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3.女三の宮、男子を出産 産養の盛儀
〈p21 女三の宮は、この日の夕暮頃からお苦しみになられたのを、〉
①G48年正月 女三の宮 出産
これまでの出産場面:
不義の息子 冷泉帝: G19年2月 @紅葉賀(源氏・藤壷の戸惑い)
長男夕霧: G22年夏 @葵(六条御息所に苛まれての葵の上必死の出産)
明石の姫君: G29年3月 @澪標(明石での出産、源氏は立ち会わず)
明石の女御の一の皇子: G41年3月 @若菜上(初孫の誕生、源氏大喜び)
そして今回 女三の宮腹の皇子(後の薫):G48年正月 @柏木
→実にバラエテイに富んだラインアップではなかろうか。
②源氏の胸中
「あな口惜しや、思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし」
→この一文に尽きよう。どうしても単純には喜べない。
③男児の誕生
女児なら深窓に隠して育てられるが男児は人目に触れる。出自がばれないか心配。
→藤壷との不義の子も男児だった。何を今さら、、、。
④さてもあやしや、わが世とともに恐ろしと思ひし事の報いなめり
→男児誕生と聞いて30年も前のことがまざまざと蘇ったことだろう。
⑤産養の盛儀
五日夜は秋好中宮より(冷泉院の思し召しであろうか)
七日夜は内裏(今上帝)より
致仕大臣(柏木の父=頭中)からはただ一通りの挨拶のみ
→読者としては「頭中よ、これはアナタの孫なんですよ!」と叫びたいところである。
4.女三の宮出家を望み、源氏これに苦慮する
〈p24 女三の宮はあれほど華奢で弱々しいお身体で、〉
①女三の宮は出産を終え疲れと精神的不安定で衰弱している。
身の心憂きことをかかるにつけても思し入れば、さはれ、このついでにも死なばやと思す。
→ここは本来夫こそが一番励まし勇気づけねばならないところ。それなのに源氏は冷たい。
②「出家して尼になりたい」
女三の宮 いとおとなびて聞こえたまふ
→出産を経て女三の宮も成長している。修羅場をくぐった人は強くなる。
③源氏の心内
女三の宮を許すことはできない。尼にしてしまうのも一案だがそれも可哀そう。
→正直なところであろう。でも源氏は何故許せなかったのだろう?桐壷帝は許したのかもしれないのに、、、。
これまでの出産のようには心に一物あり素直に喜べない源氏。
男児誕生と共にわが身を振り返りその報いに胸中複雑極まりない源氏の心の動きがあれやこれやと見苦しい。
ともかくお祝いの儀式は盛大に行われたようですね。
出産を経て突然の女三の宮の出家願望、驚きました。
お産と共に死んでしまいたかった、でも母子ともに無事、それならば出家という構図でしょうか?
これはひとえに源氏の対応の冷酷さ、まずさでしょう。
出産後の不安定で敏感な女三の宮にとって源氏の心内が手に取るようにわかる。
絶望感に打ちのめされた女三の宮は今後の源氏の仕打ちを考えれば生きる希望をなくして当然です。
出産後のこのような希望の見えない心理は女性にとっては大きなダメージで不幸です。
本来出産というこの上ないおめでたい状況の中、不義の子とはいえ女三の宮が健気で哀れですね。
今までの女三の宮とは大きな違いを感じます。
ありがとうございます。
この辺り女三の宮の出産(お産の苦しみ)から男子誕生、源氏の悩みは極めて人間的だと思います。先年の明石の女御の皇子誕生の時は喜色満面で源氏も天にも昇る気持ちだったのに比べ全く違う感情に支配されていたのだと思います。
まだこの時点では(柏木が生きていることもあり)女三の宮を許す気持ちにはなっていないのでしょう。生まれてきた子どもにも手を差し伸べられない。神ならぬ人間であれば仕方ない感情だと思います。
→事情を知らぬ周りの人々が不思議に思うのも当然でしょう。
→道長はどう読んだのでしょう。思わずぞっとしたのかも知れません。