源氏物語はものがたりである

源氏物語はフィクション、小説です。即ち作者紫式部による全くの作り事、お話です。従って身の廻りの事を述べた枕草子、方丈記、徒然草などとは根本的に違うし、平家物語ともジャンルは異なると思います(日本の古典文学としていっしょにくくるべきものではなかろう)。

平家物語はものがたりではあるが(フィクションを交えながらではあるが)ベースとしては歴史に基いて平氏の興亡を描いているわけで、謂わば司馬遼太郎の歴史小説と思えばいいのでしょうか。

源氏物語は全く違います。登場人物は全て紫式部が作り出した架空の人物です。人物像を作り上げるにモデルは色々といたのでしょうが、それらをミックスし光源氏なり紫の上なりを作り出していった訳です。従ってものがたりの筋書きも作者の思うまま、時には読者の意表をつき、時には読者の期待に応え喜ばせ、そして時には登場人物のセリフを借りて作者の主張を展開する、、やりたい放題なのです。だからこそ複雑ながらもとてつもなく面白い話として仕上がっているのではないでしょうか。

従って読み方、味わい方も「作り話を楽しみながら読む」ということに尽きると思います。登場人物に寄せる思いも読者によって異なるでしょうし、感動を受ける場面も異なってきます。だからこそ、読書会で意見を述べ合う事が望ましいのです。

紫の上に子供がいたらどうなってただろうかとか、浮舟の選んだ道は間違っていなかったのだろうかとかを仲間と語り合うのが楽しいのです(講読会ではお勉強の後、ワインとつまみで延々とフリートークをしていました)。

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紫式部のこと

源氏物語の作者が紫式部であることは周知のことでしょう。だがあの大長編が本当に紫式部一人で書かれたものなのかについては研究者間でも議論がなされており、異論を唱える人も多いのです。確かにそれらの説を読んでみるとなるほどそうなのかなあと思うこともあります。でもアマチュアは「紫式部が一人であの長編を書いたんだ、いや、すごいなあ」でいいじゃないですか。

物語を読んで行くにつれてその筋書きの巧妙さ、読者の期待を裏切らない、でも読者の予想は裏切るなんて場面がいっぱい出て来て講読会では「えっ、そうだったの、式部は偉い!天才だ!」って口々に叫び合うことになるのです。

紫式部についてのポイント
  970年ころ出生 父受領階級の藤原為時(晩年越前守になり福井に赴任)
             幼少より和漢の学に秀でる
             式部自身も父に随って越前に住んだことあり(2~3年間)
  998年      相当年上の藤原宣考と結婚、3年後宣考死亡(疫病)
 1006年      中宮彰子に出仕
 1008年      源氏物語 若紫流布 (公任とのこと)
 1010年      彰子に皇子誕生 → 紫式部日記
 1014年ころ    没か?(諸説あり)

紫式部日記、確かに面白いし源氏解読には役立つと思います。でも私は源氏物語に挑戦中はとても時間がなくて読めませんでした。終えてからざっと読み理解が深まりました。余裕のある方は現代語訳ででも読まれるといいでしょう。

出自や性格など清少納言との比較で色々言われているが、「源氏物語」と「枕草子」は全く異なるジャンルなので私には余りピンと来ません。でもお互いライバルだったことには間違いなさそうです。

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源氏物語の舞台

テキストは字ばかりで誠に味気ない(小さな絵が極まれに出てくるが)。どんなところの(地図上の)どんな舞台で(屋敷の様子など)物語が展開しているのか視覚で感じておくと物語を理解する上で助けになると思います。

ムック本などで源氏物語の舞台を歩くなんてのが沢山出ているので参考にするといいでしょう。でもそれは源氏物語への興味を深めるためにはいいでしょうが、読み解きには余り関係がありません。むしろ地図です。これはあれば便利だと思います。

お勧めは「京都源氏物語地図」(思文閣出版)。表に京内、裏に京外の地図があるだけのものだが登場人物の居宅が網羅されている。源氏がどの屋敷に居てどの屋敷の女君を訪ねたのかが分かるので臨場感が出るのです。我が講読会では都度地図を広げ舞台の位置関係を確認していました。「なんだ、すぐ隣じゃないか」とか「あれ、これ大分遠いな」なんて風に。これはよかったです。

京外についても私は嵯峨ぐらいしか知らなかったので便利に使えました。宇治十条では宇治との位置関係、比叡山・小野との位置関係なんかが重要です。距離やルートがイメージできると匂宮や薫が如何に苦労して宇治に通ったのかがよく分かります。

他では須磨・明石は自明ですし、後は玉鬘の九州・長谷寺、住吉神社、逢坂の関くらいでしょう、地図などなくても大丈夫です。

また舞台をイメージするのに、内裏の図・六条院の図など必要です。冒頭桐壷更衣が桐壷から帝の御前に渡るのがどれほど遠かったのか、位置関係はどうだったのか頭にないと、いじめの感じがつかめませんから。内裏の図、テキストにもあるにはあるのですが第6巻まで出てこない、この点不親切。でもネットにいっぱいありますので参照されればいいでしょう。

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源氏物語 - 書かれた時代・舞台となった時代

4年前の2008年が「源氏物語千年紀」として話題になった通り、源氏物語は今から1000年前に書かれた物語です(勿論何年もかかって)。400年続いた平安時代の真ん中ほど、武士の勃興はまだなくまさに貴族の世の中で、歴史の教科書に出てくる王朝文学が花開いた時代です。

キーパーソンは一条帝とその后である中宮定子・中宮彰子、それと藤原道長でしょうか。これに清少納言と紫式部がからむ。紫式部がなぜ、どんな目的で源氏物語を書いたのか賑やかな議論がされており非常に面白いのですが、上記の面々がキーパーソンであることは間違いありません。

「源氏物語の時代」一条天皇と后たちのものがたり(山本淳子・朝日選書)

この辺りを分かりやすく小説仕立てで書いた名著です。(実に面白い。でもいくら周辺知識は多い方がいいと言ってもこういう参考書ばかり読んでると教科書を読む時間がなくなる、、難しいところです)

そして源氏物語の舞台は1000年から遡ること100~50年ほどの宇多‐醍醐‐朱雀帝のころかと言われています(これも諸説あろうが)。ざっと言うと現代の作家が大正~昭和の前半を舞台にした小説を書いているってところでしょうか。

物語の期間としては光源氏誕生の時から始まり幻の巻で退場するまでが50年ちょっと、15年余の間をおいて宇治十帖が10年弱だから合計でおおよそ7~80年間の話と言う訳です(大よその数字です)。

とにかく細かいことにはとらわれず大雑把に骨組みをつかむことが大事だと思います。

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源氏物語の和歌

源氏物語には和歌が795首含まれています。この時代和歌が想いを伝える重要な手段であり、男女の想いを描いた源氏物語に和歌が沢山出てくるのは当然でしょう。

一番多い巻が「須磨」で48首、「明石」の30首と合わせると「須磨」「明石」の両巻で78首、約10%になります。都を離れていた源氏と残された人々の交流手段は和歌しかなかったということです。

この重要な和歌、我ら素人には誠に厄介です。地の部分はなんとか読み解いていけても和歌になると世界が飛んでしまうのでスンナリとは分からない。寂聴訳も円地訳もサラっとしか説明してないしテキストの語釈も所詮は語釈。さりとて自分で調べまくるのも能力的にも時間的にもできない。さりとてなおざりに読み飛ばすのはまずい、、、結局「できるだけ理解に努める」ということでいいと割り切っています。

「読み進め方について」に書きましたが、巻名の由来となった和歌を中心に各巻2首づつ覚えて行くことをお勧めします。毎日復誦する度に「桐壷」から「夢浮橋」まで源氏物語の流れが頭の中に蘇る。いい気分になりますよ。

そして厄介というか不可能なのは無数に登場する引き歌。プロの研究者でも未詳の歌が多数あるようなので、まあ引き歌は余り気にしない、語釈だけで行くということでいいでしょう。でも「夕顔」の巻で源氏が随身に古今集を引いて花の名前を尋ねる「をちかた人にもの申す」のくだりなどはいいなあと思います。(テキスト①P192)

源氏物語の和歌は勿論登場人物が詠み合う歌なので全て紫式部が登場人物になり代わり作ったことになる。幼い時の紫の上の歌も不器用な末摘花の歌も無教養な近江君の歌も全てです。これはすごい、藤原俊成はこのことを「源氏見ざる歌詠みは遺恨事也」と言っています。

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源氏物語は古文である

源氏物語の原文は名文だと言われるが「無類の悪文だ」だとこき下ろした正宗白鳥に代表される嫌悪派も多いようです。名文かどうかはともかく古文であることには間違いありません。

古文と言うとどうしても受験勉強の思い出につながります。私も古文は大の苦手でした。文法やら語法やらさっぱり分からない、って言うか実にあいまいにしか思えない。数学や理科なら答えは一つしかないんでスッキリしているのだが古文となると解答を見てもよく分からない。かくて苦手意識が芽生え嵩じて嫌悪感を持ってしまう。大方の人はそんな具合じゃないでしょうか。

古典をやるにあたって確かに古文には抵抗がありました。でも17才じゃ分からなかった色んなことがこの年になってくると見えてくる。そうすると古文も段々と分かってくるのです。

古文と言えど日本語であることに変わりはありません。外国語ではありません。主語・目的語・述語の順番も今と同じ、即ち古文法などと殊更に考えることもないのです。

一つ一つの言葉をとらえても現代とは語義が違ってきているのもありますが、それはむしろ少数で大半は同じ言葉が使われているのです。古文法・古文の単語などと殊更強調されることもないのです。、、、居直りと言うか割り切りでしょうか。

どの部分だったか忘れましたが「大和魂」という言葉が出てきた巻があり、「へぇっ、こんな言葉使われてたんだ」と感激したことありました。その部分に行きましたらポイントアウトします。

私は源氏物語を読むにあたり、古文の受験参考書にざっと目を通しましたがそれだけです。古語辞書も特に引いていません。テキストの語釈だけで十分ついて行けますから。

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源氏物語 - 長い&登場人物が多い

源氏物語は長編です。原文で400字詰め原稿用紙2300枚とのこと。現代語訳もそんなに変わらないでしょうから寂聴さんの講談社文庫版を例にとると10冊で合計3158ページあります。1時間60ページのペースで読んで50時間ちょっとかかることになります。こりゃあ、長いです。

そして登場人物総数は400人以上に上り、主要人物だけでも数十人にはなります。長編小説では先ず主要登場人物の名前を頭に叩き込みそれを反芻しながら徐々に小説の世界に入っていくのが常道でしょうが、源氏物語ではなかなかそうは行かない。実名で登場する人はなく、みなその時の官職名やら愛称・通称やらで呼ばれるし、「○○邸に住んでいる姫君」とか「○○の時xxを歌った男」とかの言い方も多く出てきます。

それも常に同じ言い方ならまだしも主要人物はドンドン昇進出世していくから呼び方がその都度変わる。ややこしいこと限りないのです。準主役の所謂「頭の中将」を例にとれば最初桐壷の巻で「蔵人の少将」として登場し、次の「帚木」の巻雨夜の品定めでは「宮腹の中将」、その後「権中納言」「右大将」「内大臣」「太政大臣」「致仕の大臣」と昇進に応じ呼称されます。これでは我々はたまらない。そこで古来源氏物語の読者は彼をして「頭中」(とうちゅう)で一貫して考え、話すようにしてるのです。

このあたりの煩雑さで「もういいや」ってなってしまう人多いと思います(私も最初はそうでブチ切れてました)。

でも自分なりの工夫と努力で乗り越えれば道が開けてくるのです。手助けとなるのが「系図」と「年立」と「地図」です。この辺り、また。。

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初日

2012年7月1日、今日から始めます。どうなりますことやら。気軽にやりますのでどうぞ気軽にお付き合い下さい。

この5月でリタイアしフリーになりました。なかなかいいものです。何よりも家族の皆んなから口々に「長い間ご苦労さま、後はのんびりと」とねぎらいのメッセージをもらったのが嬉しかった。いい気分になりました。

さて、このブログあらましは別ページに書きました。今一番興味を持っており興味が尽きないのが源氏物語なのでそれをベースに日々時間を過ごして行ければと思ったものです。

源氏物語、面白いですよ。でもキチンと読まないとあらすじやダイジェスト版ではその良さは分かりません。時間もかかります。そしてそれがいいところなのです。

初日のご挨拶からそそのかしの一文になってしまいました。ごめんなさい。。

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