊勝にも思う。
→八の宮にとって薫は政敵源氏(異腹兄)の息子である。
八の宮 「年若く、世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじとおぼゆる身のほどに、さ、はた、後の世をさへたどり知りたまふらんがありがたさ」
二人は「法の友」となる。
8.薫、八の宮を訪問、二人の親交始まる
〈p100 いかにも宇治のお邸は、〉
①薫、宇治を訪問、八の宮に対面
いと荒ましき水の音、波の響きに、もの忘れうちし、夜など心とけて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹きはらひたり。
→宇治の荒涼たる様子。薫もすごい所だなあと思ったであろう。
②仏の御隔てに、障子ばかりを隔ててぞおはすべかめる。、、、、されどさる方を思ひ離るる願ひに山深く尋ねきこえたる本意なく、すきずきしきなほざり言をうち出であざればまんも事に違ひてや、など思ひ返して、、、
八の宮山荘内には姫たちがいる。しかし薫は八の宮との仏道談義が目的で姫たちに心をうごかされることはない。
→この時点では薫の本心であろう。とにかく仏道心に憑りつかれていたというべきか。
③聖だつ人材ある法師などは世に多かれど、、、、、、
聖職者、学問ある法師は多いけど話が通じるような僧はいない。
→語り手の一般論だが紫式部が僧職者をよく思ってないことが窺える。
④薫は八の宮を法の友として頻繁に宇治を訪れる。
冷泉院よりも八の宮に消息が続けられる。
こういう四人(冷泉院、阿闍梨、薫、八の宮)の関係が続き3年が経過する。
→3年の月日は長い。薫の心に姫たちのことは一切浮かばなかったのだろうか。
冷泉院は昔に比べてどんどん好色になっているように思います。
やはり源氏のDNAでしょうかね。
源氏という枷がなくなり奔放になってきたのでしょうか?
八の宮と薫、動機は違えどもお互いに世をいとう道心に共感し魅かれるものがあったのでしょうね。
ここから薫の宇治通いが始まるわけですが流れに無理がなく自然ですね。
所々で紫式部の僧職への嫌悪感が感じられます。
この時代から現代に至っても言えることですがこれは僧職にある者への手厳しい批判があると思えるのですが・・・
三年もの間宇治へ通いながら姫君たちへは「さすがにいかがとゆかしうもある御けはひなり」とある程度で特に行動には移していない・・・
それほど薫の心の闇のようなものが深かったということではないでしょうか?
ありがとうございます。
八の宮から見れば薫はどれほど眩しく見えたことでしょう。頂点を極めた源氏の忘れ形見であり冷泉院が後見している。若くして宰相の中将で出生街道驀進中。生まれつき身体に芳香を持つ美男子で諸芸にも通じている。年ごろの姫を持つ貴族たちは何とかして姫を娶せたいと躍起になっている。正に人生順風満帆、やりたいことを思う存分やるに何の障害もない、、、
そんな薫が山深い宇治に自分を訪ねて仏の道を共に語りたいという。姫たちがお目当てではなさそうで仏道・仏道の一点張り。当初八の宮には何とも理解し難かったのではないでしょうか。でも三年も続くと八の宮も薫の道心は本物だと感じ二人はすっかり心を許し合う「法の友」になったのだと思います。
薫の道心、心の闇からなんですね。「おぼつかな、、、」この疑問が心から消えない限り明るくなりようがない。救いを求めるには仏道修行しかない。人の心は他人には窺い知れない。。。。今に通じる設定だと思います。