東屋(31・32) 浮舟、三条の隠し処へ移る

p102-107
31.中将の君、事情を知って浮舟を引き取る
 〈p259 姫君の乳母は常陸邸から迎えの車をまわしてもらい、〉

 ①乳母が事の次第を中将の君に伝えに行く。
  中将の君「人もけしからぬさまに言ひ思ふらむ、正身もいかが思すべき、かかる筋のもの憎みは、あて人もなきものなり」
  →中将の君は二つのことを心配する。
   一つは勿論浮舟が傷つくこと。もう一つは中の君を嫉妬で怒らせること。
   (これは八の宮の召人でしかなかった中将の君ならではの感覚であろう)

 ②早速中将の君は中の君の所へ浮舟を引き取りに行く。
  中将の君としては浮舟を中の君の所へ預ってもらったのは無理があったと後悔したのだろう。

 ③中の君「ここは、何ごとかうしろめたくおぼえたまふべき。とてもかくても、うとうとしく思ひ放ちきこえばこそあらめ、けしからずだちてよからぬ人の時々ものしたまふめれど、」
  →中の君は大人である。六の君との葛藤に比べれば匂宮が浮舟に手を出したとて嫉妬することはないのではないか。

 ④中将の君は性急に中の君に対しまくしたてる。
  「さらに御心をば隔てありても思ひきこえさせはべらず。かたはらいたうゆるしなかりし筋は、何にかかけても聞こえさせはべらん」
  →脚注にもあるが中将の君の対応は感情的に過ぎよう。八の宮が嫌ったのもこういう点だったのかもしれない。

32.中将の君、浮舟を三条の小家に移す
 〈p262 母君は昨夜の一件を浅ましく不体裁な不祥事として〉

 ①かやうの方違へ所と思ひて、小さき家設けたりけり。三条わたりに、さればみたるが、まだ造りさしたる所なれば、、
  →何かの時のため貴族はこういう避難所を持っていたのか。三条の常陸介方違え所、二条院からはほど近いところである。

 ②性急、感情的ではあるが中将の君の浮舟への想い(浮舟を幸せにしたい)は強いものがある。
  →強い母性を感じさせる。

 ③浮舟 君は、うち泣きて、世にあらんことところせげなる身と思ひ屈したまへるさまいとあはれなり
  →母は帰ってしまう。浮舟はつくづく心細かったことだろう。

 ④作者も中将の君の腹立ちやすい様をストレートに書いている。
  心地なくなどはあらぬ人の、なま腹立ちやすく、思ひのままにぞすこしありける。

 ⑤「ここは、まだかくあばれて、危げなる所なめり、さる心したまへ」
  →いかにも不用心、物騒な住まいである。一人残される浮舟、大丈夫でしょうか。。

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東屋(29・30) 浮舟、中の君と対面

p95-101
29.浮舟、中の君に対面して慰められる
 〈p254 こちらの妹君は、ほんとうに御気分がお悪く〉

 ①中の君からの招きに躊躇する浮舟。乳母がチアーアップして参上させる。
  乳母「御前にて慰めきこえさせたまへとてなん。過ちもおはせぬ身を、、、」
  →乳母は自分が浮舟の純潔を守り通したとの自負がある。

 ②浮舟の描写
  いとやはらかにおほどき過ぎたまへる君にて、、、
  上をたぐひなく見たてまつるに、け劣るとも見えず、あてにをかし。

  →従順で鷹揚。中の君に劣らず気高く美しい。

 ③中の君付きの女房のささやき
  「これに思しつきなば、めざましげなることはありなんかし」
  匂宮に目を付けられたらもう最後、宮は放っておかない。
  →何とも恐ろしい話である。

 ④中の君「いとよく思ひよそへられたまふ御さまを見れば、慰む心地してあはれになむ」
  →亡き大君に瓜二つの浮舟を見て中の君も懐かしい思いがしたであろう。

 ⑤浮舟「年ごろ、いと遥かにのみ思ひきこえさせしに、かう見たてまつりはべるは、何ごとも慰む心地しはべりてなん」
  →従順な浮舟、高貴な姉に慰められて嬉しかったことだろう。 
  
30.中の君、浮舟を哀れむ 女房たちの推測
 〈p257 中の君は女房に物語絵などを持ち出させ、〉
  国宝源氏物語絵巻 東屋(一)の場面
 
 ①絵など取り出でさせて、右近に詞読ませて見たまふに、向ひてもの恥ぢもえしあへたまはず。
  →右近が詞書を朗読する。中の君と浮舟が向かい合って物語絵を眺めている。
   これが当時絵物語を読むスタイルであったのだろう。

 ②見るほどに大君に似ている浮舟。中の君は絵よりも浮舟の顔に見入る。
  →大君と浮舟が父(八の宮)似、中の君は母似

 ③中の君の目から見た大君と浮舟の比較
  大君 かれは、限りなくあてに気高きものから、なつかしうなよよかに、かたはなるまで、なよなよとたわみたるさまのしたまへりし

  浮舟 これは、まだ、もてなしのうひうひしげに、よろづのことをつつましうのみ思ひたるけにや、見どころ多かるなまめかしさぞ劣りたる、ゆゑゆゑしきけはひだにもてつけたらば、、

  →まだ貫録の点で大君が勝るが重々しささえつけば薫とでも不似合ではなかろう。
   誉め言葉である。

 ④口さがない女房たち、まだ匂宮との昨日のことを詮索している。
  「かひあるべきことかは。いとほし」
  「事あり顔には見えたまはざりしを」

  →女三人で姦しいとはよく言ったものである(失礼!)

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東屋(27・28) 乳母、浮舟を慰める

p88-95
27.乳母、嘆きかつ浮舟を慰め励ます
 〈p249 姫君は恐ろしい夢の覚めたような気持ちで、〉

 ①浮舟 恐ろしき夢のさめたる心地して、汗におし漬して臥したまへり。
  →匂宮が浮舟を抑えつけていたのは推定2時間以上。浮舟は生きた心地がしなかったろう。
  →抑える匂宮も疲れたことであろうに。

 ②乳母の浮舟への述懐。誠に尤もで面白い。
  (p91 脚注 都人にはない図太い神経。東国的な野生、強さがある)

  乳母「降魔の相を出だして、つと見たてまつりつれば、いとむくつけく下衆下衆しき女と思して、手をいたく抓ませたまひつるこそ、直人の懸想だちて、いとをかしくもおぼえはべりつれ」
  →「降魔の相」 ガマ(蝦蟇)みたいな顔かと思っていたのですが、、。
  →「手を抓る」というのも如何にも王朝人らしい。蹴飛ばすなんてことはしないのでしょうね。

 ③「かの殿には、今日もいみじくいさかひたまひけり」
  →新婿を放ったらかしにして姿をくらました中将の君を常陸介が罵倒する。
  →常陸介の気持ちも分からなくはない。でも自分が強引に婿を取り込んだのですからねぇ。

 ④落ち込む浮舟、慰める乳母
  乳母「さがなき継母に憎まれんよりはこれはいとやすし。ともかくもしたてまつりたまひてん。な思し屈ぜそ。さりとも、初瀬の観音おはしませば、あはれと思ひきこえたまふらん」
  →父はなくても(常陸介はもとより父ではない)母がいるじゃないですか。それに初瀬観音の思し召しもあるでしょう。

 ⑤「あが君は人笑はれにてはやみたまひなむや」と、世をやすげに言ひゐたり。
  →この乳母、誠に頼もしい。前向きにひたすらに仕える人に真心を尽す。
   「世の中ってそんな心配することないですよ!」
   
28.匂宮参内 中の君、浮舟を居間に招く
 〈p251 匂宮は、急いで宮中にお出かけになる御様子です。〉

 ①匂宮が出かけ中の君は浮舟を慰めようと声をかけるが浮舟は気分悪いとて来ない。
  →ショックを受けている浮舟、断るのも仕方ない所か。

 ②中の君、色々に思い続ける。
  ・匂宮に浮舟のことがばれてしまった。薫は怒ることだろう。
  ・匂宮は嫉妬深いがあっさりしている。薫は根にもって忘れないだろう。
  ・その薫は私にも横恋慕をしかけてくる。止めてほしいのに。

 ③いと多かる御髪なれば、とみにもえほしやらず。起きゐたまへるも苦し。
  →髪、まだ乾かない。ドライヤーも扇風機もない。せいぜい団扇で煽ぐくらいだったのだろう。
  →冬の洗髪は寒かったろう。殆ど洗髪しなかったのかもしれない。

  もう一か所洗髪が出てくるのは若菜下30 p152
   発病した紫の上が回復して猛暑の6月に久しぶりに髪を洗いさっぱりする。

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東屋(25・26) 浮舟、危機一髪

(丸谷)ここの場面は、小説の場面としては、ひょっとすると「源氏物語」全巻のなかで、いちばん面白いところかもしれません。
(大野)実に鮮やかに書いてある。時間の経過、中心人物の行動、それをめぐる女房の動き、強姦しようとした男の女房への対し方など。
(丸谷)強姦未遂のシーンのなかに、当時の一社会全体が入っている。ここは素晴らしいと思う。 

p81-88
25.乳母の困惑 右近、事態を中の君に告げる
 〈p243 姫君の乳母はいつもと違う人の気配がするので、〉

 ①乳母「これはいかなることにかはべらん。あやしきわざにもはべるかな
  →すごい乳母の登場。作者の筆が躍る。

 ②匂宮「誰と聞かざらむほどはゆるさじ」とて馴れ馴れしく臥したまふに、宮なりけりと思ひはつるに、乳母、言はん方なくあきれてゐたり。
  →遠慮なく平然と振る舞う匂宮。さすが皇子である。

 ③右近登場。これは中の君の女房。後で出てくる浮舟の女房の右近ではない。

 ④右近、匂宮、乳母。三人が三人ともそれぞれに「苦し」を連発する。
  →脚注17 それぞれの困惑を強調している。

 ⑤右近「げにいと見苦しきことにもはべるかな。右近はいかにか聞こえさせん。いま参りて、御前にこそは忍びて聞こえさせめ」
  →右近は匂宮の女癖を知っている。「奥さまに言いつけますよ」と脅したつもりが匂宮はびくともしない。さすが、匂宮。

 ⑥匂宮「あさましきまであてにをかしき人かな。なほ、何人ならん、右近が言ひつる気色も、いとおしなべての今参りにはあらざめる」
  →匂宮は単なる新参女房ではないとピンと来る。それにしてもいい女だ!

 ⑦中の君「例の、心憂き御さまかな」
  →中の君、もう髪は乾いたのだろうか。「しまった!」と思っても遅い。
  →浮舟を隠していたにしては無防備だったのでは。
   (オオカミの館にウサギを隠すようなものではないか)

26.匂宮、中宮の病を知らされ浮舟から離れる
 〈p246 「今日は上達部が大勢おいでになり、〉

 ①右近「かの乳母こそおずましかりけれ。つと添ひゐてまもりたてまつり、引きもかなぐりたてまつりつべくこそ思ひたりつれ」
  →右近が見た乳母の様子。匂宮に手出しまでしかねない!実に頼もしい乳母ですねぇ。

 ②中の君付きの女房二人の露骨な会話
  少将「いでや、今はかひなくもあべいことを」
  右近「いな、まだしかるべし」
  →「He did it!」「Maybe not!」

 ③上は、いと聞きにくき人の御本性にこそあめれ、すこし心あらん人は、わがあたりをさへ疎みぬべかめりと思す
  →中の君は居直ればいいのに。「あの人の女好きは治らない病気なんです」って。

 ④ここに助けが入る。匂宮の母明石の中宮が病気!すぐ参内しなければ。
  渋る匂宮だが弟(中務宮)も中宮職の筆頭役人も来ているとなるとさすがに放ってはおけない。
  →危機一髪で難を逃れる浮舟。でもこれでは終わらない。実に巧みな展開である。

 ⑤いみじう恨み契りおきて出でたまひぬ。
  →浮舟にどんな言葉をかけて離れて行ったのだろう。
   「ボカァ 君を決して忘れないからね、、、」いやもっと巧みな言い方でしょうね。

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東屋(23・24) 匂宮、浮舟を見つける

p74-80
23.匂宮帰邸、中将の君の車を見咎める
 〈p238 車を引き出す頃、少しあたりが明るくなりました。〉

 ①早朝常陸介の所へ帰る中将の君の車を宮中から帰ってきた匂宮が見咎める。
  匂宮「何ぞの車ぞ。暗きほどに急ぎ出づるは」
  →薫を警戒していたこともあり誰だ!と不審に思うのは当然であろう。

 ②中将の君の供人「常陸殿のまかでさせたまふ」
  匂宮の供人「殿こそあざやかなれ」
  →車を使うという点では同じながら、身分の違いをまざまざと描き出している。

 ③匂宮は中の君に車の事を問い質す。
  中の君「人の聞き咎めつべきことをのみ、常にとりないたまふこそ。なき名は立たで」
  →嫉妬深い匂宮。中の君もうんざりしたことだろう。
   引歌 思はむと頼めしこともあるものをなき名を立たでただに忘れね
  →脚注11 「たださっさと忘れて欲しい」とまでは言ってないだろう。ここは中の君は無実の罪は着せないで!と訴えているだけだろう。  

24.匂宮、偶然に浮舟を見つけて言い寄る
 〈p240 すっかり夜が明けてしまったのも知らずに、〉

 ①明くるも知らず大殿籠りたるに、
  →もう明け方になって帰ってきたのに、、。それからすぐ閨に入って中の君を寵愛。

 ②夕方、匂宮が中の君の所へ行くと中の君は洗髪に出ており不在。
  匂宮「をりあしき御ゆするのほどこそ、見苦しかめれ。さうざうしくてやながめん」
  →選りによって中の君は洗髪、匂宮はがっかりしたことだろう。
  
 ③平安貴族女性の洗髪(長い長い髪故洗うのも乾かすのも大変だったろう)
  米のとぎ汁を使う
  陰陽道で洗髪してもいい日が限られていた。
  
  今日過ぎば、この月は日もなし、九十月はいかでかはとて、
  →脚注3 九月・十月はダメとなると2ヶ月以上も洗わなかったということか。

 ④ジャジャ~ン! ここで匂宮は浮舟を見つける。
  「今参りの口惜しからぬなめり」
  →新参の女房には必ず目をつける匂宮。ましてよさげな身分となると放っておけない。
  →この時点ではまだ女房と思っている。中の君の異母妹とは知る由もない。

 ⑤目に留ったら最後見逃さない匂宮
  いとをかしう見ゆるに、例の御心は過ぐしたまはで、衣の裾をとらへたまひて、こなたの障子は引きたてたまひて、屏風のはさまにゐたまひぬ。
  →空蝉の時、朧月夜の時の源氏とよく似ている。

 ⑥匂宮「誰ぞ。名乗りこそゆかしけれ」
  →源氏が朧月夜に言うのと同じ
   「なほ名のりしたまへ。いかでか聞こゆべき」(花宴p250)

 ⑦さるもののつらに、顔を外ざまにもて隠して、いといたふ忍びたまへれば、、
  →匂宮も顔を見せず慎重に対処している。何故だろう。
  →「オレはこの屋敷の主だぞ!」ってまでは傲慢に振舞えなかったのか。 

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東屋(20・21・22) 薫、浮舟が二条院に居ることを知る

p66-74
20.中の君、憂愁の薫に浮舟を勧める
 〈p230 いつものようにたいそう親しみ深く、〉

 ①中の君、浮舟のことをほのめかす。
  かの人形のたまひ出でて、「いと忍びてこのわたりになん」とほのめかしきこえたまふを、
  
  薫「いでや、その本尊、願ひ満てたまふべくはこそ尊からめ、時々心やましくは、なかなか山水も濁りぬべく」

  →すぐには飛びつかない薫。匂宮ならすぐ女の元へ駆けつけるだろうに。

 ②薫 見し人の形代ならば身にそへて恋しき瀬々のなでものにせむ
  中の君 みそぎ河瀬々にいださんなでものを身に添ふかげとたれか頼まん
  →「なでものにする」おもちゃと言おうかペットと言おうか、人を愛するという感じはしない。この時点での浮舟に対する薫の感情はこの程度のものだったのだろう。

21.中将の君浮舟を薫へと願う 人々薫を賞賛す
 〈p234 「ではそのお客人に、長年わたしが思いつづけてきたこの思いを、〉

 ①薫「、、いとうひうひしうならひにてはべる身は、何ごともをこがましきまでなん」
  →もうこのセリフ聞き飽きた感じ。男女関係に疎いというのでなく優柔不断そのものである。

 ②中将の君「天の川を渡りても、かかる彦星の光をこそ待ちつけさせめ、、」
  →16段で匂宮を見た時も「七夕ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな」とあった。七夕伝説がお好きな母君である。

 ③薫の素晴らしさを自らの目で見、女房たちの礼讃の言葉を聞いて中将の君の心は固まったことだろう。
  →少将などに嫁がせなくてよかった。薫にこそ浮舟を娶ってもらいたい。

22.中将の君、浮舟を中の君に託して去る
 〈p236 中の君は、薫の君がこっそりお頼みになったことを、〉

 ①中の君「、、、かの世を背きてもなど思ひよりたまふらんも、同じことに思ひなして、試みたまへかし」
  →Let’s try! 飛びこまないと物事は進展しない。

 ②中将の君「、、高きも短きも、女といふものはかかる筋にてこそ、この世、後の世まで苦しき身になりはべるなれと思ひたまへはべればなむ、」 
  →女性は自分では道を切り開けない。親まかせ、男の気持ちまかせ、、哀れな時代であった。

 ③常陸介は中将の君の不在に立腹して迎えの車をよこす。浮舟を中の君の元に残して中将の君は帰る。
  →細かい描写が続くので物語の繋がりがよく分かる。

 ④浮舟 この御方も、いと心細くならはぬ心地に立ち離れんと思へど、いまめかしくをかしく見ゆるあたりに、しばしも見馴れたてまつらむと思へば、さすがにうれしくもおぼえけり
  →まだ浮舟の心内は詳しく語られていないが少なくとも上昇志向はあったのであろう。

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東屋(18・19) 中将の君、中の君と語らう

p58-66
18.中将の君、中の君に浮舟の身柄をゆだねる
 〈p224 中の君のお前に出て来て、〉

 ①中将の君、中の君と対面。浮舟の行末を頼もうとして中の君に会いに来た中将の君としてはここは大事な場面である。

 ②中の君 「大将の、よろづのことに心の移らぬよしを愁へつつ、浅からぬ御心のさまを見るにつけても、いとこそ口惜しけれ」
  →中の君は中将の君の気持ち(浮舟を薫と縁づけたい)を解っているのでさりげなく薫のことを話題に出す。

 ③中将の君「大将殿は、さばかり世に例なきまで帝のかしづき思したなるに、心おごりしたまふらむかし」
  中の君「かの君は、いかなるにかあらむ、あやしきまでもの忘れせず、故宮の御後の世をさへ思ひやり深く御後見歩きたまふめる」
  →薫について心の探り合いである。

 ④中将の君は慎重ながら浮舟の不幸を訴え中の君に後見を依頼する。
  かの過ぎにし御代りに、、
  一本ゆゑにこそはとかたじけなけれど、

  →薫が慕った亡き大君によく似た血のつながった妹。殺し文句である。

 ⑤母君、いとうれしと思ひたり。ねびにたるさまなれど、よしなからぬさましてきよげなり。いたく肥え過ぎにたるなむ常陸どのとは見えける。
  →受領の妻に落ちぶれたとはいえ昔の面影を残し小奇麗な中将の君、ただ太ってしまった! この一言で中将の君の肝っ玉母さん的な感じがよく分かる。

 ⑥浮島(塩竃)、筑波山
  →浮舟の生い立ちの様が象徴的に語られる。

19.薫、来訪 中将の君かいま見て感嘆する
 〈p228 この姫君は、容貌も性質も、〉

 ①浮舟の様子が描写される。
  容貌も心ざまもえ憎むまじうらうたげなり。もの恥ぢもおどろおどろしからず、さまよう児めいたるものからかどなからず。
  →いじらしく可愛い。恥ずかしげだがおっとりしており一廉の才気あり。
  →いいじゃないですか。。

 ②そこへ薫登場、中将の君が覗き見る。
  「いで見たてまつらん。ほのかに見たてまつりける人のいみじきものに聞こゆめれど、宮の御ありさまにはえ並びたまはじ」
  →匂宮を見て目のくらんだ中将の君はそれ以上ではないだろうとやや期待を下げる。

  だが、薫を見て、
   げに、あなめでた、をかしげとも見えずながらぞ、なまめかしうきよげなるや。
  →素晴らしい!これなら浮舟を頼むに言うことなし!と感じ入ったことだろう。

 ③それにしても薫は匂宮のいないスキをついてよく中の君の所にやってくるものですねぇ。

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東屋(15・16・17) 浮舟、中の君のもとへ(二条院へ)

p50-58
15.中将の君、浮舟を連れて中の君の邸に赴く
 〈p218 この姫君の御身内に、〉

 ①この御方ざまに、数まへたまふ人のなきを、侮るなめりと思へば、ことにゆるいたまはざりしあたりを、あながちに参らす。
  →中将の君は介に侮られて逆に上昇志向が固まったのであろう。

 ②中将の君「我も、故北の方には離れたてまつるべき人かは、仕うまつると言ひしばかりに数まへられたてまつらず、口惜しくてかく人には侮らるる」
  →八の宮に見棄てられた悔しい気持ちが甦る。
  →同時に浮舟こそは、、との思いであったのだろう。

16.中将の君、匂宮夫妻の姿を見て心乱れる
 〈p219 ある日、匂宮が二条の院へおいでになりました。〉

 ①匂宮を見ての中将の君の述懐
  「、、この御ありさま容貌を見れば、七夕ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな」
  →この言い方随所に出てくる。匂宮の素晴らしさ。例え一年に一回でも逢ってもらえればそれで満足、、、実感であろう。(実際にはそれでシアワセな筈はないが)

 ②匂宮は若君をあやし中の君と親しく語らい二人きりの時を過ごしている。
  →中将の君は改めて貴人の凄さ、中の君の幸運を羨ましく思ったことであろう。
  →わが浮舟もそれに並び立つ筈、、、上昇志向への思いを新たにした瞬間である。

17.中将の君、匂宮の比ならぬ少将を侮蔑する
 〈p221 匂宮は日が高くなってからお起きになられて、〉

 ①宮、日たけて起きたまひて、、、
  →さぞ中の君と睦まじい夜を過ごしたのであろう。
  →その後匂宮の表の世界(六条院の六の君とのこと)はどうなってるのだろう。

 ②二条院で匂宮に仕える少将の様子を女房たちの口を借りて伝える。
  「かれぞこの常陸守の婿の少将な。はじめはこの御方にと定めけると、守のむすめを得てこそいたはられめなど言ひて、かじけたる女の童を得たるなり」
  →いつもながらうまいものである。

 ③中将の君 少将をめやすきほどと思ひける心も口惜しく、げにことなることなかるべかりけりと思ひて、いととしく侮らはしく思ひなりぬ。
  →浮舟とは破談になったが実の娘の婿になったことには変わりはない。中将の君の浮舟への偏愛ぶりもいささか不自然ではある。

 ④匂宮「今は一夜を隔つるもおぼつかなきこそ、苦しけれ」
  →可愛いわが子(第一子)気持ちは分かる。ということは六の君とはしばしご無沙汰ということだろうか。

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東屋(12・13・14) 中将の君、中の君に一筆啓上

p44-50
12.常陸介、実の娘の婚儀の用意に奔走する
 〈p213 守は婚礼の支度にそわそわ駆け回って、〉

 ①介にとっては予想もしてなかった急な話でテンヤワンヤだったことだろう。
  「女房など、こなたにめやすきあまたあなるを、このほどはあらせたまへ」
  →「女房、貸してくれ」なんてありなんですかねぇ。

 ②介「人の御心は見知りはてぬ。ただ同じ子なれば、さりともいとかくは思ひ放ちたまはじとこそ思ひつれ」
  →少将が乗り換えた娘も中将の君の実の娘。介の嘆きも分かる気がする。

 ③「十五六のほどにて、いと小さやかにふくらかなる人の、髪うつくしげにて小袿のほどなり、、」
  →この娘も妙齢である。娘には罪はない。

13.中将の君、中の君に浮舟の庇護を依頼する
 〈p215 母君と、姫君の乳母は、〉

 ①中将の君、中の君に一筆啓上
  →そんなに親しくもあるまいにこの母君いささか図々しい。

 ②「つつしむべきことはべりて、しばし所かへさせんと思ふたまふる
  →物忌みで方違えが必要。便利な言い訳である。

 ③中の君 「故宮のさばかりゆるしたまはでやみにし人を、我ひとり残りて、知り語らはんもいとつつましけ、、」
  →父が認知してないということは中の君も妹だとは言えない。中の君が煩わしく思うのも道理である。

 ④御方も、かの御あたりをば睦びきこえまほしと思ふ心なれば、なかなかかかることどもの出で来たるをうれしと思ふ。
  →まだ浮舟の心は語られていないが先ずはゆかりある貴人の所へゆけるのは嬉しかったのであろう。

14.常陸介、左近少将を大いに歓待する
 〈p217 守は、新婿の少将のもてなしを、〉

 ①新婿を迎えての介の歓待ぶり
  ただ、あららかなる東絹どもを、押しまろがして投げ出でつ、食物もところせきまでなん運び出でて、ののしりける。
  →ただただ金に飽かせての大盤振る舞い。公家社会からみれば顰蹙の図であろうが、、。
  →少将は「してやったり」と得意げであったのではなかろうか。

 ②家は広けれど、源少納言、東の対には住む、男子などの多かるに、所もなし、、
  →常陸介邸がどこにあったのか不明だが(何となく下町の五条六条あたりではなかろうか)、婿が沢山いて大賑わいだったのであろう。
  →浮舟の住む場所ではなさそうである。

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新潟~北陸に行ってきました。

6月1日~6日、5泊6日で新潟~北陸に行ってきました。金沢を除いて初めての所で何もかも新鮮でした。梅雨入り直前で好天気に恵まれ(むしろ真夏日の連続でポロシャツ1枚で十分だった)楽しんできました。以下一口メモです。

1日目 関越で長岡・新潟へ 新潟市泊
1.新潟県歴史博物館(長岡市): 
  新潟県は「雪と米」の県だとつくづく思った。雪国の暮らしの大変さがよく分かった。(両陛下が植樹祭で長岡に来ておられ沿道は日の丸を持った人でいっぱいだった)

2.河井継之助記念館(長岡市):
  やはり司馬遼太郎の峠の影響が大きい。長岡は戊辰戦争で戦火にまみれ米軍の空襲も受けている。継之助と米百俵の小林虎三郎が近所の幼馴染とは知らなかった。

3.新潟県政記念館:
  信濃川沿い、明治の県会議事堂がそっくり保存されていて興味深かった。新潟市は長岡と違って空襲を受けていない(8月9日(長崎原爆)のターゲットの一つだったし、次は新潟だという噂で皆市外に逃亡し市内はガラガラになったとのこと)。ただ新潟地震の爪痕は大きい。(新潟地震は64.6.16 直前に新潟国体があり設備を新しくしたのに地震で液状化、大変だった由)

2日目 日本海沿いを北上 けっこう長丁場だった。富山市泊
4.佐潟公園:
  街道をゆく「潟のみち」さながら潟が多い。ここは野鳥観察の公園。北国街道沿いにあり傍らに芭蕉の句碑「荒海や~」。付近は長閑な田園風景が続く(田植え後一ヶ月くらいだろうか)。

5.弥彦神社:
  さすが越後一の宮 弥彦山を背景に結構なお社。隣接して宝光院という寺院があり芭蕉の句碑「荒海や佐渡によこたふ天河」何とこの寺が弥彦競輪の入り口。折しも開催中で競輪を見たことないというカミさんのため第1レースを見学?(ちょっと買ったけど勿論ハズレ)。弥彦神社境内に競輪場とはいやあ、驚きでした。

6.良寛記念館、良寛と夕日の丘公園(出雲崎):
  高台から眺める日本海は最高。芭蕉の句碑もあり。この日は「荒海や」ではなく静かな海でむしろ「暑き日を海に入れたり出雲崎」だった。
  良寛: 霞立つ永き春日に子どもらと手まりつきつつこの日暮らしつ
   →良寛は子どもと手まり、雪国にようやく春が来た。喜びが伝わってくる。

7.春日山神社:
  死して謙信神となる。銅像あり。この雪深い越後・信濃を平らげるのはさぞ大変だったろう。大河ドラマの歴代謙信をチェックしてみた。(「天と地と」石坂浩二(銅像はこの直後らしい、石坂浩二に似ているとも)、「風林火山」ガクト、「天地人」阿部寛)

  時間なく市振、親不知子不知は行けず(親不知の道の駅に寄ったのみ)

3日目 富山~金沢 金沢泊
  富山市は立山連峰の街であった。2日富山に向かう北陸道の車窓からはバッチリ見えていたのだが市内に入ると靄っててボンヤリしか見えず残念だった。

8.富山城址公園、富山市郷土博物館、富山市役所展望塔:
  加賀百万石の分家 そのまま明治まで前田が納めている(金沢と同じ)。市役所の展望塔はユニークで絶好の立山展望塔だろうと期待して行ったががほんのボンヤリとしか見えず。

9.ひがし茶屋街(金沢):
  公開している茶屋(志摩)に上がって色々説明を聞いた。お茶屋の遊びにはお金だけでなく教養がないとダメと聞いて「一見さんお断り」の意味がよく分かった。

10.近江町市場:
  昼食に寿司を食べた。さすが絶品だった。極大の鯛のカブトが300円で売っていて毎日でも来たいとカミさんは羨ましがっていた。

12.長町武家屋敷跡、野村家、老舗記念館:
  落ち着いた一角で風情があった。暑い日で川の清流が涼しげだった。江戸時代からの薬屋を移築した老舗博物館は興味深かった(富山の薬屋に行けず残念に思ってたが金沢で遭遇できた)

4日目 金沢~三国 あわら温泉泊
13.兼六園、金沢城:
  ここは何度目かだが新緑とカキツバタがきれいだった。ボランテイアガイドではないがそれ風のオジさんが色々説明してくれた。金沢城は築城後400年以上一度も戦火を浴びていない。天守閣は建造後すぐ焼失して再興はできなかったがこれも将軍家への恭順を示すため、将軍家とは縁戚も結び結局幕末まで転封改易は勿論減封もなく百万石を維持できた。兼六園の水は犀川から運河で取っており更にサイフォン原理で石管を通し金沢城まで運んでいた、、、等等。加賀百万石、生き残りの極意があったのであろう。空襲もなかったし金沢は恵まれていたと思った。芭蕉の句碑「あかあかと日は難面もあきの風

14.願念寺(寺町):
  小杉一笑の墓所。ひっそりした寺。「塚も動け我が泣く声は秋の風」の句碑。一笑も早世だったが芭蕉のお蔭で墓には花が絶えていない。「よかったなあ、一笑さん!」とつぶやいて来た。

15.多太神社(小松):
 「むざんやな甲の下のきりぎりす」斎藤別当実盛を偲ぶ。神社には誰もおらず保存されているという兜は見れなかった(公開はしていないのだろう)。境内の大木の上に何とアオサギが何羽も留まり異様な声で鳴いていた。

16.本折日吉神社(小松、多太神社の近く):
  ごちゃごちゃと色々並んでいた。「しほらしき名や小松吹く萩すすき」の句碑。なるほど小松には松の木が多い。

17.那谷寺(小松市):
  あっと驚く奇岩の風景。「石山の石より白し秋の風」の石山は石山本願寺のことだろうと思っていたがここの奇岩を見てやはり那谷寺のことだろうと考えを変えた。

18.全昌寺(加賀市):
  曽良が泊り次の日芭蕉が泊った寺。立派な本堂。柳の木の下に句碑「終宵秋風聞くやうらの山」「庭掃きて出でばや寺に散る柳」。別棟に五百羅漢像が並んでおり圧巻だった。

あわら温泉泊 山あいでもなく海沿いでもない街中の温泉町だった。すぐ近くに三国競艇場。ここ目当てのお客もあるのだろうか。

5日目 福井
19.東尋坊:
  見たことない景色、船で岩場に入っていくのも迫力満点。穏やかな海だったが一度荒れれば大変なのだろう。

20.丸岡城(坂井市):
  現存する日本最古の木造天守閣。コンパクトな城で眺めがよかった。「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」。短い手紙コンクールの作品が一杯貼られていた。

21.天龍寺:
  永平寺に行く途中。小さな寺。何か催し物でもあるのか車が一杯停められていた。ここで北枝と別れた。余波の碑「物書きて扇引きさく余波哉

22.永平寺:
  今回の旅行で初めての雨、それも相当強く。門前で昼食を取り雨宿りしていると店の人は永平寺は雨に濡れないから大丈夫だと言う。行ってみてその訳が分かった。大伽藍が廊下でつながっている。法堂で若い雲水二人が声明の稽古をしていた。「ダメだな、そこちゃうぞ」「なかなかできんわ」 微笑ましかった。

23.福井城址:
  県庁になっており一部城跡と福の井(井戸)が残されていた。北の庄城址にも行きたかったが時間がなかった。福井は柴田勝家とお市の方&三姉妹、幕末は松平春獄で歴史小説の舞台に事欠かない。

(余談)この日行った海鮮居酒屋の板前さんが大の話好き、スポーツの話題で盛り上がった。高校野球からプロ野球まで。特に今年正月の高校サッカー、富山第一対星陵(後半42分まで2-0でリードしていた星陵に富山第一が追いつき延長戦で逆転勝ちした)。更に松山くんのメモリアルトーナメント迄、延々と面白かった。

6日目 帰途へ
  奥の細道には福井での素晴らしい話(源氏物語夕顔を下敷きにした)が書かれているのに残念ながら句がないのでこの話を偲ぶよすががない。ちょっと残念。

24.紫式部公園(武生市):
  武生市にとって紫式部はかけがえのない人物なのであろう。寝殿造りの庭園に紫式部の金色の像(なんで金色なんだろう)。歌碑もあり「春なれどしらねのみゆきいやつもりとくべきほどのいつとなきかな」。公園の回りの道路には源氏物語巻名と源氏香の記号が。背景の日野山もきれいだった。式部はここで1年半を過ごしたのか、、、感慨深かった。

25.気比神宮・気比の松原(敦賀市):
  さすが伝統のお社、風格があった。句碑「月清し遊行のもてる砂の上」「名月や北国日和定めなき
  気比の松原で色の浜方面を眺めた。300年前は寂しかったのだろうが今はすぐそばに敦賀原発。

賤ヶ岳SAで最後のお土産を買い帰途についた。こんな山深い所で戦いがあった。これも雪のせいなのかなあと考えた。

(オマケ)
印象に残った所ベストスリー:
 1.那谷寺の奇岩
 2.ひがし茶屋 志摩のお座敷
 3.新潟県政記念館 明治の県会議事堂
 番外 弥彦競輪場

食べたもの:
 1.のどくろの塩焼き(金沢)
 2.がさエビ(福井の居酒屋で、すぐ色が変わるので地元以外は食べられない由)
 3.寺泊で買い食いした鯖の串焼き
 番外 永平寺門前のおろし蕎麦(海鮮尽くしだったのでサッパリしておいしかった) 

(以上備忘録です)

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