「帚木」中川の皐月の水に人似たりかたればむせびよればわななく(与謝野晶子)
第二巻「帚木」です。帚木・空蝉・夕顔の3帖はまとめて「帚木3帖」とも呼ばれます。桐壷-若紫-紅葉賀と続く「紫のゆかり」系とは別に書かれ後から挿入されたというのが通説です。
「桐壷」から5年の空白ありG17年のお話です。源氏元服結婚の12才から17才までが飛んでいるので失われた巻があるとか色々言われているところです。
「帚木」は雨夜の品定めのところ(p68-125)と空蝉登場の部分(p125-159)の二つに分かれます。前半は女性論議ですが一般論と物語に直接関係ない世間話的なお話が多いので(夕顔の話は別)全く面白くありません。長いけど我慢して左ページの現代語訳を指でおさえながら読み進めるくらいでいいと思います。
さて、その冒頭。
p68 – 69
1.源氏の君のあやにくなご本性
〈寂聴訳巻一 p56 光源氏、光源氏などともてはやされ、〉
①「光る源氏、名のみことごとしう。言ひ消たれたまふ咎多かなるに、、、、さるまじき御ふるまひもうちまじりける」
(源氏物語には桐壷と帚木、二つの序ありとも言われています)
脚注にある通り、夕顔巻末の結びの言葉に照応する語り手の前口上
②まじめであり好色である光源氏。読者にこれからのご乱行暴露を予告するような口上です。これを聞いて読者は源氏はどんな17才に成長したのかとワクワクしたことでしょう。
③「癖なむあやにくにて、、、」
「あやにくなご本性」これがキーワード
(これから出てくる官能場面を総括するようないい言葉です)
④左大臣邸の葵の上のところにはご無沙汰している。
桐壷巻末に内裏56日、大殿23日とあった通りです。
源氏の君のご本性を予告すると共に女性の品定めに入るまでの前口上ですね。
17歳の源氏と中将始め先輩諸子ら、かまびすしい女性談義の始まりですね。
何となく腹立たしく前半を読み終えたところです。
ふと思いました。
この物語、若い時(20代~30代頃)読むのと今(60代)読むのとでは随分受け止め方、理解の仕方、面白さ等違ってくるのでしょうね。
生憎、初めて現代語訳を読んだのが50代でしたから若い方の感想など、どのようなものか興味があり聞いてみたいですね。
いやあその通りだと思います。男の私が読んでも気分よくないのに女性の方には不愉快極まりないと思います。そして年令的なことがあるのもおっしゃる通りでしょう。
女性のことも世間のことも知らない若者たちの女性論議、大人たちには危なっかしい限り。これはいつの時代も変わらないのでしょうね。男として誰しも通る青春の一道程。大目に見てあげてください。