締めのご挨拶

2012年7月のウオームアップ開始から2014年12月のクールダウンまで2年半の長きに亘り「源氏物語 道しるべ」をご支援いただきありがとうございました。お蔭さまで皆さまとご一緒に源氏物語を心ゆくまで楽しむことができました。感無量にして感謝に堪えません。

私の投稿が589件、コメント総数2,349件 A4にして約1,800枚になりました。それに65時間に及ぶ式部さんの全文朗読もアップしていただきました。大コンテンツだと誇らしく思っています。

この辺で源氏物語には一区切りをつけ2015年3月から新ブログ「百人一首 談話室」を開設することにしました。百人一首は大長編源氏物語とは異なり短いし身近に感じられると思います。ただ600年に亘るアンソロジーであり内容的には随分と奥深いものがあります。源氏物語はマニアック過ぎて聊か気がひけた向きも百人一首なら気軽に参加いただけるのではないでしょうか。どうぞ「百人一首 談話室」にお越しください。ご一緒に百人一首を楽しみましょう。

「百人一首 談話室」 http://100.hodaka.org/

・本稿を持って「源氏物語 道しるべ」のコメント受付は終了します。
・「源氏物語 道しるべ」に関するご意見などありますれば「百人一首 談話室」の方へコメントしてください。

ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

カテゴリー: クールダウン | コメントする

道しるべ 何でも書き込み帖

クールダウンも人物談義を終え、源氏百首・名場面集・青玉和歌集を総括し、宇治~京都への完読記念旅行も完了しました。更に最後の取りまとめをと考えたのですが屋上屋を重ねることにしかならず止めにしました。
 →今週末バーレーン一家が一時帰国し正月にかけ民宿のあるじ業が忙しくなることもありまして。。

ここからは「道しるべ」フォローアー各位の謂わば「書き込み掲示板」として本欄を機能させたいと思います。源氏のことに限らず身辺雑記でもなんでも書き込んでください。話題が途切れたらまた次の話題をというように次々続いていけると面白いのじゃないでしょうか。

私の次のブログは百人一首で来年4月開始を考えていますが(本ブログとは別の枠を作ってもらう予定)、それも多分私が一首づつ基調コメントを書いて後はみなさんに掲示板スタイルで自由に書き込んでいただくことを考えています。まあその予行練習みたいになればいいでしょうか。

では、ちょい思いつきの話題を一つ二つ。

①本居宣長は若い時から晩年まで源氏物語をこよなく愛し研究しつづけた。その集大成が「源氏物語玉の小櫛」、その巻頭と巻末にある歌が興味深い

 巻頭
  そのかみのこゝろたづねてみだれたるすぢときわくる玉のをぐしぞ
  →何度も読み返し昔付けた注も間違ってるところを正した。源氏の奥深さ。

 巻末
  なつかしみ又も来て見むつみのこす春野のすみれけふ暮ぬとも
  →何度読んでも読み尽くすことはできない。また読みたくなる、、ということか。

 やはり源氏物語は一生読み続けて行きたいと思います。

②源氏物語の凄さは沢山ありましょうが私は「大和ことば」の宝庫という点を挙げたいと思います。古来の「大和ことば」、ほんとうに美しいし大事にしていかねばと思います。青黄の宮さんがまとめてくれた「源氏物語用語集」はそんな「大和ことば」の基本が詰まった貴重なリストです。単語帳感覚で読んでみると物語の場面なども甦ってきます。

 あしをそらに(足を空に)    あわてて、浮き足立って、心が落着かぬさま
 おおとのこもり(大殿籠り)   「寝る」の敬語
 ししこらかしつる        しそこなう、病気をこじらせる
 ものにあたる(物に当る)    あわてて惑うさま、とまどいする

 この単語帳、折に触れ読み返してみたいと思っています。

カテゴリー: クールダウン | 18件のコメント

完読記念に和歌を一首づつ

源氏物語と和歌は切っても切り離せません。何せ975首もの歌が登場人物により詠まれているし、引用されている歌の数は計り知れません。青玉さんには帖毎に一首づつ読後感想和歌を詠んでいただきました。そこで我ら「道しるべ仲間」も完読を記念してせめて一首づつ読み終えての感慨を三十一文字にしておこうではないかと思い立ったものです。

爺の想いを受けてハッチーさんには京都の宿でいち早く創作歌を披露していただきました。すばらしい歌でした(ハッチーさん、本欄コメントとして載せてくださいね)。みなさまにおかれても一首づつ投稿をお願いします(時間制限はありません)。これも余興、いい記念になるのではないでしょうか。
(複数首詠んでいただいても構いませんし、推敲・修正・追加・取り消し、、何でもいつでも可です)

恥ずかしながら、爺が口火を切りまして、、、。  

 (清々爺詠)
   二年の道しるべ踏み辿り来は小雨に煙る二本の杉

それと、青玉和歌集からの一首は浮舟の歌にしました。

 (浮舟)むせび泣く宇治の流れに身をゆだねあはれ浮舟病葉のごと

  →宇治川の急流とミュージアムでの人形劇を見て改めて浮舟があわれになりました。

カテゴリー: クールダウン | 17件のコメント

京都旅行を終えて

参加者各位の熱意と思いやりで予定通り無事京都旅行を終えることができました。厚くお礼申し上げます。概ねお天気にも恵まれ紅葉も盛りは過ぎていたとはいえ未だ十分に見応えがありました。貸し切りの宿では心ゆくまで源氏物語を語り合うことができました。取分け配役決定会議では議論が白熱しました。一生の思い出です。

写真、配役表は内輪のネットで回し合うとしてここでは旅の記録を一口メモとしてアップしておきます。

1日目 晴れ 風やや強し
 ①JR宇治駅前集合
 ②平等院 - リニューアルオープン。極楽浄土への憧れが随所に見られた。
 ③宇治川べりで昼食 - 浮舟遊膳 ゆっくりお話し&食事
 ④急流をながめ対岸へ
 ⑤興聖寺 - 琴坂を上る。曹洞宗の寺院、本堂には入れず。浮舟の古跡見つからず。
 ⑥宇治神社&宇治上神社 - 寝殿風屋根の本堂が珍しい。
 ⑦与謝野晶子の源氏歌 歌碑
 ⑧源氏物語ミュージアム - 浮舟の人形劇を見る。よくできている。
 ⑨三室戸寺 - 与楽園(躑躅と紫陽花で有名)は見どころあった。浮舟古跡工事中で見れず。
 ⑩京町屋 仕出し弁当&お酒 配役会議で大盛り上がり。楽しかった。
 
2日目 快晴 穏やかな小春日和
 朝食はお雑煮セット(黍餅と米餅)
 ①京都御所 - 丸1時間ガイド氏の詳しい説明を聞きながら見学。紫宸殿・清涼殿。
 ②廬山寺 - 源氏庭で紫式部を偲ぶ。
 ③寺町通りのおそば屋で昼食 (新島襄旧宅、定家京極邸跡)
 ④大覚寺・大沢池・名古曾の滝跡 - 観光客馴れした大刹
 ⑤清凉寺 - お坊さんに説明を受けた。「三国伝来生身釈迦如来」、仏像内に五臓六腑。
 ⑦野宮神社 - 黒木の鳥居。源氏と御息所の別れの場所なのに「縁結びの神」とは?
 ⑧亀山公園 展望台 - 保津川~嵐山の眺めは素晴らしかった。
   周恩来記念碑 - 探してやっとありましたねぇ。。
 ⑨南座 まねき看板 - 初めて見ました。あの文字、勘亭流って言うんですね。
 ⑩祇園 割烹で夕食 - 料理もお酒もおもてなしもさすが祇園、奮発してよかったです。
 ⑪男性は宿付近の銭湯へ - 何年ぶりだろう。430円+石鹸20円+シャンプー30円

3日目 あいにくの雨 さほどではないが時折強し 寒い
 朝食は栗おこわ&松茸のお吸い物
 ①石清水八幡宮 - ケーブルで。源氏物語の香りは殆どない。マッサンの山崎。

  ここで解散、それぞれ帰途に。

 以下、私と青玉さんは万葉さんの案内で海石榴市~長谷寺へ
 ②海石榴市 - 長谷寺への細い古道が続く、右近、玉鬘邂逅の地
 ③長谷寺 - 雨の中じっくり見学。大観音拝観、そして何と言っても二本の杉。

京都旅行につき感想やら記録やら何でも書き込んでおいてください。

【追記】
 各自一首づつ詠みましょうという呼びかけは次回(12月10日)アップします。予め考えておいてください。。

カテゴリー: クールダウン | 2件のコメント

私の好きな歌ー「青玉源氏物語和歌集」より

青玉さんには2年に亘り巻末で締めの和歌を詠んでいただきました。「青玉源氏物語和歌集」54首が勢揃い、お見事というしかありません。源氏物語全文をキチンと読むだけでも大変なのに巻毎にまとめあげて感想・想いを歌に詠み込む、正に平成の与謝野晶子じゃないでしょうか。このブログの誇りです。改めて深く敬意を表すとともに感謝申し上げます。(歌を詠むにあたってのご自身の注釈読みますとご苦労の程がひしひし分かります)

和歌集54首の中から私の好きな歌をピックアップさせていただきました。どんな切り口にしようかと考えたのですがやはり物語上重要な女君が詠まれた歌としました。

【「青玉源氏物語和歌集」は右欄にアップされてますのでご覧ください】

①紫の上
 常処女あはれ無常の華と散る儚き露の消ゆるがごとく(御法)
 →やはり紫の上を偲ぶこの歌が一番だと思います。「常処女」と詠んだ裏話も披露いただきコメント欄も賑わいました。紫の上、、つくづく哀れな女性でした。でも大好き、紫の上あっての源氏物語だと思っています。

②藤壷
 紫の魂のゆくへぞ何処にや雲のかなたに逝きたまふなり(薄雲)
 →そして藤壷。紫のゆかり、これは源氏物語の本流でありはずすことはできません。まだ若くしての藤壷の死、源氏は心の支えを失った喪失感に襲われたのだと思います。よくぞ詠んでいただきました。

③明石の君
 大堰里待つは哀しき秋の風奏でる琴の侘しかりける(松風)
 →澪標の「みをつくし浪路さすらふわが思、、、」とどちらにしようか迷いましたが、ハッチーさんも絶賛している松風の歌にしました。明石の君は本当に賢い女性でした。

④六条御息所
 みやこ草おもかげ抱き五十鈴川哀れはるけき恋のみちかな(賢木)
 →今思い返しても六条御息所のインパクトはすごいと思います。配役決めるにもこの人から入るのがいいのかもしれません。源氏物語にはなくてはならない人であります。それに五十鈴川を詠んでいただいたのですから外すわけにはまいりません。

⑤浮舟
 むせび泣く宇治の流れに身をゆだねあはれ浮舟病葉のごと(浮舟)
 →この歌は最高です。浮舟、よかったですねぇ。源氏物語は宇治十帖があって浮舟が登場しあんな終わり方をする、、、。読者は自ずとその意味する所を考えざるをえない。そこがよかったのだと思います。

以上ベスト5(歌の良し悪しではありません、私の好きなという観点からです)に加え、更に3首選びました。

〇朧月夜
 春の夜の宴の契りおぼろげに扇交わせり花酔い人よ(花宴)
 →インスピレーションで苦もなくできたと言っておられました。朧月夜、人物談義でも人気抜群、本当に華やかないい女性でした。

〇末摘花
 しのぶ草踏み分けくればゆかしけりくれなゐ棲めるよもぎふの宿(蓬生)
 →式部さんが絶賛してました。国宝源氏物語絵巻ですね。すばらしい歌だと思います。

〇玉鬘
 放ちたる淡き蛍火夕まぐれおぼろに浮かぶ青きまぼろし(蛍)
 →玉鬘の歌どれにしようかと思いましたがやはり蛍がいいと思い選びました。7月に行った加子母の蛍狩りを思い出しました。

(来週は念願の京都旅行なのでお休みとします。12月第二週に再開する予定です)

カテゴリー: クールダウン | 8件のコメント

私が選んだ名場面ー「源氏物語 名場面集」より

名場面についても印象深かった5つを選んでみました。初めて読んだ時2回目、3回目と少しづつ感じが違うようではありますがやはり一番最初の印象が強いように思います。

(物語順)
①某の院で夕顔物の怪に取り殺される(夕顔p234~)
 宵過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上にいとをかしげなる女ゐて、「おのがいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思ほさで、かくことなることなき人を率ておはして時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、、、

 →空蝉の時は首尾よく事を果たした源氏も驚いたことだろう。源氏が迎えた初めての修羅場。惟光と右近の活躍。オカルト的要素もあり身震いしながら読んだものでした。

②葵の上・六条御息所 車争い(葵p20~)
 、、、ほのかなる袖口、裳の裾、汗衫など、物の色いときよらにて、ことさらにやつれたるけはひしるく見ゆる車二つあり。「これは、さらにさやうにさし退けなどすべき御車にもあらず」と口強くて手触れさせず。、、、

 →葵の上と六条御息所、ガチンコの三角関係です。六条御息所の惨めさは分かりますがやはり葵の上が可哀そうです。まあ、悪いのは源氏でしょうが。。

③玉鬘・右近、椿市での遭遇(玉鬘p192~)
 、、、物のはさまよりのぞけば、この男の顔見し心地す。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、ふとり黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分けぬなりけり。、、、
 
 →右近には18年ぶり。正に右近の執念の賜物。長谷観音のご利益のほどであろう。
 →思わず「やった!よかった!」と喝采したものでした。

④唐猫事件 柏木、女三の宮を垣間見(若菜上p200~)
 、、、几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東のそばなれば、紛れどころもなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ、濃き薄きすぎすぎにあまた重なりたるけぢめはなやかに、、、

 →若菜~柏木の「柏木物語」の始まりです。
 →源氏が北山で紫の上を垣間見たシーンとともに印象に残ります。
 →それにしても猫を小道具に使ったところなんぞアッパレ!という他ありません。

⑤浮舟・匂宮 恋の道行き(浮舟p214~)
 いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて、さし渡りたまふほど、遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、つとつきて抱かれたるもいとらうたしと思す。

 →やはり宇治十帖ではこの件でしょう。正真正銘の名場面だと思います。
 →男らしい匂宮と女っぽい浮舟、「いよ~~、ご両人!」と声がかかるところでしょうか。

次点を二つ

〇源氏・朧月夜 15年ぶりの逢瀬(若菜上p102~)
 、、、昔おぼえたる御対面に、その世のことも遠からぬ心地して、え心強くももてなしたまはず。なほらうらうじく、若う、なつかしくて、ひとかたならぬ世のつつましさをもあはれをも、思ひ乱れて、嘆きがちにてものしたまふ気色など、、、

 →最高の官能場面ではないでしょうか。

〇仲人、八面六臂の大口上(東屋p31~)
 、、直人の限りなき富といふめる勢ひにはまさりたまへり。来年四位になりたまひなむ。こたみの頭は疑ひなく、帝の御口づからごてたまへるなり。、、

 →最高の滑稽場面だと思います。帝の言葉の捏造、笑い転げました。

カテゴリー: クールダウン | 2件のコメント

私が選んだ歌ー「源氏百首 源氏倶楽部撰」より 

先年の講読会で各帖2首(原則)づつ和歌を選びました。基準は歌の良し悪しというよりその帖を代表する歌、すなわち帖名或いは帖名に因んだものが読み込まれている歌が中心となっています。歌でその帖を思い出そうとの趣旨です。

今回2年に亘り源氏物語を再読し改めて私にとってインパクトの強かった5首をピックアップしてみました。

(物語順)
見てもまたあふよまれなる夢の中にやがてまぎるるわが身ともがな(源氏@若紫)
 →若紫でいきなりこの禁断の契りの場面が出てきたのにはびっくりしました。私のテキストには「こんなことってあっていいのか、病人だぜ!」と書いてありました。

なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま(物の怪@葵)
 →源氏の正妻でありながら源氏と心を通じ合えることなく六条御息所の生霊に憑りつかれ死んでしまう葵の上が哀れです。現実にもこんな夫婦関係あるのだろうなと思いました。

こほりとぢ石間の水はゆきなやみそらすむ月のかげぞながるる(紫の上@朝顔)
 →紫の上の哀しい歌。源氏が一番愛したのは紫の上だと思いますが一番甘えたのも紫の上でしょう。女君のことをベラベラ喋られても困りますよね。「こほりとぢ」に紫の上の絶望感を感じます。

起きてゆく空も知られぬあけぐれにいづくの露のかかる袖なり(柏木@若菜下)
 →第二部はやはり柏木と女三の宮の密通でしょう。源氏と藤壷の密通はあっさり書かれていますがこちらは詳細に書かれています。私の投稿でも「この26段はいつ読んでもすごい、汗が出てきます」となっています。密通をしたが上まで上り詰めた源氏、密通をしたがために死んでしまった柏木。でも柏木の密通で苦しめられた(倉本先生の罰か)のは結局源氏だった。。すごい構図だと思います。

おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ(薫@匂兵部卿)
 →宇治十帖は結局この歌が原点なのだと思います。第二部であれだけ書きこんだ密通事件の落とし子を主人公にしない手はありませんものね。匂宮と浮舟だけではとても宇治十帖にはならなかったでしょう。

番外
草わかみひたちの浦のいかが崎いかであひ見んたごの浦波(近江の君@常夏)
 →私は人物談義で近江の君はゴメンだと書きましたがこの歌は大好きです。源氏物語に色合いを加える登場人物としてはこの人が一番でしょう。だって忘れられませんものね。

女郎花しをるる野辺をいづことてひと夜ばかりの宿をかりけむ(一条御息所@夕霧)
 →劇的な行き違いをもたらした歌。私はこの歌一首で夕霧物語が語れると思っています。

リストアップした百首以外にもいい歌、印象に残った歌あるかと思います。好きな歌、面白かった歌、驚いた歌、、、何でも書き込んでください。

カテゴリー: クールダウン | 2件のコメント

京都旅行に向けて 3日目 石清水八幡宮 ・ 長谷寺

源氏物語に因んだ京都旅行、3日目はちょっと京都から離れた神社とお寺にしました。オプションです。

【石清水八幡宮】859年創建 伊勢神宮に次ぐ皇室の祖神 やわたのはちまんさん
 木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで男山と天王山が対峙
 古くから鎮護国家、厄除けの神として崇められてきた。
 
 源氏物語には簡単な記述ながら2か所で出てくる。
 ・投稿「玉鬘(6・7)」都に帰った玉鬘に加護を求め豊後介が連れて行く。
  豊後介「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎同じ社なり
  →京から石清水八幡を経て長谷寺へと向かう。

 ・若菜下p38
  陪従も、石清水、賀茂の臨時の祭りなどに召す人々の、道々のことにすぐれたるかぎりをととのへさせたまへり。
  →源氏が明石の君、紫の上と住吉神社に願ほどきの参詣をする場面。

 石清水八幡宮は式部さんご指摘の徒然草第52段の方が有名でしょうか。
 徒然草第52段 全文掲載しておきます。

  仁和寺に、ある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
  さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
  すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

  →私たちはケーブルカーで。。よかったですねぇ。

【長谷寺】727年聖武天皇勅を奉じて十一面観世音菩薩が祀られる。
 願掛け願ほどき、観音信仰で有名だった。西国三十三観音霊場第八番札所。
 本堂は1650年徳川家光が建立 四季を通じ「花の御寺」として信仰を集める。

 長谷寺参詣(初瀬詣で)は源氏物語ではしばしば出てくる。

 ・投稿「玉鬘(6・7)」先ほどの石清水八幡に続き玉鬘一行は長谷寺に向かう。
   豊後介「うち次ぎては、仏の御中には、初瀬なむ、日本の中にはあらたなる験あらはしたまふと、唐土にだに聞こえあむなり」
  →そして椿市で右近に再会する。。。感動の場面

   右近 ふたもとの杉のたちどをたづねずはふる川のべに君をみましや

   投稿「玉鬘(10・11)」より抜粋  
    長谷寺にゆかりの杉があり、立札が立っている由
    hodakaさん(万葉さん)のブログにコメントを載せてますので参照ください。
   「雨の長谷寺 一日一句奈良暮らしから 2012.4.6」で検索してみてください。

   →長谷寺では是非この歌碑(立札)の所へ行ってみたいです。

 ・匂宮が初瀬詣での帰途中宿りで夕霧宇治山荘に泊り、姫たちと歌の贈答 
   投稿「椎本(1・2)」

 ・横川僧都の母尼、初瀬詣での帰途宇治で急病に、浮舟発見される契機となる。
   投稿「手習(1・2)」

 ・妹尼、初瀬詣でに浮舟を誘うが浮舟は断り小野に居残る。
   投稿「手習(18・19)」
   浮舟 はかなくて世にふる川のうき瀬にはたづねもゆかじ二本の杉

どうも書きなぐりみたいになってしまいました。でも何も調べなかったよりはよかろうということでご勘弁ください。

カテゴリー: クールダウン | 4件のコメント

京都旅行に向けて ‐ 2日目 京都御所~嵯峨野

2日目、京都御所見学を朝9時からとしたので1日たっぷり京都が満喫できます。体調管理が重要。前日飲み過ぎに要注意(勿論自戒であります)。

【京都御所】
 現在の御所は平安時代(源氏物語)の御所から1.7KM東で東西250MX南北450M。
 南北朝の14世紀半ばから今の位置。現在の内裏(紫宸殿・清涼殿)は1855年平安様式に倣って再建されたもの。
  →でも御所は御所、源氏物語の場面を思い浮かべつつ見せていただきましょう。

 ①紫宸殿 何と言っても花の宴、朧月夜の登場です。投稿「花宴(1.2.3)」参照
  二月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ 左近の桜
  →源氏20才、光輝いていましたねぇ。

 ②清涼殿 東庭にて行幸の試楽で源氏と頭中が青海波を舞う。投稿「紅葉賀(1・2・3)」
  源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭中将、容貌用意人にはことなるを、立ちならびては、なほ花のかたはらの深山木なり。
  →藤壷に見せる晴れ姿。源氏も緊張しまくって舞ったのではなかろうか。

 ③紫宸殿、清涼殿が舞台となるのは上記くらいか。意外と少ない。後は桐壷(雨夜の品定め)、藤壷、弘徽殿などだが現在の御所にはないし構造も異なっている。

【廬山寺】紫式部の曽祖父藤原兼輔の邸宅。紫式部もここで生まれ育ったとされる。
  道長の土御門殿の東北隣り。源氏庭、桔梗が有名。
  藤原兼輔 百人一首 No.27 みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ
   人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな
   →紫式部は源氏物語でこの歌を何十回と引用している。

【紀伊守中川家】寺町通り廬山寺から150M
  源氏方違えで紀伊守邸へ、空蝉と契る。投稿「帚木(14)」
  →テキスト帚木p127脚注13では「紫式部邸を紀伊守邸のモデルにしたものか」ともある。
  →何れにしても紫式部は空蝉を自身になぞらえていたのかもしれない。

【麗景殿女御中川邸、花散里の所】寺町通り紀伊守中川家から150M
  五月花橘の頃源氏花散里を訪問。投稿「花散里(1・2)」
  →【中川の女】の所もこの辺りだったのだろう。

【末摘花邸】花散里邸の西南隣り(京都御苑の東南角)(寺町通りを挟んで新島襄旧宅)
  源氏乳母子大輔命婦から「荒れ屋敷の姫君」の話を聞き心ときめかして出かける。
  投稿「末摘花(1・2・3)

 中川辺り(寺町通り沿い)、沢山出て来ますね。紫式部の土地勘に依るんでしょうか。

(大覚寺&清凉寺 投稿「松風(1・2)」参照 源氏は明石の君を大堰に迎えるにあたり近くに自らの御堂=嵯峨院を造営する)
【大覚寺】876年創建、嵯峨天皇の離宮を寺院としたもの。
  大沢の池、洞庭湖を模したもの。観月台、観月の夕べ
  名古曾の滝 藤原公任 百人一首No.55
   滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
   →「女ひとり」
     京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女が一人
     塩沢がすりに 名古屋帯 耳を澄ませば 滝の音

【清凉寺】源融の山荘棲霞観を寺院としたもの945年ころ
  造らせたまふ御堂は、大覚寺の南に当たりて、滝殿の心映えなど劣らずおもしろき寺なり。
  →源融、河原院も宇治平等院もそして清凉寺も。よく出てきますねぇ。

【野宮神社】斎宮の潔斎所 祭神は天照大神 黒木の鳥居
  投稿「賢木(1・2)」野宮の別れ、秋の嵯峨野の風景を思い出しておきましょう。

  はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあわせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

  ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなめり。黒木の鳥居どもは、さすがに神々しう見わたされて、、、

  →六条御息所があわれですねぇ。。

【明石の君 大堰邸】渡月橋左岸上流 嵐山公園亀山地区のあたりだろうか。
  保津川は嵐山付近で大堰川と名前を変え、渡月橋から下流が桂川と呼ばれるとのこと。

  投稿「松風(1・2)」参照
  昔、母君の御祖父、中務宮と聞こえけるが領じたまひける所、大堰川のわたりにありけるを、、
  惟光「あたりをかしうて、海づらに通ひたる所のさまになむはべりける
  →渡月橋の所で川幅が広がっている。それを明石の海に見立てて、、、グッドアイデアでしたね。

 嵯峨野は他に定家ゆかりの寺寺あり、芭蕉ゆかりの落柿舎あり、そうだ、平家物語の祇王寺もあり、興味はつきません。とても半日では無理ですね。まあ雰囲気を感じながら廻りたいと思います。紅葉が残っているといいですねぇ。

カテゴリー: クールダウン | 5件のコメント

京都旅行に向けて ‐ 1日目 宇治

待望の京都旅行が近づいてきました。宿も旅程も大体固まりました。宿は京町屋の一軒貨し切りで連泊にしました。町家の風情を感じながら(お酒を飲みながら)みんなで源氏物語をとことん語り合うことができるのが最高に楽しみです。

旅の予習として行き先予定のところをチェックしてみました。通常の案内は「源氏物語を歩く」みたいな本で予習済みかと思います。ここでは訪問先が源氏物語のどこにどのように書かれていたかをリストアップできればと思います。

1日目 宇治 (時間の都合で宇治が1日目になってしまった)
    宇治は平安貴族の別荘地帯 長谷寺詣での中宿りの地でもあった。
    投稿「橋姫(5・6)」参照
    また宇治は憂し、
     喜撰法師 わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人はいふなり
    京都から宇治までざっと約15KM
    ルートは京都市中-東福寺・伏見稲荷・深草に沿って南下―木幡山を越えて六地蔵-宇治
    →結構遠い。特に旅慣れない貴人が女人の元へ通うには大変

 ①平等院 源融の別荘→その後道長が手に入れ頼通が寺院を建て平等院とした(1052)
  物語では夕霧の「宇治山荘」 匂宮が初瀬詣での帰途中宿りして八の宮山荘の姫たちと歌の贈答をする。
  →投稿「椎本(1・2)」参照
   六条院より伝はりて、右大殿しりたまふ所は、川よりをちにいと広く、、、
   (匂宮)をちこちの汀に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風

  投稿「総角(22・23)」中の君に逢うべく紅葉狩りに宇治へ行くが逢えない。
   (匂宮) 秋はててさびしさまさる木のもとを吹きなすぐしそ峰の松風 

 ②宇治神社&宇治上神社 二社一体 平安時代建立 宇治上神社は世界遺産
   物語では八の宮山荘とされる。大君・中の君・浮舟が住んだ所である。
   八の宮山荘→投稿「橋姫(5・6)」参照
   八の宮山荘と夕霧宇治山荘は宇治川を挟み300Mほど。
   薫が八の宮と仏道を語らい、大君・中の君を垣間見、何度も侵入し、匂宮が中の君と契り、大君が亡くなり、浮舟が薫に匿われ、匂宮が浮舟を襲い、浮舟が二人の男の板挟みで入水を図る、、、全てこの八の宮山荘が舞台であります。

   この八の宮山荘で起こった数々の出来事を思い浮かべてこの地を訪れたいと思います。

   浮舟が入水を企て姿を消したのはこの八の宮山荘から。横川僧都に見つけられたのは宇治院あたりとあるがこの宇治院はどこだろう。手習1.p134注10に宇治川北岸とあるがそれだと八の宮山荘と同じ側。てっきり対岸に流れ着いたのではと思っていたが。

 ③源氏物語ミュージアム
  4年前に訪れたが今回は更に興味津津です。時間も限られてるので「宇治の間」「物語の間」を中心に見るのがいいのでしょうか。
  (六条院の模型はみんなでじっくり見ましょう。あそこが唐猫事件、あそこで女楽、あそこが野分で夕霧が紫の上を垣間見たところ、、、、なんて言いながら)

 ④三室戸寺 奈良時代創建の古刹、西国三十三ヵ所第十番の観音霊場 大庭園 紅葉
  浮舟の古跡あり。また宇治の阿闍梨の山寺とも言われている。
  以下 三室戸寺のHPより転載

  【浮舟の古跡とは】
  「宇治十帖」にちなみ古来より「宇治十帖の古跡」が設けられ、多くの人々が「源氏物語宇治十帖」を偲びながら、 ゆかりの地として巡るようになりました 三室戸寺鐘楼脇に「浮舟古跡」と刻まれた古碑がありますが、これは二百五十年前の寛保年間「浮舟古跡社」 を石碑に改めたものです。その折古跡社のご本尊「浮舟観音」は当山に移され、今に浮舟念持仏として、伝えられています。
  
  【宇治山の阿闍梨とは】
   光源氏の異母弟「八宮」はもとより「薫君」も「宇治山の阿闍梨」を仏道の師として深く帰依していました。 当時、宇治には山寺として知られた寺は三室戸寺のみで当寺の僧をモデルとして描いたのではないでしょうか。

宇治、、、宇治十帖がまだ記憶に新しいだけに余韻に浸りたい思いです。
宇治に関し、宇治十帖に関し何でも書き込んでおいてください。旅のよすがにしたいと思います。

カテゴリー: クールダウン | 3件のコメント