横笛(1・2) 柏木の一周忌

横笛 亡き人の手なれの笛に寄りもこし夢のゆくへの寒き夜半かな(与謝野晶子)

柏木が亡くなりその遺愛の横笛を小道具に真面目男夕霧の恋物語が始まります。結構現実っぽくて私はこの物語が好きです。

p12 – 17
1.柏木の一周忌 源氏・夕霧の志厚し
 〈寂聴訳 巻七 p76 柏木の故権大納言がはかなくお亡くなりになった悲しさを、〉

 ①G49年春、柏木が亡くなってから1年。一周忌です。

 ②薫も1才、すくすくと育っている(いはけなき御ありさま)。
  黄金百両をなむ別にせさせたまひける
  →お金が出てくる。これは砂金のようだが単位は両であったのか。
  →源氏の心境や如何。柏木への憎しみは薄らいだのであろうが完全に払拭されてはいまい。

 ③夕霧もまめに一条宮&致仕の大臣(頭中)邸を訪れている。
  →脚注にある通り今後の主人公夕霧のことが語られる。
 
2.朱雀院、女三の宮へ山菜に添えて歌を贈る
 〈p77 女二の宮も、こうしてお若い身空で未亡人になられ、〉

 ①西山に居る朱雀院、病気も一段落かまだ永らえて俗世(娘たち)を心配している。
  →女三の宮は出家、女二の宮は未亡人に。朱雀院もお気の毒。でも帝の父ですぞ!

 ②朱雀院から女三の宮に山菜 筍(たかうな)・野老(ところ)が送られてくる。
  →竹の子と山芋。珍味であったのだろう。

 ③朱雀院 世をわかれ入りなむ道はおくるとも同じところを君もたづねよ
  女三の宮 うき世にはあらぬところのゆかしくてそむく山路に思ひこそ入れ
  →朱雀院の歌はやはり未練がましい(そこまで女三の宮が愛おしかったのであろう)。
  →女三の宮の返歌。尼らしくていいのでは。源氏の面目など知ったことではないでしょう。
  →三条の邸を修繕して女三の宮を移らせようとの話があったが源氏が反対して六条院においているのであろう。

 ④女三の宮の尼姿
  いとうつくしくらうたげなる御額髪、つらつきのをかしさ、ただ児のやうに見えたまひて、いみじうらうたき 
  →相変わらず幼い様子。源氏も痛々しく感じたことだろう。

 ⑤御几帳ばかり隔てて、またいとこよなうけ遠くうとうとしうはあらぬほどに、もてなしきこえてぞおはしける
  →女三の宮は出家しているので几帳ごしに対話する。勿論触れることはできない。
  

カテゴリー: 横笛 | 2件のコメント

柏木 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

柏木のまとめです。

和歌

72.行方なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ
    (柏木)     あはれ、衛門督!

73.柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か
    (女二の宮)   まめ男、夕霧物語の始まり

名場面

74.六条院にいささかなる事の違ひ目ありて、月ごろ心の中に、、、
    (p259   夕霧に後事を託し柏木死去)

75.あはれ、残り少なき世に生ひ出づべき人にこそ」とて、抱きとりたまへば
    (p270  若君(薫)五十日の祝儀)

[柏木を終えてのブログ作成者の感想]

柏木を終えました。若菜上下・柏木ここまでが一つながりだと思います。長いし重いし疲れましたね。重厚な長編名画を見終わった達成感・満足感・虚脱感みたいじゃないでしょうか。

柏木の評価・受けとめ方について色々ご意見いただきました。人間の強さ・弱さ、優しさ・恐ろしさ、様々な角度から議論ができると思います。柏木は死にましたがストーリー上では生き続けることになります。柏木のこと考え続けていきたいと思います。

「柏」について式部さんから興味深いコメントをいただきました。柏は落葉樹だが来春まで葉が落ちないこと知りました。柏木のことを考える貴重なヒントとして記憶しておきたいと思っています。
  →「若菜下 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括」 コメント欄参照

「柏木」の巻は宇治十帖への布石・序曲の位置づけもあるかと思います。何せ宇治十帖の主人公の一人薫が誕生しているのですから。
  →宇治十帖の年立は薫の年をベースにするのでこの巻がスタートです。
  →即ち G48年=K1年 ということです。
  →国宝絵巻にある源氏が薫を抱く所、源氏物語屈指の名場面だと思います。
   
布石としては柏木2.で病床の柏木が小侍従を介して女三の宮に贈る「あやしき鳥の跡のやう」な手紙が後で出て来ます。頭の隅においていただけばと思います。

では、柏木物語のエピローグ&夕霧物語への展開たる「横笛」に移ります。

カテゴリー: 柏木 | 8件のコメント

柏木(12・13) 夕霧、女二の宮に恋情を訴える&柏木物語の終章

p290 – 297
12.夕霧、一条宮を訪れ、落葉の宮と贈答する
 〈p67 あの一条の宮にも、夕霧の大将はいつもお見舞いにいらっしゃいます。〉

 ①G48年4月 その後夕霧は足しげく一条宮に通っている。
  蓬が繁り薄も青々としている。

 ②柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して枝さしかはしたる
  →連理の枝が登場する。

 ③夕霧 ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと
  →女二の宮への恋情を直接的に訴えた歌。思い切った歌ではなかろうか。

  女二の宮 柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か 代表歌
  →この歌を一条御息所の歌とする説あり(脚注12)寂聴訳円地訳は女二の宮、リンボウ訳は御息所説
  →やはり女二の宮の返歌とするのが自然であろう。
  →この歌拒絶の歌だが、臨機応変の返歌があったことに夕霧は満足する。脈ありだぞ。

 ④一条御息所(病気になっている)との対話をしながら夕霧は女二の宮のことについてあれこれ想像する。
  この宮こそ、聞きしよりは、心の奥見えたまへ、あはれ、、、、
  容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、、、、

  →女二の宮、容貌はともかく心根は良いに違いない、、、夕霧の想像は膨らむばかり。
  →柏木の遺言で妻のことよろしく頼むと言われている、、、これが大きい。
  →真面目な夕霧は柏木と異なり飽くまで真面目路線で迫ろうと必死になる。

 この段から夕霧の女二の宮への恋物語が始まります。今まで浮ついたところのなかった真面目男が親友の未亡人(皇女)に恋心を抱く。どうなりますやらお後が楽しみであります。

13.諸人すべて柏木を哀悼し、頌賛する
 〈p73 「右将軍が塚に草はじめて青し」と、〉

 ①「柏木」の終章は世の中挙げての柏木への哀惜の念で締め括られる。
  右将軍が塚に草初めて青し
  →藤原保忠の死(936年没・47才)を悼む漢詩を引いている(当時有名だったか)。

 ②柏木は藤原摂関家の長にと嘱望された若公達 32~3才での若死には如何にも惜しい
   「あはれ、衛門督!」
  今上帝も源氏も朱雀院も玉鬘もみなみな柏木の死に「あはれ」を感じたことだろう。
  →源氏の「あはれ!」は人とはチト違ったものだったかも。

 ③この若君を、御心ひとつには形見と見なしたまへど、人の思ひよらぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君はゐざりなど。
  →またまた凄い終わり方。この不義の子の運命やいかに。

 ④脚注に「死への運命をみごとに生きた柏木賛歌ともいうべき結び」とあるが、柏木の生き方・死に方には議論のあるところであろう。
 

カテゴリー: 柏木 | 2件のコメント

柏木(11) 夕霧、柏木の父(頭中)を訪ねる

p286 – 290
11.夕霧、致仕の大臣を訪ね、故人を哀悼する
 〈p63 前の大臣のところに、帰りにそのまま立ち寄られますと、〉

 ①一条宮へ見舞いの帰り夕霧は柏木の実家(二条頭中邸=昔の右大臣二条邸)を訪れる。
  →致仕の大臣(頭中)にとって夕霧は甥(妹葵の上の息子)&娘雲居雁の夫&息子柏木の親友
  →夕霧の顔を見て涙が止まらなかったのも無理なかろう。

 ②頭中は妹葵の上が亡くなった時のことを回想する(当時5~6才か)
  →追悼場面としては母大宮の一周忌で夕霧との仲直りのきっかけをつかむシーンを思い出す(藤裏葉2)。
  →この人、追悼ばかりしている印象があるが今回は逆縁。何ともお気の毒である。
  
 ③頭中 木の下のしづくにぬれてさかさまにかすみの衣着たる春かな
  夕霧 亡き人も思はざりけむうちすてて夕のかすみ君着たれとは
  →将来を嘱望されていた藤原摂関家の若き跡継ぎの死亡 
  →父頭中が事の経緯を知らないのが哀れである。でも知っていたらその方が地獄だったかも。

(本日は短かいですがこれで終わりです)

カテゴリー: 柏木 | 2件のコメント

柏木(10) 夕霧、女二の宮を見舞う

p277 – 286
10.夕霧、一条宮を訪問、御息所と故人を語る
 〈p56 一条の二の宮は、なおさらのことお悲しみも深く、〉

 ①一条宮=一条 現京都御所の一角
  一条御息所(朱雀院の更衣)の里。御息所は朱雀院出家後この里邸に移っている。
  ここに柏木が婿入り(女二の宮に)していた。
  柏木と女二の宮の結婚は空白の4年間か。結婚後4~5年だったのだろうか。

 ②好みたまひし鷹、馬など
  もて使ひたまひし御調度ども、常に弾きたまひし琵琶、和琴など 

  →柏木が結構女二の宮の所に通っていたことが分かる。

 ③三月になりやっと時間のできた夕霧が弔問に訪れる。
  未亡人女二の宮に代り母一条御息所が応対する。

  一条御息所の長い口上 
   女二の宮と柏木を結婚させるべきではなかった、皇女は独身でいるべきだったと悔恨。
  →これが当時の通念だったのかも。

 ④柏木は夕霧の5~6才年長。夕霧27才・柏木32~3才。
  柏木 いと若やかになまめき、あいだれてものしたまひし
  夕霧 いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる
  →柏木と夕霧の比較。夕霧の秀才タイプぶりがよく分かる。

 ⑤夕霧 時しあればかはらぬ色ににほひけり片枝枯れにし宿の桜も
  一条御息所 この春は柳のめにぞ玉はぬく咲き散る花のゆくへ知らねば
  →夕霧の応対に母が出てくるところがちょっと不思議。才に長けた更衣だったことを強調したいためか。

カテゴリー: 柏木 | 4件のコメント

柏木(8・9) 若君の五十日の祝儀

p265 – 276
8.若君の五十日の祝儀 源氏感慨に沈む
 〈p46 三月になりますと、〉

 ①三月、若君(薫)の五十日の祝儀
  若君 いと白ううつくしう、ほどよりはおよすけて、物語などしたまふ
  →人々の複雑な心境をよそに順調にすくすくと育っている。

 ②源氏は毎日女三の宮の所に顔を出す。
  →二条院の紫の上はまずまず回復し小康状態なのであろう。

 ③出家した母女三の宮の尼削ぎ姿。
  →女三の宮、まだ22-3才。尼姿は何とも中途半端である。
  →源氏は「何でこんな姿に!」と恨めしく思う(女三の宮への憐情八分・好色心二分か)

 ④源氏→女三の宮 「かひなのことや。思し知る方もあらむものを」
  →源氏は女三の宮を見ると皮肉を言ったりいじわるを言ったり。やはりすっぱりと許す気持ちにはなれない。

 ⑤「あはれ、残り少なき世に生ひ出づべき人にこそ」とて、抱きとりたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。
  源氏が五十日の祝いで薫を抱く場面 = 国宝源氏物語絵巻 柏木(三)

  →様々な想いが錯綜する名場面ではなかろうか。この場面を基に語り合いたいものですね。

 ⑥若君 ただ今ながら、まなこゐののどかに、恥づかしきさまもやう離れて、かをりをかしき顔ざまなり。
  →この不義の若君を「薫」と呼ぶのはここから。宇治十帖の主役の一人です。

 ⑦五十八を十とり棄てたる御齢なれど、
  →源氏が今48才であることを示す重要な一文

 ⑧源氏→女三の宮 「この人をばいかが見たまふや。かかる人を棄てて、背きはてたまひぬべき世にやありける。あな心憂」
   誰が世にか種はまきしと人問はばいかが岩根の松はこたへむ

  →これは強烈。源氏の意地悪さがよく表れている。女三の宮が可哀そう。
  →物語中屈指の辛辣な歌であろう(この歌あまり好きになれません)。

9.夕霧、柏木を回想 致仕の大臣の悲傷
 〈p54 夕霧の大将は、あの亡くなった衛門の督が思い余って、〉

 ①夕霧は柏木の今際の言葉を反芻し女三の宮が出家したことを想い合わせ「若君は柏木の子どもに違いない」と思い至る。

  さるまじきことに心を乱りて、かくしも身にかふべきことにやはありける
  →秀才の夕霧には柏木の妄動は理解しがたい(柏木の行動を非難)。

 ②父大臣(頭中)・北の方 法事も自らできないほど憔悴している。
  →無理ないだろう。若君はアナタ方の孫なんですよ!叫んでやりたい気持ちです。

カテゴリー: 柏木 | 6件のコメント

柏木(7) 柏木 死す

p251 – 265
7.柏木、夕霧に告白、御事を託して死去する
 〈p36 あの柏木の衛門の督は、〉

 ①柏木、女三の宮出家と聞き病状悪化する。
  →出家までさせてしまったかとの罪の意識、もう逢瀬もできないとの絶望

 ②女宮(二の宮)のあはれにおぼえたまへば、、、、
  →今さら何を? 少しでも女二の宮を想う心があったのなら自制もきいたのではないか。
  →源氏に睨まれて逃げ帰ったのは実家(父大臣邸)、自立できてない男と言うべきか。

 ③柏木、死後の女二の宮のことを母北の方・弟たちに頼む。
  母北の方「いで、あなゆゆし。後れたてまつりては、いくばく世経べき身とて、、、、」
  →確か母北の方(頭中の正妻)が物語中発言するのはこの場面だけではなかったか。

 ④朱雀院の感想が挿入される。
  なかなか、この宮は行く先うすろやすく、まめやかなる後見まうけたまへり
  →朱雀院の正直な感想であろう。女三の宮を柏木に託しておけばよかったのに、、、。

 ⑤帝、柏木を権大納言に昇進させる。
  →柏木は幼少の帝に近しく仕えてきた。少しでも元気になって欲しいとの帝の想い。
  →こんな馬鹿なことさえしなければ柏木は世の重鎮であり得た!

 ⑥そして夕霧の登場。夕霧に遺言を託す。
  夕霧が病床の柏木を見舞った場面 = 国宝源氏物語絵巻 柏木(二)

  早うより、いささか隔てたまふことなう睦びかはしたまふ御仲なれば、
  →源氏と頭中との間柄とそっくりである。親友にしてライバル。

 ⑦柏木の夕霧への告白
  六条院にいささかなる事の違ひ目ありて、月ごろ、心の中に、かしこまり申すことなむはべりしを、いと本意なう、世の中心細う思ひなりて、病づきぬとおぼえはべしに、、、、
  →今際の口上。柏木の真情が吐露されている。
  
  夕霧 心の中に思ひあはすることどもあれど、さしてたしかにはえしも推しはからず
  →夕霧はどこまで真相を知っていたのであろうか。
  →女三の宮との危険な関係は感づいていたが若宮の父が柏木だとまでは思ってなかったのか。これも感づいていたとする方が妥当だろうか、、、。

 ⑧夕霧、何でそんなこと(源氏へのとりなし)もっと早く言ってくれなかったのか。
  →柏木が夕霧に一切を打ち明けていたら、、、これも面白かったかもしれません。

 ⑨柏木の遺言 一条にものしたまふ宮、事にふれてとぶらひきこえたまへ 
  →この一言が後の展開に大きな意味を持つことになる。

 ⑩柏木 死亡 泡の消え入るやうにて亡せたまひぬ
  →如何にも弱りきって息を引き取った感じ。
  →今まで女君死亡の描写は(桐壷更衣・葵の上・六条御息所・藤壷)いっぱいあったが男は初めてか。

 ⑪柏木の死を悲しむ人々
  →父頭中・母北の方には柏木が何で死んだのか訳が解らずただただショックだったろう。
  →女三の宮の心境は複雑だったろう。
  →肝心の源氏の想いは書かれていない。これも省筆の妙だろうか。

カテゴリー: 柏木 | 2件のコメント

柏木(5・6) 女三の宮 出家

p240 -251
5.朱雀院、憂慮して下山 女三の宮出家する
 〈p27 山の朱雀院は、女三の宮のお産が御無事に終ったとお聞きあそばして、〉

  朱雀院が女三の宮を見舞った場面 = 国宝源氏物語絵巻 柏木(一)

 ①朱雀院、G40年女三の宮を源氏に嫁がせ出家して西山で仏道修行をしている。
  その院が女三の宮安産の報に安堵するものの女三の宮の病重しと聞いて下山してくる。
  →出家の院が嫁いだ娘を心配して訪ねてくるなんてあり得ないだろう!
 
 ②朱雀院の心持ち  源氏への失望と怒り
  愛しい女三の宮を源氏なら大事にしてくれるだろうと託したのに冷遇している。ケシカラン!
  →気持ちは分かるが出家者のやることではなかろう。
  →そこまで女三の宮のことが心配だったのだろう。分かる気もするが、、、。

 ③出家させてほしい懇願する女三の宮、已む無いかと考える朱雀院
  →源氏はなりふり構わず反対し説得するべきところだろうに。
  →やはり出家させるのも仕方ないかとの心が入っているのだろうか。 

 ④朱雀院の心内
  →源氏への怒り、道理であるし尼にして三条邸に住まわせようとするのは名案決断であろう。

 ⑤女三の宮出家
  御髪おろさせたまふ。いと盛りにきよらなる御髪をそぎ棄てて。忌むこと受けたまふ作法悲しう口惜しければ、大殿はえ忍びあへあまはず、いみじう泣いたまふ
  →源氏はどんな気持ちだったのだろう。面目丸つぶれで無力感を感じたのではないか。
   (出家の結末を拱手受動的に受けとらせられる源氏の威厳はもはや形骸化している(脚注)
 ⑥朱雀院の六条院への行幸(訪問)
  ・G39年 冷泉帝ともども行幸 紅葉の賀宴 (藤裏葉)
  ・G47年暮 五十の賀
  そして今回で三度目。9年前の紅葉の賀宴の華々しさが思い出される。

6.六条御息所の物の怪、またも現れる
 〈p35 後夜の御加持の最中に、物の怪が現れて、〉

①女三の宮が出家したその夜、またも六条御息所の物の怪が現れる。
  →またも出たか、ついに出たか。
  (夕顔) → 葵の上 → 紫の上 そして 女三の宮
   誠にしつこい。

 ②女三の宮の病気は産後の疲れと女三の宮自身の気患いによるものかと思っていたが、実は六条御息所の物の怪に憑りつかれていた。
  →源氏はここでも自分の女性遍歴が関わっていると知り慄然としたのではないか。

カテゴリー: 柏木 | 2件のコメント

柏木(3・4) 女三の宮 男子出産、出家を望む

p232 -240
3.女三の宮、男子を出産 産養の盛儀
 〈p21 女三の宮は、この日の夕暮頃からお苦しみになられたのを、〉

 ①G48年正月 女三の宮 出産
  これまでの出産場面:
   不義の息子 冷泉帝: G19年2月 @紅葉賀(源氏・藤壷の戸惑い)
   長男夕霧: G22年夏 @葵(六条御息所に苛まれての葵の上必死の出産)
   明石の姫君: G29年3月 @澪標(明石での出産、源氏は立ち会わず)
   明石の女御の一の皇子: G41年3月 @若菜上(初孫の誕生、源氏大喜び)

  そして今回 女三の宮腹の皇子(後の薫):G48年正月 @柏木
  →実にバラエテイに富んだラインアップではなかろうか。

 ②源氏の胸中
  「あな口惜しや、思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし」
  →この一文に尽きよう。どうしても単純には喜べない。

 ③男児の誕生
  女児なら深窓に隠して育てられるが男児は人目に触れる。出自がばれないか心配。
  →藤壷との不義の子も男児だった。何を今さら、、、。

 ④さてもあやしや、わが世とともに恐ろしと思ひし事の報いなめり
  →男児誕生と聞いて30年も前のことがまざまざと蘇ったことだろう。

 ⑤産養の盛儀
  五日夜は秋好中宮より(冷泉院の思し召しであろうか)
  七日夜は内裏(今上帝)より

  致仕大臣(柏木の父=頭中)からはただ一通りの挨拶のみ
  →読者としては「頭中よ、これはアナタの孫なんですよ!」と叫びたいところである。  

4.女三の宮出家を望み、源氏これに苦慮する
 〈p24 女三の宮はあれほど華奢で弱々しいお身体で、〉

 ①女三の宮は出産を終え疲れと精神的不安定で衰弱している。
  身の心憂きことをかかるにつけても思し入れば、さはれ、このついでにも死なばやと思す。
  →ここは本来夫こそが一番励まし勇気づけねばならないところ。それなのに源氏は冷たい。

 ②「出家して尼になりたい」
  女三の宮 いとおとなびて聞こえたまふ 
  →出産を経て女三の宮も成長している。修羅場をくぐった人は強くなる。

 ③源氏の心内
  女三の宮を許すことはできない。尼にしてしまうのも一案だがそれも可哀そう。
  →正直なところであろう。でも源氏は何故許せなかったのだろう?桐壷帝は許したのかもしれないのに、、、。

カテゴリー: 柏木 | 2件のコメント

柏木(2) 柏木・女三の宮 最後の歌の贈答

p220 – 231
2.柏木、小侍従を介して、ひそかに宮と贈答
 〈p12 なぜこんなふうに、明日をも知れぬ命にしてしまっただろうかと〉

 ①病をおして女三の宮に手紙を書く。
  →衰弱して手はわなわなと震える。執念としか言いようがない。

 ②柏木→女三の宮
   いまはとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ
     あはれとだにのたまはせよ。
  →ちょっと怖い歌ではないでしょうか。
   「あわれな男よ」と言ってもらえないなら成仏できずあなたの辺りで彷徨い続けますよ。

 ③小侍従が柏木の手紙を女三の宮に取り次ぐ。
  →女三の宮は出産間近で不安な日々、柏木のことなど思い出したくもない。
  →小侍従の無理強いに已む無く返事を認める。

 ④父致仕大臣(頭中)は柏木の病気の理由が分からない。加持祈祷に頼るしかない。
  →憑りついた物の怪を追い出そうと高僧の大声での読経だったのだろう。
  →柏木は自分に物の怪などついてないこと知っているので却って煩わしい。
  →何も知らない父頭中も可哀そうである。

 ⑤小侍従が持ってきた女三の宮からの返書を見る。
  女三の宮 立ちそひて消えやしなましうきことを思ひみだるる煙くらべに
   →「ぼくは、『源氏物語』最高の和歌はこの歌だと思います」(丸谷才一)

  柏木 行く方なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ 代表歌
   →「柏木の返歌は実に出来が悪い」(丸谷才一)
   →「散文を五七五七七にしただけのまことに能のない歌」(大野晋)

  確かに女三の宮の返歌は素晴らしい。でも柏木の返歌もそれなりにいいと思うのですが。少なくとも両氏のようにボロクソにけなすこともないでしょうに(瀕死の柏木必死の歌ですぞ)。

 ⑥御返り、臥しながらうち休みつつ書いたまふ。言の葉のつづきもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、
   →柏木最後の力を振り絞っての返書(この返書が後の宇治十帖で重要な小道具として登場する)

 ⑦この段、「あはれ」という言葉が頻出する。
  ・あはれとだにのたまはせよ
  ・侍従にも、懲りずまに、あはれなることどもを言ひおこせたまへり
  ・おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど、
  ・こまやかに語らひたまふもいとあはれなり
  ・かつはいとうたて恐ろしう思へど、あはれ、はた、え忍ばず、

  →「柏木のこの哀切な気持は、源氏物語の中でも、際立ってあわれ深い。男の悲恋の嘆きが、こうも格調高いしらべで歌いあげられているのは見事である。源氏物語の中で好きな男性を挙げよといわれたら、私は柏木を第一にあげる」(瀬戸内寂聴)

  →源氏物語の主題は「もののあはれ」と言われるが通常雄々しく男らしくあるべき男性も恋におちて女々しくなる、、、これを「もののあはれ」と言うのだとのこと(どこで読んだか思い出せませんが)。
 

カテゴリー: 柏木 | 2件のコメント