夕顔(11) なにがしの院へ

p227 – 234
11.源氏、夕顔の女を宿近くの廃院に伴う
 〈p186 沈むのをためらっている月に誘われたように、〉

 ①右近を乗せていざなにがしの院に。
  なにがしの院 = 源融の河原院がモデル → こういうモデルの設定がうまいところ 
  源融自身も光源氏のモデルの一人と言われている
  この辺、源氏と夕顔の歌の贈答が続く、いい関係になってきているということか。

 ②預り(院の管理人)が出て来てあれこれ世話をやくところが面白い。
  「預り」 → 鍵を預かって管理する人というところから出て来た言葉だろうか。

 ③まだ知らぬことなる御旅寝に、息長川と契りたまふことよりほかのことなし
  息長川の引歌の意味がよく分からないけど、その後に段落があって日高くなって起きたとあるからやはり実事があったということだろうか。

 ④源氏はここでやっと顔を見せる。うちとけあって歌の贈答
  源氏 夕露に紐とく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ
  夕顔 光ありと見し夕顔の上露はたそかれ時のそらめなりけり

  歌を詠み合い会話を交してみると夕顔は従順で優しいだけでなく教養ある女であった。返歌は機智に富んでいる。

 ⑤わがいとよく思ひよりぬべかりしことを譲りきこえて、心広さよ
  惟光の言葉が面白い。自分もその気になればものにできたのに、、、夕顔が中の品あるいはそれ以下であることを表わしている。

 ⑥つと御かたはらに添ひ暮らして 一日中くっついている!
  今頃宮中では私のこと捜してるだろうな、六条に行かなくて悪かったな、、、と思うのは当然であろう。それにしても正妻のことは出てこない → もともと眼中にないということか。

そして運命の夜を迎えるのであります。

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4 Responses to 夕顔(11) なにがしの院へ

  1. 青玉 のコメント:

    なにがしの院・・・何やらうすら寒い侘しげな隠れ家を想像すればよろしいかしら?
    そこへ夕顔をさらう様に連れ込んだ源氏。

    贈答の和歌、いいですね。
    前段の終わりに源氏が「かやうの筋なども、さるは、心もとなかりけり」と言ってますが夕顔の返歌はなかなかのものです。
    「たそかれ時のそらめなりけり」と少し皮肉っているところなど大したものです。

    惟光の本音、口惜しがりようが面白いですね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.「なにがしの院」、なにがしと言いながら読者にははっきりと源融の河原院をイメージさせたのではないでしょうか。あの華やかだった大邸宅、その後さびれて幽霊の巣みたいになっていた河原院とあればもう何かオカルト的なことが起こるとピンときたのだと思います。うまい舞台設計だなあと思います。

        百人一首No.47 恵慶法師@河原院
        八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり

      この「なにがしの」という言い方何度も出てきますが何れも特定のものを単にぼかして言っただけで読者はハハ~ンと思った筈です。

      2.惟光の使い方、ホントうまいと思います。読者の女房達もきっと惟光には共感を覚えたのではないでしょうか。

  2. 青玉 のコメント:

    追記
    「かやうの筋なども、さるは、心もとなかりけり」
    とあるのは語り手の感想でしたね。
    所々に語り手の言葉が出てきますがこれはとても効果的です。
    紫式部はどんな人をイメージして語らせているのでしょうね。

    • 清々爺 のコメント:

      語り手の感想、これは草紙地と呼ばれます。おっしゃるようにとても効果的です。ある時は読者の共感を呼び、ある時は読者に別な見方のあることを示唆する。うまいもんです。

      源氏物語の語り手は全て(貴人の公私隅々まで)を知り尽くした女房という設定ですね。でもみんな紫式部が作った物語だと分かってた訳だから結局は「式部さんの感想だわね」と思いながら読んだのでしょうね。

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