p234 – 243
12.物の怪 夕顔の女を取り殺す
〈p194 夜が訪れた頃、女とふたりで〉
夕顔の巻のクライマックスです。怪奇物語的ではあるが順を追って書かれているので現実味・凄みがあります。
①脚注2 宵=6-10PM 夜=10PM-2AM 暁=2-6AM
②ここに出てくる妖物は六条御息所とは書かれていないが、読者は御息所と直感するような仕組みとなっている。ここは素直に妖物の言葉を読んで六条御息所の生霊と思っていいのではないか。
「おのがいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思はさで、かくことなることなき人を率ておはして時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」
③「太刀を引き抜きて」
源氏物語で刀が抜かれる場面はこの段と紅葉賀の源典侍を巡るドタバタ劇の時の2例のみ。如何に平和な物語かが分かるのだが、この場面は凄みがある。
④この夜は十六夜の筈だが月は出てなかったのか真っ暗な様子。お傍にいる右近は所詮女性、お傍去らずの惟光は遠慮したのか自分のお楽しみのためかお傍を去って見当たらず。17才で世間もろくに知らない源氏にとっては正に修羅場であったろう。この辺り、会話を交えリズミカルに書かれており読者は身を乗り出して読んだことだろう。
⑤最初は驚き及び腰だった源氏も事態が分かり(夕顔が物の怪に襲われた、右近はいるが頼りにならない、惟光はいない、自分がやらねばならない!)勇気をしぼって
随身を指示する。 → しっかりしてるなあと感心します。
「我ひとりさかしき人にて、思しやる方ぞなきや」
⑥惟光に早く来てほしいが「あり処定めぬ者にて、、、」すぐには参上して来ない。この肝心な時にお前はどこに行ったのやら、、ユーモア調の記述で好きなところです。
⑦段の終わり、何事につけても藤壷とのことが想いやられる。源氏の心の底に藤壷があるのだと作者は繰り返し強調するのです。
これ以上ない怪奇物語の舞台設定。
夕顔のおののきが読者にもゾクゾクと伝わってきます。
嫉妬に苛まれる六条御息所をイメージして読めば物の怪にリアリティを感じます。
この時代、武士でなくても太刀はたえず携えていたのでしょうか?
後の源平の時代と違い平安な時代だったのですね。
終わりの部分、「かかる筋におほけなくあるまじき心の報いに」・・・
原文を読んだだけでは藤壺への思慕までは読みとれませんでしたがなるほどね、脚注は有り難いです。
意識の奥底に藤壺への思慕と罪の意識が重なり合っている源氏の心の内が読める所ですね。
1.この妖物、読者は六条御息所の生霊と思うのだが源氏の後の述懐(p280)もそうだが客観的にはこの廃院に棲みついた妖怪なのであろう。まあ両方掛けられてると思っていいのかも。
(六条御息所は車争いのこともあり葵の上憎しで物の怪として乗り移ったわけでここでは夕顔は知らないのだから夕顔憎しで取り殺すというのもおかしな話ではある)
2.そうですね。夕顔までの帚木三帖では源氏は中の品の女性を求めながら常に先だっての藤壷との逢瀬を懐かしみ・恐れおののき・再度のチャンスを伺っているという構図になっています。次巻(若紫)の禁断場面への布石なんでしょう。
→何れも脚注をよく読まないとそこまでは読み込めない。ホントこの脚注はありがたいです(古来の源氏物語の注釈の積み重ねでしょうからね)。