p200-210
11.薫、大君と対面、交誼を請うも大君応ぜず
〈p110 姫君たちは、まさかそんなふうに見られてしまっていたとは〉
①薫に姿まで見られたとは思わない姫たち。でも演奏を聞かれたのを恥ずかしく思う。
あやしく、かうばしく匂ふ風の吹きつるを、思ひがけぬほどなれば、おどろかざりける心おそさよと、心もまどひて恥ぢおはさうず。
→深窓で育ち世間から隔絶されてきた姉妹。男の気配(薫のことは知っていたろう)にドギマギしたことだろう。
②薫の言上
「うちつけに浅き心ばかりにては、かくも尋ね参るまじき山のかけ路に思うたまふるを、さま異にてこそ。かく露けき旅を重ねては、さりとも、御覧じ知るらんとなん頼もしうはべる」
→道心一途だった薫も姫たちの姿を見て心騒いだのだろうか。
→それにしても初っ端からおしつけがましい言い方である。
③大君の精一杯の一言を受けて薫の長口説
「かつ知りながら、うきを知らず顔なるも世のさがと思うたまへ知るを、、、、
、、さしもおどろかせたまふばかり聞こえ馴れはべらば、いかに思ふさまにはべらむ」
→くどくどと長すぎる。いきなりこう畳み掛けられては大君も答えようがなかろう。
→夕霧物語の夕霧を彷彿させる。真面目男の典型か。
12.老女房の弁、薫に応対し、昔語りをする
〈p112 老女は言いようもないほどさし出がましく、〉
①老女房弁、登場。
→この無遠慮なキャラクターがすごい。今後物語を引き回す重要人物です。
②弁が薫の出生につき昔話を始める。物語の聞かせどころ。
かの故権大納言の御乳母にはべりしは、弁が母になんはべりし
弁の母は柏木の乳母(弁と柏木は乳母兄妹)
この母の姉妹が女三の宮の乳母であった。その娘が小侍従。
従って弁と小侍従は従姉妹にあたる。
従って女三の宮と柏木の密通もこの二人(小侍従と弁)はよく知っていた。
→この二人が仲立ち・手引きした。
小侍従は柏木死後ほどなく亡くなっており弁は伝手を頼って5、6年前から八の宮邸に仕えている。
→詳細は後出。何れにせよ薫の生い立ちを知る老女が現れたということです。
②弁 今は限りになりたまひにし御病の末つ方に召し寄せて、いささかのたまひおくことなんはべりしを、聞こしめすべきゆゑなん一事はべれど、、、
→ここまで言って止めるのはないかと思うがこれが物語。
→薫も不意をつかれ余りのことに度を失ったのではなかろうか。
[さて、この辺りから大君・中の君・(そして後の浮舟)が登場します。薫・匂宮の言い寄りに対する女心の読み解き・解説は是非青玉さん・式部さんに中心になってやっていただきたいと思います。私には男からみた読み解きしかできません。女心はきっとそんな単純なものではないと思いますので。。]
姫君達はまさかこんな山里に?とさぞや狼狽したことでしょう。
薫の応対はやはり不慣れなせいか粋さにかけますね。
仕える女房も世間との関わりがなく右往左往の様子です。
その中の老女房弁、さすがは年増の対応。
弁と小侍従はこういう関係だったのですか。
なるほど柏木、薫の関係を知る唯一の生き証人なのですね。
さし過ぎた罪もやと思うたまへ忍ぶれど、あはれなる昔の御物語の、いかならんついでにうち出できこえさせ・・・
いきなり思わせぶりな弁の言葉に薫も何ごとかと思ったことでしょう。
そして末尾 のどかになん聞こしめしはてはべるべき・・・
読者も今更一体何を?とドキドキハラハラ
この辺、物語の運び方も上手いものです。
さて大君、中の君の女心に果たして迫れるでしょうか?
何せ現代とは比べようもない女の生き方、平安貴族の女性に少し浸ったみましょうか。
じれったくてやってられないと思うかもしれませんが・・・
ありがとうございます。
1.この場面は薫にとっても大君にとっても女房たちにとっても予想してなかった展開、謂わば不意打ちで皆それぞれに面食らったことでしょう。
薫が大君に長口舌で迫っていますがドギマギしてて心の整理がついていない感じがします。とにかく一途に自分の想いを一気に喋ってしまう。相手がどう受け止めるかまで考慮できない。自分は正しいことをしておりこんなに誠実に訴えているのだからきっと相手も分かってくれる、、、。秀才タイプの典型的言動でこれでは女心はキャッチできないでしょうね。
大君にとってはもっと不意打ちで「何ごとも思ひ知らぬありさまにて、知り顔にもいかがは聞こゆべき」、、、掛け値なしにこれが精一杯だったと思います。むしろこれだけでも言葉を発した大君は立派だと思います。
かくて最初のコンタクトはこれで終わり、二人はそれぞれに次のラウンドに向けていかがすべきや考えを廻らしたことでしょう。恋の駆け引きの始まりだと思います。
2.弁が登場して一気に物語が展開します。柏木の乳母兄妹なら話が早い、、、と思いきや一旦中断して他の場面が入る。CMタイムみたいなもんですねぇ。ここは読者は若菜26.柏木が女三の宮とコトに及ぶ段を読み返すべき時だと思います。
とまれ薫は弁の語り出しを聞いたこの時点で自分の父は柏木であるということをはっきりと自覚したのだと思います。
おっしゃる通り現代と平安貴族では女性の生き方は比べようがないでしょうが、現代でも結婚に躊躇したり恐れたりする女性は多いのではないでしょうか。(男性もそうですが)その辺も含め考えていただくとありがたいと思います。
薫の言動は兄(表面上では)夕霧の若い頃に似通っていますね。真面目で一途で思い込みが激しいところなど、血は繋がっていないのに同じようですね。
ひたすら学問や仏道に打ち込むと、まわりが見えなくなるのでしょうか?
宇治の姫君たちは昔物語や和歌などで、まだ見ぬ恋に憧れたりはしなかったのですかねえ。八の宮の教育のせいでしょうか。
ありがとうございます。
夕霧に似てますねぇ。夕霧は父源氏に厳しく育てられてのプレッシャー、薫は父源氏を疑っての自信喪失ってことでしょうか。両者とも自分に自由に振舞えてないところがそっくりだと思います。でもその夕霧も年を経て今では尊大になっているということですからねぇ。人間は変わるということです。
宇治の姫たちも昔物語・和歌などで耳(目)学問はあったと思いますよ。でも自分の身に降りかかってくるものとの自覚は薄かったでしょうね。さて実際に自分がそんな場に立たされた、、、大君はどうするのでしょうねぇ。