p278 – 283
20.源氏 夕顔の夢を見る
①夕顔の宿の者が不審に思うのは当然。この西の京の乳母の子供たちが若君(玉鬘)を九州に連れて行く。
②なにがしの院での物の怪の正体。
「源氏はここで院に棲む妖物と推定する」とあるが、読者はやはり六条御息所の生霊のイメージが拭えないのではなかろうか。
p234「おのがいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思ほさで、、」
これは源氏を狙い打ちにしての言葉だと思うのですが。
21.空蝉伊予へ。帚木3帖の締めくくり
①空蝉は老いた夫に随って伊予にいく。
空蝉のその後: G17年立冬 伊予へ (3~4年して京にもどり)
G24年 常陸へ
G29年 京へもどる(関屋の巻)
その後出家して、晩年は源氏に引き取られ二条東院で余生を過ごす
地方暮らしの多かった人であります。
②巻末の源氏の歌 過ぎにしもけふ別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな
死んでしまった夕顔、遠く別れることになった空蝉。17才の源氏には感慨ひとしおだったことだろう。
この歌の後半はそのまま俳句になると思うのですがいかがでしょう。
二道に行く方知らぬ秋の暮
③そして帚木3帖の締めくくり
かやうのくだくだしきことは、あながちに隠ろへ忍びたまひしも、、、、、、、あまりもの言ひさがなき罪避りどころなく
帚木冒頭の序
光る源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、、、、、さるまじき御ふるまひもうちまじりける
に照応している。見事な整理ではないでしょうか。
④帚木3帖の月立
G17年5月 五月雨の頃 雨夜の品定め
直後 紀伊守邸 空蝉
6~7月 三度紀伊守邸へ 空蝉空振り、軒端荻と
8月 中秋の名月 夕顔となにがし院へ
9月 重病で臥している
10月 夕顔の四十九日
立冬 空蝉 伊予へ
いや、何とも慌ただしいご乱行ぶりであります。