人物談義(16)薫と匂宮

さて、宇治十帖の主人公薫と匂宮です。
改めて考えてよくぞこの対照的な二人を生み出してくれたものだと感心します。
もう議論は尽くされた感がありますがちょっと復習してみましょう。

【薫】
 ①薫=評価:良 好き嫌い度:嫌い
  →多分能力性格考え方、私に似た男だと思います。ウジウジが嫌いです。

  薫 歌57首(源氏に次いで多い) 代表
   おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ(匂兵部卿)
   法の師とたづぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな(夢浮橋)
   →2首あげました。この2首で薫を全て語っていると思います。

 ②生まれつき芳香を持った「薫る大将」。やはり出生の秘密を背負ってるというところが薫を考える原点ではなかろうか。「橋姫」で弁から父柏木の遺書を渡される場面は身震いしました。ショックだったことでしょう。

 ③「私は許されざる者である」この意識が常に心にあり劣等感、自信のなさから自分の自由に振舞えず、「この私がそんなことしていいのか、そんなことする資格があるのか」と自分に問い続けたのではないでしょうか。

 ④女二の宮を得ても飽き足らず女一の宮に憧れる薫。それでいて浮舟にも中途半端な愛に終始した薫。どっちつかずですねぇ。
  →薫は匂宮が浮舟に通っていると知ったとき(浮舟25)すぐ匂宮の所へかけて行って譲るべきではなかったでしょうか。「匂宮は飽きたら女一の宮の女房に下げ渡すのではないか、、、」など余計な心配でしょうに。

【匂宮】
 ①匂宮=評価:良 好き嫌い度:好き
  →源氏の「色好み」を受け継いだ匂宮、読者が魅了されない筈がありません。

  匂宮 歌24首 代表
   年経ともかはらぬものか橘の小島のさきに契る心は(浮舟)
   →小舟に揺られ抱き抱かれての対岸への道行。名場面でしたねぇ。。

 ②薫と対照的にピカピカの出自。今上帝の三の宮、それだけに東宮より気楽。正に源氏の色好みを受け継いだ男と言えましょう。自信と自負に満ち溢れている。
  →薫との対比で言えば「オレは許された者である」この意識でしょうか。

 ③堅苦しい伯父の娘六の君には最初気が進まないものの妻(正妻)としてからは満足して可愛く思い、並行して一度契った中の君を大切に思い二条院に迎え入れ妻とし、そして中の品浮舟との恋に全てを忘れて耽溺する。
  →浮舟と初めて契った翌日「今日は何がなんでもここに居続ける!」って場面がありました。いやあ、凄かった。 
  →源氏おじいさんがいたらきっと「やるのう!」と満足げにつぶやくのじゃないでしょうか。

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6 Responses to 人物談義(16)薫と匂宮

  1. 青玉 のコメント:

    薫(良  嫌い)
    生まれつき身体から芳香を放つ男、誰にこのような設定が考えられるでしょう。
    それだけでも紫式部の類い稀な才能がうかがえます。

    この芳香は吉なのか凶なのか・・・
    大君が父、八の宮の呪縛から逃れられなかったように薫も出生の疑問にたえず怯えていた。
    そして真実を知った時の衝撃、これが薫のすべてだと思います。
    不義の子、その心の重荷と葛藤がかくも薫の人生に大きな影を落としたかと思えば哀れな男で同情の余地すら感じます。
    それを大目に見てもこの理屈男、やはり好きにはなれません。
    大君、浮舟を不幸にした張本人だとも言えそうです。

    匂宮(良  好き)
    何とも軽い男ですが思ったらすぐに行動に移すその決断力、堂々と自信に満ちて男らしい。
    今の世でも誰もが放っておかない色男、若い女性から匂宮様、キャー!!なんてね。
    そのやり方も理屈抜きにスマートで女心をくすぐる。
    好きになりたくないけど好きになってしまうような男かな・・・

    この二人を見ていると思慮深く相手を思いやっているように見えて結果的に駄目男。
    お気楽で奔放でもちゃんと女性を手に入れ目的を達する良い男の構図が浮かび上がります。
     
    ここにきて私も何だか言いたい放題ですね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      そうです、もうここまで読んできたのだから怖いものなしです。言いたい放題言いましょうよ。匂宮を「何とも軽い男」と喝破するなど最高です。

      お終いの総括部分(駄目男 VS 良い男)、よくぞ言っていただきました。全く異存ありません。でも生身の人間(男)はどっちかに割り切れるものではなくこの二人の狭間を悩みもがき生きているのだと思います。  

  2. ハッチー のコメント:

    現在,成蹊大学の吉田 幹生(若手の先生)古代日本文学史(文学部大学一年生向け)を受講しています。
    先日、”伊勢物語”の講義があり、第23段
    君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋つつぞ経る
    と歌を引用し
    ”女の親が死に経済的に困窮すると、男は河内国に新しい女を作り、通うようになる。しかし、もとの女は嫌な顔を見せることもなく、男を送りだす。不審に思った男が前栽に隠れて様子を窺っていると、女は旅中の男の身を案じる歌を詠むのだが、その歌が男の心を再び振り向かせることになる。
    ーーーしかし、女はどうしてそこまで耐えなければいけないのか?”
    と話し、耐える女の例として、花散里を出していました。特に中川の女との対比で。
    小生は、伊勢物語を読んだこともなく、文学史も門外漢ですが、この説明に強い関心を持っています。

    この先生は、当時は美談的に書かれている耐える女は、現在的評価では、そこまで耐える必要などないとの考え?のようで、光源氏の”色好み”の評価にいまいち納得しきれていない小生には、また考える機会ができてしまいました。

    ただ、源氏物語では女の心のうちを深く描くようになっており、文学的評価は違う?ともコメントしていました。そう言えば、小生は心内の解読にはひどく苦労しましたから。

    この先生の源氏物語の講義は12月になるので、記念旅行には間に合いませんが、源氏物語そのものと主人公光源氏をそれぞれどんな評価をするのかいまから楽しみです。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。いい講義を受けていますねぇ。

      伊勢物語第23段と言えばあの筒井筒の話ですね、伊勢物語の中でも最も有名な段の一つでしょう。この段、是非読んでください。私に言わせれば前半の筒井筒の恋の部分はいいのですが後半の高安の女の部分は付け足しで一連性がなくむしろ邪魔っけだと思ってるんですが。。

      高貴な男に愛される複数の女の一人として生きるのが幸せなのか
      (耐える女)、身分は低くても一夫一婦の関係で生きる方が幸せなのか(耐えない女)。今の感覚で考えれば言わずもがなでしょう。源氏物語の中でも紫式部は鋭くこの問題をつきつけています。(紫式部は色好みの物語を書きつつ、「女の幸せは一人の男から唯一の女として愛されることだ、、」と訴え続けているように思います)

      中川の女が引合いに出されたのは源氏の訪れをすげなく断ったからですね。確かにそうですが、過去に源氏が何回通っていたか分からないし、もし過去に一回きりだったらそんなもの耐えるも耐えないもありませんよね。
        →花散里(1・2)投稿&コメント部分ご参照

      吉田先生の源氏の講義、是非レポートしてください。お願いします。

  3. 青黄の宮 のコメント:

    秋田旅行も含めてバタバタと忙しくて、暫くクールダウンを見ない間に、宇治十帖に入っていました。宇治十帖では、小生は清々爺から匂宮役になってコメントするよう依頼されましたが、やってみて、薫役に比べて、何と得な役割であったことかと申し訳なく感じたくらいです。

    そうした経緯に拘らず、小生は匂宮には人物評価は「優」、好き嫌い度は「大好き」と最上の評価を与えます。なぜなら、匂宮は全てに恵まれた第2の源氏とも言うべきスーパースターだからです。くどくどと書きませんが、出自・身分・将来性・容貌・教養、そして能力・決断力・実行力など、これ以上望めないほど恵まれた好男子です。

    唯一の問題は匂宮が当時においてでさえ、しばしば「好色過ぎる」と非難されることですが、折口信夫流に言えば、匂宮は将来天皇になるような最も高貴な男性として、「いろごのみ」生活を許された人物であり、相手となった女性の先々の世話をする限り、非難されるような問題でないと考えます。

    これに対して、薫は小生も「良」&「嫌い」です。薫は自分ではどうしょうもない「出生の秘密」とか「許されざる者としての劣等感」とか匂宮と比べると不幸な境遇にあることは理解できますが、他方で表向きの出自・身分・容貌・才能などは上達部の中では超一流であり、マイナス面に囚われず、プラス面を見た前向きな人生を送ってほしいと思いました。そうすれば、「嫌い」が「普通」とか「好き」になったと思います。

    それにしても、清々爺が薫を「多分能力性格考え方、私に似た男だと思います」と評しているのは驚きというか意味不明ですね。これについては、京都の旅に於いて、単なる韜晦なのか本音の告白なのか、聞かせてもらいますので覚悟しておいてください。

    • 清々爺 のコメント:

      忙しいところありがとうございます。

      1.それだけ褒めてもらえれば匂宮もさぞお喜びでしょう。
        「匂宮は好色過ぎるか」 確かに問題ですねぇ。母中宮が匂宮が好色過ぎるとして世間の非難を浴びないかと心配する場面がしばしばありました。中の君の時は禁足も命じてましたっけ。これは思うに匂宮は「いろごのみ」を許された身ではあるもののまだ少し危なっかしい面があったからだと思います。それはやはり青黄の宮さんが留保条件として付けている「相手となった女性の先々の世話をする限り」という点でしょう。浮舟に手をつけながら(友でもある薫から奪いながら)将来飽きたら姉の女房にでもしてしまえばいいか、、、と考えている。ちょっと足りないのじゃないでしょうか。お祖父さんはもっと面倒見よかったと思うのですが。

      2.余計なこと書いてしまいましたかね。韜晦ではありませんが本音の告白と言うほどでもありません。折角楽しい京都の旅先で追及されるのも面倒なのでちょっと釈明しておきます。

       考え過ぎ・相手のことを想い過ぎ・周りに気を遣い過ぎ、その結果決断がつかず行動に出られない。行動力不足。

        →薫のこういうマイナス面(よく言えば慎重で思いやりがあるのだが)を見てそう言えば自分もそうだなあと感じるわけです。
        →逆に匂宮のように奔放に思うままに行動してみろと言われてもそれは性格的に絶対できないなあ、、と思うのです。

       この年になると性格・行動方式、結構自分が見えますよね。それから言って「薫は何となくオレと似たタイプかなあ、匂宮には絶対なれないなあ」と思ったということであります。。。

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