源氏物語はフィクション、小説です。即ち作者紫式部による全くの作り事、お話です。従って身の廻りの事を述べた枕草子、方丈記、徒然草などとは根本的に違うし、平家物語ともジャンルは異なると思います(日本の古典文学としていっしょにくくるべきものではなかろう)。
平家物語はものがたりではあるが(フィクションを交えながらではあるが)ベースとしては歴史に基いて平氏の興亡を描いているわけで、謂わば司馬遼太郎の歴史小説と思えばいいのでしょうか。
源氏物語は全く違います。登場人物は全て紫式部が作り出した架空の人物です。人物像を作り上げるにモデルは色々といたのでしょうが、それらをミックスし光源氏なり紫の上なりを作り出していった訳です。従ってものがたりの筋書きも作者の思うまま、時には読者の意表をつき、時には読者の期待に応え喜ばせ、そして時には登場人物のセリフを借りて作者の主張を展開する、、やりたい放題なのです。だからこそ複雑ながらもとてつもなく面白い話として仕上がっているのではないでしょうか。
従って読み方、味わい方も「作り話を楽しみながら読む」ということに尽きると思います。登場人物に寄せる思いも読者によって異なるでしょうし、感動を受ける場面も異なってきます。だからこそ、読書会で意見を述べ合う事が望ましいのです。
紫の上に子供がいたらどうなってただろうかとか、浮舟の選んだ道は間違っていなかったのだろうかとかを仲間と語り合うのが楽しいのです(講読会ではお勉強の後、ワインとつまみで延々とフリートークをしていました)。
(ブログ作成者の補足コメントです)
登場人物、特に女君は色々なタイプが登場します。出自・容貌・知的教養度・センス・性格人柄、、これらによってチャートを作り性格診断テスト「あなたはどの姫君のタイプか」なんて、女子大の源氏物語教室でやると大受けだと聞きます。
それだけ様々な女性が描き分けられている、これが源氏物語の魅力です。読む側、特に男性にとってはこの辺が面白い、読んでいくに従って好き嫌いが出てくる。自分の作ったイメージに従ってファンになる→思い入れを持って読む、、、なんてサイクルになると俄然興味が深まってくると思います。
「紫の上」か「明石の君」か、、今回は「明石の君」に思いをかけて読んでみようかな。。
あくまでも「お話」であればこそ読むほうも想像力逞しく数多の登場人物に思いを馳せ、分け入っていきたいと思います。
果たして理想の人物には出会えるのでしょうか?
これまでのようにさらりと読み飛ばすのではなく、この機会にテキストを丁寧に読んで行くことを心がけ後は自由に楽しくいきたいですね。
講読会と違って後のお楽しみがないのが一寸さびしいですね。
平家の教室でも、授業はもちろん興味深く楽しいのですが講師が30分ぐらい早めに来られ、大河テレビの話、その他諸々の時事問題などを話し合う時間がとても面白いのです。
そう言えば学校でも授業そのものより教師の脱線が楽しく記憶にいつまでも残っていることってありますよね。
講読会もいいですけど本ブログでも色々お話ししましょうよ。
源氏物語、キチンと読んでいくと必ず疑問点やら通説に対する異議やらが出てきます。自分の意見を聞いてもらいたい所なんかも出てきます。そういう場になればいいなぁと思ってるものです。
講読会のあとの一杯やりながらのフリートーキング、楽しかったですね。「源氏物語」だけではなく、いろいろな話題で盛り上がりましたね。
女性が「自分はどの姫君のタイプか?」なら男性は「どの男君か?」だね。光源氏タイプはわれわれの仲間では青黄の宮でしょうか。女性に対する積極的な態度はまさに「そのもの」といっていい? ハンドルネームも赤のない信号で「行け!」と「注意しながらだけど行ってしまえ」で止まることはないというあたり、実にぴったりのネーミングですなぁ。本人もそのあたりを含みにしたのでしょうか。
そう言われてみればなるほど、納得です。
そして本名、ハンドルネーム共に「宮」がつくのがなお良い。
そこはもちろん狙ってのことでしょうね。
こうなれば「青黄の宮」さま、是非お出ましにならなければね。
髭白大将どの、コメントありがとうございます。えっ、そうなの。なるほどねぇ。そこは本人に聞いてみるしかないですね。
でも、光源氏が突き進んだ相手は信号から言えば「真っ赤っ赤」でしょう。藤壷は勿論、朧月夜にしても空蝉にしても「赤」信号無視してのご無体だと思うんですがね。
ただ、玉蔓と秋好中宮にはブレーキがかかるんですね。
一方、薫は青信号が続いていても「よう行かん」不断の男ということでしょうかね。。
このブログのコメントでも色々な見方があるように、源氏物語の読み手もさまざまです。男女差、年齢差、性格、好み等々によって、うけとりかたも随分違ってきて、それを意見交換するのが面白い。へえーそんな風に考えるんだ、と気付くことが多いです。前に読んだ時には感じなかったことが次回読むと強く心に残ったりします。お互いに「ああだ」「こうだ」とこのブログでコメントし合えば結構盛り上がると思います。
全くその通りですね。枕草子やら方丈記やらの講読会ではそうは行かないし、昨年の「奥の細道」講読会でも地理とともに事実・史実を確認し合うことが主でしたもんね。その点何と言っても源氏物語は偉大です。