待望の京都旅行が近づいてきました。宿も旅程も大体固まりました。宿は京町屋の一軒貨し切りで連泊にしました。町家の風情を感じながら(お酒を飲みながら)みんなで源氏物語をとことん語り合うことができるのが最高に楽しみです。
旅の予習として行き先予定のところをチェックしてみました。通常の案内は「源氏物語を歩く」みたいな本で予習済みかと思います。ここでは訪問先が源氏物語のどこにどのように書かれていたかをリストアップできればと思います。
1日目 宇治 (時間の都合で宇治が1日目になってしまった)
宇治は平安貴族の別荘地帯 長谷寺詣での中宿りの地でもあった。
投稿「橋姫(5・6)」参照
また宇治は憂し、
喜撰法師 わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人はいふなり
京都から宇治までざっと約15KM
ルートは京都市中-東福寺・伏見稲荷・深草に沿って南下―木幡山を越えて六地蔵-宇治
→結構遠い。特に旅慣れない貴人が女人の元へ通うには大変
①平等院 源融の別荘→その後道長が手に入れ頼通が寺院を建て平等院とした(1052)
物語では夕霧の「宇治山荘」 匂宮が初瀬詣での帰途中宿りして八の宮山荘の姫たちと歌の贈答をする。
→投稿「椎本(1・2)」参照
六条院より伝はりて、右大殿しりたまふ所は、川よりをちにいと広く、、、
(匂宮)をちこちの汀に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風
投稿「総角(22・23)」中の君に逢うべく紅葉狩りに宇治へ行くが逢えない。
(匂宮) 秋はててさびしさまさる木のもとを吹きなすぐしそ峰の松風
②宇治神社&宇治上神社 二社一体 平安時代建立 宇治上神社は世界遺産
物語では八の宮山荘とされる。大君・中の君・浮舟が住んだ所である。
八の宮山荘→投稿「橋姫(5・6)」参照
八の宮山荘と夕霧宇治山荘は宇治川を挟み300Mほど。
薫が八の宮と仏道を語らい、大君・中の君を垣間見、何度も侵入し、匂宮が中の君と契り、大君が亡くなり、浮舟が薫に匿われ、匂宮が浮舟を襲い、浮舟が二人の男の板挟みで入水を図る、、、全てこの八の宮山荘が舞台であります。
この八の宮山荘で起こった数々の出来事を思い浮かべてこの地を訪れたいと思います。
浮舟が入水を企て姿を消したのはこの八の宮山荘から。横川僧都に見つけられたのは宇治院あたりとあるがこの宇治院はどこだろう。手習1.p134注10に宇治川北岸とあるがそれだと八の宮山荘と同じ側。てっきり対岸に流れ着いたのではと思っていたが。
③源氏物語ミュージアム
4年前に訪れたが今回は更に興味津津です。時間も限られてるので「宇治の間」「物語の間」を中心に見るのがいいのでしょうか。
(六条院の模型はみんなでじっくり見ましょう。あそこが唐猫事件、あそこで女楽、あそこが野分で夕霧が紫の上を垣間見たところ、、、、なんて言いながら)
④三室戸寺 奈良時代創建の古刹、西国三十三ヵ所第十番の観音霊場 大庭園 紅葉
浮舟の古跡あり。また宇治の阿闍梨の山寺とも言われている。
以下 三室戸寺のHPより転載
【浮舟の古跡とは】
「宇治十帖」にちなみ古来より「宇治十帖の古跡」が設けられ、多くの人々が「源氏物語宇治十帖」を偲びながら、 ゆかりの地として巡るようになりました 三室戸寺鐘楼脇に「浮舟古跡」と刻まれた古碑がありますが、これは二百五十年前の寛保年間「浮舟古跡社」 を石碑に改めたものです。その折古跡社のご本尊「浮舟観音」は当山に移され、今に浮舟念持仏として、伝えられています。
【宇治山の阿闍梨とは】
光源氏の異母弟「八宮」はもとより「薫君」も「宇治山の阿闍梨」を仏道の師として深く帰依していました。 当時、宇治には山寺として知られた寺は三室戸寺のみで当寺の僧をモデルとして描いたのではないでしょうか。
宇治、、、宇治十帖がまだ記憶に新しいだけに余韻に浸りたい思いです。
宇治に関し、宇治十帖に関し何でも書き込んでおいてください。旅のよすがにしたいと思います。
いよいよですね。
京都の紅葉は今が一番の見ごろでしょうか。
6年生の男孫が今日から修学旅行で京都、奈良へと出かけました。
子ども心に京都、奈良はどんなふうに映るのでしょう。
帰ったら印象を聴いてみたいです。
さて我々シニアの旅の始まりは宇治から。
資料もたっぷりで不足はありません。
源氏物語終幕の地、京都宇治のテレビ番組再放送も目に新しく宇治から始まるのは願ってもないところです。
今、リンボウ訳は東屋、復習を兼ねて読んでいますが当日までに夢浮橋まで完了できるでしょう。
ただ、人物の配役ができておりません。
映画好きの割に俳優、女優に疎く決め手が難しいです。
宇治平等院も過去に行ったかどうか全く記憶になく、源氏ミュージアム他宇治神社&宇治上神社 、三室戸寺は初めて。
大君、中君、浮舟たちに思いを馳せ身近に感じ宇治の姫君を偲びたいですね。
明日は倉本先生の「源氏物語の謎・紫式部の故地」の講義です。
ありがとうございます。
そう言えば宇治について何か書いたなとふと思い出し検索してみました。橋姫(5・6)にありました。コメント欄も含めもう一度見ておいてください。(検索機能本当に便利です)
宇治川の先陣争いってどの辺かなと思い平家物語拾い読みしてみました。正に橘の小島の辺りなんですね。びっくりしました。
(平家物語 巻(九)宇治川先陣)
、、、五百余騎ひしひしとくつばみをならぶるところに、平等院の丑寅、橘の小島が崎より武者二騎ひっかけひっかけ出できたり。一騎は梶原源太景季、一騎は佐々木四郎高綱なり。人目には何とも見えざりけれども、内々は先に心をかけたりければ、梶原は佐々木に一段ばかりぞすすんだる。佐々木四郎、「此河は西国一の大河ぞや。腹帯ののびて見えさうは。しめ給へ」といはれて、梶原さもあるらんとや思ひけん、左右の鐙をふみすかし、手綱を馬のゆがみにすて、腹帯をといてぞしめたりける。そのまに佐々木はつっとはせぬいて、河へざっとぞうちいれたる。梶原たばかられぬとや思ひけん、やがてつづいてうちいれたり。「いかに佐々木殿、高名せうどて不覚し給ふな。、、、、」
浮舟・匂宮、陶酔の恋の道行、ちょうどそこが先陣争いの地であったのです。感慨深いです。
橘の小島の色はかはらじを佐々木梶原先陣争い
(倉本先生の講義、レポート楽しみにしています)
橋姫(5・6)遡ってみました。
なるほど平家物語の「宇治川先陣」に触れられていますね。
この時もコメントしていますが平家物語がもう遠い昔のように思えてすっかり忘却の彼方でした。
なんと嘆かわしい!!右から左へしっかり抜け落ちています。
教えていただいて有り難いです。
改めて平家物語手に取ってみました。
橘の小島が崎(注釈)
宇治橋より下流、右岸寄りにあった中州。
宇治の橋姫をまつり歌枕として知られたが地系変化により元の島は残らないとありました。
しっかり宇治が出てくるではありませんか。驚きでした、興奮しました。
このような軍記物と片や匂宮、浮舟の恋の場面。
物語と歴史、奇しくも宇治川が舞台になるとは何と言う巡り合わせでしょうね。
誠に感慨深いです。
倉本先生からも資料として系図をいただいておりますので旅行に持参します。
歴史学者の倉本氏としては文学者に多少批判的な面もありその違いを感じとるのも興味深いものがあります。
午前、徳川美術館の国宝源氏物語絵巻の鑑賞。
午後、倉本教室です。
源氏物語に浸れる日々で幸せです。