p290 – 297
12.夕霧、一条宮を訪れ、落葉の宮と贈答する
〈p67 あの一条の宮にも、夕霧の大将はいつもお見舞いにいらっしゃいます。〉
①G48年4月 その後夕霧は足しげく一条宮に通っている。
蓬が繁り薄も青々としている。
②柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して枝さしかはしたる
→連理の枝が登場する。
③夕霧 ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと
→女二の宮への恋情を直接的に訴えた歌。思い切った歌ではなかろうか。
女二の宮 柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か 代表歌
→この歌を一条御息所の歌とする説あり(脚注12)寂聴訳円地訳は女二の宮、リンボウ訳は御息所説
→やはり女二の宮の返歌とするのが自然であろう。
→この歌拒絶の歌だが、臨機応変の返歌があったことに夕霧は満足する。脈ありだぞ。
④一条御息所(病気になっている)との対話をしながら夕霧は女二の宮のことについてあれこれ想像する。
この宮こそ、聞きしよりは、心の奥見えたまへ、あはれ、、、、
容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、、、、
→女二の宮、容貌はともかく心根は良いに違いない、、、夕霧の想像は膨らむばかり。
→柏木の遺言で妻のことよろしく頼むと言われている、、、これが大きい。
→真面目な夕霧は柏木と異なり飽くまで真面目路線で迫ろうと必死になる。
この段から夕霧の女二の宮への恋物語が始まります。今まで浮ついたところのなかった真面目男が親友の未亡人(皇女)に恋心を抱く。どうなりますやらお後が楽しみであります。
13.諸人すべて柏木を哀悼し、頌賛する
〈p73 「右将軍が塚に草はじめて青し」と、〉
①「柏木」の終章は世の中挙げての柏木への哀惜の念で締め括られる。
右将軍が塚に草初めて青し
→藤原保忠の死(936年没・47才)を悼む漢詩を引いている(当時有名だったか)。
②柏木は藤原摂関家の長にと嘱望された若公達 32~3才での若死には如何にも惜しい
「あはれ、衛門督!」
今上帝も源氏も朱雀院も玉鬘もみなみな柏木の死に「あはれ」を感じたことだろう。
→源氏の「あはれ!」は人とはチト違ったものだったかも。
③この若君を、御心ひとつには形見と見なしたまへど、人の思ひよらぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君はゐざりなど。
→またまた凄い終わり方。この不義の子の運命やいかに。
④脚注に「死への運命をみごとに生きた柏木賛歌ともいうべき結び」とあるが、柏木の生き方・死に方には議論のあるところであろう。
夕霧と女二の宮の和歌 印象に残ります。
返歌は私も女二の宮のものだと思いたいです。
その方が話の流れとしていいですもの。
連理の枝が出てきましたか・・・
「桐壺」の所でも比翼の鳥 連理の枝が出てきましたよね。
真面目な夕霧の珍しく積極的な迫り方・・・
柏木の許しがあったとはいえその本心は亡きあと女二の宮を貰い受けて欲しいではなく単なる見舞ってやって欲しいぐらいの意味ではないかと思うのですがここら辺に夕霧の性格が顕著です。
何やら先が心配ですが不穏な事にならなければ・・・
でも何かあったほうが物語としては断然おもしろい!!
柏木の巻 最後の終わり方見事ですね。
こういう書き方のできる紫式部 すごいです。
柏木の生き方 死に方 それぞれ意見が分かれるところでしょうね。
当初私はどうしようもない軟弱、浅慮 分別亡きバカな男と軽蔑していました。
清々爺さんにもこういう男をどう思われますかと質問したような気がします
でもだんだんと柏木がそれこそ憐れでなりません。
滅びゆくもの 死にゆくものに対して本当に私は弱いんです。
ということで今回の歌は悲劇の貴公子 柏木を偲んで
神宿る柏の葉守哀しけれ
命果つとも名こそ忘れじ
ありがとうございます。
1.柏木が皆に惜しまれながら舞台を去って行く。その柏木に替り夕霧が舞台の中央に出てくる。そして舞台の隅では柏木の忘れ形見の薫が成長している。。。。見事な展開だと思います。
2.柏木の評価、色々にあると思います。女二の宮を蔑ろにしたことを思えばケシカランと思う一方源氏が女三の宮を大事にしてなかったことへの義侠心からと思うと同情の余地はあるし、、、。法廷でいや白熱教室で検察側と弁護側に分かれて議論するに匹敵するテーマじゃないでしょうか。
でも万人が、「あはれ、衛門督!」の感慨にひたることは間違いないでしょう。
3.柏木の歌、秀逸だと思います。柏木が「悲劇の貴公子」であることを否定する人はいないでしょう。