p54 – 59
15.源氏の元服の儀、左大臣家の婿となる
〈p46 源氏の君の可愛らしい童形のお姿を、〉
①12才で元服(少年→成人)一人前の男。もう藤壺の御簾の中には入れない。
②後見のない源氏の元服、桐壷帝自ら取り仕切る。一の皇子にも劣らぬ盛大さで。
元服の様子が細かく描かれていて興味深い。
③源氏 葵の上と結婚
何故帝・左大臣は葵の上を春宮に嫁がせず源氏と結婚させたのか、、、最初読んだときどうしても理解できませんでした。いかが思われますか。
源氏12才 葵の上16才
源氏は左大臣家の婿となったわけです。葵の上のことはここではまだ「女君は、すこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥づかしと思ういたり」とだけ語られている。
「添臥にも」ということでしたが16才の初婚ではそんなこと言われても無理だったのじゃないでしょうか。ここでも葵の上は傷ついたのかも。。
単純な世俗的権勢が目的なら、左大臣は葵の上を東宮に入内させたでしょうが、それ以上に源氏の君への強い思い入れが左大臣にはあったように感じられる。「この世のものならぬ」美貌・学問遊芸の能力をもつ源氏の君に、立派な大人の男である左大臣自身が惚れ込んだように私は思います。 源氏の君に賭けよう!!
帝も、源氏の君には後見がないことを考えると左大臣家との縁組は願ったりかなったり。
帝に対する左右大臣家の力のバランスも取りたかったでしょう。
もちろんこの時代、結ばれる本人同士の意思は皆無というのが、ひっかかる。
コメントありがとうございます。
なるほど左大臣自身が源氏の君に惚れ込んだのですか。いい説だと思います。左大臣の歌「結びつる心も深きもとゆひに濃きむらさきの色しあせずは」も念願かなった嬉しさを表わしていますね。
そして左大臣は以後、事あるごとに源氏を婿としてすごく大切にし誇りにもしてますもんね。
もう一つ今思い浮かんだのですが、大宮(左大臣の北の方・桐壷帝の妹)も源氏に惚れ込んでたのじゃないでしょうか。逆に言えば大宮は大事な娘(葵の上)を弘徽殿女御が姑として君臨する春宮のところへなんぞ金輪際嫁がせたくなかったのかもしれませんね。
三日ばかり三重へ行ってましてコメントが遅れました。悪しからず・・・
帝、左大臣双方にこの縁組は望んだ結果だったと思います。
源氏元服の様子は想像するに惚れ惚れする表現ですね。
角髪の姿も愛らしく描かれていていまどきの俳優やイケメンでもすぐには思い浮かびません。
東宮からのお話を蹴ってでも源氏への思い入れが深かったのでしょうね。
17で、「内裏住みのみ好ましうおぼえたまふ。5、6日さぶらひたまひて、 大殿に2、3日など、絶え絶えにまかでたまへど・・・罪なく思しなして、いとなみかしずききこえたまふ」とあり御不満は胸の内に収め、咎めることなく大切にお世話なされております。
婿殿、様々だったのではないでしょうか。
源氏をそれこそ誇りに思われていたのでしょうね。
お忙しいのにまめにコメントをいただき本当にありがたく思っております。
左大臣が藤原摂関家政治を目指すなら娘葵の上を春宮に差出し皇子を生ませる。この皇子はやがて天皇になる。そして息子頭中と右大臣四の宮との間に娘を産ませ、この娘を皇子に入内させる。そうすれば従妹同士の結婚で孫二人が天皇と中宮になる。これって出来過ぎでしょうか。親政を目指す桐壷帝には受け入れられそうもないですけどね。。