p240 -251
5.朱雀院、憂慮して下山 女三の宮出家する
〈p27 山の朱雀院は、女三の宮のお産が御無事に終ったとお聞きあそばして、〉
朱雀院が女三の宮を見舞った場面 = 国宝源氏物語絵巻 柏木(一)
①朱雀院、G40年女三の宮を源氏に嫁がせ出家して西山で仏道修行をしている。
その院が女三の宮安産の報に安堵するものの女三の宮の病重しと聞いて下山してくる。
→出家の院が嫁いだ娘を心配して訪ねてくるなんてあり得ないだろう!
②朱雀院の心持ち 源氏への失望と怒り
愛しい女三の宮を源氏なら大事にしてくれるだろうと託したのに冷遇している。ケシカラン!
→気持ちは分かるが出家者のやることではなかろう。
→そこまで女三の宮のことが心配だったのだろう。分かる気もするが、、、。
③出家させてほしい懇願する女三の宮、已む無いかと考える朱雀院
→源氏はなりふり構わず反対し説得するべきところだろうに。
→やはり出家させるのも仕方ないかとの心が入っているのだろうか。
④朱雀院の心内
→源氏への怒り、道理であるし尼にして三条邸に住まわせようとするのは名案決断であろう。
⑤女三の宮出家
御髪おろさせたまふ。いと盛りにきよらなる御髪をそぎ棄てて。忌むこと受けたまふ作法悲しう口惜しければ、大殿はえ忍びあへあまはず、いみじう泣いたまふ
→源氏はどんな気持ちだったのだろう。面目丸つぶれで無力感を感じたのではないか。
(出家の結末を拱手受動的に受けとらせられる源氏の威厳はもはや形骸化している(脚注)
⑥朱雀院の六条院への行幸(訪問)
・G39年 冷泉帝ともども行幸 紅葉の賀宴 (藤裏葉)
・G47年暮 五十の賀
そして今回で三度目。9年前の紅葉の賀宴の華々しさが思い出される。
6.六条御息所の物の怪、またも現れる
〈p35 後夜の御加持の最中に、物の怪が現れて、〉
①女三の宮が出家したその夜、またも六条御息所の物の怪が現れる。
→またも出たか、ついに出たか。
(夕顔) → 葵の上 → 紫の上 そして 女三の宮
誠にしつこい。
②女三の宮の病気は産後の疲れと女三の宮自身の気患いによるものかと思っていたが、実は六条御息所の物の怪に憑りつかれていた。
→源氏はここでも自分の女性遍歴が関わっていると知り慄然としたのではないか。
前段では源氏が世間体や体面に終始する場面を不満に感じていましたが今回の場面、結構興味深く読めました。
朱雀院と源氏のお互いの心理作戦みたいな感じ。
朱雀院 貴女を信頼して最愛の娘を預けたのに不幸にしてくれたという怒りの気持ち。
源氏 押しつけられて貰ってやったのに大層な不倫をしでかした。
言葉は悪いですがそんな気持ちが見え隠れします。
朱雀院が今までとは違って意外と源氏に言いたいことをズバズバ言い募り何となく優位に立っているのも感じられます。
御本意にはあらざりけめど、かく聞こえつけて、年ごろは心安く思ひたまへつるを・・・
源氏への痛烈な皮肉を感じます。
出家の身でありながら院の異常なまでの宮への偏執は見苦しくもありますが親ゆえの闇と思えば許しもできましょう。
出家を押し切る父娘、源氏を撥ねつけて毅然としている姿はむしろ源氏を圧倒しています。
珍しく女三の宮の意思が感じられます。
自らの罪を出家と言う形に救いを求め償いたいという気持ちが見えます。
またもや物怪の出現・・・
不都合が起きると「もののけ」が出てきますね。
もののけの効果は大きいですが度々おでまし?になると何でも「もののけ」のせいにするようで御息所がお気の毒です。
ここでは源氏の優位が揺らぎ源氏も普通の人間だったのだと大きく見方が変るところで面白さを感じた次第です。
誠に適確なコメントありがとうございます。
1.朱雀院と源氏のお互いへの思い、おっしゃる通りだと思います。事情を全て分かっている読者からすると二人の言い分はそれぞれに納得できる。でもこうなってしまった以上二人の思いは擦れ違いに終始せざるを得ない。現代の人間関係でもよくあることじゃないでしょうか。
2.物の怪(六条御息所)の持つ力はすごいですね。(紫式部は物の怪の存在に懐疑的だったのではと思うのですが)一般的には当時は物の怪が信じられていたので当時の読者は感じ入ったことだと思います。現代人からすると「ちょっとやり過ぎでは」と思いますけどね。