竹河のまとめです。
和歌
87.竹河のはしうち出でしひとふしに深き心のそこは知りきや
(薫) 大君を慕いて、、
88.流れてのたのめむなしき竹河に世はうきものと思ひ知りにき
(薫) 大君よ、、世は無情、、、
名場面
87.碁打ちたまふとて、さし向かひたまへる髪ざし、御髪のかかりたるさまども
(p104 大君・中の君 碁を打つ(国宝源氏物語絵巻))
[竹河を終えてのブログ作成者の感想]
竹河を終えました。匂兵部卿・紅梅に比べると結構長い。コメントはつけて来ましたが私の頭の中でもうまく整理できてなかったので、この感想を書くにあたりもう一度ざっと通読してみました。以下感じたところです。
1.巻頭の前口上で「これは、源氏の御族にも離れたまへりし後大殿わたりにありける悪御達の落ちとまり残れるが問はず語りしおきたるは、」と述べられており、これが何とも怪しく感じました。「源氏物語本編とは切り離した外伝として読んで下さい」とのメッセージだと思います。第一部第二部に登場した人物の中で読者が一番その後を知りたいと思った人物が玉鬘だったからでしょう。竹河の主役は大君・中の君でも蔵人少将・薫でもなく玉鬘(&冷泉院)だったと思います。それだけにもう少し玉鬘に花を持たせるようなお話にして欲しかったですね。玉鬘の嘆き節ばかりで玉鬘フアンとしてはがっかりしたのが正直なところです。
2.冷泉院のご発展ぶりにはびっくりしました。源氏と藤壷は草葉の蔭で困惑してたのじゃないでしょうか。「貴方の血でしょうに、、、、」「いや、私もあれほどまでは、、、」
3.名場面に挙げた竹河9.姫たちが囲碁を打ち合う場面及び竹河7.催馬楽が縦横に引用された玉鬘邸での小宴の場面は素晴らしいと思いました。催馬楽については式部さんから詳しい解説もいただき知識を深めることができました。
ということでいよいよ来月から宇治十帖。7ヶ月の長丁場です。気負わずゆっくり行きたいと思います。コメント欄で気分転換でもしていかないと持たないと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
玉蔓のその後、清々爺さんおっしゃるように終始嘆き節でいささかがっかりですね。
いくら口さがない女房達の問わず語りがたりだったとしてもね・・・
昔の可憐なおもかげはどこえやら、子の将来に埋没しあまり賢明な母とはいえませんね。
あれほど嫌っていた亡き髭黒との間に子どもが五人も生まれそれなりには幸せだっように思うのですがね~
高望みなどしないで身の程の幸せで満足できなかったのでしょうかね。
私の理想としては現実を受け入れながらも運命を切り開いていく人間的に深みのある生きざまを示して欲しかったですね。
昨日の雨で時間はたっぷり、久しぶりに国宝「源氏物語絵巻」西田久美子朗読 「竹河一、二」のCD聴きました。
この巻を読み終えて聴いてみるとやはりそれぞれの場面が想像されてなかなかいいものですね。
今秋の徳川美術館の「竹河」二が益々楽しみになってきます。
いよいよ3月から宇治十帖、7か月ですか。長いですね~
楽しみなようなしんどいような、まあ何とかなるでしょう。
気持ちゆったりいきましょう。
ありがとうございます。竹河もきっちり読んでいただきご苦労さまでした。
1.理想を抱き希望に燃えてた若き日の女性(男性も同じだが)も結婚し子育ても終るような年ごろになると万事に愚痴っぽくなってくる。玉鬘とて例外ではなかったということでしょうか。
→それでも私は「若き日の玉鬘フアン」でありたいと思っています。
2.西田さんの朗読聞いてみました。さすが名場面が即座に頭に浮かぶような名朗読だと感心しました。
→併せウチの式部さんの朗読も聞いて、こちらも遜色なしと改めて誇りに思いました。
宇治十帖は長いから本文と併せ周辺の地理やら故事来歴やら読んだり調べたり頭をリフレッシュさせながら行くのがいいかと思います。まあ気楽に行きましょう。
竹河は、匂兵部卿・紅梅に比べ、文章の格調は戻っているように思えました(素人見解ですが)。まだ宇治十帖を読んだいないので、お門違いな見方かもしれませんが、小生には、竹河は宇治十帖を書き終えた紫式部本人が後で書きくわえたと考えれば、一番自然なように思えました(爺の見解とほぼ同じで正しいですか)。
ただお二方が仰るように、人間の良くできた玉鬘が親となり夫を失い、子の出世に欲張りになった(ように描かれていること)のは、イメージが壊れ残念でした。
P146で
冷泉院が、
”古めかしきあたりにさし放ちて。思ひおとさるるもことわりなり”
とうち語らひたまひて、あわれにのみ思しまさる。
とありますが、こんなことを言っては御息所があまりに気の毒に思えました。それを言っちゃおしまいだよね。
歌では
折りて見ばいとどにほひもまさるやとすこし色めけ梅の初花
宰相の君
が挑発的で面白かったです。
いよいよ、宇治十帖、梅も咲き桜の季節も近し、皆さんに頑張って付いて行きたいと思います。
ありがとうございます。無事お勤めも終えられたことと思います。どうぞフリーライフを満喫してください。
1.竹河への感想、なるほど、紫式部が宇治十帖の後外伝として書き加えましたか。それもいいと思います。私は竹河は紫式部じゃないんじゃないかと内心思っておりまして、、、。でも意気地がないんでそうじゃないとも言えなくて、、。昔ながらの日和見主義でおります。
2.冷泉院の「古めかしきあたりにさし放ちて。、、」おっしゃる通りこれはないですよね。子まで成した妃をさしおいて(大君の心も慮らずに)母親へのスケベ心を表すなんてちょっと許せませんね。
3.「折りて見ば、、」、、挑発的ですねぇ。女房たちは気楽なもんで色っぽい歌を詠みかけてチャンスを伺ってたのでしょうね。そして歌が上手な女房は評判になる(和泉式部のように)ってことだったのでしょう。
宇治十帖、どうぞ気軽にお付き合いください。
この時代の貴族の女性は身分や社会通念上、大きな決断はしなかった(できなかった)から、夫を亡くし息子たちもまだ力なく、後見もなかったような玉鬘は娘二人の落ち着き先をひとりで考え決断せざるを得なかった・・現代に生きる私は女性も自分で決断するのは当然だと考えますが、1000年前では大変なことだったでしょうね。それに関しては玉鬘に少し同情します。
良くも悪くも紫の上は源氏が全部決めて、そのレールの上を歩いた一生でした。晩年の心内は別にして世間からは守られていたと思います。
玉鬘は自分の思うようにできる反面、世間を相手に自分で戦わなければいけないのですから、別の苦労が絶えなかったことでしょう。それが愚痴になって表れたのでしょうか。
「竹河」での玉鬘の自分で決断することの大変さが宇治十帖の浮舟の悲劇に繋がっていくように思いました。
ありがとうございます。
紫の上 vs 玉鬘、なるほど対照的ですねぇ。竹河はそのように読むと新鮮な感じがします。でも所詮はがんじがらめの貴族社会、後見のない玉鬘が孤軍奮闘しても如何ともしがたいということでしょう。まあ孤軍でも奮闘するだけ玉鬘は自立した立派な女性だったと言えるのかもしれません。
後見のいない女性の身の処し方、おっしゃる通り宇治十帖のテーマそのものだと思います。
「この竹河も宇治十帖に行く前に薫のことを色々考えさせて
くれるという点ではいいですね」(清々爺コメント)
宇治十帖(全く未知の”領域”です)を知らない小生にとっては、
この帖は、多くの登場人物と、複雑な人間関係とその相関図を
理解するだけで疲れてしまいましたが、そうですか、次の宇治十帖の
「伏線」として読めば良かった(?)のですか。
でも この帖で夕霧や薫の”来し方行く末”を彷彿させるような
imageは 沸きませんでした。それに、玉蔓周辺を何故、ここまで
詳しく追記する必要があったのでしょうか?
清々爺のような読者に玉蔓ファンが多かったので、
「今、あの人は!」式に挿入されたのでしょうか。
当時のこの種 ”物語” は(一人で)読むものではなく、
恐らく多人数を前に語ることで(作品が)披露された筈です。
伏線や挿入にしては、だらだら長いこの帖で語られた、
だらだらした人間関係とその相関図こそ、例えば、すぐに
モデルが誰か分かるなどして、物語をみんなで聞きながら
当てっこしたりしたのでしょうね。いずれにしても 当時の
現実のそれを反映して、創られたのでしょうね。
さて、花粉症も終わったので(スイマセン
2週ぐらい遅く走っていますが)、気分一新で宇治十帖に
張り切って進みたいと思います。
ありがとうございます。
匂宮三帖、よく我慢して読んでいただけました。それだけで十分ですよ。
疑問が一杯でしょう。誰が読んでもそう感じる筈です。
前にも書きましたが匂宮三帖を評して大野晋は
「読んでいたらいやになる。研究してみると、いろいろ怪しい」
と言っています(「光る源氏の物語」)。
花粉の季節も終りましたか、じゃあ張り切って宇治十帖にとりかかってください。
(竹河での玉鬘の「今、あの人は!」は余計でしょうね。玉鬘フアンにはがっかりです。週刊誌のこの手の記事もフアンをがっかりさせるためでしょう。アンチだった人はざまあみろ!って思うんでしょうが)