p277 – 286
10.夕霧、一条宮を訪問、御息所と故人を語る
〈p56 一条の二の宮は、なおさらのことお悲しみも深く、〉
①一条宮=一条 現京都御所の一角
一条御息所(朱雀院の更衣)の里。御息所は朱雀院出家後この里邸に移っている。
ここに柏木が婿入り(女二の宮に)していた。
柏木と女二の宮の結婚は空白の4年間か。結婚後4~5年だったのだろうか。
②好みたまひし鷹、馬など
もて使ひたまひし御調度ども、常に弾きたまひし琵琶、和琴など
→柏木が結構女二の宮の所に通っていたことが分かる。
③三月になりやっと時間のできた夕霧が弔問に訪れる。
未亡人女二の宮に代り母一条御息所が応対する。
一条御息所の長い口上
女二の宮と柏木を結婚させるべきではなかった、皇女は独身でいるべきだったと悔恨。
→これが当時の通念だったのかも。
④柏木は夕霧の5~6才年長。夕霧27才・柏木32~3才。
柏木 いと若やかになまめき、あいだれてものしたまひし
夕霧 いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる
→柏木と夕霧の比較。夕霧の秀才タイプぶりがよく分かる。
⑤夕霧 時しあればかはらぬ色ににほひけり片枝枯れにし宿の桜も
一条御息所 この春は柳のめにぞ玉はぬく咲き散る花のゆくへ知らねば
→夕霧の応対に母が出てくるところがちょっと不思議。才に長けた更衣だったことを強調したいためか。
柏木亡き後夕霧の初めての弔問ですね。
主の喪に服す住まいの寂寥感を際立たせている場面です。
これをきっかけに女二の宮とのかかわりができていくわけですか。
なるほどね~、これは柏木の遺言もあったわけですから夕霧としては同情から恋心に発展していくと言う筋なんでしょうか?
母、一条御息所の口上 なかなか本質を突いていますね。
更衣腹で女二の宮が劣ると言うような内容に以前触れられた記憶があります。
夕霧の歌に対し即座に詠まれたお歌にも才気を感じさせます。
ありがとうございます。
一条御息所について考えてみました。朱雀院の更衣であまり愛されてなかったとあるだけで出自は書かれていませんが父はおそらく中級貴族(せいぜい大納言とか)くらい、即ち中の品というところでしょうか。
→後で「大和守」が御息所の甥(女二の宮のいとこ)として出てくる。
でも帝(朱雀帝)の目にとまり更衣として入内したのですから才色兼備の魅力ある女性だったのでしょう。一族の期待を背負い自らも希望に燃えて入内した御息所、女二の宮も生まれたが何故か朱雀帝の寵愛は遠ざかってしまう。内裏・朱雀院での生活は母一人・娘一人孤独なものだったのではないでしょうか。
やがて朱雀院が出家し母娘は一条の里邸に戻る。母は娘の将来につき心配する。身分は皇女だがさしたる後見もない。結婚には慎重(消極的)にならざるを得ない。心の整理のつかないまま娘は柏木と結婚し柏木が通って来るようになった。ところがその柏木は突然若死する。。。。御息所はつくづく母娘の不運不幸を嘆いたことでしょう。
御息所の説明でその辺がよく分かった夕霧が女二の宮に恋情を抱いたのは自然の成り行きでしょうか(p286脚注)。
朱雀帝の寵愛が一条御息所から遠のいたのは朧月夜内侍の存在が大きかったからではないでしょうか?
女二の宮も夫柏木の心が女三の宮にあるのでは、幸せとはいえなかったでしょうね。
母娘二代にわたって、これまでのところでは、気の毒な感じがします。
ポイントをついたコメントありがとうございます。
朱雀帝も(秋好中宮にもモーションかけてた)存外好色だったようで後宮もけっこう複雑だった感じですね。藤壷女御は紫のゆかりで大事にしたのでしょうが一番好きだったのは朧月夜なんですかね。女一の宮・女四の宮もいますが母が誰か分からない、即ち重視されていなかったのでしょう。
母一条御息所は朱雀帝を巡る三角関係で藤壷女御に敗れ、娘女二の宮は柏木を巡る三角関係で女三の宮に敗れる。おっしゃる通り母娘二代にわたりお気の毒です。