p42 – 46
10.若宮参内 祖母北の方死去する
〈p36 月日は過ぎてゆき、〉
①一の皇子の立太子が決定、弘徽殿女御も一安心
②2年ほど空白があってG6年、祖母北の方が死去する。
その間の祖母と源氏の関わり合いは書かれていない。
「年ごろ馴れむつびきこえたまひつるを」とあるので、あるいは祖母が源氏に教育をつけたのかもしれない。
11.源氏の神才と美貌、内裏を圧倒する
〈p38 若宮は、それからずっと宮中にばかりいらっしゃいます。〉
まだ7才、藤壺はまだ登場せず、一種の安定期。
源氏は弘徽殿女御やらその他后たちのプライベートスペースにまで入り可愛さをふりまく。
学問のこともさることながらこの辺りで色香のことも勉強したのであろうか。
更衣が亡くなられた時の源氏は三歳、何事かあらむと思したらず・・・とあり、まだ物心つかず母上の死の意味がわからなかったのも無理ないことです。
しかし祖母北の方のときには、思し知りて恋ひ泣きたまふ・・・源氏の成長が窺われます。
北の方は旧家の出、教養の深い方とありますので数年の間に源氏をできる限り教育なされたのでしょうね。
一転して七歳、読書始めからあらゆる面での源氏の才能が発揮されていく出発点ですね。
よく読み解いておられますね。的確なコメントありがとうございます。
3才~6才・7才の4年間は空白なので源氏が誰からどのように教育を受けたのかは描かれていません。祖母北の方についても死後は回想場面にも全く登場しないのでその辺よく分かりませんが、「思し知りて恋ひ泣きたまふ」ですから、ある意味おばあちゃんっ子だったのでしょうね。
そして7才になって神才ぶりを発揮する。全ゆるリベラルアーツに万能なる男、きっと紫式部は自分の理想の男性を描いたのだと思うのですがいかがでしょう(これを描ける作者自身が万事万能だったのでしょうが)。