[お知らせ]
右欄の「源氏百首」「源氏物語 名場面集」「青玉源氏物語和歌集」、夢浮橋までアップ完了しました。これが最終リストとなります。万葉さん、ありがとうございました。
お蔭さまで予定通り2年間で何とか夢浮橋までたどり着きました。さすがに長かったです。「源氏物語は長すぎることが不幸だ」(折口信夫)と言われますが実感です。こんなに面白いのにこんなに意味深いのに長すぎる故に完読されることは滅多にない。つくづく不幸だと思いました。
2年間結構全力投球だったので疲れました。へとへとになりました。このままでは肩が壊れそうなのでクールダウンが必要です。2年間の熱戦を振り返りつつごくごく気楽に源氏物語のアレコレをみなさんと語り合えればと思います。苦労して読み通したからこそできる気持ちのいいウイニングランとでも言いましょうか。
3カ月のクールダウン1日おきのペースで前半は登場人物談義、後半は人物以外の観点からの諸々と考えています。私の書き振りは断片的で平仄無視のバラバラになると思います。どうぞ自由気ままに思うところを書き込んでください。
さて先ずは人物談義です。一応物語順に主だった人を取り上げて感じたことを書いていきます。読み返しなどしないで記憶と直感のみです。的はずれも多いかと思いますが大目に見てください。
それぞれの人物に私としての評価ランクと好き嫌い度をつけました。単なる余興です。恐らくみなさんそれぞれに評価は違うと思うので面白いかもしれません。
(評価は人物総合評価です。女性なら容貌・教養・性格、男性なら能力・実行力・人格ってなとこでしょうか。身分・境遇は関係ありません。好き嫌い度は勿論私の勝手によるものです)
(人物評価:優・良・並・劣・悪 好き嫌い度:大好き・好き・普通・嫌い・大嫌い)
→(後で提案あり、源氏は別格として「優」より上の「秀」とした)
【桐壷帝と桐壷更衣】
①桐壷帝=評価:並→良 好き嫌い度:普通 桐壷更衣=評価:並 好き嫌い度:普通
桐壷帝 歌4首 代表歌
たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく(桐壷)
桐壷更衣 歌1首のみ
かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり(桐壷)
→物語最初の歌として秀逸、源氏よ頑張って生きて欲しいとの想いが伝わる。
②「天皇の純愛は罪であった」なのに桐壷更衣をひたすら愛した桐壷帝。そのゆがみから物語が書き起こされる。桐壷帝、賢帝であり聖代を築いていた。我らがヒーロー源氏の父としては及第点でしょう。源氏を臣籍に下したのも正解、これで物語は縦横無尽となったのですから。
③第一后であった弘徽殿女御とはどれ位の仲だったのか、東宮の母でありながら何故中宮にしなかったのか。逆に藤壷との愛は左程に強いものであったのでしょうか。
④桐壷帝は源氏と藤壷の密通を知っていたのか?
→読者それぞれの読み方次第でしょう。私もある時はYES,ある時はNOであります。
⑤桐壷更衣、母恋物語の原点としての位置づけ。「かぎりりとて、、、」の歌は迫力満点。いじめには屈したものの強い女性であった。自ずと桐壷帝の愛を得るにも相当な戦略と努力があったのでしょう。
⑥源氏物語を母恋物語と言うにしては源氏はこの母のことを左程思い出さない。ただ桐が薄紫色ということで紫のゆかり→藤壷へと繋がっている感じ。源氏は決してマザコン男ではないと思います。
【左大臣と右大臣】
①左大臣=評価:良 好き嫌い度:好き 右大臣=評価:劣 好き嫌い度:普通
左大臣 歌1首のみ
結びつる心も深きもとゆひに濃きむらさきの色しあせずは(桐壷)
→源氏にかけた左大臣家の想い
右大臣 歌1首のみ
わが宿の花しなべての色ならば何かはさらに君を待たまし(花宴)
→この1首だけだが悪くない。招待を受け源氏も内心嬉しかったのだろう。
桐壷帝の下政権争いを繰り広げた左大臣と右大臣。平安王朝の権力争いの様子がよく分かります。物語の論調は当然源氏側の左大臣がいい者、弘徽殿女御側の右大臣がわる者です。
②左大臣は葵の上を何故東宮に入内させず源氏を婿に選んだのか。そりゃあスーパーヒーロー源氏の方がいいに決まってますが、左大臣には外戚として摂政関白になろうとの権勢欲はなかったのですかね。葵の上の死後も源氏に尽しまくるところなど好人物だと思います。源氏の須磨明石の不遇時代を支えたのも左大臣だったのでしょう。
。。。大好きな大宮については夕霧・雲居雁の項で。
③右大臣は東宮(朱雀帝)の祖父で本来なら一番権力を振るえた筈だがおっちょこちょいで人望のない人物として描かれている。葵の上が亡くなった後朧月夜を源氏の妻にさせるチャンスもあったのに。源氏と朧月夜の逢瀬現場に現れ早口でまくしたてる所が何とも愉快。人物評価は落ちるものの憎めない男だったと言えましょうか。
(最初で長くなりました。次からはもっと短くします)