人物談義(3) 空蝉と夕顔 ‐ 雨夜の品定め

【雨夜の品定め】
G17年5月梅雨の長雨の頃物忌みで宮中は静まりかえっている。若き源氏も手持無沙汰(実は前夜には藤壷との最初の密会がありボオーッとしてたらしいのだが)、その源氏の宿直所(桐壷か)に友だちの頭中将が現れ左馬頭と藤式部丞が加わり女性論議になる。そこで話される「中の品の女」、、、これが源氏物語の一方の流れを形作っていく。
 →「紫のゆかり」だけでは面白くない。中の品の女性への恋の冒険、これで源氏物語はパッと明るくなりました。
 →「雨夜の品定め」で話される話自体は全く面白くなく何も頭に残ってませんが。

【空蝉・軒端荻】
 ①空蝉=評価:並 好き嫌い度:嫌い(苦手) 軒端荻=これは評価外でしょう。
  空蝉 歌7首 代表
   空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな(空蝉)
  軒端荻 歌1首
   ほのめかす風につけても下荻のなかばは霜に結ぼほれつつ(夕顔)

 ②雨夜の品定めのつまらない話から一転して「中の品の女性」第一号空蝉が登場する場面はエキサイテイングだった。部下筋の伊予介の人妻を方違えにかこつけて襲う、最初の官能シーンでドキドキしました。文章も何故かスラスラ読めたものです。

 ③それにしても空蝉は固い固い、カチンコ。紫式部自身になぞらえられていると言われてますがそうですかねぇ。源氏二度目の侵入の時継娘軒端荻を放って逃げたのはいかがなものでしょう。
  →どうもこのあたり好きになれません。嫌いというより苦手という感じです。
  →後に出家して二条東院で源氏の庇護を受けて暮らしたというのは読者サービスでしょうか。

 ④軒端荻は碁打ち覗き見シーンのグラマラスな女性というだけでした。
  →「いと白うをかしげにつぶつぶと肥えて」忘れられない場面です。

【夕顔】
 ①夕顔=評価:良 好き嫌い度:好き
  夕顔 歌6首 代表
   心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花(夕顔)
  →夕顔の人物議論、やりましたね。先日来の浮舟論議とよく似てると思います。
  →「浮舟は夕顔の再来」とも言われる所以です。

 ②「夕顔」は面白かった。私はここまで来て源氏物語の面白さに憑りつかれ引き返せなくなりました。

 ③某の院への恋の逃避行。物の怪の登場。右近と惟光の活躍。
  →若き源氏が経験した初めての修羅場。「源氏よガンバレ!」と叫んだものでした。

 ④五条下町の夕顔の宿の庶民生活の描写は新鮮でした。蕉風俳諧の風情。逆に芭蕉は「奥の細道」福井の所で夕顔のこの部分を下敷きに一文を創作しています。

 ⑤そして何と言っても夕顔は玉鬘の母。夕顔の面影は玉鬘を経て浮舟へと繋がっているのだと思っています。

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5 Responses to 人物談義(3) 空蝉と夕顔 ‐ 雨夜の品定め

  1. 青玉 のコメント:

    空蝉(並) (普通)
    中の品の女の第一号でしたね。
    源氏に襲われ通じたものの二度目は逃げている。
    人妻として誇り高く拒みながらも後には未練たらしいですね。
    ならば最初から受け入れればいいのに。
    最後まできっぱりとしていて欲しかったです。
    軒端荻の官能的な姿態は印象的でした。

    夕顔(並) (嫌い)
    さぞや夕顔は良い女だったのでしょうね。
    特に男性から見れば最高の女性かもしれませが拒否反応が強いです。
    物語自体には強烈なインパクトがあり夕顔を忘れることはできませんが好きにはなれません。
    もう少し長く生きていれば又見方が変わったかもしれませんが・・・

    浮舟は夕顔の再来ですか?
    最初の頃の浮舟とは似ていますが後の浮舟とは大きな開きがあると私は思っています。
    夕顔の娼婦性が浮舟には感じられないからです。
    二人の男性の間で揺れるのは娼婦性というより生身の微妙な女心ゆえと思います。
    三人とも共通しているのは「中の品の女性」ですね。

  2. 式部 のコメント:

     空蝉タイプは自分を守るために心に関を設けてしまうのでしょうね。そうしないとどっと崩れそうな(源氏にのめりこみそうな)気がするのでしょうか?
     そういう人もいると思うので、好きも嫌いもないですね。
     夕顔は、なよなよとしていて捉えどころがなく、付き合えば何となく底なし沼に入り込みそうな予感がして苦手です。青玉さんの言われるとおり、浮舟とは本質的に違う気がします。
     物語自体は空蝉も夕顔も面白くて、昔も今も読者を惹きつけますよね。

  3. 清々爺 のコメント:

    青玉さん、式部さん ありがとうございます。私はタジタジであります。

    空蝉は王朝時代源氏の恋のお相手にしてはカチンコで好きになれませんが今の世の中からすれば普通当たり前の良妻賢母タイプなんでしょうね。受領の妻としてしっかり家庭を守っていける人物だと思います。
     →ある意味源氏に襲われたのが人生を狂わせたとも言えるのでしょうか。
     →伊予介の死後空蝉に言い寄る紀伊守は厭な奴でしたね。

    夕顔への見方、やはり女性は違いますねぇ。従順と言おうか包容力があると言おうかそんな所に(一般的に)男はググッと来るのですがむしろそこが逆なんですね。まあこれも当たり前でしょうね。

    夕顔と浮舟、確かに本質的に違うタイプかもしれません。頭中の元カノだった夕顔と源氏が通じる、でも何も物語がないままに夕顔は死んでしまう。もし夕顔がもっと生きていたら三人の間で物語はどう進展したか。二人の男に想われる女のお話、これを紫式部は書きたかったのではないかと思ったものです。夕顔-玉鬘-浮舟を何となく繋げて考えるのは私の勝手な解釈に過ぎません。

  4. 青黄の宮 のコメント:

    青玉さんと式部さんの厳しいコメントの後なので、ちょっとビビりますが、小生は夕顔が大好きです。上、中、下の品に関係なく、男性の愛を素直に受け入れてくれる女性はやはり男にとっては素晴らしいですよ。

    夕顔の娼婦性はどうなのと詰められそうですが、それも男性にとっては悪くないのではないでしょうか。現に「♪ 時には娼婦のように ♪」という曲が大ヒットしたこともありましたから。この曲は清々爺選の歌謡名曲1000曲集にも間違いなく入っていると思いますよ。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。女性パワーを恐れずよくぞ言ってくれました。

      まあ男性は素直・従順な女性が好き、同じように女性も(特に現代女性は)素直・従順で「可愛い男」が好きなのかもしれませんね。

      夕顔の娼婦性。夕顔の宿は娼婦の館であった、、、などとよく言われますが私には若干疑問です。五条辺りは下町でその手の屋敷があったからかもしれませんが源氏が夕顔に近づいたのはもらった和歌に心惹かれて惟光に探らせて、、、という正当な恋の手順を踏んでであり、夕顔サイドからの誘いに乗った訳ではありませんから。

      それはそれとして、「♪ 時には娼婦のように ♪」、勿論1000曲に入っています。
        時には娼婦のように 淫らな女になりな 
        真赤な口紅つけて 黒い靴下はいて ~~

      残念ながら恥ずかしくてまだ人前で歌ったことありません。。

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