p46 – 48
12.高麗人の観相 賜姓源氏
〈p39 その頃、高麗人が来朝しましたが、〉
(表紙の源氏かるたはこの場面)
①鴻臚館(当時の外国人迎賓館)場所は朱雀大路・七条。
②この相人の見立てが重要。以後何度も引用され物語進行のガイドラインとなる。
それにしてもうまい設定を考えたものだと感心します。
これを読んだ読者は以後の筋書きに興味津々だったでしょう。
(三田村先生によるとこの相人の見立ては「懐風藻」に出てくる大友皇子・大津皇子の記述をベースにしているとのこと)
③「当時占いは科学であった」ことからするとこの見立てを無視できない。
この見立ては高麗人だけでなく、倭相(陰陽師か)も宿曜もいっしょだとして確固たるものにしている。
④そして源氏姓を賜る、、、文字通りの源氏物語の始まりであります。
冒頭と並びこの件の相人の言葉は名場面にしたいと思います。
「国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷のかためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」
ここではこの物語の主人公が何故「源氏」と呼ばれたかの訳が詳しく書かれていて読者を納得させます。
「源氏になしたてまつるべく思しおきてたり」とあり賜姓源氏の始まりですね。
三田村先生のテキスト復習してみました。
懐風藻を通して三人(源氏、大津皇子、聖徳太子)のキャラクターの共通点を挙げられているのが興味を引きますね。
白楽天の長恨歌を引いて桐壷帝と桐壷更衣の悲恋純愛を語り、次には飛鳥の古代にもどり聖徳太子・懐風藻を引いて光源氏の人物像を設定する。これを読んだ知識階級は舌を巻いたのではないでしょうか。
紫式部こそ7才にして神才だったのでしょうね。
それと、占いも一つでなく。日本(倭相)→高麗相人→宿曜(インド占星術)と念には念を押して信憑性を強調してるところもすごいです。